003 草原
青い草の匂いに目を覚ます。
見渡すと一面の草原に舗装されていない道が続き、その先になにかが建っているのが見えた。
体を起こして目を凝らすと、おそらく石だか煉瓦だかが積み上げられた壁のようであった。
「嘘だろ」
本当にきたのか、異世界に───と続く言葉が発される前に、自身の声に驚いた。
声変わりしてから10年余り共に過ごしてきた自分のそれではない。
高く、まるで女性の……と両の手を見つめると、こちらも細く小さかった。
膝上まである草に囲まれていたので気付かなかったが、身長も幾分か低いことが分かる。
立ち上がったのにも拘らず首筋に触れているのは、草ではなく髪の毛か。
滑りの良いロングヘアの感触に違和感を抱きつつ前に手繰り寄せると、煌めくような銀髪であった。
誰だこれは。
鈴城光希としてのこれまでの記憶はしっかりとあるのに、容姿も声も女性になっており、心当たりがない。
辛うじて見覚えがあるのが、意識が途切れる前に着ていた服くらいであるが、体格の問題かダブついている。
全く落ち着いてはいられないが、確認すべきものはたくさんある。
足元を見回すと、荘厳な装飾が施された鞘に包まれた美しい剣と、その傍らに小綺麗な指輪が置いてあった。
───聖剣デュランダル。
作品の中で、その凄まじい性能で何度も窮地を救い、迷宮攻略の足がかりとなったボーナス武器。
そしてこちらは、ボーナスアクセサリの決意の指輪だろうか。
少しサイズが大きめのそれに指をくぐらせると、スルスルと収縮してやがてピッタリと収まった。
手を握ったり開いたりを繰り返しても、違和感なく指にはまっている。
これが、装備者に形状を合わせるという、この世界の装備アイテムの特性というやつか。
そういえば確かに掴んでいたはずの荷物もこちらにきているのだろうか。
慣れない目線の高さと、持ったこともない剣の重さにふらつきながら草を踏みしめつつ足を進めると、少し離れたところに投げ出された様に転がっているリュックを見つけた。
よかった。
異世界に転移した上に、身に覚えのない性別の違う身体で初期アイテムなしという最悪の展開は避けられた。
焦りで乾いた喉を潤そうと、入れておいたはずのペットボトルを取り出すためにリュックを開く。
……ない。
あれだけ考えて詰め込んだ中身がそこにはなかった。
スーツの上下がシワにならないように綺麗に折り畳まれて収まっていた。
何故?
いや、このスーツ自体は確かに自分のものだ。
……そうだ、あの広告ページに辿り着く前日、クリーニングから受け取ってきたのだった。
準備した荷物を入れたものと同じリュックであるのは、自分が普段から予備だと言い聞かせて横着して2つずつ買う癖があり、たまたま受取の袋代わりに使ったものが同じモノだったからである。
段々と思い出してきたが、意識が途絶える直前、慌てて背負ったリュックが軽かった気がする。
想定の重さとの違いに蹌踉めいて、その弾みで最終警告を了承してしまった。
致命的すぎるミス。
帽子もその際に落として、転移を超えられなかったらしい。
絶望に苛まれながらも、他に何か入っていないかとリュックをまさぐる。
開けられるポケットも一通り開けてみると、折りたたみ式の櫛と掌サイズの丸形コンパクトミラーがいずれも2つずつ出てきた。
百均で適当に買ったのを朧気ながらに思い出す。
学生の頃いつだったかのセミナーに参加する折に、学友に徹夜明けの酷い顔と寝癖だと言われて、寝ぼけながら買ったのだった。
その時から数年間入れっぱなしで忘れていた。
櫛については木目調の印刷がされているものの、明らかにプラスチックである。
ミラーは表に花柄のプリントがついたものが一つと、筆記体の英字で愛の言葉が印字されたものが一つ、どちらもいかにも量産品なものだった。
開くと片側鏡面のシンプルな構造であるが、幸いスーツがクッションになったのかどちらも割れてはいなかった。
その小さな鏡の向こうから、銀髪の少女が覗いていた。
「これが、
一生に一度くらい言ってみたかったので試しに声に出したが、いや誰だよほんと。
全く以て見に覚えが───
……ある。
あの日、あの広告ページへ遷移する前。
ネットサーフィンで新しく見つけた3DMMOらしきゲームのキャラクターエディット画面。
気分に任せて選んだ各項目。
顔の設定を進め、身体の数値調整に入ろうとした矢先の広告ポップアップ。
それからの目眩く事態にまるっきり頭から抜けていた。
あの時の設定が、このまるで実感のない容姿に反映されているのだろうか。
光希はさらさらと風になびく銀髪をかき上げ、隠れていた
***
エルフ。
人間よりはるかに長命で、長く細い耳と整った顔立ちを持ち、森と共に暮らす者。
あとなんか貴族とか多そう。
一般的な創作ではそんなイメージだ。
あの小説での設定は、寿命は種族によって違いはなく、人間以外の種族は加齢によって見た目がほとんど変化せず、人間にとってはわかりにくい部分が老化ポイントであるとされていた。
今わかるのは自身の身体の感覚と、小さな鏡に映る情報しかない。
種族としても個人としても情報が大幅に欠如している。
頭を捻りながらキャラクターエディットの時を思い出す。
確か女性キャラで種族はエルフを選択した。
肌は日焼け程度の淡褐色に、髪を銀髪ロング、ややツリ目の碧眼で決定した。
身長の設定バーに数字が振られていなかったので詳細な数値は分からないが、少しだけ下げた気がする。
小柄なキャラクターに大型武器を持たせるのはロマンだからな。
他の数値は弄る前に例のページへと飛んでしまったので初期値のままであるから、おそらく種族の平均値だろうか。
浅黒い肌も、この程度なら所謂ダークエルフ的な別種族レベルまでには見えないだろう。
この世界にダークエルフがいるかは分からないが。
いくら思い出そうとしてもこれ以上はでてこない。
実際、ここまでしか設定しないままにこの体が形成されてしまったのだ。
自分が何者かも分からぬまま、異世界に放り出されてしまった。
……待て、自分にはあるだろう、鑑定が。
対象として自身の腕を見つめつつワードを念じるだけで、詠唱が省略されて効果が発動される。
スズシロ・ミツキ エルフ ♀ 18歳 村人Lv1
装備
聖剣デュランダル(攻撃力5倍 HP吸収 MP吸収 詠唱中断 防御無視)
決意の指輪(攻撃力上昇 対人強化)
宙に浮いた半透明ウインドウが如何にもゲーム画面のようである。
続いて、ジョブ自体も確認する。
村人
効果 体力微上昇
ボーナス装備やジョブ補正が思っていた通りの性能であったことで、やはりあの小説のような異世界に来られたのだと実感できる。
だがその感動よりも、本当に女性に、更には人間でなくなったことに衝撃を受けている。
18歳という年齢も、エディットされた肉体に基づいているのだろうか。
修得言語の選択を独自にしたためか、そもそも他の項目の選択が違ったためなのか、初期スタートが集落の馬小屋ではなかったので、小説とは違うことが確定している。
転移前に身につけていたものは帽子以外一緒に来てはいるが、容姿まで変更されてしまっているのは、完全に想定外だ。
しかしこの世界に来てしまった以上、今の手札で生きていくしかない。
まずはそう、英雄のジョブ取得だ。
初陣で盗賊を討伐、これを終えるまで戦闘はできない。
あのジョブ補正と所持スキルは替えがきかないので、必ず成功させる必要がある。
作中では初期スタートの農村で盗賊の襲撃があったが、こちらは見渡す限り見通しの良い草原で、果たして盗賊に出会せるのだろうか。
それよりも食料どころか水すらない。
元の世界で準備していた荷物は、誰もいなくなった部屋で帰らぬ主を待って朽ちていくのだろう。
書面上での名前しか見たことのない大家に心の中で謝罪し、もう考えないことにした。
とりあえずはあの石造りの城門らしき場所に向かうしかない。
確認した道具をリュックにしまって背負い、デュランダルをベルトに括り付けて歩き出した。
草原と言ってもなだらかな丘の上だったようで、見えていた距離の目測を誤った。
さらにエルフになって視力が良くなって遠くまで見えていた……のかまでは分からないが、小さくなった歩幅には少々遠い。
咄嗟のことを考えて用意したデュランダルも、隠れるところのないこの地形では無駄な杞憂になっていた。
必要経験値減少や獲得経験値増加も今はいらない。
何かあれば途中にあった木にでもワープで逃げればいいだろう。
スズシロ・ミツキ エルフ ♀ 18歳 村人Lv1
村人Lv1
キャラクター再設定 1 鑑定 1
ワープ 1 詠唱省略 3
体力 31 敏捷 31
(残31/99pt)
用心のためボーナス武器・五の出せる31ポイントを確保し、残りを体力と敏捷に振った。
先ほどまでの村人Lv1のステータス補正が低すぎたのか明らかに動作が楽になり、これならばどうにか脱水症状になる前には到着できそうだ。
もう少し検討してから行動するようにしよう。
近づくにつれて次第に大きくなる石壁と逸る気持ちに、いつしか疲れを忘れて駆け出していた。
スズシロ・ミツキ エルフ ♀ 18歳 村人Lv1
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TSにした最大の理由は、原作のシステム面が好きで題材にして物語を創りたいと思いましたが、情事要素が執筆の障害になり得ると思ったからです。
趣向と性別を曲げることで、ミツキ側からの男女としての関係性を希薄にしようと画策しています。
24/07/22
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