シスタープリンセス25周年企画が始動したのを期に、同人誌活動中に出した「千影お誕生日本」同人誌を新たに文字起こしたものを発表することに相成りました。
絵本的な構成でしたので、最低限の加筆修正などをしております。
当時の雰囲気を感じ取って下されば幸いです。

※同人誌が構成上、ページごとに『兄くん』と『千影』の視点が変わっている本でしたので、『***』の挿入で表現し直しております。


1 / 1
Aquamarine

   ***

 

「ありがとうございました」

 店員からカップを受け取りながら、僕は店外のテラス席に空席を見つけたので、その椅子に腰を下ろす。

 まだ“春”と呼ぶには頼りない暖かさの風がカップから立ちのぼるコーヒーの湯気をゆるやかになびかせている。

 僕は、その手の中の温もりを二口ほど飲み込んで、ふぅーっと息をつく。

 

「…なかなか、これってものは見つからないもんだなぁ…」

 

 結局、半日ほど街を歩き回っていたけれど、やはり簡単にはいかなかった。

 そもそも、はっきりと『これ』と決めた何かを探しているわけではないので、当然といえば当然なのだけど…。

 

「さて、と。もう少し探してみようか…」

 

 僕は残りのコーヒーをぐっと飲み干すと、店頭のダストボックスへカップを投げ込んで、再び街の喧騒の中へと歩みを進めていった。

 

   ***

 

 ……街の雑踏へ向かって歩き出す兄くんの姿は、……水晶玉の中で朝霧が晴れてゆくように薄くなり……消えていった……。

 

 水晶玉に薄絹をかけ……椅子から立ち上がり、私は燭台に灯りを点す……。

 

 仄暗い灯りたちが……私の部屋をぼんやりと照らしはじめる……。

 

 兄くんが……独りで買い物とはめずらしいな……。

 

 どうやら探しものがあるようだけれど……フフフ、兄くんの……困った顔を直に見られないのは残念だよ……。

 

 私は窓辺に近寄ると……、私を包み込む静謐な月明かりのもとへと……我が身をさらす……。

 

 月の満ちる……明日の夜を……、私はずっと待ち望んでいた……。

 ようやく兄くんを……あの場所へと連れてゆける……。

 

 きっと……兄くんは気に入ってくれるだろう……フフフ、此上無い特別な夜になりそうな予感がするよ……。

 

 私は手のひらに……光の精を呼び出す……。光の精は……ゆっくりと、時間をかけて……形作る……。

 蝶の形を……。虹色の羽根を持った……存在しない、蝶。

 

 さぁ、行っておくれ……、兄くんの元へ……。

 

   ***

 

 窓から差し込む光の眩しさに目を覚ます。カーテンを、窓を大きく開け、朝の空気を部屋のなかへと呼び込んだ。

 

(…あれ?)

 

 机の上にある、昨夜までは確かに無かった、それに僕は気が付いた。

 手紙だ。二つ折りのメッセージカード。

 

 いったい、いつの間に…?

 

 僕の手が自然とその紙片に引き寄せられる。そして触れたその時――

 

 …あ。

 

 カードは自ら開きはじめて、そこに記された彼女の意思を僕に伝えた…。

 

   ***

 

 地の底で眠りにつく間際の……弱々しい陽の輝きが、……世界を朱の色に染めている……。

 

 屋敷の庭の……街を見下ろす丘の上で、……我が身を緋に包ませながら……私は、兄くんの訪れを待っていた……。

 

 程なくして、兄くんは……この場所へとやって来た……。

 

 千影…

 

 と、私の名を呼ぶ兄くんの声……。

 

 ……フフフ。

 今の兄くんはいったい……どんな顔をしているんだい……?

 何しろ、兄くんにはきっと……私が呼びつけた理由なんて……想像もついていないだろうからね……。

 

 私は……ゆっくりと兄くんへと振り向いた……。

 

「兄くん……よく来てくれたね……」

 

 ……兄くんは、まるで吸い込まれてしまいそうな……夕陽の映える瞳をこちらに向けて……、とても優しげに微笑んでいた……。

 

「……兄くん、これから私と一緒に……行ってほしいところがあるんだ……」

 

 兄くんが……優しい微笑みを湛えたまま……静かに頷く……。

 

 私は……兄くんに向け、静かに手を差し延べた……。

 

「……兄くん……、……さぁ、行こう……」

 

   ***

 

 千影の手と僕の手が重ね合わされる。

 僕は千影の手に引かれるままに丘を下っていった。

 千影は僕の手をしっかりとつかんだまま、彼女の屋敷のすぐそばに広がる大きな森のなかへと僕を誘った。

 

 暗い森の小路を、すでに高い位置へと登った丸い月の光が照らす。

 

 見上げれば、左右から覆いかぶさるような木々の隙間から、満月がその姿を時折のぞかせていた。

 

 …森に広がる夜の闇が、次第にその暗さを増してゆく…。

 

 少しだけ不安に駆られた僕は、思わず千影の手を握りしめる…。

 

 …………。

 

 千影が、僕の手を強く握りかえしてきた…。

 

   ***

 

 一つとなった二人の手から、兄くんの感情が……私のなかへと流れこんでくる……。

 それほど不安がらなくてもいいのに、……フフフ。

 兄くんは……これで意外に怖がりなんだね……。こういうときの兄くんは……見ていてとても……いとおしいな……。

 

「もうすぐだよ、兄くん……。ほら……、その木の間を抜ければ……」

 

 私と兄くんは森を抜けた……。

 

 その刹那、兄くんは……目の前に現れた風景に驚き……、戸惑い……心を奪われていた……。

 

   ***

 

 そこに広がる光景に、僕は圧倒された。

 

 月明かりに照らしだされたそこには、深く暗い森に囲まれた大きな泉が、満月の姿を浮かべ揺らしながら穏やかに佇んでいた。

 

 今までに見たことのないその清涼な…神秘的な風景は、

 

 …そう、まるで…この世のものとは思えない美しさだった…。

 

「兄くん……こっちだよ……」

 

   ***

 

 私は泉に沿って歩きはじめた……。

 

「え…、あ、ああ…」

 

 兄くんは慌てた様子で……私に追い付くと、また私のすぐ後ろを歩いていた……。

 

 静かな夜に、かすかな夜風に揺れる葉音だけが……辺りに響いている……。

 

 この……あまりに穏やかな世界のなかに……こうして兄くんと二人きりでいると……、まるでここだけが世界の全てであるかのような、そんな感覚に囚われてしまう……。

 

 フフ……いっそ、そうなってしまえば……どれほど嬉しいことか……。

 

「兄くん……到着したよ……」

 

 歩みを止め……振り向いた私は兄くんの顔を見つめる……。

 少し驚いたように見える兄くんに私は微笑んでみせたのだけれど……、それはきっと月明かりの影となって……フフフ、兄くんにはわからなかっただろうね……。

 

「兄くんに……見せたいものがあるんだ……それは……」

 

 私は……自らの身体を、すっと横に退いた……。

 

「これなんだ……」

 

   ***

 

 僕の目の前に『奇跡』が咲いていた…。

 

「あ、青い薔薇…」

 

 千影に連れられた泉のほとりには、月の光に輝く一群の青い薔薇が咲き誇っていた…。

 

「これは…どうして…?」

 

 この世界にはあり得ない色の薔薇…。つまり、これは…。

 

「そう……兄くんの思っている通り……、この薔薇はこの世のものではないよ……」

 

 千影の声に振り向いた僕の口から、言葉が漏れた。

 

「ひょっとして…これは、魔界の…?」

 

 かすかに笑みを浮かべて、千影は目を伏せたまま、ゆっくりと頷いた…。

 

   ***

 

 兄くんの反応は……私の予想を越えていて、私は……思いがけず微笑んでしまっていたよ……。

 

「なかなか根付きが良くなくてね、……フフフ、随分と苦労させられた……」

 

 私は……膝をつき、薔薇に顔を近づける兄くんの隣でしゃがみこむ……。

 

「香りも……魔界で咲くとき程ではないようだしね……」

 

 私は一輪の薔薇に手を伸ばすと……その大輪から溢れ出す、そうはいっても芳しくこの世ならざる香りに……鼻腔をくすぐらせた。

 

「……それに、この花たちが蕾を開くのは一夜かぎり……満ちた月の光が照らす夜にだけしか咲くことはないんだ……」

 

「それは…つまり、今夜だけの花…?」

 

 兄くんの呟きを……私は、薔薇の香りに身を委ねながら聞いていた……。

 

   ***

 

 僕は言葉もなく、ただその薔薇の美しさに魅了されつづけていた。

 

 月の光に花弁を輝かせ、控えめに甘く香り、それでいて凛とした涼やかさを感じさせるその花に、目を、心を囚われていた…。

 

 …………。

 

 ふと、目の前の花に人の面影が重なる…。

 

 そうだ…、まるで…この花は…。

 

「…この花は…何だか…千影のようだね…」

 

   ***

 

 ……………………兄くんは、時に……まるで全てを見透かしているのでは、と思えるような……そんな言葉を発することがあるね…………。

 

 …………私が……この薔薇……………………。

 

 ……そう……かもしれない。私は……この花と同じように……兄くんという月明かりの下でしか咲くことのない、自分が自分でいられない存在……。

 

 だからこそ、私の魂は……兄くんを求めてやまない。

 

 花が、花でいられるようにと……。

 私が、私でいられるようにと……。

 

 

 私はそのまま……横にいる兄くんに……ほんの少しだけもたれかかる。

 

 慌てたふうな兄くんが、やはり慌てた感じに……私の名を呟いた……。

 

「兄くん……すまないが、少しだけ……しばらくのあいだ、こうして……いさせてくれないかい……」

 

 触れ合う身体から、兄くんの狼狽が伝わる……。でも、それはすぐに消え……そして、私を優しく受け止めてくれる……兄くんのぬくもりへと変わっていった……。

 

 そして…………

 

 

 私は……兄くんにその身を預け……

 

 

 僕は…千影をそっと抱き支えた…

 

 

   ***

 

 ……何故だかとてもむずがゆい感覚にそのままでいることが出来ず、僕は千影の身体を少し離すと、勢いよく立ち上がった。

 

「えっ…と、その…そうだっ、千影に渡すものがあったんだよ」

 

 急に思い出したように、僕はポケットから小さな箱を取り出した。

 

 蒼いリボンで結ばれただけの、小さな白い箱。

 

「千影、手を出して…、…お誕生日おめでとう」

 

 両手を差し出し、箱を受け取ろうとした千影の表情が、驚いたようなびっくりしたような…僕があまり見たことのない顔になっていた。

 

   ***

 

 ……そうか……私としたことが、……どうやら兄くんにこの薔薇を見せることに気が行き過ぎていたようだね……すっかり失念していたよ……。

 

 今夜は私の生まれた夜……。

 

 兄くんを追って、私の魂がこの世に生まれ落ちた……始まりの夜だったんだね……。

 

 兄くんは……ちゃんと覚えていてくれたんだね……。

 

 私は兄くんを見上げる……。そこにはいつもどおりの……優しい笑顔があった……。

 

「……ありがとう、兄くん。……開けて……いいかい?」

 

 どうぞ、という兄くんの言葉に……私はリボンを解き、箱を開いた……。

 

 中に入っていたのは……銀の十字架。

 

 交差の後ろに七宝焼きの……青い薔薇をあしらったその十字架には、四方に伸びる薔薇の蔦が優しげに絡みついている……。

 そして、月明かりに鈍く輝く銀十字の交差には……薄青い光を照らし返す宝石が埋め込まれていた……。

 

 ……フフフ。

 

「どうやら……兄くんには、すべてお見通しだったようだね……」

 

「…えっ?」

 

「いや……何でもないよ、兄くん……」

 

   ***

 

 さあ、帰ろう。みんなが待っているよ

 

 ……ああ……

 

 お誕生日おめでとう!

 

 おめでとうございます

 

 ハッピーバースデイ!デス!

 

 おめでとーっ!

 

 おめでとうですの

 

 あのね…あのね…おめでとー

 

   ***

 

 兄くんからの贈り物を胸元に飾る私に、皆が祝いの言葉を贈ってくれる……。

 

「……みんな……ありがとう」

 

              fin.

 




発行した当時の2002年には青い色の薔薇はありませんでしたね。
それから数年するうちに誕生しまして今はあるのですが、それでもめずらしい薔薇ではあります。

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。

評価する
※参考:評価数の上限
評価する前に 評価する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。