人間になる魔法 作:青バフ
「ヤツに付けていた首輪が壊れた」
帝都にあるライストン家の邸宅にて、人の目のない一室に呼び出されたファイクは入室するなりライストン公にこう切り出された。
彼の言う者が皇帝のことを指しているのであれば、首輪というのが何を示しているかは一目瞭然だ。
「こ、皇帝陛下の母君が亡くなられたと?」
「そうだ、この事実を長く伏せてはおけん。……替え時、かもしれんな」
現在ライストン公が皇帝を傀儡として動かせているのは、ライストン家が持つ絶大な権力のほかに、皇帝の母親の身柄を抑えていたからというのが大きい。
半身不随で衰弱しているため、いつ亡くなってもおかしくはない状況であったが、いざこうなれば皇帝がこれまで通りに唯々諾々と従う理由はない。
「それは……ま、まさか、皇帝陛下を――」
「問題ない。方々への手回しは既に始めている。さて、実際に手を下す役は……ファイク。お前にやってもらおうか」
ここまで来れば、彼らが何を企んでいるかは明らかであった。
皇帝の暗殺。それは許されざる大罪だったが、彼らにとってそれは既に恐れるものではない。もう
ならばなんのことはない、前にやったことをもう一度やるだけのこと。
「わ、私に、手を下せと?」
明らかに委縮している様子のファイクに、ライストン公は念押しとばかりに言葉をかける。
「間接的とはいえ、貴様も一度は手を汚した身だろうが。それに、貴様に選択権はない。貴様は私の従僕であり、命令を下されたならば、その返事は是以外にあり得ない。そうだろう?」
「は、はい……」
「とはいえ、再び宮廷内で事を起こすのは得策ではないか」
先帝の暗殺が疑われた事案を経て、宮廷内ではその手のことに関するチェックがさらに厳しくなっていた。また、人員の配置転換なども行われ、ライストン公の手の者も皇帝の周りから減らされている。ここで前と同じ手に出るのはリスクが高すぎるとライストン公は判断した。
「……ヤツが初陣に出るのは一年後だったな」
皇族の男児は一度戦場に立って初めて一人前であるというのが、宮廷内での暗黙の了解であった。
現皇帝もその例に洩れず、一年後に軍を率いて大規模な遠征に出ることになっていたのだが、ライストン公はそこに目を付けた。
「戦場では何が起きてもおかしくはない。……そうだろう?」
「不運が重なり、皇帝陛下が敵の流れ弾に斃れるようであっても致し方ないと……そう、仰りたいのですか?」
「ほぉ、わかっているではないか。遠征の際は皇帝の近くに居られるように働きかけておく。後の仔細は貴様に任せたぞ」
ファイクは黙して頭を下げる。ライストン公から隠れたその顔の口元は、喜悦に歪んでいた――
「……完成した。ついに……」
あれほど降りしきっていた雪が粗方融け、新たな生命の息吹が地面に顔を出し始めた頃。
俺は喜びと達成感に打ち震えていた。完成したのだ。『人間になる魔法』が。
早速自分で試したいところだが、流石にそれはまだ早計というものだ。
この魔法は魂に情報を刻み込むことで心を造り替える。理論通りに動けば不可逆的な変化を俺の心に齎すことになるだろう。正直、今は自分が高揚していて冷静ではない自覚がある。穴がないか念入りに確認してから取り掛かるべきと、理性は訴えていた。
そして厳しい冬が明け春が訪れようとしているということは、ヴァルが軍を率いて出兵する時期が近づいているということでもある。今もなお広がる地方と中央の軋轢は深刻な域に達しており、今回の遠征はそれを何とか収めようという意図もある。
要するに皇帝直々に軍を率いて地方までに戦いに来ましたよ、というパフォーマンス的な面を多分に含んでいるということだ。
「よし、と。さて、行くか」
そんなわけで今日は出陣を控えたヴァルとの会合だ。俺は研究、ヴァルは戦の準備と互いに忙しくて最近は会っていなかった。教育係として教えることももうないし。
だが、今回は伝えなければならない用件があった。『人間になる魔法』が完成した以上、これ以上帝都にいる理由はない――
「――つーわけで、後一、二年ぐらいで帝都を出ようかと思ってる」
「それは……寂しくなるね。仕方のないことだけど」
例え顔を変えられると言えども、魔力の波長は変えられない。熟練の魔法使い――それこそ宮廷魔法使いのような――なら、それを以て個人を特定することも不可能ではないのだ。
だから俺は帝都を出てから、用でもない限り五十年は近寄らないと決めていた。つまり今の身分を捨てて帝都を出れば、それがヴァルとの今生の別れになるだろう。
「だからまあ、お前に餞別を送ろうと思ってな」
「餞別?」
そこで俺は考えた。帝都を出る前に、ただ一人の友人に何を残せるか。
怪訝そうな顔をしているヴァルに、俺は言葉を投げかけた。
「頼みを一つ、何だって聞いてやる。もちろん、俺のできる範囲でだが」
そう言うと、ヴァルは僅かに驚いたような顔をする。
「それは、どういう……」
「文字通りの意味だよ。例えば――誰かを殺せ、なんていうのもアリだ」
どうせ捨てる身分だ、何をしようが構わないだろう。立つ鳥跡を濁さずというが、俺の場合は逆だ。
この際滅茶苦茶に暴れてしまってもいい。去り行く俺が出来る唯一の事。それは友の前にある障害を全て取り払ってやることだけだ。
「ライストン公が憎くはないか? お前はもういつ殺されてもおかしくない。なら――やられる前にやるべきじゃないのか?」
以前の大結界の調整時に帝都を出たとき、俺はライストン家の領地へと寄っていた。母親の容態を確認することをヴァルに頼まれていたからだ。姿を変えられる俺にとってその手の潜入任務はお手の物で、既に俺たちはヴァルの母親が亡くなっていることを把握していた。
そしてそれはライストン公にとってヴァルの存在が邪魔になってしまったことを意味する。一度暗殺をしでかしたのだ、二度目がないという保証はない。
「ただ“やれ”と命令するだけでいいんだ。なに、俺は魔族だからな。何をしても罪の意識なんてものはない」
「……私に、復讐を果たせと。そう言いたいのかい?」
そう言うヴァルの目を見つめると、瞳が揺れているのが分かる。六年前、死を眼前にしても揺らがなかったその瞳。今その奥には、多様な感情が渦巻いていた。
それは怒りや憎しみの類ではない。どちらかといえば、悲しみのような。
「ライストン公には疎まれ、他の者たちにはお飾りの皇帝と嘲られ――俺がいなくなった後、お前は一人になってしまう。そうなる前に、お前の“敵”を片付けておかないと……そうしないと、俺が気持ちよく旅立てないだろ? ……そう、これは俺のためなんだ。だからお前が気に病む必要なんてないんだよ」
「ふふっ。まさか、魔族のきみが気遣いなんてことをするとはね」
確かに、らしくないことをしている自覚はある。ヴァルを友だと思っているのは嘘偽りない気持ちだが、そのための行動は人間であった頃の記憶を頼りに再現しているに過ぎない。
もし俺が根っからの魔族であれば、このような発想は思い付きすらしないだろう。もう会わないであろう者に、何かをしてやる道理はないのだから。
数秒か、果たしてそれより長い時間か、深く考え込んでいたヴァルがようやく顔を上げた。
「ナトゥーア……願いを一つ、何でも聞いてくれるんだよね?」
「……そうだが」
何かを決意したかのように、彼は答えを口にした。
「決めたよ。私は――」
あれから一か月。
荘厳な軍楽が鳴り響き、隊列を成した軍隊が大通りを行進してゆく。今日はヴァルが率いる遠征軍が帝都を出立する日だ。
そして俺はというと、その軍の中に参加しているわけではなく、それを窓から眺める群衆の一人としてそこにいた。
とはいえ俺も黙って帝都で待っているつもりはない。少し待った後、適当に姿を変えて後を追うつもりだ。
そして出征中の皇帝の身辺警護を務める親衛隊の中には、あのファイクの姿があった。
この親衛隊は近衛騎士や宮廷魔法使いなどの中からさらに精鋭を選り抜いて構成されているわけで、その中に宮廷魔法使い筆頭であるファイクがいること自体はなんらおかしいことではない。
だが、ヴァルに聞いたところによると、ファイクが親衛隊の副長に就くにあたって、彼を強く推すような動きが水面下であったということだ。
彼のバックに誰がいるかは言うまでもないが、その人物が皇帝の傍にファイクを置くようにわざわざ働きかけるということは、何らかの思惑があると考えるのが自然だ。
その思惑の内容も、今ヴァルが置かれている状況を考えればどのようなものなのか推測できるだろう。
ファイクが何か事を起こすにしても、戦場でのゴタゴタに紛れて、ということになるはずだ。
こっちも姿を変えられるとはいえ、全員の身分がはっきりしている軍に長期間入り込むのは難しい。こちらも戦いの中の混乱に乗じて合流する手筈となっていた。
まぁおおよそ外縁部の結界を超えたあたりだろうか。ある程度近づけばヴァルの位置は分かるように仕込みがしてあるので、後は臨機応変に
さて。俺は喧噪が漏れ聞こえてくる窓から離れ、自室で一息ついて精神を整えた。準備は万端だ。
この一か月、俺が何をしていたか。そう、俺は『人間になる魔法』の最終チェックに取り掛かっていた。
結果は良好、術式のどこにも穴はない。これから俺は、人の心を取り戻す。
「『
友を、人として迎えに行くために。
帝国を大横断する行軍はつつがなく進み、およそ三か月。軍はついに外縁部結界の境目へと到達した。今現在の位置は大陸北東部、大森林を目前に構える軍事拠点にあたる。
さて、人間の心を手に入れてからというもの、特段何か大きく変わったということはない。というのももともと前世の記憶を基に人間を演じてきていたものだから、振る舞いを変える必要はなかったからだ。
趣味嗜好や人格などが変わるわけでもない。では何が違うのか。
これは少しばかり説明しづらいのだが……例えば、良心の呵責の有無。そもそも魔族には善悪という概念も、それを論ずる感性も備わっていないのだから、そこには正義感も罪悪感というものも当然ない。
例えば、愛。まあこちらに関しては正直よく分かっていない。愛とは何か?と問われても正確に言語化できるものなど少ないだろう。答えも各々違うだろうし。ただ、魔族に無償の愛などという言葉が全く似合わないのは分かる。
総じて、魔族は利害を超えたところにある情動に突き動かされるようなことはまずない。理性と知性を持ち合わせてはいるが、結局のところその本質は獣に近いというわけだ。
しかし、変化を確かに実感できたところはある。ご存じの通り俺は今までの一生の殆ど、人間を演じて過ごしてきたわけだ。人間だった記憶を持つ俺の
その一生を経て作り上げられた“ナトゥーア”という虚像。今まで意識して演じてきた人間らしい振る舞いが自然と行えるようになり、虚構に血が通っていくような感覚は、俺としても感じ入るものがあった。
ここまでつらつらと語ってきたが、そろそろ俺の話はいいだろう。ヴァルが位置する戦列の先頭部分がいまごろ結界を通過する時合のはず。ここらで俺も単独で結界を抜け、合流を図るべきだ。
関所は当分使えないだろうから、俺は少し離れて、壁の上を飛んで抜けることにしよう。
そんなわけで幻影魔法を使い自らを透明にして、ふわりと浮き上がる。そのまま進み、結界の境目へと手を付けると――
「通れない……?」
結界に仕込んだ抜け穴は間違いなく機能しているはず。しかし事実としてこの結界は明確に俺を拒絶している。
これはいったいどういうことか。ふと見下ろせば、関所の方でも何やら騒ぎが起きているようだ。
向こうもどうやら結界を通過できていないようだが――いや、先頭集団がいない。これは……分断されている?
そして俺が広げていた魔力探知の網に、大きな魔力が続々と出現する。尋常ではない数だ。百を大幅に超えるような人数が一人の洩れもなく、俺の探知を搔い潜れるほどに魔力を隠せるとは考えづらい。ここまで大規模なそれは、どちらかというと僧侶の領分のはず。
既に事態は、俺たちの想定の外へと動き始めていた。
時はほんの少し遡り。
目前に大結界が広がる森林の中に、数えきれないほどの無数の魔族がいる。彼らから漏れ出ているはずの魔力は完全に隠されており、皆散り散りに森の中に身を潜めていた。
その中の一人である緑髪の魔族――ケルンの下に、その部下と目される魔族が報告へと参じた。
「ケルン様。目標が結界を通過いたしました」
「そうか。では、始めるとしよう」
よく見てみれば、潜んでいる魔族たちはこれから軍隊が通過するであろう森の中に拓かれた街道を囲うように配置されている。
その意図を汲めば、彼らがこれから何をしようとしているのかは明白であった。では、どのようにしてそれを為すのか。答えはケルンの固有魔法にある。
「さて――」
元より結界に近い位置に配置されていたケルンだが、もう少しで森を抜けようかというところまでさらに結界へと近づく。そして彼が一定の距離――それは彼の魔法の射程距離とほぼ同じであった――へと詰め寄ったときに、それは起こった。
「『
宮廷魔法の傑作たる隔絶大結界。その二つあるうちの一つははたった今、彼のただ一つの魔法によって、一瞬のうちに陥落した。
一見して結界に異常は見受けられない。だがその性質は、以前とは真逆のものに変わり果てていた。
すなわち――人間を拒絶し、魔族と魔物を受け入れるものへと。
それはつまり、すでに結界を通過していた先頭部隊と後続との決定的な分断を意味するということだ。
もはや魔力を隠す必要はない。ケルンは魔族たちにかけていた隠密魔法を解くと、自らも戦場へと赴かんと足を向けた。
目標は決まっている。敵主戦力の包囲殲滅。そして――統一帝国の現皇帝の抹殺。
狩りへと向かう彼の手には、血に汚れた女神の聖典が携えられていた。
魔法解説コーナー
『
『
結界やゴーレムのような複雑な術式は、一部の効果だけを反転させることもできる。
そもそも人間の反対は魔族なのかというところにも議論の余地があるが、少なくともケルンの感覚ではそうなっている。あとナトゥーアが仕込んだ結界の抜け穴も反転しているので、現在では魔族なのにナトゥーアだけ通れない結界に早変わりしている模様。