ベルが帰ってこない。ダンジョンから帰宅した途端、不安そうな表情をしたヘスティアに飛びつかれて聞かされた話に、ヒルダは休む間もなく外へとベルを探し始めた。
確か酒場「豊穣の女主人」で夕食を取ると言っていたはずだ。
何故か先にホームを出ていたベルとダンジョンで合流したときに聞いた話を思い浮かべる。「ヒルダも一緒にどう?」と誘われたが、件の酒場は美味しいが価格は高めという噂を聞いていたし、彼を誘ったシルさんとやらも誘ってないやつが来たら驚くだろう、と思い断ったのだが、それが裏目に出たようだ。一緒に行けば良かった、と半日前の自分の行動を悔やみながら、店の方角へと足を進める。
「こんばんは……」
「お客様一名ご案内ニャー!」
白いブラウスと緑のジャンパースカートの上に白いエプロンをつけた猫人は尻尾をゆらりと揺らし店の中へと声を張り上げた。
「あ、ごめんなさい。客じゃないです」
「ニャ?」
慌てて訂正すると、「何しに来たんだニャ」という訝しげな視線が向けられた。
「えっと……人を探してるんです。ヒューマンの白い髪に赤色の目の男の子が来ませんでしたか?」
猫人の店員は黒色の尻尾をゆっくりと揺らす。数秒の間があって、ぽんと手の平に拳を打ちつけた。
「ああ、白髪頭かニャ」
「多分その子です。ここで夕食を食べると言ってたんですが、まだ帰ってきてなくて……」
何か知ってますか、と尋ねるヒルダに店員は肩をすくめ、通りへと指を指した。
「白髪頭なら突然店を飛び出してって、もうここにはいないニャ」
「そうなんですか」
一体ベルは何処にいってしまったのだろう、と店員に礼を言い、踵を返そうとした瞬間、ヒルダの肩ががしりと掴まれた。
「まあ待つニャ。おミャーは白髪頭の仲間かニャ?」
「はい、そうですが……?」
頷いたヒルダの目の前に手のひらが差し出された。
「代金」
「え?」
「だ・い・き・ん!!!」
ヒルダはぱちりと瞬きをする。猫人が言うには、ベルはどうやら無銭飲食をしたらしい。尻尾をぴんも立てて、彼の代わりに金を払え、と要求する猫人の口から紡がれるベルに対しての文句は何一つ間違っていなかった。
「うちの団長がご迷惑をおかけしました……」
硬貨を手渡し深々と腰を折るヒルダに猫人は「払ってくれるなら何も問題ないニャ。また来るニャ〜」と言って店へと引っ込んでいった。
扉が閉まり、ヒルダは再びベル捜索へと足を動かす。
出会って半月程度の関係だが、ベルが無銭飲食をするような人間ではないことをヒルダはよく知っていた。
つまり、代金を払えないような何かがあったということである。
いよいよベルの身が心配になってきた。ベルは小さな村から都市へとやってきた純真無垢を体現したような少年である。
何かに巻き込まれてなければいいが……。
彼の身に何かが起きたという良からぬ想像が浮かんでは消える。ヒルダは眉を吊り上げ、早く見つけなければ、と一歩を踏み出そうとして──
「待って」
「ぇ」
ローブが進行方向の反対に引っ張られた。一刻を争うときに一体何なんだ、と振り返ったヒルダは自分を引き留めた人物を視界に入れて、目を見開いた。
金の髪と瞳。女神と並んで劣りはしない美貌。鎧をつけていないせいかほっそりとした女性らしい曲線美が目立つが、その華奢な体には絶大な力があることをオラリオの誰もが知っている。
「アイズ・ヴァレンシュタイン、さん……」
剣姫、アイズ・ヴァレンシュタインがヒルダのローブの裾を握っていた。
何故、とヒルダの脳が疑問で埋め尽くされる。以前、ミノタウロスに襲われていたときに助けた・助けられたという関係ではあるものの、それだけだ。
ヒルダには、都市最強の一角である彼女に声をかけられる覚えなど小指の爪先程もない。
オラリオ内外に名声が知れ渡る彼女を無視するわけにも行かず、ヒルダはアイズがもごもごと口を動かす様子を待つことにした。
「その、君は……あの子の仲間、なんだよね。白い髪の、兎みたいな子」
「兎……ベルのことを言っているなら、そうですね」
やったじゃん、ベル。想い人に覚えられてるよ。
場違いにもヒルダはそう思った。
「ごめんなさい……」
「!?」
やっぱり助けた相手に叫ばれて逃げられたことを気にしてるのかな……とヒルダが考えていると、突然アイズが謝罪の言葉を口にしながら頭を下げた。ヒルダの思考が止まった。
アイズ・ヴァレンシュタインに、ロキ・ファミリアの幹部に、剣姫に頭を下げられるとは思わなかったのである。
「外での話が聞こえて……彼が見つからないのは、私のせいかもしれない……」
萎れた声音で話すアイズの姿はまるで失敗がバレて落ち込んでいる幼児のようだった。
そこからぽつぽつと喋り出したアイズの話を纏めると、どうやらミノタウロスに襲われ、アイズに助けられた後のベルの話がロキ・ファミリアの宴の肴にされてしまったようだ。それに傷ついたベルは店を飛び出してしまった、と。
再び謝罪するアイズに、ヒルダは内心顔を手のひらで覆いたくなった。
側から見ても分かるほどに恋に浮かれきっていたベルのことだ。想い人の前で笑いものにされるという状況に、耐えられずに店を飛び出してもおかしくない。いや、勘定くらいしていけとは思わないでもないが。
「大体分かりました……ベルが何処に向かったか見当つきますか?」
ヒルダの問いかけにアイズはふるふると首を横に振った。申し訳なさそうな表情をするアイズを横目に、ベルの行先へと思考を巡らす。
案外入れ違ってホームに帰宅しているかもしれない。しかし、好きな人の前で笑い話のネタにされて傷心中の少年がそのまま帰宅するとも考えにくい。
やけになってダンジョンとか行ってないといいけど……。
「あ」
ヒルダの脳内に豆電球が光るイメージが浮かんた。そうだ。ダンジョンは探してなかった。
「ありがとうございます、アイズ・ヴァレンシュタインさん。助かりました」
「えっと……?」
被っているフードの下でにこりと微笑んだヒルダは、疑問符を浮かべているアイズに一礼し、その場を去った。と、思ったらくるりと振り返ってアイズの元へ小走りで駆けてくる。
「謝罪はベルに直接言ってあげてくださいね」
瞬きを繰り返すアイズに人差し指を立て、謝罪なら本人に直接と促す。
それじゃあ失礼します、と今度こそ走って去っていく少女の後ろ姿を、アイズは暫く眺めていた。
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