満月が辺りを淡い光で照らす幻想的な夜の中、とある小屋から男の凄まじい悲鳴があたりに響いた。
その叫びは、街中であれば大騒ぎになるような悲鳴だったが、生憎と、ここはイギリス郊外の森の中である。その助けの叫びに答える者は、誰も居ない。
森の中にひっそりと居を構えている品のある木造りの小屋の中で、一組の夫婦が磔にされていた。
妻の方は腹が膨らんでいる。妊娠しているのは明らかだが、ぐったりとしていてぴくりとも動かない。焦点の合わない目で、ぶつぶつと何かを呟いている。
かつては美しかった金髪の髪もボサボサと乱れて、まさに力尽きる寸前といったところだ。
隣で磔にされているアジア系の黒髪の男が、その女…自身の妻の悲惨な姿を見て、悲嘆の声を上げた。
「ああ、そんな…!コルネリア!!くそっ!殺せ…もう殺してくれェ!!」
顔は涙と鼻水でびしゃびしゃに濡れ切っており、哀れという言葉がここまで似合う男も居ないだろう。
そんな死を願う声を、一人の男が嘲笑った。
木造りの椅子から立ち上がると、面白そうに磔にされている男の顔を覗き込む。
その男の姿は、青白い肌に鼻は切り込みを入れたように潰れ、切り裂かれたように細い瞳は、赤く爛々と輝いている…有り体に言えば、化け物じみた姿だった。
その男の背後には、黒いローブを着て、蛇のような不気味な仮面を被った者達が佇んでいる。
「殺してくれと言ったのか、あー…なんと言ったか。まあ、スラグホーンの方の名で良かろう。…そう急ぐな、スラグホーン…。お前の子は、将来俺様の第一の僕になるかもしれないのだぞ?この栄光を共に見届けようではないか!」
「ふざけるな!この悪魔め…!!!」
「クルーシオ!!!!」
磔にされている男の反抗的な言葉に、彼…ヴォルデモート卿は容赦なく磔の呪文を浴びせる。
「ひ…ひいぎやぁああああああ!!!」
のたうち回る悲鳴に、背後のローブの者達、死喰い人達が下卑た笑いを響かせる。それと同時に彼らの主人、ヴォルデモート卿も高笑いをした。
その中で二人、黒髪の長髪を肩まで伸ばした男…セブルス・スネイプと、長いブロンドの髪を纏めた品のある男…ルシウス・マルフォイだけは複雑そうな顔をしてその光景を見つめていた。
私たち夫婦…スラグホーン夫妻は、自分たちはどこで道を間違えたのだろうか。そうカズキ・スラグホーンはぼんやりと痺れたような頭で思案した。
始まりは1966年頃だった。
トム・リドル…彼はヴォルデモート卿と名乗り始め、徐々にイギリス魔法界の裏社会で力をつけ始めた。
純血思想を唱え、蛇と話せた聖28一族の一つである、ゴーント家のスリザリンの末裔である彼の勢力は、その力と血筋によりどんどんと拡大していった。
1970年に、ついにヴォルデモートと他勢力との間で魔法戦争が勃発した。
対抗する勢力は純血だろうが問答無用で殺し尽くすその力と容赦のなさは絶望的であった。が、希望もあった。ホグワーツ魔法学校の偉大なる校長、ダンブルドアはヴォルデモート卿に対抗する組織、不死鳥の騎士団を作り上げたのだ。
争いは、さらに激化の一途を辿った。
死の魔法が飛び交い、夥しい数の死人を出した。
コルネリア・スラグホーンとカズキ・キムラはその数年後、ホグワーツ魔法学校で出会い、恋に落ちた。
どちらも純血の魔法使いであり、ふんわりとした純血思想を持っていた。それ故に、二人がスリザリンに入ったのも道理と言えるだろう。
そこで監督生だったルシウスと親しくなり、スネイプと嫌がらせの合戦をし始めたジェームズ・ポッター達とよくやり合ったりもした。模範的スリザリン生として、まあ楽しい学生生活だったと二人は答えるだろう。
…だが、この二人はヴォルデモート卿に従うほど狂ってもいなかった。
マグルだけを殺すならともかく、純血の魔法使いも反対するからという理由だけで殺すヴォルデモート卿を、彼らは受け入れられなかったのだ。
そんなある日のこと、彼らの隠れ家である、ひっそりとした森の中にある品のいい木造りの小屋を、一人の老人が訪ねてきた。長い白髭と白髪の、品のある紫のローブを着た老人だ。月の形の片眼鏡をしており、青い瞳がきらきらと輝いている。
キムラはその人物を扉を開けて見た途端、慌てて中に迎え入れた。まるで周りに万が一でも見られたら不味いと言わんばかりに。
その老人…アルバス・ダンブルドアはにこやかに挨拶をすると、キムラの案内で居間のフカフカの緑色のソファにゆっくりと腰を下ろした。
暫くすると、コルネリアが紅茶を入れた見るからに高そうなカップを3つと、特製のかぼちゃパイをテーブルに置いた。それを見て嬉しそうにダンブルドアはパイをフォークとナイフで頬張った。
味に満足したのか、笑顔を深めている。
「いやはや、わしは甘いものに目がなくての、お気遣い感謝するよ、ミス・スラグホーン。甘いものといえば、マグルの菓子の…」
そう呑気に話そうとするダンブルドアを、キムラが手で制した。
「…ダンブルドア先生。この時勢に貴方がわざわざ出向いてこられたということは、要件はただの世間話ではないはずだ。私達に何の用があって来られたのですか。」
その言葉に、ダンブルドアは一転して真剣な顔になると、淡々と問いただした。
「うむ。…君達とて、ヴォルデモートと死喰い人達の蛮行は聞いておろう。じゃが、純血主義のはずの君達は参加しておらん。勧誘もなかった訳ではあるまいに。…何故かとまずは聞きたい。」
ヴォルデモートという名をダンブルドアが口にした途端、二人は大きく震えて焦ったような顔になるが、やがてコルネリアが震える声で答えた。
「…だって、例のあの人のやっていることは、その…野蛮すぎますもの。確かに私たちは純血主義ですが、だからと言って反対する者を皆殺しにするなど…」
キムラが頷いて躊躇いがちに言葉を続ける。
「ええ、マグルだけでなく、れっきとした純血の魔法使いも被害に遭っています。到底、認めることなどできません。ルシウス先輩からは度々勧誘されますが…怖くなって、この隠れ家に逃げ込んだのです。」
その説明を無言で聞いていたダンブルドアは、朗らかに笑って言った。
「なら安心したわい。…君達の魂は、まだ人を殺すほど壊れてはおらん。…そこで頼みがある。どうじゃ、わしらと共にヴォルデモートと戦ってみる気はないか。」
キムラは無言で押し黙った。顔を手で覆って悩んでいると、コルネリアが声を上げた。
「…やりましょう!あなた!」
「コルネリア…」
「だって、誤った過激すぎる純血主義は、純血をも殺してるのよ!こんなこと…誰かが止めないといけないわ!」
その答えに、ダンブルドアはにこやかに頷いた。そして、キムラに諭すように話し始めた。
「キムラ、悩む気持ちはわかる。…ミス・コルネリアのお腹に居る新しい命を思えば尚更じゃ。…じゃがの、君達が立ち上がって、救われる命があるのじゃ。…わしは純血主義ではない。はっきり言ってしまえばその真逆じゃ。だが、それでも手を取り合うことはできるじゃろう。」
それでもキムラは押し黙っている。緊張からか汗を流して、それを絹の白いハンカチで拭った。
気まずい沈黙が続く。その時、玄関から一人の男性が入って来た。
「見張って来たが、今のところ見つかってはいないようだ!これで安心して…待て、なぜアルバスが居る?」
飛び出した目と、堂々たる銀色のセイウチ髭。品のある栗色のビロードの上着を着て、頭は寂しい男だ。
その男を見て、ダンブルドアは嬉しそうに言った。
「おお!親愛なるホラスか!良いところであったのう。なに、少し君の大姪ご夫妻と話をの。」
ホラスと呼ばれた男は、鋭い瞳でダンブルドアに食い下がった。
「アルバス、まさかとは思うがコルネリア達を不死鳥の騎士団とやらに入れるつもりではないだろうな!」
ダンブルドアはその声にも動じず、淡々と答える。
「実はそうなのじゃよ、ホラス。彼らは優れた魔法使いの生徒達じゃった。その力を今こそ…「やめろ!!」
ホラスは大声で怒鳴り、ダンブルドアは目を薄く細める。
「分かっているのかアルバス!彼らはもうすぐ子供も授かる!優秀な生徒だったのは確かにそうだ!だがな、だからこそ早死にする可能性は高くなる!そんな道を私が歩ませるわけには…」
「それを決めるのは彼ら自身じゃ。…わしは決して無理強いなどせんよ。お邪魔したの。そろそろわしは失礼するとしよう。」
そういうとアルバス・ダンブルドアは姿隠しで即座に飛んでいった。
ホラスは無言でそちらを睨みつけると、二人に振り返って言った。
「まさか、参加するつもりはないだろうね。」
その低い声に、彼ら夫妻は怯むが、コルネリアが言いづらそうに呟いた。
「参加するつもりですわ、大叔父様。私は…」
その提案を、キムラが遮って立ち上がり、答えた。覚悟を決めた顔で。
「いや、僕だけ参加する。コルネリアは子供がいるんだ。…僕だけなら、死んだって構わない。」
コルネリアとホラスは、キムラを何度も止めようとしたが、彼は言うことを聞かなかった。
そしてとうとうキムラは、ダンブルドアに返事をするため、ホグワーツに手紙を梟で送った。
暫くすると、返信が来た。
来週には迎えに来るという手筈が整った。
これでうまくいく…はずだった。
「ルシウス…先輩…」
「残念だよキムラ。君ならもっと賢明な判断をすると思ったんだが。」
この戦争下で、両陣営の情報のやり取りは激化していた。キムラ達の情報が漏れたとしても、何の不思議もない。
ある深夜に、無数の黒いローブの死喰い人達が、次々と姿眩ましで家の周りを取り囲んだ。ブロンド髪の男…ルシウスが仮面を外し、冷たくキムラに言い放つ。
その背後には…
「…全く。俺様ではなくあの老害に付くとはな。心底貴様らには落胆したぞ、スラグホーンよ。」
蛇のように獰猛に笑う、ヴォルデモート卿が立っていた。
そこからは早かった。キムラは必死で時間を稼ぎ、ホラスとコルネリアを逃がそうとしたが、ヴォルデモート卿の強大すぎる魔法の前では無力だった。一瞬で気絶させられ、地面に倒れ伏した。
ホラスは何とか姿隠しでコルネリアと逃げようとしたが、死喰い人のステューピファイ(痺れ魔法)でコルネリアは吹き飛ばされ、ホラスしか逃げ切ることはできなかった。
そんな二人を見下ろし、ヴォルデモート卿は思いついたように呟いた。
「…聖28一族の純血、か。…そうだな。例の実験に相応しいかもしれん。ちょうど孕っているようだ。…お前達、此奴らを捕縛しておけ。」
「し、しかし我が君。彼らは純血です。そう酷いことは…」
「純血だとしても、俺様に楯突く者には思い知らせねばならん。…ルシウス、俺様に何か言いたいことでもあるのか?」
「い、いえ。滅相もない。」
そこから、彼らの地獄は始まった。キムラはコルネリアが目の前で切り裂かれ、血を注がれ、何かの魔法薬を飲まされてもがき苦しむ様をただ眺めることしかできなかった。
そして気まぐれにヴォルデモート卿に磔の呪文を喰らう日々。
彼は、少しずつ狂っていった。
そしてついにその日が来た。
「おぎゃああああ!!おぎゃああああ!!」
ついに、キムラとコルネリアの赤子が産まれたのだ。コルネリアは弱り果て、今にも死にそうだ。
赤ん坊のかん高い声が響き、コルネリアは僅かに赤子に弱々しく微笑んだ。
ヴォルデモート卿はその赤子を取り上げ、暫く観察すると、ほくそ笑んだ。
「…悪くないな。この齢で、かなりの魔法の素質を感じる。人工的に膨大な魔法の力を持った純血の赤子…俺様の家来に相応しい子だ。」
その赤子を見て、コルネリアは狂ったように叫んだ。
「返して!私の赤子を返してよお!!」
ヴォルデモート卿は無言でそちらをみると、淡々と自身の杖を向けて一言呟いた。
「アバダケダブラ」
その一筋の緑の閃光で、コルネリアの一生は終わった。
地面に倒れ伏して冷たくなったコルネリアに触れて、キムラは呆然として黙り込んだ。やがて、大声で叫び始めた。
「うあああああああああああああああああああああああああああ!!!!!」
その悲痛な叫びを聞いて、流石の死喰い人も数人を除いて哀れみの視線を向けている。当然だ。彼らとてマグルはともかく、純血の一族にかける慈悲がないわけではない。
ルシウスなどは見ていられないと言わんばかりに目を逸らした。
対照的に、ヴォルデモート卿は面白そうに声を上げて笑うと、愛蛇のナギニにコルネリアを喰わせながらカズキに言った。
「面白いな、スラグホーンよ。よく俺様を笑わせてくれた。…だから生かしてやる。生きて、俺様の恐怖を世に知らしめるのだ。」
そう告げると、カズキをヴォルデモート卿は気絶させ拘束を解き、姿眩ましで部下共々去っていった。
戻ってきたホラスによってカズキは保護されたが、既に廃人同然の状態だった。そして、聖マンゴ魔法疾患病院に収容されることとなる。
この数ヶ月後、ヴォルデモート卿は敗れ去った。たった一人の赤子の手、ハリーポッターの手によって。
そしてキムラ達の子は、服従の呪文で操られていた"ことになった"マルフォイ一家の手によって保護されたという名目で、ホラスの元へと手渡されることとなった。
そして、彼女…シャルロット・スラグホーンは、両親の特性を受け継いで、少しずつ成長していった。ホラスから魔法薬学を学び、本をよく読んだ。
ここから、彼女の物語は始まる。
英雄に助け出された一人の少女が、ホグワーツへと向かって旅立つ日がやってくる。