「主君、進行方向──敵影無し」
「主君、撤退通路α側に<ラットマン>。β方向は大丈夫やから、逃げるならそっちやで」
「主君、前進祭りだ。急ごうぜ」
「ナオキも直継もアカツキさ……アカツキの真似しなくて良いから」
<アキバの街>を出てから3日。シロエ達は<ススキノ>がある北海道──<エルダー・テイル>の名前で言えば<エッゾ帝国>に入るための玄関口ともいえる<パルムの深き場所>まで進んでいた。
<グリフォン>を召喚出来る限度は1日で4時間と少ないものの、馬であれば道によっては大回りするような所も飛び越えることが出来、空という道中でモンスターや<冒険者>が襲ってくること自体が稀有な場所を移動していることも重なって彼らはかなりの速度でここまでやってきたわけである。
そんな快適な旅だが、ナオキの存在によってさらなる快適が約束されていた。彼の作る料理の関係上、シロエ達は進行上の村々に度々立ち寄っては料理に使う材料を補充してその度に美味しい料理が彼らの空腹を満たしていく。
農家の<大地人>に売ってもらった収穫仕立てのジャガイモを揚げたカリホクのフライドポテトやパリパリのポテトチップス。狩りで取得した肉を薄く切って焼いた物をチーズと共にパンに載せた物。生っていたベリーを大量の砂糖や柑橘の汁と一緒に煮込んで出来た非常食のジャム。エトセトラ、エトセトラ。
もはや、元の生活に戻れるかと問われれば全力で拒否出来そうなほどであった。
そんなシロエを支える超絶優秀な補佐官を自称しているナオキだが、シロエと直継からは『実験癖まだ直ってねぇのかよ』と、アカツキからは『ナオキ殿は……あれだ。少々残念な人だな』と割と傷つく評価を下されていた。
──というのも、味のある食べ物に味のある調味料を掛け合わせたらどうなるのか気になったためにゲテモノ料理を昼食に出したり、投げつけるだけで一定のダメージを与えることが出来るアイテムを纏めてぶつけたらどうなるのか気になって直継に試したりと、様々な『実験』をしては碌なことが起こらなかったためである。
なお、攻撃アイテムに関してはもう少しで直継を迎えに<アキバの街>に戻らざるを得なかったため、流石にシロエからの雷が落ちた。
そんなアクシデントがありながらも順調な旅をしていた一行だが、このダンジョンに入って15時間という長い時間が経過していた。
まずはダンジョン自体がリアルになったこと。リアルといっても『リアル調』だとか、『没入感がある』といったまやかしではなく、実際にダンジョンを歩いているのだ。
ガンマ値などの光度が自由に変えられるモニター越しとは違って奥の方は黒い絵の具よりも真っ黒一色なダンジョンは、
そこから匂いや足音といったモンスターが付近に居るであろう情報も加わるため、奇襲によって不利な状況を避けようとシロエ達の行軍速度はどうしても牛歩並みまで落ち込んでしまう。
次にダンジョンの老朽化だ。<アキバの街>のように現実から幾重にも時が積み重なったような廃墟なのはゲームと変わらないが、通路としての役割を果たしているコンクリートが重鎧を着込んだ状態の直継が踏みしめただけで崩れるという重量制限があるギミックは無かったはずだ。
一応ざっと見回したところ、ダンジョン自体が無くなるのではないかと思うほどの老朽化は確認できていないが、それでもダンジョンの通路が崩壊してパーティが分断などの突発的なアクシデントは今後のダンジョン攻略では決して無視できない概念となってくる。事故などで無駄な死を経験する<冒険者>を1人でも減らるために<西風の旅団>は当然として、<黒剣騎士団>や<D.D.D>といった戦闘系ギルドには伝えておこうとナオキは決意する。
そんな時、前方を警戒していたアカツキから声がかかる。彼女の声にナオキも協力して周囲を探ると、闇の中で無数の目が上下左右に動いているのを発見した。
「主君、敵だ」
「左右の通路突き当りに<ラットマン>。左から10と21ってところや。奴らの攻撃範囲には入ってへんけど、警戒に切り替えた方が良さそうやで」
「了解。直継と僕は真ん中でアカツキとナオキはそれぞれ前後で警戒を」
ナオキ達の偵察結果を聞いたシロエの指示により、それぞれは即座に陣形を組み替える。警戒に警戒を重ねた動き方なので、さらに速度を落とすがこのダンジョンに出てくるモンスターの特性上は仕方がないことだろう。
彼らがダンジョン内で足を鈍らせている最後の理由。それは先述したとおり、モンスターである。
<ラットマン>。ゲーム時代でもこのような行動によく出没していた亜人間で、ネズミの頭部と人間の胴体を組み合わせたような存在だ。その難易度は
「主君」
前方を偵察していたアカツキが手で制することで停止を指示する。何事かとシロエが≪マジック・トーチ≫の範囲を広げると、前方の壁に<ラットマン>がびっしりとひしめき合っていた。生理的な嫌悪感が半端ではなかったが、奴らが蔓延っている側の通路こそ正規のルートなために直継は剣を抜いて何時でも動けるように身構える。
「いや、この数は厄介だ。迂回しよう」
「せやな、疫病のバッドステータス食ろうて逆戻りは避けたいしな」
そう、この<ラットマン>にはネズミ特有の繁殖能力と疫病を媒介させる特殊能力が存在するのだ。噛まれてしまえば確率で回復を妨げられ、持続ダメージが発生してしまうバッドステータスをもらってしまうため、回復役が居ないシロエ達のパーティでは安易な突破は命取りとなってしまう。
一応だが予防としてポーションを服用しているのだが、万が一のことがあって誰かが<アキバの街>に帰ってしまうのは避けたい一心で<ラットマン>の集団に気を配りながらダンジョン内を歩き回っているためにこうして時間が過ぎていくわけである。
***
「ここは安全そうだな」
「そだね。休憩しようか」
「私は偵察をしてくる」
「ちょっとこっちの定時報告兼ねてさっき通った道見てくるわ」
小さな小部屋までたどり着いたシロエ達。それぞれ見張り役、前方の偵察、後方の安全確認と散り事理になる中でシロエだけは片手で片耳を塞いで虚空に指を這わせている。彼の耳元には念話の呼び出し音が鳴り響いており、およそ数度の呼び出し音が鳴った後にマリエールの明るい声がシロエの耳に届いた。
【お疲れ、シロ坊。どないな感じ?】
【こっちは問題ないです。昨日、あの後はすぐに野営して午前の早い時間に<パルムの深き場所>に突入しました】
【なんでそんな早いん!?】
【それはまぁ……ハハハッ】
<グリフォン>のことを話していないシロエが小さく笑うことで話をはぐらかし、にゃん太経由での<ススキノ>の内情やセララの様子を聞いていく。そんな定時連絡を行っていると、急にマリエール側の方が騒がしくなる。
そのタイミングで念話が切れ、そのタイミングでナオキが帰ってきた。ただ、後方の安全確認に向かう前よりも不機嫌な様子で『あんの駄狐』と口から恨み言を呟いていたため、気になったシロエが彼に尋ねようとした時に再び念話の呼び出し音が聞こえる。
「マリ姐かな……ってナズナ!?」
「マジかよ!」
思わぬ発信者に驚くシロエと直継。しかし、ナオキだけは全てを悟ったような表情をしながらハンドサインで『出ろ』と促す。現状の把握に忙しいであろう<西風の旅団>の重鎮を<ススキノ>まで遠征させることに今更怒ったのだろうかと恐る恐る念話に出たシロエだったが、ナズナの声は明るかった。
【よっ、シロエ。久し振り】
【ナズナ、久し振り】
【うちの相談役が迷惑してないかい?】
【いいや、十分助かってるよ】
まるで弟の心配をする姉のような前口上にシロエは吹き出しながらも返事を返していると、彼女は『ソウジが何か言いたいんだとさ』といきなり口調を変える。
【シロ先輩、お久し振りです】
【え、ナズナ……ってソウジロウの言葉を代弁してるのか】
【かけ直すの面倒だからね。で、返事は?】
【うん、久しぶり。ソウジロウ】
ナズナの声だが相変わらずの『先輩呼び』にシロエは笑顔を見せる。その後はナズナ経由でソウジロウがシロエの動向を感づいた理由について語られていく。
なんでも<アキバの街>では戦闘系、生産系問わず大手の<ギルド>によって雁字搦めになっているらしい。<マーケット>などのアイテム流通はナオキやソウジロウが修理を依頼した<海洋機構>や<ロデリック商会>、<第8商店街>といった生産系が握り、<アキバの街>近郊の効率の良い狩場などは<黒剣騎士団>や<D.D.D>といった戦闘系が占領しつつあった。
それに対抗するために中小ギルドで連合を作って大手ギルドに対抗しようとした話し合いの折にマリエールとナズナに同時に念話が入った。言わずと知れたシロエとナオキからの定時報告である。
マリエールの方は席を外して報告をしていたのだが、ナズナはいつもの様子でソウジロウの傍で念話を取って話をしまい、その中で『シロエとの旅は順調かい?』と言ってしまったのだそうだ。
気付いた時にはもう遅く、ナズナ経由でナオキに事情を聞いたソウジロウはこうしてシロエとコンタクトを取ったわけだ。
【まぁ、僕は前衛バカですからね。シロ先輩の考えとかはあんまり分かりません。なので、僕の力が必要だったら声をかけてください】
【分かったよ。だけど、街はそうなっちゃったのか……最悪だね】
【最悪です。街では何もせず……いや、出来ないんでしょうね。無気力な冒険者が増えてますし、初心者を勧誘して酷いことをしている動きも見受けられます】
ナズナ経由で聞かされたソウジロウからの報告に、シロエの脳裏には少し前に一緒に狩りをした初心者姉弟の姿がちらつく。この<ススキノ>遠征が終わったら顔を見せようとタカを括っていたが、どうやら急がなければいけない理由が出来たみたいだ。
【うん、ありがとうソウジロウ。ナズナも。今はナオキを借りてるだけで十分だから、助かってるよ】
【全然使い倒しちゃっていいからね~。それはそうと、シロエってそんな自分の気持ちとか面と向かって言ってたっけ?】
【そろそろ自分の考えを自分の口で言わなきゃいけないって友達に助言されたばっかりだからね】
そう言いながら直継を見ると彼はウィンクをしながらサムズアップを送る。その頼もしさにシロエが笑みで返しているとやけに長かった沈黙が打ち破られ、ナズナの声が返ってきた。
【……そっか。んじゃ、そろそろ切るわってソウジなに? あー、ソウジから最後に"ボクも今出来ることを見つけてやってみます"だって】
【分かった。必要な時には必ず呼ぶって伝えて】
シロエはそう言い終わるとナズナとの念話が切る。いつの間にか戻ってきたアカツキがナオキの様子がおかしいことに言及するが、火の粉がこっちに来ることを恐れたシロエはそっとしておくように言うと地形照合のために地図を広げた。
「それじゃあ、食事しながら報告をお願いします」
「敬語禁止!」
「あっ、うん。報告いいかな」
「任された!」
主従ロールプレイが出来て嬉しかったのだろうか。ムフーと胸を張るアカツキを余所に直継はというと、もそもそと微妙な食べ物を食み始めた。
「ほんとあいつは……。今回は何とかなったみたいやけど、ソウジロウも<グリフォン>持ってるんやから下手したら追いかけてくるんやぞ。そこらへんわかってるんやろか」
いつもは誰かさんが腕まくりをしながら調理を始めるのだが、彼はその誰かさんを横目で見ると未だに口を滑らせたナズナに対して怒っているらしく、憤慨状態から帰ってきていない。試しにソーセージをバーナーで炙ってもゲル状になってしまうため、『お預け祭りか』と呟きながら直継は唯一味が変わる調理方法である塩でなんとか残念な食事を胃袋へと詰め込んだ。
***
「随分遠回りになったけど、そろそろだね」
休憩が済んだシロエ達は再びダンジョン内を彷徨い歩く。休憩後も<ラットマン>の小隊に絡まれたり、大きくなった群れを脆くなったコンクリートに攻撃することで水底に落としたり、その余波でこちらのコンクリートも徐々に崩れて彼らも落ちかけたりと様々なことがあったが、地図を両手にシロエは全員にそろそろ出れることを報告する。
「しかし、主君は本当に地図を描くのが得意だな。私だと線がよれよれになって見れたものではないぞ」
「サブ職業が<筆写師>だからかな。ゲームだとアイテム作成ぐらいしか役に立たなかったけど、CADみたいに書けるんだ」
「キャ……ド?」
「コンピュータ上で製図するためのツールやで。そろそろ卒業やってのに災難やったなぁ」
シロエのリアルのことは長年の付き合いから把握していたナオキは不憫そうにシロエを見るが、当の本人は遠い世界の話を聞いているかのようにぼんやりしていた。
「卒業ということは主君は学生なのか?」
「工学部の大学院生。ナオキの言ったようにそろそろ卒業だったんだよ」
「そうか。では私とほとんど同じ歳なのだな」
最近知己になったにしてはリアルを聞くタイミングが早すぎると思ったやんわり窘めようと思ったナオキだったが、先にアカツキが爆弾を放り込んだことでシロエと直継がそれに反応してタイミングを逸してしまう。
彼らはアカツキの身体を無言で上から下へ、下から上へと何度も往復。やがて、その無言を直継が破った。
「冗談だろ? だって、ちみっこはちみぎゃふぅ!」
「主君、ナオキ殿。バカ直継を蹴っておいた」
「だからそういうことは事前に断りいれろよ!」
「いんや、直継。さっきのは流石にお前が悪いで」
お決まりの2人漫才を展開していた直継とアカツキだが、そこにナオキが仲裁する。
身長、体重、顔と色々あるが、人間誰しも他人に触れられたくないコンプレックスといえる存在があるものだ。それをあげつらうのは非常に良くない。下手をすると人間関係がボヤよりも大変なことになってしまう。
「ナオキ殿は私のことを信じてくれるのか?」
「信じるも何も、アカツキさんは最初から高校生以上って考えとったわ」
<三日月同盟>という見ず知らずの集団に見つめられながらも堂々とした立ち振る舞い。これだけで高校生でも卒業間近のような精神の成熟具合であることが伺える。他にも様々な場面で『大人の女性』を感じたことをナオキが伝えていると、アカツキはまだしもなぜかシロエの眼差しも輝いていた。
「すごいなぁ、ナオキは」
「主君、主君。人格者だ! 人格者が居るぞ!」
「いや、前職がどんな保護者でも等しく客やからな。それを引き摺ってるだけかもしれんわ」
保育園では様々な事情があろうが、等しく受け入れ準備が整えば親から子供を預からなければならない。ここで例を出すのは憚られるので控えるが、本当に様々なのでナオキは見かけで判断しない力をこの職場で養うことが出来たのだと自負している。
しかし、<グリフォン>に乗っている時に見た距離感や、ことあるごとにシロエの敬語や敬称呼びを注意する執念深さは申し訳ないが『子供っぽい』と思えてしまうが、それはナオキの心の奥底に封印した。
だって──。
「主君も私を子供だと思っていたのか?」
「え、いやいやいや。違うよ。……チガウヨ。だから、短刀は……仕舞おうか」
(声が上ずってるで。シロエ)
あぁはなりたくないから。
そんなひと悶着があってもダンジョンを歩いていく内に元のような関係に修復できた一行。光る鉱石の間に出来た道を踏破し、周囲にコンクリートブロックが積まれた通路を抜け、いよいよこの地下特有の寒々しくも湿り気のある嫌な空気から脱出することが出来そうな大広間にたどり着く。
ただ、ダンジョン側もそう簡単に通してはくれなかった。
「主君」
「ありゃなんだ? でっけぇ」
それは中学生ぐらいの身長であった<ラットマン>と比較すると蟻と象であった。蛇と見まがうほどの長い尾に強靭な四肢。そしてなにより名前が<ラットマ
ナオキはその謎のモンスターに心当たりはなく、シロエや直継に声をかけても彼らは『知らない』と一言いうだけで戦闘態勢に入る。
「可能性は?」
「<ノウアスフィアの開墾>関係だと思う!」
<エルダー・テイル>の情報についてかなり詳しいシロエでも知らない。さらに言えば、ゲーム時代はここに足を運んだ<冒険者>がかなり居たはずなのに感知できなかったモンスターだ。
それらを総合するとこのモンスターは騒動の原因と思われる<ノウアスフィアの開墾>で新たに登場した存在と推測するのは難しくなかった。
「レベルは68! 見た目から<ラットマン>の亜種! バッドステータスに注意!」
「ボクは後方からの増援見とくわ。取り巻きに会敵したらどないする?」
「排除を! 直継はヘイトを切らさないように、アカツキは後ろから積極的に攻撃を! 僕は直継達を援護する!」
シロエの指示の下、それぞれの役割に従って動き出す。
「≪アンカー・ハウル!≫」
手始めに直継が≪アンカー・ハウル≫によって瞬間的に自分への敵対心を煽って<ラットマソ>の視線を釘付けにする。特技によって挑発を受けた<ラットマソ>の怒濤の攻撃が直継を襲うが、様々な強化系の特技を持つ直継の鉄壁の防御力はたかが68レベルの攻撃では一向に抜くことは出来なかった。
そんな直継への攻撃に集中していた<ラットマソ>の背後に影が走る。
「≪ステルスブレイド≫!」
アカツキの特技が<ラットマソ>の背後を強襲。敵の背後を取って攻撃することで大幅なダメージボーナスを入るこの特技によって<ラットマソ>のHPは一気に落ち込むが、その視線は次の攻撃に備えて身を隠そうと動き回る彼女へ向いていた。
その一方でナオキはというと、<ラットマソ>が居た空間から少し離れた場所で息を潜めていた。
彼の役割は
「<ラットマン>が2……いや、3か」
<ラットマソ>の発する叫びに通路から<ラットマン>が数匹走ってくる。奴らは親玉の元へはせ参じようと一直線に通路を駆ける、その直前に白いフードの男が道を塞いだ。<ラットマン>は<冒険者>のように相手のステータスやレベルが見えないが、道を塞いだ存在が自分よりも遥かに強い存在であることを察知して威嚇を行う。
だが、その存在はその威嚇が耳障りだと<ラットマン>目掛けて走り寄り、手始めに前方に居た1匹を蹴り飛ばした。その蹴りをもろに食らった1匹はゴム鞠のように通路を撥ねまわりながら細かな粒子となって消え、その光景を後ろを向いたことで見ていた別の1匹の首目掛けて漆黒に塗られた刃が襲い掛かる。
「≪アサシネイト≫」
何かの言葉と共に突き立てられた刃は<ラットマン>の首に吸い込まれるように突き刺さり、かの者を一瞬の内に絶命させる。
瞬く間に半数の仲間を屠った謎の存在。その存在に残った1匹の<ラットマン>はとうとう野生の勘から発せられる警鐘に耐えきれずにその場から逃走を図った。
元来た道を四足を使って必死に駆け戻る<ラットマン>。後ろを見やると先ほど2匹を打倒した存在は追いかけることも無く<ラットマソ>が居る広間を護るように佇んでいた。追いかけてくることが無いと分かった<ラットマン>だがさらに加速するべく四肢に力を入れている最中、途端に身体が言うことを聞かなくなった。
まるで徐々に生命力が抜けていく感覚陥った<ラットマン>が起き上がれないまま、目だけ周囲を見渡すと緑色の煙の中に迷い込んでいることに気づく。
しかし、気づいただけでその煙が原因だと悟る前に最後の1匹は息絶え、泡のような粒子となって消えていった。
「疫病持ちに毒が効くなんてなぁ」
通路の奥から粒子が飛んでいく光景が目に入ったナオキはしみじみとした様子で口を開く。彼は事前に≪ポイズンフォッグ≫という特技を発動させ、毒を通路に巻いていたのだ。
この特技は指定した地点を中心に毒の霧を撒くという珍しいタイプの攻撃で、霧を吸った者に毒の状態異常と持続ダメージを付与する地味に嫌らしい特技である。デメリットとして味方を巻き込んでしまうためにこのような単独の機会ぐらいでしか日の目を見ることがないのだが、今の現状でこんな辺鄙なところに<冒険者>は自分達ぐらいだろうという考えからナオキは特に何も考えることなく霧をまき散らしていた。
すると、突如としてものすごい声と共になにかがボタボタと地面に落ちていく音が通路越しに聞こえてくる。十中八九、<ラットマン>の集まっているコロニーにでも霧が到達したのだろうが、それを見に行くほどナオキは心臓に毛は生えていない。厨房にとってネズミは害悪以外の何物でもないからだ。
「さて、向こうも終わったな」
後ろを振り向くと大量の泡のようなエフェクトと共に金貨やアイテムが見える。レベル68にしては早かったのはやはり腕の良い
つくづく良いパーティだとナオキはシロエ達に合流すると、地上へ続く長い長いトンネルを歩いて行った。
***
トンネルを抜けるとそこは雪国──ではなく、ダンジョンの出口だった。東の地平線から太陽が少し顔を出し、先ほどまで地下を彷徨っていたシロエ達ごと山々の稜線を明るく照らす。
その光に目がくらんで思わず手を翳して目の前の景色を呆然と眺めていたシロエとナオキだったが、アカツキと直継は近場にあった大岩の上に登ると口々に感想を言い合っていた。
「空気が冷たいっ!」
「でも気持ちいいな! 難所超え祭りだぜ!」
にこやかに談笑する2人に続いてシロエが大岩に登って行き、彼についていきながらナオキが<マジックバッグ>から色々取り出しながら大岩に登る。
すると、そこには絶景が待っていた。
深緑を通り越して黒と形容した方が良いほど鬱蒼とした原生林。そこに雲という厚いフィルター越しでも十分な明るさを伴った優しい色合いの絵の具が一気に塗り潰して行く。その色彩の変化に夢中になっていると、いきなり風の流れが変わる。その風によって厚い雲の間に僅かに切れ間が出来ると、そこから太陽光が差すことで色合いはさらに明るくなり、何とも神秘的な雰囲気を醸し出した景色へと変貌した。
「すごく綺麗だ」
「スクリーンショット機能があったらなぁ! 撮って見せびらかすのになぁ!」
「これが撮れたら俺、半年はデスクトップに貼るぜ」
口々に感想を言い合う3人を前にシロエは茶会のことを思いだしていた。無暗に自信満々な癖に根拠を聞いても『無い』という無軌道具合。それなのに、どこか確信めいている。
言葉では言い表しにくいが──そう。思い付きとハッタリと勢いといった類語を詰め込みまくった言動を良くしていたあの人ならば、この瞬間をも自らの勲章として自慢していただろう。
その感覚はシロエも同じであった。
「僕達が初めてだよ」
眼下に広がる絶景。朝特有の少々青臭くも清々しい匂い。そして、肌を撫でる潮が混じった風。ゲームでは到底体験できない体験を今、自分達がしているのだ。
見下ろした先には広大な<エッゾ帝国>の所有する大地。ゲームの情報ではどこに何があるかなどはWEB頼りであったが、今は文字通り『足で稼ぐ』他ない。
だが、これで良い。これが良い。これこそが『冒険』で、シロエ達は<冒険者>である。未知を切り開き、すごい物を見て、すごいアイテムで自信を誇示する。それこそがシロエの言葉で言う『格好良い<冒険者>』なのだ。
「たしかに俺達が最初だな! こんなすごい景色、ゲームでは考えられなかったぜ!」
「私達の初めての戦利品……だな」
「おっと、アカツキさん。戦利品はまだあるで」
景色を目に焼き付けながら噛み締めるように感想を言う2人に、今まで口を開いていなかったナオキがようやく会話に混ざる。彼の言葉に全員がナオキの方を向くと、彼は焚火の上に飯盒を乗せてそれらを木の枝で突っついていた。完全にキャンプに来た近所の兄ちゃんである。
「ナオキ、なにしてんだ?」
「朝飯。ほら、歌あるやん? 富士山の上でおにぎりをってやつ」
「いや、ここ<ティアストーン山地>!」
場所について言及するシロエだが、『どーでもええねん。山といったらおにぎりやろ』とナオキは押し切られる。そのまま木の枝で飯盒を地面に移動させて『蒸らし』に入るのだが、手持無沙汰になったのかそれぞれが食い入るように飯盒を見ている光景にナオキは餌を前にした犬猫の光景を幻視する。
そのまま蒸し時間もようやく終わり、ツヤツヤの銀シャリを多めの塩を塗した両手で握り始めるナオキ。決して米を潰さずに適度な圧力を掛けていき、ノリがないために真っ白いおにぎりを出来た端から皿に盛っていく。
それを都度4回。ようやくシロエ達の前には皿に盛られた4つの綺麗な三角形をしたおにぎりが置かれるが、それは瞬く間に1個となった。
「1人1個……って早いな!」
「たしかに山の頂上でおにぎりなんて定番だけど、最高の贅沢だね」
「うめぇ! きつめの塩が身体に染み渡り祭りだ!」
「爽やかな風と光景が良いおかずになっている。こんな経験が出来るなんて」
登山を趣味にしているならまだしも、一般的な大人は登山は滅多にしないだろう。しかも、標高がいくつかは分からないがかなり高所にある<ティアストーン山地>を踏破なぞ夢のまた夢である。
ゲームのようでいてゲームではないこの体験に、全員は大喜びでおにぎりを完食。多少の英気を養ったことで彼らは再び<グリフォン>を用いた空の旅へと戻っていく。
本来であれば<ティアストーン山地>を抜ければ一気に<グリフォン>で<ススキノ>の入り口までたどり着ける距離なのだが、飛行中にシロエから『少し遠めに着陸して1日偵察しよう』という念話が聞こえてきた。
【またなにか悪だくみか? 腹ぐろ】
【そんなところ】
その言葉にナオキは詳細をあえて聞くことはなかった。なにせ、遠目にシロエが眼鏡の位置を弄るという『スイッチ』が入ったのだから。