ブルーアーカイブ共依存短編小説集   作:人格分裂

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鬼方カヨコと猫カフェデートしていちゃいちゃする話

 表沙汰ではいられない歓楽街。

 脛に傷を持つ者共の漂流先。

 

 人影が絶えず行き交う場所に混じり入って、二人組の男女は歩いている。

 そうと強制した訳でもないのに、その足取りの延長線上を避ける様に人混みが分断されてゆく。

 ──妙に無彩色でモノクロームで清廉に歪んでいるようなその様相も相まって、彼らの姿は酷く目立っていた。

 

「ここ?」

 男の方が、街の中心から少し外れた一区画で立ち止まり、少女に聞く。

「そう。前々から気になってたんだよね」

 彼女は淡白に小さく、そう返す。

 

 それは。 

 少女の方が醸し出す、硬派な灰色のパンクロックな雰囲気には似合わない、一つの建物。

 それは。

 固いか柔らかいかで言えば綿菓子。色で言うならピンク色。見た目から分かる、可愛らしさ。

 音で端的に例えるなら──。

 にゃん、である。

 すなわち。

「猫カフェ……ねえ」

 猫カフェだった。

「嫌だった?」

「いや。……うちの仕事場がそう呼ばれてるのを思い出して」

 少女が問う。彼は頭を振る。

「……まあ、そうだね」

 その答えに、少しだけ不機嫌になって、彼女はそっぽを向いた。

 

『ねこねこぱらだいす』

 喫茶店とは名ばかりに、食事よりも寧ろ店員の小動物に囲まれる体験を得ることを目的とした、ある種のアドベンチャー施設。餌代だのなんだのを考えれば、どこで採算を取っているのか分からない猫だけの特異点。猫を好む者のアルカディア。

「ここの猫は皆、保護猫とか捨て猫とかなんだって。まあ、噂レベルの話だけど。最近のはそういうの多いけど、ここは規模が違う。そういう目的がまず一番なの」

「……そんな慈善活動がブラックマーケットで行われてるのね。ちょっと見直したかも」

「運ばれてくトラックを一個強奪して猫を調達してるとか、ワクチンは自作とか、あんまり良い扱いしてない飼い主から奪ってきたとか、逃げた猫は自分で帰って来るとか、そういう噂が流れてる」

「私の眼、潰してくるね」 

 まあ。

 そら、そうか。

 だって、ただの猫好きが、ブラックマーケットに店なんて構える訳が無いし。

 彼女の不穏過ぎる紹介文に、そういった具合で無理矢理に心を納得させながら、うんうんと彼は頷いた。

「普通の猫カフェにはあんまり興味がある訳じゃないんだけど、こういうのは悪くないんじゃないかなって思う。……先生も、捨て猫には思うところはあるでしょ」

 そんな腕に、流れる様に自分の腕を絡めながら、少女──鬼方カヨコは静かに言う。

「だから、一緒に来てみたいなって。先生と、二人で」

「……そっか」

 ──思うところはその言葉通りにあって、彼は小さく返した。風に吹かれた耳のイヤリングが、小さく搖れて音を立てた。

 その横顔が翳っているのを、少女は溜息と、存外に優しい色をした瞳で迎え入れている。

 

「それから」

 そうして生まれた少し沈黙を破って、彼女は再び語り始めた。

 相変わらずダウナーで、吐息の混じった声。綺麗で端正な赤い瞳は、力なく目の前を向いている。

「この店、店長の眼鏡に適わない客は叩き出されるらしいから、そこだけ気を付けて」

「具体的にどうしろと」

「まあ乱暴されるようだったら私が守るけど。……極力、変なことはしないようにってこと。まあ、先生なら大丈夫だと思うけど、……猫の餌をそうやって調達してるって噂もあるから」

「意味が分かりやすくて怖い話……」

 厄ネタのオンパレード。彼はうんざりとした表情をしている。けれど一方の少女は小さく微笑んで、尚も言葉を重ねる。

「……正直、気乗りしないでしょ」

「まあ、少なくとも積極的に入店したいとは思わないかな。猫には興味あるけど他がノイジーというか」

「その認識をひっくり返す、魔法の言葉があるから──教えてあげる。特別にね」

 少しだけ楽しそうに。

 揶揄うように。

 少しだけ打ち解けた少女は、言う。

「この店、黒舘ハルナが何回も来店してる」

「行こうか」

 ──そう言うと思った。

 彼女はやはり悪戯っぽく笑って、そうして、するりと引き抜いた腕で、彼の手を取った。

 

 ▲▼▲

 

「あら。これは珍しい。シャーレの先生ではないですか」

 出迎えたのは、白髪の少女。人を蕩かすような、心地の良い低音の声。

 そして──妙に高貴な雰囲気を漂わせている彼女を中心に、取り囲むかのように円形にずらりと整列した猫たち。

「それから、そちらの方は?」

「……鬼方カヨコ。所属はゲヘナ」

「ハルナ嬢と同じですね」

 店主はうんうんと頷き、今しがた座っていたカウンターから滑り降りるように飛び降りると、手を払う。

「……店前でいちゃいちゃとされていたことについては、一旦置いておきましょう。先生は何用でここまで足を運んだのか、それが大事ですね? お客として扱ってもよろしいのですか?」

 先生と慕われる彼だが、キヴォトスの生徒全員の顔と名前を把握しているわけではない。白い光輪を頭の上に浮かべた彼女もその一例だった。

「……ええ。カヨコに誘われたもので」

「……へえ。猫はお好きなのですか?」

「それは勿論」

「意外な趣味。嬉しいですね、突然の邂逅と意気投合」

「まあ、分かりますが」

 いまいち表情の変化が乏しい彼女の、質問とも尋問とも取れる言葉は続く。

「おや。何か警戒なさっていますか?」

「……そうではないんですが」

「もう少しフランクに関わってくださる方だと存じていたのですが……あくまで今日は一人の客として、ということなのでしょうか? まあ、良いでしょう」

 独特な気配。言葉の中身、拍子に滲み出ている要素があるということもないのに、何故だか受け手が勝手に威圧感を受け取ってしまう、そんな類の喋り方だ。独特な気配は物騒な裏側を幻視させている。冷や汗が、背中を伝う。

「なるほど」

 彼女が意味深に視線を逸らす間も、猫たちはじっとこちらを見ている。

 二対掛ける、十数の視線。引き込まれるようなキャッツアイ。身動ぎ一つ許さない、少しでも隙を見せれば首筋を抉られる、そんな確信が心臓を鷲掴みしていた。思えば、獅子も虎も豹も、肉食のケダモノの多くは猫科ではなかったか。

「……カヨコ?」

 ──その手を、握る感触があった。

 冷たくて、柔らかい。小さな掌。

「大丈夫。……ね?」

 いとも容易く、眼球の縛りが解けた。

 先刻までの緊張が嘘のように、後ろへ、カヨコの方へ、振り向いた。彼女は相変わらず落ち着いていて、少し呆れたように、下を向いている。

「……ありがとう」

「どういたしまして」

 その声色は、勘違いでなければ──幾分か、照れを内包していたように思う。

「カヨコは可愛いね」

「……うるさい」

 むす、とした頬を静かに撫でて、それからもう一度向き直る。

「貴方の名前は?」

「名乗るほどのものではありません。にゃんにゃんぱらだいすの店主、私を表す文字列はただそれだけなのですから」

「……ねこねこぱらだいすでは?」

 似ていると言えば──シスターフッドのそれに近いのか。

「そうでしたっけ。……なんだかそんな気がしてきましたね」

「なんだその適当さは」

 サクラコも、その素直さに反して、なかなか言葉を額面通りに受け取ってもらえないことが多い。

 誤解されやすい性質というのは、やはり受け手に問題があるのだろう。

「……というか、それはカヨコもそうだな」

「なんか、失礼なこと考えてない?」

「そんなことはないよ、多分」

 加えて。

 猫に向ける慈愛の視線。

 一人の教祖や天使──いや、修道女、が一番しっくりくる──のような、清潔な孤独。

 彼女のそんな姿は、聖なる教えを説く者の姿勢に重なるところがある。……ように、思う。

「ジェヴォル」

 そんな思考を遮ったのは、店主が手を叩いた音。

 にゃあ、と、猫のそれにしては低い鳴き声が聞こえた。それと同時──店の奥から一匹の猫がのそりのそりと現れて、二人の目の前で静かに鎮座。

 二人尻尾を揺らしながら、顔をその手で擦りながら。

「……デカくない?」

「あ、可愛い」

 微妙にズレた感想を述べ合いながら、二人の視線はその巨躯に一点集中。

 全長は目測でも、優に一メートルを超えているようにも見えるほどだった。

「……可愛い?」

「可愛いでしょ?」

 くわあ、と、欠伸の拍子に牙が見えた。

 スーツ姿の先生は、静かに自身の親指に視線をやる。

「……」

 多分、同じくらい。

「ほんとに猫なの、これ。どっちかって言うと小柄な虎なんじゃないの」

「もふもふだね」

「…………喰われる気がしない?」

「大人しそうだね」

 彼がカヨコのセンスを疑ったのは、これで実に二度目になる。一度目はヘビーメタルバンドのライブの時だ。感想は共通、肝が据わりすぎていて怖い。

「カヨコさんは猫を見る目がありますね」

「……まあ、それほどでも」

 ──そんな彼は、この空間だとマイノリティ側に所属しているらしい。

 属性の違う二人のダウナーが波長を合わせている中、取り残されている彼は静かに目を剥いていた。

「……良いでしょう」

 そこで、店主はそう言って歩み寄ってくると、軽々とした様子でジェヴォルと呼んだ猫を抱き上げた。

「ジェヴォルに認められたのなら、資格があるということです」

「あー、そういう奴……因みに資格が無いとどうなるんです?」

「ジェヴォルが噛みつきます」

「やっぱり喰われるんじゃないか」 

 恐怖を通り越して呆れ顔になった彼に、店主は反応を返さない。猶更怖い。

「良かった。じゃあ座ろうか」

「なんでそんな平然としてるの?」

 その手を引くカヨコも、負けず劣らず怖かった。

 

 ▲▼▲

 

「はい。パンケーキセット二つ、お待たせいたしました」

 猫に囲まれながら、待つこと十数分。

 カウンター奥の厨房から店主が持ってきたのは、二枚の皿──だけでは無かった。

「猫耳付きのカチューシャ、おまけです」

「……これを着けると、猫が寄ってくるみたいな話ですか?」

「は? 純粋に可愛い以外に意味が必要ですか? 私も付けますが?」

「脅し方が新手過ぎるって」

 猫の顔を象ったパンケーキよりも、焦点を当てざるを得ないモンスターアイテムだった。

「……で。カヨコさんも、どうぞ」

 あまり抵抗なく猫耳を生やした先生を見て少し見直したように満足な頷きを挟んだ後、彼女はもう一つを差し出す。

 店内に他の客がいないからか、それとも最初からそういう性質なのか、猫耳を生やした店主は隣から椅子を引っ張ってきて座っている。

「私は着けないよ」

「純粋に可愛いって」

「純粋に可愛いですよ」

「猫耳二人で結託しないで……」

「……カヨコさん。写真、先生と一緒に撮りたくないですか? 猫耳、お揃いですよ?」

「…………」

 

 猫耳三人が、猫に囲まれながらパンケーキを食していた。

「すごい口当たりが良い……甘さもなんか、上品と言うか……」

「流石、あの黒舘ハルナが認めるだけある……」

「ハルナ嬢はあのジェヴォルをブラッシングで宥めた唯一の女です。格が違いますよ」

 二人が目を輝かせる一方で、店主は自分の目の前にあるパンケーキを切り分けて、足元に群がる猫に無造作に与えていた。

「人間が何を食べようと別に構わないのですが、猫も食べられるものを作ろうとしたらどうしても味も拘りたくなって。気付けばここまでの出来になったのです」

「……怒られるかもしれないけど、猫にはひとかけらも渡せない……物欲し気に見られてるけど……」

「素直な誉め言葉として受け取っておきますよ」

「ジェヴォルちゃんはもう出てこないの?」

「カヨコさんはジェヴォルを随分と気に入ったのですね。ですがアレが出てくると他の猫が入ってこなくなるのですよ。それは面白くないでしょう?」

 ──そう。

 例外の一匹を除いて、この場の猫は、飼われている、管理されている、そういう都合とは一切関係のない猫たちだ。

 彼らは皆裏手の扉から勝手に入ってくる野良猫たち。

 その自由は全て彼ら自身に任されている。店主はただ気まぐれにやってくる猫に餌と風呂場を提供するだけ。

「この辺の猫は保護すらされないので」

 と、彼女は言う。

「合計、何匹くらいいるの」

「さあ。返す返すも私が管理しているわけではないので。見分けはついている自信はありますが、確認の方法も無いですし」

「……そっか。すごいね」

 カヨコは膝に乗った白い猫を撫でながら言う。

 彼女の足元には、数匹の猫が集まっていた。

「カヨコ、人気だね」

「先生は人気がないね」

「……そうだね」

 既にパンケーキの大部分を食べてしまった彼には、猫たちは興味を示さない。

 猫の興味は、いつになく機嫌の良いカヨコの方にしか無いようだ。

「人望はあっても猫望は無いようですね」

「なんてことを言うんだ」

「先生には私がいるでしょ。……ふふ、可愛いね」

「…………カヨコ……」

 目の前の彼女にすら軽くあしらわれ、何なら猫の背中を撫でる方を優先されてしまい、もう先生の心はボロボロの状態。最後の一切れとなったパンケーキを、死んだ目で見下ろして、苦悶の溜息を漏らしている。

 最早死に体だが、やはりカヨコは猫にお熱で、目線すらくれやしない。

「……おや」

 ──そうしてだらりと垂れた彼の腕に、擦り寄ってくる猫が一匹。

 にゃあ、と、その猫が小さく鳴く。

 すりすりと、頭を彼の手に擦り付ける。

「……この子は私の味方と見ても良いですか?」

「物好きな子ですね」

「だからなんてことを言うんだ」

 彼は口角を噛み殺しながら言って、静かにその猫の身体を抱き上げた。

 真っ黒で、小さな猫だった。

「……先生」

「見て見て、カヨコ。この子、私に懐いてる」

「見てるけど……なんていうか、……すごいね」

「……うん」

 彼がフォークを差し出すと、黒猫は控えめにパンケーキを食べ始めた。 

 その様子を映した彼の瞳が、誰の目にも明らかに、何よりも美しく光っている。

「可愛いな。……可愛いな」

 優しく抱き締める。

 純真に見上げる鼻先に、自身の鼻先を触れさせる。

「…………」

 彼は向かい側でガタンと机を揺らしたカヨコに気づかないまま、誰にも聞こえないほどに小さな声で、何かを語りかけ始めた。

 

 

「……なんだ。良い人なんですね」

「悪い人に見えてたの?」

 カヨコが問う。

 店主も自身の膝に猫を乗せ、静かに語る。

「いえ。しかしまあ……得てして猫は、愛に飢えている者にこそ擦り寄っていくものですから」

「愛に飢えてる?」

「ええ。……少なくとも、私にはそう見えましたよ」

 

 ──いやいや、そんな。

 色んな娘に懐かれてるのに。

 

「……」

「私見ですが──猫は自由を何より愛しています」

「そうだね。私もそう思うよ」

「猫に好かれるというのは、その自由すら超越するくらい、その心を動かすということです。それを成せる人種は二種類。同類と思われるか、猫にすら憐れまれるか、です。私と貴方二人は同類でしょう。では、彼は?」

 彼に抱かれる黒猫は、とても大人しい。

 嫌がる様子も見せず、逆に彼の頬を舐めている。

「……」

「……ところで、先生は以前、猫を飼っていらっしゃったのですか?」

「いや、飼ってなかったらしいけど。どうしたの?」

「いえ、失礼しました。そんな気がしたので。なんというか……猫の形に虚がある人間の所作に似ているのですよ」

「……」

 

 けれど、……そうかもしれない。

 きっと、彼はいろんな人に好かれているのかもしれないけれど、

 それと同時に、それ以上に、彼は周りの全てを愛しているものだから、

 

 収支がマイナスで、出て行くばかりなのか。

 だから、渇いて、飢えて、

 一度愛したものを手放したくないのか。

 

 ああ。

 やっぱりそうなんだ。

 貴方はやっぱり寂しがりで。

 猫に縋るくらい、愛されたくて。

 猫が束縛されるくらいに重たくて。

 

 

 ──じゃあ、どうして。

 先生、貴方は。

 

 

「また来てください。サービスしますよ」

 定位置なのか、カウンターの上に座ったまま手を振って、彼女は二人を見送った。

 どうやら、店主本人も気に入ってくれたらしい。カメラロールには猫耳を生やした少女二人と大人が一人、計三人の姿を映した画像が幾つも増えた。

「……結局名前聞きそびれたな。何処の所属なんだろう」

「さあ……ゲヘナでは無いのは確かだけど」

「羽があった訳じゃ無いからトリニティでもないよね。……でもシスターフッドっぽくもあったなあ」

 

「じゃあ、私はこっちね。また明日」

「……うん」

 

 ──昼休みが終わると、彼は仕事に戻ってゆく。

 今日のデートも、もっと先生と一緒にいたくて、たまたま先生が近くで用事があったから、無理を承知で連れ出しただけ。あまり長い時間は使わせてもらえない。言葉の上だけで交わした関係は、……少しだけ、寂しい。

 

「……先生」

 

 気付けば、私は声を出していた。

 彼は振り返った。

 猫耳は、──もう外している。

 

「……好きだよ」

 

「……ありがとう」

 

 彼は、照れたように笑った。

 そしてそのまま、人混みへ消えて行った。

 

「あ。先生、おかえり」

「ただいま、…………ただいま?」

 分かりやすく、彼は私の方を二度見したのだろう。

 体勢的にも、部屋の明るさ的にも、彼の様子は何一つとして分からない。ただ唯一聞こえる彼の声には、内心を察してあまりあるほどの困惑が滲んでいた。

「……え?」

「遅かったね。夜ご飯はもう食べたよね、多分」

「そう……だけど? ん?」

 出迎えた私の声は、もうとっくに芯の無いものになっている。

 正直、もう眠たい。……寝てしまう前に帰ってきてくれて、よかった。

「……じゃあ明日に備えて、もうお風呂入って寝たほうがいいよね」

「カヨコ? カヨコだよね?」

「そうだよ。よく分かったね」

 既に時刻は午前一時。

 光とは無縁の小さな部屋の中に、呼吸は二つ。

「……なんで入れたの?」

「場所を知ってる理由は聞かないんだ?」

「そうだね、その程度はもう驚く要素足り得ないからね」

「……先生も大変だね」

「今カヨコは同レベルだからね?」

「……いいでしょ? 私は先生の恋人なんだから」

 

 私は、ガールフレンドと言う意味での「彼女」という言葉が好きじゃない。なんだか他人行儀だし、……「彼の女」って意味なら、悪くないとは少し思うけど。

 恋人の方が、よっぽど素敵だ。

 彼に恋をした訳ではないけれど。

 

「……寂しくてここまで来たの?」

「うん」

 

 からかうような口ぶり。

 でも、それが結局一番正しいことだから、否定のしようがない。

 

「……わがままだけど、……寂しいって、思ったの」

「そっか」

 

「一緒にお風呂入ろっか」

「うん」

 彼は私に手を伸ばした。

 その手を取って、歩いて行った。

 

「……狭いね」

「悪くないよ」

 彼の言う通り手狭な浴槽だけれど、その分だけ彼を近くに感じられるから、本当は悪くないどころか、とても気分が良い。

 そもそも彼だってあんまり筋肉質じゃないから、気にしなくたっていいくらいではあるし。

「……触りすぎじゃない?」

「そう?」

 今はバックハグみたいな要領で、彼の背中から胴へ手を回している。

 彼のお腹や胸を撫でると、彼の反応が可愛くって、ついつい手が動く。

 

「……ねえ、カヨコ」

 一つの沈黙を挟んで、彼は言う。

「私があの黒猫と遊んでる時さ」

「うん」

「ちょっとだけ妬いてなかった?」

「……そうだね」

 図星。……指摘されるのは、少し恥ずかしい。

 けれど、わざわざ隠す意味も無い。寂しいって言えてしまった以上は、無敵だ。他なら何でも言える。

「カヨコも私を放って猫撫でてたでしょ」

「鼻ちゅーしてたでしょ」

「鼻ちゅーくらい良いでしょ」

「頬も舐められてさ」

「……良いでしょ、それくらい」

 

 ちゃぷ、と、水面が揺れる。

 彼も私も、どちらも黙ったままでいる。

 

「……ねえ。白猫は、嫌い?」

「好きだよ、猫は大体。私のことが好きな猫は、尚更」

「そうなんだ。……じゃあ、私のことも好きだね」

「カヨコが猫だと思ったことはないけど……」

 耳元で囁く。

 彼が首を回してこちらを向いたから、その鼻先に私の鼻先を触れさせる。

「今日言われたんだけどね。猫に好かれるのって、猫に似てるか、猫が可哀想って思うくらい愛されたい人らしいよ」

 

「私がそうだったみたいに、……先生もずっと寂しかったんだね」

「……私は平気だよ」

「ただの生徒だったら、それで納得してあげられたんだろうけど──私は先生の恋人だよ。……先生のこと、愛してる、から」

 

 何度でも抱き締めて、愛してるって言って。

 もう貴方の傍にはいられない黒猫と、

 いつも貴方の傍にはいられない黒猫の代わりに、

 

 寄り添って、傍にいて、抱き締めることができたらいいのに。

 

「……カヨコ」

「何? ……お礼は要らないよ」

「いや、胸、……当たってるっていうか」

「私のヴァージン奪っておいてよく言うよ」

「やめなさい」

 

 私の薄い胸にも興奮している彼が、そこにはいる。

 私はそれだけで、ちょっと嬉しい。

 

 ▲▼▲

 

「……髪切ろうかな」

「なんで。可愛いよ?」

「手入れが面倒なの」

 

 鏡面を目の前に髪を乾かす私の隣で、彼は何をするでもなく、肩に頭を載せている。

 

「どんな髪型にするの?」

「そうだね。……ウルフカットとか、可愛いんじゃないかな」

「カヨコがするなら私も同じのにしようかな」

「……匂わせみたいになるからやめてよ」

 

「あのカチューシャ、明日から着けて生活しようよ」

「馬鹿すぎるでしょ、見た目」

 

「便利屋の仕事は最近どう?」

「相変わらず。でも、楽しいよ」

「それは良かった」

 

「最近は帰ったらずっと一人だったから」

 

「カヨコがいてくれて、嬉しい」

 

「そっか」

「夜はどうしてもテンションが下がるからね」

「……そうだね。分かるよ」

 

 先生はきっと、昼間に生徒の前でいるときは妙にテンションが高い。

 それが素では無いとは思わない。けれどそれよりも、こうしている時の方がきっと、心根を晒している。

 

「ねえ、先生」

「なに?」

「同棲しない?」

 

 

 

 

 

「いいよ」

「じゃあ、どこかで合鍵作りに行こうか」

「……ここでいい? どこか広いところに引っ越した方がいい?」

「そんなお金無いでしょ」

「……返す言葉も無いよ」

 

 彼を待って、一緒にご飯を食べたり、お風呂に入ったり、同じ布団で寝たり──そういう生活があればいいなって。

 それはずっと後になると思っていた。けれど、彼は寂しがりだから、その予定を早めるのも仕方がない。

 

「先生、……先生?」

「……かよこ」

「眠たい?」

「まだ、大丈夫……」

「大丈夫じゃないよ、それ」

 

 彼の肩を抱き寄せる。

 彼の側頭部と私の側頭部をこつんと触れさせる。

 眠気で暖かくなった身体は、冷たい私を焦がしている。

 

 手を止める。

 彼が、細めた横目で私を見ている。

 猫が、……私ですら可哀想に、可愛いと思えるくらいに、媚びて、尻尾を振って、喉を鳴らして、愛して欲しいと告げる潤んだ眼。

 疎ましい他者との関係。誰かへの迎合。私はそれを嫌っているのに、なのに貴方には束縛されていたくて、貴方の傍にいることを選んでいたい。そう思えてしまう。

 私が貴方を愛しているのは、そういう理由。

 

 

「ねえ、先生」

「何?」

「……ずっと聞きたかったの」

 

「私のどこがすきなの?」

 

 だから、知りたかった。

 そんな貴方が、……淡白な私を選んだ理由を。

 

 もし私が貴方なら、私を選ばない。

 そう思うから。 

 

「顔」

「ねえ」

「声」

「……怒るよ」

「『後悔はしないであげて』」

 

「良い言葉だったよ。あの時、私は、その言葉をくれたカヨコを心から尊敬した。カヨコがそう言ってくれなかったら、私はきっと今日もぐじぐじしてたんだと思う。……カヨコが思う以上に、私はカヨコに救われた」

 

「ありがとう、カヨコ。私を愛してくれて。……私に、愛させてくれて」

 

 

 

 

 

 そっか。

 あの日──先生は、慰められたかったんだっけ。

  

 

「猫の形をした、虚」

「?」

 

 私がそれを埋めてしまったから。

 ああ、きっと──先生は私が居なきゃ生きられないんだろう。

 

「仕方ないな。……私が先生の猫になってあげるね」

「意味分かんないけど。……いいよ、いっぱい可愛がってあげる。おいで子猫ちゃん」

「…………」

「照れてるのか引いてるのかどっち?」

「どっちも」

「どっちもなんだ……」

 

 ──その後、普通に目が冴えて寝られなかったから、しょうがなくいっぱい可愛がってもらった。

 しょうがなく、ね。

 

 ▲▼▲

 

「おはよう、先生」

「おはよう。良い夢見れた?」

「んん……覚えてない。先生は?」

「私はね、黒猫二匹とカヨコと一緒に暮らす夢を見たよ」

 

 先生の愛情は多分、重い。

 

「……そっか」

 

 そういうところが可愛らしくて、

 一緒に居てあげたくて、

 きっと、私と似てる。

 

「やっぱり私は、カヨコが好きだよ」

「うん」

「だからどこが好きとか聞かなくても、大丈夫。心配しなくても良いからね」

「……違うよ。そういうのじゃない」

「……それはそれで寂しいんだよね」

「面倒くさいよ」

 

 

 だから、貴方の傍は心地良い。

 そういうところを、私は愛してるよ。先生。

 

 




前話の続きです。
前話で描写しきれなかった、先生がどうしてカヨコに惚れたのかに焦点を当てた内容になっています。
評価、感想、お待ちしております。
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