…………暇だ。
現在絶賛仕事がない期間を謳歌中の私は椅子の背もたれに体重を預けて天井を見上げる。そのまま座面をくるくると回し、天井の模様が星空のように回っていくのを眺める。
……暇だ。
何がなくともシャーレにいる必要があるとはいえ、仕事がないこと自体は大いに歓迎すべきことだ。目が回るほど忙しい時期はもはや人間としての尊厳すら仕事に捧げているような気さえするし、あれで少なからず私の寿命が縮まっているのは間違いないだろう。
いや、冷静に考えてなんでそんなに忙しいんだ。いくらシャーレが失踪中の連邦生徒会長から直々に設けられた超法機関であるとはいえ、従業員の命を削らないと回らないような状況は流石におかしい。働き方改革が必要だ。命は、玩具じゃないんだぞ!
やることもないのでそんなことをぼーっと考えてみるが、直後に同じく命を削る勢いで忙殺されている生徒たちの顔が浮かんだため唇を引き結ぶ。
ヒナ、リンちゃん、ユウカ……もしかしてキヴォトスは人手不足なのではないか?いや違う、忙殺されている彼女らが担当している職務を遂行できる人材が極端に少ないだけだ。人、もとい生徒の数は決して少なくはない。そういった人材を育成するための教育だしそのための先生だ。……つまり私の実力不足ということか、なんてこった。
ぐるぐる、ぐるぐる。椅子と天井ととりとめのない思考が回る。そんな私に、少し呆れたような声がかけられた。
「いくら仕事がないとはいえ、そこまで暇をアピールされても困るわ。何もないことはいいことだけれど……」
声の主は、我らが連邦生徒会財務室長こと扇喜アオイだった。もはや名目を変えた方がいいんじゃないかと思える総決算に来たはいいものの、やることがなく手持無沙汰なのは彼女も同じらしい。
一応総決算自体リンちゃんの負担軽減になるようにアオイが独断で仕事の一部をシャーレに横流しするものだったはずだが、どうやら今は連邦生徒会のほうもそこまで手一杯という状況ではないようだ。リンちゃんからあまり仕事をもらえなかったこともあるらしく、今回彼女が持ってきた仕事は微々たる量だった。そもそも、生徒たちから要請があることや総決算以外の仕事も考慮されているため、アオイが持ってくる仕事の量はいつもそこまで多いわけではない。
どことなく非難するような声音に、チッチッチと人差し指を振りながら答える。全く、わかってないなぁ。
「そうは言っても退屈っていうのは毒なんだよ?」
「それなら、今度からはもっと多めに仕事を持ってきても良さそうね」
「ごめんなさい冗談です」
流れるように頭を下げる私に、アオイは疲れたように溜息をついた。いくらシャーレが超法機関であるからと言って、上司に逆らえるわけではないのだ。シャーレが連邦生徒会の下についている以上、リンちゃんやアオイをはじめ連邦生徒会に逆らうことはできない。道を違えそうになっていたら流石に口ははさむが。
まったく、と呆れを隠そうともしないため息が私のガラスのハートを襲う。一体私が何をしたというんだ。……何もしていないから問題なのか。これでは給料ドロボーと言われても仕方がない。
厄介なクレーマーにあることないこと言われる未来を想像してしまって気が遠くなっていると、アオイがそういえば、と言ってデスクのほうへ歩み寄ってきた。
「こんなものが来ていたわ。確認してもらえるかしら」
「はいはい、やってるフリができるくらいのものなら大歓迎ですよっと……」
「はいは一回でいいわ」
まるでオカンのようなことを言ってくるアオイから一枚の紙を受け取り、目を通す。えーとなになに……?
『集え、淑女の諸君!現在、トリニティ内外から攻撃兵器パンジャンドラムを用いた競技、T-1グランプリの参加者を募集中。優勝者には豪華賞品を贈呈!ルール及びレギュレーションは以下の通り。詳しくはティーパーティー所属百合園セイアまで!』
…………。
「なぁにこれぇ」
「私に聞かれても知らないわよ。リン先輩ならともかく、私は連邦生徒会の外に関しては基本関与することはないわ」
「それもそうか」
連邦生徒会の財務室長という立場であれば、様々な意味で外部の、それもトリニティのトップであるティーパーティーと親密になるのは難しいだろう。さすがに表面上の付き合いはあるだろうが。
しかし、パンジャンドラムとは。悪名高い失敗兵器を集めて、セイアは一体何をしようというのだろう。……いや、そもそもキヴォトスにパンジャンドラムはあったのだろうか。
これは先生として、大人として、事の成り行きを見守る必要があるだろう。そう、可能な限り近くで。
「と、いうわけでアオイ」
「何がどういうわけなのか全くわからないけれど、断るわ」
「まだ何も言ってない……っ!」
「だってあなた、子供がイタズラしようとするときみたいな顔してるんだもの。どうせ碌でもないことを言い出すんでしょう?」
辟易したようなことを言いつつも、アオイの表情はそこまで嫌がっているわけでもなさそうだ。アオイはこちらの考えなどお見通しのようだが、こちらもアオイとの付き合いは浅くない。アオイのこの感じは、もうちょっと押せば「全くしょうがないわね」といって許してくれるやつだ。そうに違いない。
それにしても、アオイの「あなた」呼びの妻感すごいな、まるで結婚しているかのような感覚すら覚えたよ。
「ふっ、アオイ。あまり先生を見くびってもらっては困るね」
「別に……見くびってるわけではないのだけれど……。むしろその、尊敬しているというか……その……」
あれ、ツッコミ前提でキザなこと言ったのに、アオイからのツッコミが来ない……。なんか顔を背けてボソボソ言ってるし……よく見たらかわいらしいとんがりお耳が真っ赤だ。
これはもしや……めちゃくちゃ怒らせてしまったか!?まずいな、いくら暇だったとはいえあんまりふざけすぎるべきではなかったかもしれない。
「えっと、アオイ……?」
「な、なに?」
「ごめん、ちょっとふざけすぎたかも……。悪かったからそんな怒らないでもらえると……助かり……待って、なんでそんなに睨むの、あっ嘘ですごめんなさい私が悪かったです!」
謝ったのに許してもらえるどころかバインダーでぺしぺし叩かれた。力が入っているわけではないから痛みはないが、キッと睨まれながら叩かれているという事実に心が痛む。オッサンに片足突っ込んでる身としては、女子高生に睨まれながら叩かれるというのはメンタルへのダメージが特大だというのに……。……あれ、なんかこういう言い方だとご褒美という気もしてくるな。
「先生、今何か変なことを考えなかったかしら?」
「滅相もございません」
これまでとは比にならない、底冷えするような声音で問いただされて自然と背筋が伸びる。私はそんなにわかりやすいだろうか。
冷や汗を流しながら震える私を数秒ほど疑念の眼で眺めてから、アオイは深く息をついた。
「まあいいわ、先生がアレなのはいつものことだし、きっとほかの生徒にも同じようにしているのね」
「アレってなにさアレって」
「それで先生、さっき何を企んでいたのか話してちょうだい」
「ねえアレって何!?私どんな風に思われてるの!?」
「本当に聞きたいかしら?」
「……やっぱりやめておくよ、うん」
これで真顔で淡々と私を否定する言葉が並べられたら耐えられる気がしない。私の精神衛生のためにも、ここは戦略的撤退を選択することにしよう。何か言いたげなアオイの視線からも逃れるべくそっと目を逸らす。
「それで、何の話だっけ?」
「さっき先生が言い出そうとしたことよ。どうせろくでもないでしょうし、断ろうと思ったのだけれどやっぱり暇だから聞くだけは聞いてみようかと思って」
白い手袋をキュッとはめ直しながら諦めたようにそういうアオイ。様になっているその動作を見ながら、私はニィッと口の端を持ち上げた。
『紅茶の香りに誘われて、集まりしはト淑女たち。紅茶を愛し、紅茶に愛された彼女らはこう語る。この中で一番強いパンジャンドラムを作れるのは私だと。だったら決めようではないか。集いし6名の中で、最強を、最凶を決める戦い。その名も……』
『T―1!グランプリイィィィィ!!!』
YEAHHHHHHHHHH!!!!!
青く晴れ渡った空の下、トリニティ全体を震わせる歓声が響く。その熱狂の中心には、普段はトリニティでは決して見ない、ゲヘナ様式の簡易的な要塞のようなものが設置されていた。
トリニティ・スクエアに集まった観衆の盛り上がりに鷹揚にうなずいて、要塞の上でセイアが再びマイクを握りしめるのが見える。
「というわけで始まったよ、今大会では生徒諸君から募ったパンジャンドラムの中で、最も強いものを決める紅茶ガンギマリ企画だ。実況は私、マーマイトは飲み物ことマーマイトセイアと、今夜も星がきれいだね☆スターゲイジー聖園でお送りさせてもらうよ。」
一体全体いつだれがつけたのか見当もつかない名前とともに、セイアの背後からミカが現れる。その表情はひどく不満気だ。何があったのだろうか。
「やっほー、よろしくね!……で、これはいったい何なの?」
「見ての通りだが」
「見ても何もわからないから聞いてるんだよ?」
「そして今回は特別ゲストとして!」
「無視なんていい度胸だね」
ミカが怒りの表情を浮かべながらこぶしを握りこむのと同時、セイアの後ろからもう一つの人影が浮かび上がる。パリッとしたスーツを着こなし、腹の底の読めない笑顔を浮かべるその人影は。
「パンジャンドラムの生みの親、ネビル黒服さんだ!」
「よろしくパンジャン。私の最高傑作がついに陽の目を見るということで舞台の裏から這い出てきましたよ」
「……誰?」
「ゲマトリアの一員だよ」
「じゃあ、祈るね」
一切の予備動作なしに黒服へKyrie Eleisonを放つミカ。しかしその弾丸は、黒服の体をすり抜け雲一つない空へと消えていった。
「クックック、トリニティはお嬢様学校だと聞いていましたが。百合園……おっと失礼、マーマイトセイアさんと言い貴女と言い、存外血の気の多い生徒が集っているようですね」
「セイアちゃん、こいつ今すぐ捨ててきて。ゲマトリアって言ったらあのベアトリーチェの仲間だよ?」
「知っているとも。もう少し落ち着いた方がいい。ほら、紅茶を静脈注射してあげよう」
「ナギちゃんとセイアちゃん以外はそれ致命傷だからね?」
……なんか舞台上で漫才始めたな、あの三人。公衆の面前妥当コトを忘れていないか。というか、どうして黒服がこんなところにいるのだろうか。この前元の世界から取り寄せたらしい日本酒とおつまみ持ってきたときに言っていた『面白い話』とやらがこれなんだろうか。
……実際私はこういうの好きだからな、見透かされているようでちょっと癪だ。
「なお、今回の大会では優勝者に賞金100万クレジットとマーマイト10年分が贈呈されるよ。参加者の諸君はマーマイト目指して一心不乱に頑張ってくれたまえ」
「産業廃棄物がついてくるからプラマイゼロじゃない?」
「何を言うんだいミカ、クレジットを産業廃棄物だなんて。さすがお姫様は違うね」
「違ぇよマーマイトの方だよわかるだろ。あと私のことをお姫様って言っていいのは先生だけだから」
「「?????」」
「二人揃っていい間抜け面じゃんね、いいよ順番に殴ってあげる」
ついに堪忍袋の緒が切れたらしいミカが二人に襲い掛かる。大会の始まりは、それはもう盛大に盛り上がっていた。
……早く始めてくれないかな。
次回、いよいよ本編!