進撃! 犬耳機動部隊   作:神谷萌

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最初に
 医療関係の記述がありますが、あくまで素人が調べられる範囲で書いています。
 実際の症状・疾病に際しては、医師に相談してください。

 


Chapter-48

 

 ガダルカナル島。

「雨が……鬱陶しいな……」

 犬耳をピコピコと揺らしながら、ヴォルクス男性のチハーキュ兵が言った。

 マタニカウ川西岸の見張陣地の中。土嚢を積み上げた中で、板切れで雨を凌いでいる。

 チハーキュ兵は、あくまで誰にともなく呟いたつもりだったが、

「チハーキュさんでは、梅雨はないのかね?」

 と、日本兵の1人が、そう声をかけた。

「ツユ?」

 聞き慣れない言葉に、チハーキュ兵はキョトン、とした表情になって、聞き返す。

「ああ……日本では春の終わりに雨が長く降るんだ」

「ああ、雨季ですか……自分はレングードなので、秋口に降りますかね……あとは、冬場に雪があるかな」

「ほう……」

 日本兵が感心したような声を出す。

「レングードったら、チハーキュさんの帝都だったかな?」

「あー……」

 日本兵に問い返されて、チハーキュ兵はきまり悪そうに苦笑する。

「まぁ、そうなんですが……自分の地元は外れの、農園ばかりのところですよ」

「ほぅ」

 チハーキュ兵の言葉に、日本兵はさらに興味深そうな視線を向ける。

「何が採れるのかね? 田んぼ? 畑?」

「畑ですね……ウチの近辺はトマトやナス、ジャガイモが多いです。あと、除虫菊か」

「除虫菊」

 チハーキュ兵の答えに、日本兵は意外そうに反芻する。

「じゃあ、ここに持ってきている殺虫剤とかも?」

「ええ、ウチのあたりの特産品ですよ」

 除虫菊、シロバナムシヨケギクから採れるピレトリンは、チハーキュでも主力の殺虫剤だった。

 レングードの存在する中央大盆地は、春から晩夏まではまとまった雨が少なく、また、夏は暑いものの、30℃を超えるような猛暑日はほとんどない。これが、除虫菊の栽培に適しており、山脈を挟んで南側にある、レイリョーヤ平原北西部とともに、一大産地だ。

 一方、日本では瀬戸内地方が一大産地で、他に北海道でも栽培されていた。この当時の日本は、地球一の除虫菊生産国だった。

 日本では日本脳炎を蚊が媒介するため、特に蚊取り線香用として取り入れられた。一方、チハーキュにおいては、黒死病 ──── ペストの媒介者であるノミの駆除用として、大量散布用に普及した。

 軍用にも使われている。ガダルカナルのような熱帯地域では、蚊が媒介する多数の伝染病が存在する為、衛生用資材としてチハーキュ軍が大量に運び込んでいた。

「それに ────」

 チハーキュ兵が更に、なにか言いかけたが、そこで、ピコピコと犬耳を動かしたかと思うと、土嚢の外を伺うかのように振り返った。

「敵か!?」

 その様子を見て、日本兵も表情を険しくし、小銃に手をかける。

「…………何か、声を上げている」

「どれ」

 チハーキュ兵の言葉に、日本兵がそっと、屋根代わりの板を押し上げて、そちらを伺う。

「あれは……」

 視線の先には、確かに連合軍、米豪兵と思しき4人の人物の姿があった。

 だが、その様子は戦闘に臨むという様子ではない。

 1人が、某の木の棒の先端に白い布切れをつけた、即席の白旗と思しきものを掲げている。布は雨に濡れて、垂れ下がってしまっているが……

 他に、ぐったりとした様子の1人を、2人がかりで肩で抱えて、運んできているようだった。

「Help! Please help us!! タスケ、タスケー!!」

 英語と、片言と言うか、単語だけ覚えたような日本語を発している。

「降伏……投降か?」

 日本兵が呟く。チハーキュ兵が小銃の銃口を土嚢の上から米豪兵の方を向ける。

小寺井(こてらい)、海軍さんを呼んできてくれ」

「はっ!」

 先輩兵に当たるその日本兵に命じられ、小寺井、と呼ばれた二等兵が後方へ向かって陣地を抜け出していった。

 日本兵は、板を押し上げて、米豪兵に姿を表した。

「ストーップ!!」

 多分通じるだろうという単語で、彼らを静止する。

[助けてくれ! こいつ、このままじゃ死んじまう!!]

 米豪兵は立ち止まると、白旗を持っていた者が声を上げた。

 その場にいた者に英語を聞き取れる者はいなかったが、なにやら焦っている様子は理解できた。

[俺は軍医だ! もう俺達には薬もない! 助けてくれ!!]

 

 

 枢軸軍、野戦病院。

 ぐったりとして両肩を抱えられていた米兵が、質素なベッドに横たえられている。濡れた軍服を脱がされ、病人衣を着せられていた。

「ひどい発熱ね……そっちの軍医の所見は分かります?」

 その様子を伺いながら、アニカ・ジュール・メルヴェイン医療准尉は、患者に視線を向けたまま、通訳として連れてこられた日本海軍の鶴見利行(としゆき)少尉に問いかける。

 彼女自身は、半袖の耐暑仕様の陸軍軍服の上から、白い医療用エプロンを着けている。

「デング熱だろうと言っています。キニーネ、ペニシリンで症状改善がなかった、と言っています」

「ペニシリン?」

 聞き慣れない単語に、アニカは反射的に聞き返し、鶴見の方を見た。

What is penicillin?(ペニシリンとはなにか?)

 鶴見が、連れられてきている米軍医に問いただす。

[ははぁ、抗生物質を知らないのか。我々が標準的に使っている、感染症治療用の抗菌薬だ]

「……感染症の病原菌を退治する薬、ということです」

 言葉の毒の部分を少し忌々しく思いながら、鶴見はアニカに伝えた。

 抗生物質とは、主に微生物が、自身の生存圏を確保するために、他の微生物の増殖を阻害する成分の化合物を自ら合成し放出しているものを、採取し薬剤として利用できるようにしたものである。

 地球では世界初の抗生物質、ペニシリンは1928年、イギリスはスコットランドで発見された。実用化には手間取り、1940年代に入って、イギリスとアメリカで生産が始まった。この時、ドイツはまだ実用的な量産には至っておらず、日本に至ってはまだ存在を知らなかった。

 一方、エボールグでは、こうした生物合成の薬剤、化学物質の研究自体がほとんど進んでいなかった。

 この頃、チハーキュでは化学合成の抗菌薬の開発・改良に熱を入れていた。混同されがちだが、抗生物質の「抗生」とは、共生・協生の対義語で、産生する生物が別の生物を排除する事を意味している。そのため、完全な人為による化学合成の抗菌薬は、厳密には別物である。

 新学暦174年、モスクラーの魔法研究所における試料実験において、オキソリン酸が合成されている事が発見された。後にキノロンと呼ばれる化学合成抗菌薬の一群の発見だった。

 抗菌作用を示す人工合成物質が発見されると、その合成工程から魔法系の技術を排除できないことを忌々しく思いつつも、その再現と量産化、また他種の合成薬の探索に邁進した。

 これが原因で、地球がペニシリンの実用化に向かっていた頃、チハーキュ、ひいてはエボールグでは人工合成抗菌薬の開発と普及に邁進してしまったのである。

 新学暦188年には、北西沿岸部の漁港都市マグーリョナで発生した黒死病の都市内パンデミックを、交通制限と殺虫剤ピレトリン・消毒薬次亜塩素酸溶液の大量散布で感染拡大を抑え込むとともに、サルファ剤・キノロン(オールドキノロン)の投入で発症者の4割を生還させた。

 エボールグでも地球でも、絶望の死病と言われたペストに対し、近代化後初の黒死病禍でこの成果だったが、特に治療結果について、当時の医療従事者や政治家、皇族は満足しなかった。その結果 ────

「ノルフロキサシンみたいなものかしら……」

 アニカは、2年前に合成の再現に成功したばかりの新薬の名前を呟いた。

「でも、そう言うことならデング熱で間違いないわね」

 アニカは、そう呟くように言い、「チッ」と舌打ちした。

 デング熱には特効薬が存在しない(我々の2020年代にも、存在しないのだ)。

「とにかく高熱と下血で体力が失われているのをなんとかしないと……パラセタモール静注、用意して」

 医療器具の準備をしていた看護婦に、アニカが指示する。

 すると、それを聞いていた米軍医が顔色を変える。

[あの女医、今、パラセタモールと言わなかったか!?]

[え?]

 通訳の鶴見に食って掛かった。

「量は?」

「500。それとビタミン混合のブドウ糖液も」

「了解です」

[やめろ! こいつを殺す気か!?]

 米軍医は鶴見の静止を振り切り、アニカと患者の間に割って入り、怒りの形相で抗議の声を上げる。

「え? え?」

「パラセタモール、という薬が問題だと言っています」

 鶴見が説明するが、アニカはますますわけがわからない、という顔をする。

「なんで!? 肝臓障害があるとか?」

[肝臓毒もだが、メトヘモグロビン血症の問題もある!]

「は?」

 実際には鶴見の通訳を挟みながら、困惑するアニカと怒りの形相の米軍医の応酬が続く。

 メトヘモグロビン血症というのは、構造中の鉄イオンが3価(通常は2価)となっているメトヘモグロビンの割合が増大する事によって発生する症状だ。メトヘモグロビンは酸素と結合する能力がほとんどなく、全身が酸欠状態になってしまう。

 パラセタモール、別名、アセトアミノフェンは、地球では19世紀には合成可能になっていた。エボールグでも新学暦140年代には安定生産が可能になっていた。

 ところが、地球でのパラセタモールの初期の臨床試験において、ドイツ人医師、ヨーゼフ・フォン・メーリングが、その論文に「メトヘモグロビン血症発症の可能性が僅かにある」という内容を盛り込んだことが、パラセタモールを薬害の多い薬、と、周囲に印象付けてしまった。

 それというのも、それまで使われていたアセトアニリドという解熱・鎮痛剤のひどい薬害から、その代替薬として見出されたのがパラセタモールなのだが、そのアセトアニリドの重篤な副作用のひとつがメトヘモグロビン血症だったからだ。

 悪いことに、メーリングはもう一種、フェナセチンという新開発の鎮痛・解熱剤の臨床試験を行っており、このフェナセチンのメトヘモグロビン血症の症例を見つけることができず、その論文にそう書いてしまったのである。

 そのため、地球においてはフェナセチンが神格化の勢いで高く評価され、パラセタモールはアセトアニリドと同様の薬害を持つ薬、と評価されてしまったのである。

 実際はどうだったのかと言うと ──── 実は、アセトアニリドもフェナセチンも、パラセタモールのプロ・ドラッグに過ぎなかった。

 プロ・ドラッグというのは、直接の薬効物質ではなく、その薬剤が生体内の代謝によって別の物質に変化し、その物質が薬効を持つものだ。

 つまり、この場合、アセトアニリドもフェナセチンも、その成分の一部あるいは全部が、生体内でパラセタモールに変化することで、鎮痛・解熱作用を示している。

 プロ・ドラッグは、種類によっては、腎臓や肝臓と言った、代謝を司る器官に負荷をかけ、疾病につながることがある。

 アセトアニリドの副作用のひとつである腎不全や肝不全の原因がこれで、パラセタモールに変化するまでの中間生成物が原因だった。同じ危険性はフェナセチンにも残っていた。

 プロ・ドラックも用途によっては使い続けられているが、パラセタモールの場合、直接合成できるのであれば、甘受する必要のないリスクだった。

 ──── チハーキュ、つまりエボールグではメーリング論文が存在しなかったから、

「パラセタモールの重篤な副作用は0.01%程度と評価されているわよ!?」

 と、アニカの認識ではこうなる。

[犬人間どもと我々とでは身体の構造が違うんだろう!]

 流石に、鶴見は「犬人間ども」を、「ヴォルクス」と置き換えた。

「人間族の国でも使われているし、それこそ人間族の方が成績がいいぐらいよ!」

 チハーキュ帝国で医薬品の評価・認定を行う内務省衛生・安全局の評価書では、パラセタモールのメトヘモグロビン血症発生率(再現率)は、高用量服用時(450mg/回以上)と継続服用時において「ヴォルクスにおいて0.01%未満」「フィリシスにおいて0.01%未満」「エルフ系において0.05%未満」「人間族において再現未確認」とされている。

[デタラメを言うな!]

「デタラメって言われたって……」

 アニカは、一旦、困惑下に通訳の鶴見を見るが ────

「あ」

 と、あることに思い至り、目を見開いた。

「まさか、サリチル酸系を使ったんじゃないでしょうね!?」

 アニカの方が表情を険しくし、米軍医に詰める。

[アスピリンだ。ありふれたものだろう?]

 逆に、急に毒気を抜かれたような様子で、米軍医は言う。

 それを聞いて、アニカは一瞬、目元を手で覆った。

「どう、されましたか?」

 米軍医の発言をまたずに、鶴見が訊ねる。

「アスピリンはデング熱を悪化させるのよ」

「えっ!?」

 アニカが、苦い顔をしながら、声を低くしてそう言うと、鶴見が反射的に聞き返した。

「出血傾向の強まりと、嘔吐や呼吸の乱れが確認されている! 通訳してやって」

 詳しく説明すると、血液内の酸性・アルカリ性の均衡を酸性側に変化させるアシドーシスという現象が発生しているのだが、チハーキュでもこの原理までは見破れておらず、単純に臨床例からの禁忌としていた。

 イメージに反して、デング熱は全体としては軽症で済むことが多く、発症初期の激しい症状や重症化が続く例は実際にはそれほど多くない。アニカもなにかあるだろなと考えていたところへ、相手軍医がパラセタモールへの忌避感をあらわにしたものだから、禁忌薬の使用に思い当たったのだ。

「先生、準備できました」

 看護婦が、点滴台を持ちながら言う。

[デタラメを言うか! このインチキ医者!]

「わ、ちょ……」

 アニカが点滴針を取ろうとした時、米軍医がアニカを制止しようと、後ろから組み付きかけた。

「やめろ! 離れないか!」

 鶴見が慌てて、米軍医の方を制止する。もう1人、処置室の外に控えていた日本陸軍の兵士も駆け込んできて、米軍医を取り押さえた。

「連れ出します」

 鶴見が言い、日本軍人が米軍医を処置室から連れ出していった。その間も米軍医は吠える声を上げていたが、その内容はアニカには聞き取れない。

「う、うう……」

 患者である米兵の呻き声を聞いて、アニカは我に返る。

「押さえてて」

「はい」

 アニカが指示すると、看護師が米兵の左腕を、肘の裏側が見えるようにして押さえた。

 アニカはその肘の裏側に見える静脈ひとつを選んで、エタノールで消毒し、点滴針を刺した。

「ううっ……!」

 米兵が、驚いたように声を漏らしつつ、微かに身体を震わせた。

「うーし……注射針に反応するならまだ大丈夫ね」

 自身に聞かせるように、アニカは呟いた。

 パラセタモールは作用が穏やかで安全性の高い薬だが、重症患者では500mgでも経過を慎重に見る必要がある。ただ、デング熱が悪化して高熱が続いているため、解熱剤と栄養補給(ブドウ糖液)で乗り切るしかない。

「最初から『絶対助ける』って言えれば、良かったんだけどねぇ……」

 アニカはそう言って、ふーっと息を吐き出した。

 





ちょい番外編気味でした。


具体的な感想をいただけると、続きを描くことが捗ります。
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チハーキュ帝国海軍軍装、どちらがいい?(絵のリンクは Chapter-12 あとがき)

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