人間になる魔法 作:青バフ
・高い空間認識能力・演算能力
・優れた魔法の才能
・特異な精神性(性根が捻じ曲がっているとも言う)
人が歪む様を見るのが好きだった。何故かと問われてもうまく言葉に表すことはできないが、いくつかの推測は出来る。
劣悪な環境で育ったからか、それとも私が生来の異常者だったのか。しかし、今更それを論じたところで何かが変わるわけでもあるまい。
統一帝国の絢爛たる栄光、その拡大の傍らに生まれた影。
同年代の者たちと比べて腕っぷしが弱い私にとって、当時を生き抜くにはそうするしかないと思っていた。
身に染み付いた生き方は、魔法の才を見出され、師を戴き、国に仕えることとなってもそう変わることはない。
しかし、戦場で結果を残し、研鑽に励み、位が上がり、身に纏う衣が少しばかり豪著になったところで、私に向けられる目はさして変わらなかった。染み付いた振る舞いのせいか、誰もが私を侮り、時には意のままにしようとする。
だがある時、私は気付いてしまった。
人は皆、与えられた役割を大なり小なり演じてしまうものだ。私が小心者であるかのように振る舞うことで、相手は知らず知らずに支配者の役割を演じさせられている。
私が上で、相手が下。相手は私を支配したかのように思っているかもしれないが、本当の支配者は――役を与え、思うままに演じさせているのは、私なのだ。
それに気付いてから、無意識に卑屈に振る舞うことはなくなった。
ただ、もっと巧妙に、己の欲を満たすため、意図してそう振る舞うようになっただけ。それは帝国一の有力者、ライストン公の子飼いになってからも変わらない。
先程も述べたが、私は人の歪む様を見るのが大好きだ。
例えば、愚かにも皇帝の座をその手中に収めようとするもの。元より野心の強い男ではあったが、ここまで不敬なことを考える男ではなかった。
私に操られ、少しずつ誘導されていることも知らずに。先帝の息子を事故に見せかけて殺し、あと一手で望みのものが手に入るようにお膳立てされていることも判らずに。
元は国を、領民を少なからず大事に思っていたその男が、野心と権力欲に焼かれ歪んでいく様を見るのは最高の見世物だった。
そして今、もう一つ見たいものが増えた。
人の心を持たぬ魔族でありながら、帝国に忠義を立て、命を懸けてまで傀儡の皇帝を救いに戦場に参じる男。宮廷魔法使いの長老、ナトゥーア。
知りたい。彼が何を考えて、五十年以上もの間人に紛れて生きてきたか。そして、見たい。
――彼のその貌が、歪む瞬間を。
「さて。まずは話をするにあたって、この人形は邪魔ですね。『機能停止』」
ファイクが制御のための文言を口にすると、刃のゴーレムは力無く項垂れるようにその機能を停止する。
緑髪の魔族を殺し、この場にいるのは俺とファイクのみ、なのだが。あいつがあんな顔をする奴だったとは。
どうも今まで見てきた小心者で卑屈なあの男は、彼のほんの一面にすぎなかったようだ。まあ、宮廷魔法使い主席が凡人に務まるわけもなし。納得と言えば納得だが……
「しかし随分とお若くなったものですね、ナトゥーア殿。見違えるようだ」
「……なぁ。ここはお互い、見なかったことにしないか? お前たちの計画は粗方分かってる。俺と皇帝は帝都を出て、二度と表舞台に上がることはない。それがお前たちの望みだろう? ここで争う必要はないはずだ」
「その前に、少しお聞きしたいことが。なぜあなたは魔族でありながら、人に味方するようなことを? なぜ命を懸けてまで皇帝を助けるのでしょうか。それほどあの傀儡に忠誠を誓っているのですか?」
なぜ人に味方する、か。特に考えたことはなかったが、元はと言えば帝国の中枢で魔法に打ち込める環境に身を置くためだったか。元々人間だった記憶があるので、それ以外でもついつい人間側に視座を置いて考えることが多いのもあるだろう。
「順番に答えてやるよ。一個目は、そうだな……魔法の研究のため、より優れた環境に身を置くためだな。確かに魔族の魔法技術は優れているが、人間の集合知に対して全てに優ると思うほど驕っちゃいないんでね」
「では、二つ目は?」
後者については、今更考えるまでもない。
「決まってる。
それを聞いたファイクが、先のように嗤う。その笑みに込められた感情がなんなのか、俺が理解するのには少し時間を要した。それは、魔族には決して持ちえないものであったから。
「そうですか。先ほどの答えですが――少し前ならば、悪くない提案だったのですがね。貴方を逃がすわけにはいかなくなりました。逃がしたくない、というのが正しいでしょうか」
「そうかよ。だが、こっちにはお前に付き合う義理はないんでね」
飛行魔法を使えるこっちからしたら、目の前のファイクから逃げるのはそう難しくはない。途中でヴァルを拾わなければならないのと追われるリスクもあるが、ここでどちらかが死ぬまで戦うよりはだいぶマシだ。
「……ふむ。では、貴方を
「……なに?」
「分かりませんか? 貴方のご友人、現在の皇帝陛下が受けてきた仕打ち、陥っている苦境。それら全ての起因は、私が引き起こしたこと、ということです」
これは挑発だ。俺を怒らせ、この場に留めるためのでまかせのはず。だが、そう断ずるにはこの話には突拍子がなさすぎて、しかしそれでいてどこか真実味を帯びている。それをもたらしているのは、やはりコイツから発せられる一つの強い感情。
「それが本当だとしても、何故だ? お前は何がしたいというんだ」
「何故、と問いますか。そんなものは決まっています――富も地位も、私はさして興味はない。私はただ、あの人が野心に焦がれて歪んでいく様を見たかった」
ああ、成程。本当に久しぶりだ。これが――悪意というものか。
「もっとも、この道を選んだのは彼自身ですがね。私はただ、そうなるようにお膳立てをして差し上げただけ――」
コイツの誘いに乗るべきではない。そんなことは分かっている。だが、俺にはどうしても抑えられなかった。心の底から沸々と湧いてくる、この怒りを。
「もういい、分かった。乗ってやるよ。……お前は、ここで死んでおくべきだ」
「素晴らしい。では、お相手願いましょうか。ナトゥーア殿?」
談笑の時間は終わりだ。会話の終わり際に流れるように放たれた攻撃魔法はやはり、空間の歪曲によって逸らされる。
お返しとばかりに飛んでくる光の矢を捌きながら、俺は次の行動へと移った。
「お前を殺しても罪悪感は感じなくて済みそうだ。それだけは感謝しといてやるよ」
「魔族のあなたが罪悪を語りますか。まったくもって面白い」
空中に浮かべたいくつもの魔法陣を中心に、大気から集めた水分を凝結させ氷塊を作る。一つ一つがそれなりの重量を持つそれを時間差で投射するも、ファイクまで届くことはない。だが、先ほどの攻撃と比べて明らかに軌道の変化が緩やかだ。
やはり、奴の守りを攻略するには質量が必要。それも数十キロ程度のものではない、もっと大きな何か。
多種多様な魔法が雨のようにこちらへと降りかかるが、俺はその全てを防ぎきる。時には防ぎ、時には躱し、時には魔力の刃で切り払う。奴の魔法により軌道が捻じ曲げられたものもいくつか織り交ぜられているが、それすらも問題にならない。集中と俯瞰、二つの思考を俺は今、完全に両立できている。
「やはり、射撃戦では千日手にならざるを得ませんか」
そう言ったファイクの動きが変わり、明らかにこちらへの接近を意図したものへと切り替わる。
射撃戦では中々決着がつかないのはその通りだろう。こちらの魔法は言わずもがな通らず、相手も多少小細工を弄したところで、今の俺には通じない。
今までの戦いを通して、奴の魔法の性質はいくらか分かった。空間歪曲の射程は攻防関わらず、おおよそ五メートルといったところだろう。そして奴は、攻撃と防御において魔法の扱いを変えている。
まず前提として、奴の魔法は防御より攻撃のほうが明らかに出力が高い。防御――つまり敵の攻撃を逸らす際はある程度繊細な魔法の制御が必要とされるからだろう。攻撃の際は細かく考えずに滅茶苦茶に空間を歪めてしまえばよいのだろうが、防御の際はまかり間違っても自分の方向へと攻撃を飛ばさないようにしなければならない。
三次元的に空間を意図して歪ませるには、恐らく高い空間認識能力と想像力が必要とされるはず。それを簡略化するために、奴は防御の際は空間を面として捉え、二次元的なものとして処理しているのだろう。
半球や壁――要するに四角形だ――といった、幾つかの図形としての定型を使い分けることで、集中力や想像力を使用するリソースを極力削減し、歪曲障壁を半常時展開しながら戦い続けることが出来るのだと思われる。
そして攻撃。おそらくそのトリガーとなっているのは視線と接触。
何も難しいことではない。奴が歪曲できるのは射程範囲内、そしてその視界内の焦点を合わせた一点。もしくは杖や手が直接接触している箇所だけであるということ。言い換えると、奴は歪曲させる地点を精密に知覚していなければならないのだろう。射程範囲内のすべてを無茶苦茶に歪ませるようなことは出来ない。
仕組みさえ理解すれば、無法というほどの強さではない。極めて強力なのは間違いないが、穴はある。
俺は心のどこかで、緑髪の魔族を殺した後にファイクともやりあうことになるだろうと予感を感じていた。
それ故に――既に、布石は打ってある。
今、ファイクはこちらへと近づこうと画策している。当然その目的は『
俺がまずすべきことは、それを利用してある地点へと奴を誘導することだ。
「行け」
まずはゴーレムを三体ほど作り、けしかける。奴は先ほどのように爆発魔法を仕込まれていないか警戒しているようで、障壁内に極力入れずに通常の攻撃魔法で処理することにしたようだ。
そのために足が止まる数瞬、魔力を大きく溜めて先程よりもさらに大きい氷塊を形成。大氷槍とでも呼べるそれは目算で数百キロ程度の質量を誇っており、ファイクとしてもこれは正面からあまり受けたくないだろう。
そしてここは森の中に拓かれた街道。そこらに生えていた樹木を根のあたりから魔力の刃で切り落とし、何本かを宙に浮かせ射出の機を窺う。即席の質量弾だ。
幾つかが飛んできた攻撃魔法によって撃ち落されるも、然程の問題ではない。杖を一振りするだけで弾は補充できるのだから。
放たれたそれらはファイクに到達する前に逸らされるも、その軌道はかなり危うい。中でも大氷槍はあと少しで命中するというところまで肉薄していた。
「なるほど。私の魔法の性質を解き明かしたつもりのようで。ですが――!」
開き直ったように、ファイクはこちらへと辿り着く最短の距離を直進してくる。最低限の回避行動すら捨てた猛進はしかし、そこに放たれた攻撃を全て跳ね除ける。
弾かれたそれらの軌道には秩序がなく滅茶苦茶だ。まぐれ当たりが起きうるリスクを許容し、制御を放棄して出力を上げてきたか。
だが――ここまでは読み通り。
まんまと誘導されたとも知らずに、「ある地点」へとファイクが足を踏み入れた瞬間。仕掛けられていた魔法の地雷が炸裂する。
空間歪曲の突破方法は、大質量による攻撃以外にもある。罠を仕掛けて、障壁内で作動させてやること。
ただ、隠密性を重視したせいで大した魔力を込められなかったので、威力はそこまで出ないはず。それでも多少のダメージと動揺を与え、土煙を巻き上げることは出来る。
歪曲攻撃の主たるトリガーが視認であるということは、それを封じた今であれば、近接戦闘も可能。賭けにはなるが、分は悪くないはずだ。
力強い踏み込みで一気に距離を詰め、射程圏内へと入る。まず感じたのは強い抵抗と、方向感覚の著しい乱れ。これは奴の歪曲障壁に接触したが故だろう。感覚の乱れに惑わされず、方向を適宜修正しつつ無理やり押し通ると同時に、俺は槍と化した杖を中心に向けて思い切り投擲した。
響き渡る甲高い音と、遅れて杖が地面に転がったような、からんという音を聞くに、どうやら防がれたということは分かる。
しかしそれは陽動。俺はその間にファイクの後方へと回り込んでいた。最後に残された武器は、右腕より直接形成した剣の刃のみ。この一太刀で全てを決める。
そう思い、ファイクの背に向けて突貫をかけようとした刹那――
突如として空転する視界。己が地に伏したことに気付くと同時に、足に走る鋭い激痛。見やれば、足が関節から曲がってはいけない方向へと曲がっている。
「が――!?」
何をされた? いや、それ自体は分かっている。足に歪曲攻撃を喰らったのだろう。だが、どうやって?
「だから言ったではないですか。解き明かした“つもり”だと」
土煙が晴れると、笑みを浮かべたファイクがこちらのことを見下ろしていた。
「……まだ、見せていない使い方があったってわけかよ」
「話が早い。貴方は私とあの魔族との戦いで全てをお見通しになったつもりでいたようですが、そうではないのですよ」
最後に向けて、布石を打っていたのは俺だけではなかったということか。緑髪の魔族との戦いの最中、奴もかなり苦しい状況に陥った時があったはず。
それでもなお、まだ見ぬ手札を切らずに抱えていたのか。全ては、最後に俺を嵌めるために。
「貴方が推測しているであろう私の魔法の制約。それは概ね間違ってはいないでしょう。ただ、私の魔法にはもう一つの使い方がありましてね。数秒間魔力を込め続けることで、視界外、射程外であろうとも相応の時間、空間の歪みを持続させ続けることができる。貴方の攻撃が予想以上に苛烈でしたので、一つしか作れませんでしたが」
つまるところ、空間の歪みを罠として設置できる、ということか。
罠に嵌めたつもりが、こちらが嵌められていたわけだ。自分の身体の後ろに空間の歪みを隠すことで、俺にその存在を悟らせなかったのも上手い。……そうなると、奴は俺が後ろに回ることまで読んでいた?
「まんまとしてやられたな。……これも全部、計算通りか?」
「貴方の筋書きに気付いてからは。過程はどうあれ、最後にはあなたは自ら手を下しに来ると確信していましたから。後はラストシーンに少しばかり手を加え、貴方が背後を取るように誘導してあげるだけ。自らを道化と気付かぬままに舞う姿は、実に滑稽でしたよ」
なるほど。――勝負には負けた、それは認めよう。だが、賭けはまだ終わってはいない。
もうあと少し。一分にも満たない時間、ファイクをここに留める。それだけできればいい。
「クソが。……どうした、さっさと止めを刺したらどうだ」
「その前に、貴方には皇帝の居場所を吐いてもらわねば。貴方も魔族ならば、躊躇う理由はないでしょう。それ以外に、命を拾う方法はありませんよ」
どの口が言う。こいつの表情を見ればわかる。俺が命惜しさにヴァルの居場所を言えば、その瞬間にこいつは興味を失い、俺を殺すだろう。
だが、そういう異常者だからこそだ。こいつが俺を倒した場合、長ったらしく口上を述べるか、俺を甚振るか。少なくとも直ぐに殺すような真似はしないだろうという確信があったから、俺はこの賭けに出た。
そのまま殺せればよし、負けても命を拾えば、時間さえ稼げればいい。合わせれば五分以上の見込みはある、悪くない賭けだろう。
「自分の命のために友を売れって? 笑わせてくれるじゃねえか」
「……本当に面白い。では、順序を逆にしましょうか。皇帝をここに連れてきて、貴方の眼前で殺します。遠くにはいないはず、探せば見つからないこともないでしょう。その時、貴方の顔がどんなふうに歪むのか……ふふ、ふふふ。想像するだけで、楽しみです」
立ち去ろうという素振りを見せたファイクの足首を精一杯手を伸ばし、掴む。
その手は簡単に振り払われ、拾い上げられた俺の杖が手の甲へと突き刺された。まともに動かせるのは右腕だけだったので、もうこれで動けない。まるで標本にされた昆虫のような気分だ。
「がぁっ……!」
「貴方はここで待っていればよろしい。無力感に打ち震えながらね」
あと、二十秒。
この地点に設置した魔法の地雷。その主目的は相手を陥れることではなく、目印をつけること。
ここは俺が緑髪の魔族と戦った際に、鎧のゴーレムに飛行魔法を掛けて飛ばした場所だ。仕込んだ術式の内容はただ一つ、魔力の続く限り際限なく上昇を続けること。
そして肉眼では見えぬほどに上昇したゴーレムは、当然ながら魔力が切れると同時に落下を始める。ここまで言えば分かるだろう。
今まさに、ゴーレムはこの地点へ向けて超高速で落ちている。
「く、ふふ、はっ、あははははは!」
最早体は動かない。俺に許された唯一の行動は、口先を弄してでもファイクの足を止めること。
「……気でもおかしくなりましたか? 全く、興が削がれますね――」
「いいや、違うね。おかしいから笑ってんだよ。……ファイクよぉ、お前、自分が勝ったとでも思ってんのか?」
あと、十秒。
地に伏している俺には見える。上空から、黒い点が少しずつ大きくなって、こちらへと迫ってきているのが。
先程までの質量攻撃とは比にならない重量。重さのケタが二つか三つも違うそれが超高速で飛来すれば、歪曲による防御など意を介さないだろう。
「何が言いたいのです? 私は立ち、貴方はそこに倒れている。それが何よりも結果を物語っているはずですが」
五。 四。 三――
「そうさ、確かにお前は俺に勝った。それでもお前は負けるんだ。教えてやるよ――」
頭上から、風を切る音が聞こえる。
「――あ」
ファイクも気付いたようだが、もう遅い。もうすぐにでも、ゴーレムは地へと落ちる。
逃れる術は最早ない――俺の魔法以外では。
「――お前の敗因は、そのクソみたいな驕りと油断だ」
……零。
――『