暗闇の通路を抜けると突如明るくなり、石造りの小部屋に出た。
光源が何かは分からないが、周囲を見渡せる程度には明るさがある。
後ろには入ってきたときと同じ黒い壁があり、前と左右には通路が延びていた。
通路の奥までは薄暗くて見えないが、数歩進んでみると自分の周囲だけは光量が続くらしく、見える範囲も移動した。
パーティーメンバーのいる場所にもこれが適用されるとしたら、同行人数によって視界が段違いになるだろう。
敵が増える迷宮の深層へソロで向かうのは自殺行為というわけだ。
そもそも迷宮へ入ること自体が命懸けでもあるが。
そういえばとジョブ設定を確認すると、空いていた2ndジョブに探索者が自動的に設定されていた。
探索者
効果 体力小上昇
スキル アイテムボックス操作 パーティー編成 ダンジョンウォーク
パラレルジョブが未設定の状態で新規ジョブを取得すると、勝手に設定されるのだろうか。
他人には聞けないのでヘルプがほしい。
「入口で立ち止まらないでくれよ」
突然後ろから声が掛けられ、驚いて壁際に飛び退いた。
振り向くと、装備に身を固めた3人組がぞろぞろと進んでくる。
人間 男 探索者Lv13
人間 男 戦士Lv1
狼人族 ♂ 探索者Lv1
引率パーティーのようだ。
すみません、と頭を下げると後ろの二人は会釈を返してくれたが、レベルの高い男はそのまま正面の通路を進んで行った。
二人が慌てて後を追っていくのを見送る。
迷宮内で他のパーティーと揉めるのはご法度だ。
魔物がいるのに攻略者同士で争っている場合ではない。
迂闊な行動は気をつけようと黒い壁に向き直ると、今度は二人組の男が現れた。
その脇を抜けて迷宮を出ようとすると、肩を掴まれる。
「じゃあ奥へ行こうか」
「え、ちょ、ちょっと!」
引率パーティーが向かったのと別の通路に押し込まれた。
リュックごと突き飛ばされると倒れた拍子に巾着袋が落ちて、袋の中で大量の硬貨が擦れる鈍い音が鳴った。
「ほらな、たんまりと持ってやがる」
「まあ、持ってなくてもエルフだしな」
顎髭の伸びた男と、バンダナを巻いた男がニヤニヤと笑みを浮かべながらゆっくりと近づいてくる。
人間 男 盗賊Lv23
人間 男 盗賊Lv29
盗賊だ。
おそらく、買い物をしていた時に目をつけられたのだ。
大金を持った丸腰の少女が、キョロキョロしながら一人で迷宮に入っていくなんて、もう襲ってくださいと言っているようなものじゃないか。
後をつけて、迷宮に入ってすぐの1階層に居たのを見つけて完全にカモだと確信したのだろう。
急いで立ち上がり、荷物を掴んで男たちに背を向けて走る。
「あっ、待て!」
通路を曲がる際に横目で見ると、腰に下げていた武器を手に持って向かってきている。
殺される!?
息を切らしながら狭い通路を走り抜けると小部屋に出た。
しかしそこは、通ってきた道以外に続きのない袋小路であった。
男たちが通路を塞ぐように陣取り、武器を構えた。
「残念だったな、すぐ可愛がってやるからよ」
「面倒だし、先に手足くらいはやっておくか」
待て待て待て待て、冗談じゃない。
いや、ワープがあるじゃないか!
壁に向かって……って今こいつらに背を向けている余裕があるか?
一度くらい試しておけばよかった、などと考えている間にあと少しで剣が届くらいの距離まで近づかれてしまった。
…………やるしかない。
観念したように胸の前で手を合わせると、近寄ってきていた髭の男の剣を握る手から力みが消えた。
「いい子じゃねぇか。
大人しくしてれば命までは取らねぇよ」
「”俺達は” 、だろ?」
バンダナの男が茶々を入れる。
ふざけるな。
こいつらに殺されずとも魔物のいる迷宮で動けずにいたら死んだも同然じゃないか。
髭の男がヘラヘラとした顔で腕を伸ばしてきたところで、余らせていたポイントをボーナス武器に振り切った。
その瞬間、合わせた両手の間にデュランダルが出現する。
グリップを握り込んで鞘から抜いた勢いそのまま、男の懐に踏み込んで逆袈裟に振り抜いた。
半円を描くデュランダルの軌跡を追うように、跳ね飛ばした半身から鮮血が舞う。
バンダナの男の視線が、抵抗なく両断された髭の盗賊だったモノと血濡れたデュランダルとを行き来する。
「……っな、なにしやがった!?」
バンダナの男は動揺しながらも、即座に武器を構え直して隙を窺っている。
レベルからするとそれなりに犯罪を繰り返している奴らだろうから、場慣れしているはずだ。
それに対してこっちは素人だし、防具も着けていない。
攻撃をデュランダルで受けられなかったらおそらく持たない。
さっきのような明らかな隙が生まれなければかなり厳しい。
オーバーホエルミングが使えれば、と思案したところで視界が歪む。
急に男の動きがスローモーションになり、自分の思考が加速した。
未設定だった3rdジョブに、たった今取得した英雄のジョブがセットされて、スキルが発動したのだ。
男が隠し持っていたナイフを投げ、着弾とタイミングをずらして斬りかかってくる。
普通だったらまともに対処できるわけがないが、オーバーホエルミング中の今なら対応できる。
向かってくるナイフを避け、男の剣の軌道の反対方向に移動して、その頭へとデュランダルを振り下ろした。
刃が頭部を豆腐のように切断してそのまま迷宮の床を叩くと、遅れて男の体がふらつく。
支えを失った人形の如く崩れ落ちると、それきり動かなくなった。
オーバーホエルミングの高揚感が切れて、思考が落ち着いてくる。
周囲に何も迫っていないのを確認すると、緊張の糸が切れて膝をついてしまった。
ベチャッと音がしたので視線を落とすと、床には血溜まりが出来ていて、服も返り血で染まっていることに今更気付いた。
広がっていく血の池の元を辿ると、無造作に転がっている塊が目に映る。
血液が溢れ出るそれと、赤く染まったデュランダルが人を殺したという事実を表していた。
胃の中のものが逆流し、抑えきれなくなってその場に蹲って嘔げる。
酸っぱくなった口元を袖口で拭う。
こんなところに居たくない。
涙目になりながらデュランダルを支えに立ち上がると、誰も居ない場所を思い浮かべてワープを念じる。
小部屋の壁がドア1枚分黒く染まると、リュックを拾い上げてその中へ走った。
***
ワープを抜けた先は草原に生えた大木だった。
初日にカルメリガの街に向かうまでの道中に、木陰で一息ついた場所であった。
何故事前にワープを試しておかなかった。
自分は人殺しのどうしようもないクズだ。
逃げる際にも荷物を捨て置かず卑しい奴だ。
捕まってその報いを受けて酷い人生を送るんだ。
生きていてもしょうがない。
ならばいっその事自分で───
ネガティブな思考が頭の中を埋めていく。
違う、MP不足だ。
よく気づいた。
リュックのポケットを漁ると、2種類の丸薬がパラパラと出てきた。
どっちが滋養丸で、どっちが強壮丸か忘れた。
頭の中が真っ黒に塗りつぶされる前に、両方とも一握りずつ無理やりに飲んだ。
薬が喉を越える感覚の後、忽ち沈んだ気分が落ち着き始める。
血濡れのデュランダルもボーナスポイントに戻し、代わりにMP回復速度20倍を取得した。
大木を背もたれにして目を瞑り、大きく深呼吸を繰り返す。
状況を整理しよう。
先程は感情が昂ったところでワープのMP消費をしてしまい、精神力が急落してしまった。
今は気分は別として過剰に飲んだ滋養丸と強壮丸で回復済みだろう。
ジョブを確認すると、空いていた3rdジョブに英雄の二文字が収まっていた。
英雄
効果 HP中上昇 MP中上昇 腕力中上昇 体力中上昇
知力中上昇 精神中上昇 器用中上昇 敏捷中上昇
スキル オーバーホエルミング
改めて見ても凄まじいジョブ補正だ。
人を殺しておいて念願というのも何だが、一番の障害はこれで越えられた。
盗賊ジョブの取得はできていないので、やはりこの世界では盗賊は討伐するものであって害しても犯罪に当たらないのだろう。
もうアレは人の言葉を話す魔物とでも思うしかない。
こちらから積極的に探して交戦する気はさらさらないが、狙われたなら被害を抑えるために仕留めるべきだろう。
そう考えることにすると、気分は晴れないまでも幾分かましになった気がする。
着ている衣服は盗賊の返り血で染まっている。
帽子を脱いでみるとこちらも同様だったので、とりあえず手についた血を拭った。
リュックは持った時に掴んだ持ち手の部分が赤く滲んでくすみ始めている。
幸い、着ている下着やリュックの中身は大丈夫そうだった。
たしかこの近くに小川が流れていたはずだ。
街へ急いでいた時は、魔物がいるような世界の生水を飲むのは怖くて見なかったことにしていた。
荷物を持って川の畔までくると、草木の高さが胸のあたりまで伸びている。
一通り鑑定を試したが、周囲に生物は居なそうだったので、思い切って行水することにした。
春先のような陽気だったが水温は冷たく、早速後悔してきたので血を落としたら早々に上がる。
そう言えば季節や日時はどうなっているのだろう。
手拭いで体の水気を取りつつ、宿に行く前に着替えを買っていた今朝の自分に感謝した。
実際に着てみて思ったが、この世界の服はゴワゴワとしていて肌触りも悪く野暮ったい。
高級店ならきっとマシなのだろうが、収入の当てを見つけるまでは慣れていくしかないだろう。
血塗れになった服や帽子を洗ってみたが、染みになって匂いも取れなかった。
汚れる前の服自体の着心地は良かったがパチモノの素材だったのだろうか、捨てるしかなさそうだ。
リュックとブーツは防汚性があるらしく、色も臭いも目立たないくらいにはなったので、替えを手に入れるまでは使えそうだ。
狼人族とかには気づかれたりするのかもしれない。
現代から持ってきたモノをその辺りに捨てて問題ないのかと悩んだが、迷宮はアイテムボックスに入る装備品やドロップアイテム以外のモノを消化することを思い出した。
されなかったら今頃あの迷宮の入口は肉の串で針山になっている。
念の為デュランダルで細切れにしてしまえば、万が一排出されたとしても端切れ程度じゃ自分の足がつくことはないだろう。
また迷宮に戻るのか、と思ったところで盗賊の死体がそのままであることに気づいた。
死体自体は迷宮に消化されるだろうが、報奨金になりうるインテリジェンスカードは回収したい。
リュックに巾着袋や取り出した荷物を戻し、鑑定して選り分けた滋養丸と強壮丸をそれぞれべつのポケットに仕舞った。
強壮丸を一粒だけ口に含み、ボーナスポイントを振り直してデュランダルを握る。
血が滲んだ服と帽子を掴むと、あの小部屋の隅を思い浮かべてワープを念じた。
黒い壁が大木に沿って開かれたので入ると、逃げ出したときと同じ格好で転がっている盗賊の死体が目に入る。
ネガティブな感情が湧き上がる前に丸薬を飲み込み、急いで鑑定を行った。
皮の鎧 シミター 皮の靴 バンダナ
皮の帽子 銅の剣 皮の鎧 皮の靴
盗賊自体は鑑定されなかったので、事切れているのだろう。
他に動くものもなく、通路の奥にも鑑定結果が表示されないことを確認し、安堵の吐息を漏らした。
先程は生死を分ける状況で極度の興奮状態だったため嘔吐もしたが、落ち着いた今では冷静に死体を見ていられることに驚いた。
身近で事件もなかった平和な日本で暮らしていた自分が、人を殺めてから短時間でここまで落ち着けるのは異常に思える。
元々そういう素質があったのか、それとも体が作り変えられた際に意識にも手が加わっていたのか。
自分の好みに合うように世界を選んだように見えて、選んだ世界の仕様に意識を適合させても違和感が無くなるように仕向けられていた、なんてのは考えすぎか。
ただ、この世界で生きていく上では、冷静になれるのは強みかもしれない。
流石に今はまだ死体に触れて身につけている装備を剥ぎ取る、という気持ちまでは起きないが。
自分が逃げ出したときよりも、床に広がった血や嘔吐物が減っている気がする。
迷宮による消化が始まっているのかもしれない。
死体の左腕付近にインテリジェンスカードが落ちていたので、あれから30分以上は経過しているようだ。
正当防衛であり、調べられても自分が盗賊ではないので問題はないのだが、人に出会す前に離脱したい。
カードをリュックに詰め込み、血染めになった服と帽子をデュランダルで切り刻む。
これならこのあとすぐ人が来てもゴミにしか思えないだろう。
強壮丸をまた一粒取り出して、冒険者ギルドの外壁を思い浮かべた。
スズシロ・ミツキ エルフ ♀ 18歳 村人Lv2
村人Lv2/探索者Lv1/英雄Lv1
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24/07/22
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