「どうしてママには角が生えてるの?」
5歳になったトロエが繰り出した疑問。
いずれは来ると思っていたが、思ったよりも早く来たなと思いました。
(聞きに来たのが俺で良かった)
もしリープなら『魔族だよ』と答えて。『魔族? う~ん、人を喰う化け物?』とでも言いかねない。
まあ、子供心に頼りないと見抜かれているのか、質問をしているところは見たことがない。だからあまり危惧はしていなかったが。
それはさておき。用意していた回答を口にしよう。
「ママはね、凄い魔法使いなんだよ」
嘘はついていない。これからつくけど。
「魔法使い、どんな人か知ってる?」
「えっとね。おひげがぶわっ!てなってて、おっきなお帽子を被ってるの!あとね、すっごくふわふわしてるんだよ!」
ふわふわ? いや気になるがスルーだ。
「魔法使いは何を持ってるかな?」
「えっとねえ、ん~とね......つえ! おっきいつえ!」
「そうだね! ママもね、杖を持ってるんだよ」
「え~見たこと......」頭に指を立てて誘導してみる。「あ、角! ママの角がつえなんだ!」
一先ずはこれで良し。そのうちバレるが、大きくなれば受け止められるだろう。魔族については。
「あ、ママ!」
扉の開閉音と共に、トロエが走り出した。洗濯を終えたリープが、折よく戻ってきたようだ。
「ママ! 魔法見せて! 魔法!」
「え、魔法?」
状況を把握していないリープが視線で助けを求めてきた。
「見た目の良い魔法を見せてあげてくれ」
曖昧な顔は状況把握が叶わなかったのが見てとれるが、言う通りに行動する事に決めたようだ。リープは指で輪っかを作り、息を吹きかけた。するとシャボン玉がふわふわと漂い出したのである。
魔法で洗剤を張ったのだろうが、これが魔法かというと疑問が残る。
「ち~が~う~の~!!!」
「? シャボン玉好きじゃなかったっけ?」
案の定顰蹙を買った。
「パパ」リープのさっきと同じ視線。すかさず答える。
「派手な感じでやれないか?」
「むぅ……」
リープは渋々といった様子で魔法を唱え直した。
「溶解液を出す魔法」
彼女の周囲に、光沢のある液体が輪になって浮き始めた。液体金属。水銀だろう。
(危ないな。でも派手だとこうなるか)
水銀は形を変え☆や♡のような単純な記号から、複雑な造形へと変わっていく。
「ねこさんだーーー!!!」
トロエは猫が気に入ったとリープも判断したのだろう。変形を止め、猫が宙を舞うような操作を開始した。
こなれてきたリープは猫に球乗りさせてみたり、二足歩行で漂わせ、人がするようなお辞儀をさせて魅せた。
芸をするたびにトロエは歓声を上げ、興奮して触ろうとする彼女を抑えるのに苦労した。流石に水銀に触らせるわけにもいかない。
こうして、トロエへの誤魔化しは大成功で終えたのであった。
*
「何それ、誤魔化す必要あったの?」
「もちろん」
無邪気にけたけたと笑い声を上げるリープに、冒頭の話をする。
トロエを寝かしつけ、2人向かい合って座る。彼女と自分のグラスに深紅のワインを注ぎ、静かに持ち上げた。
グラスを軽く触れ合わせ、済んだ音を響き渡らせる。
「ふふ……」
「楽しそうだな、飲まないのに」
「うん、お酒はあんまり好きじゃないけど、今のは好き」
彼女は自分のグラスを俺の口に運び、強引に飲ませる。
「私が好きなのはこっち」
リープは膝に座り、おもむろに唇を奪った。彼女は口内に残ったワインを舐め取り、舌を甘く噛んだ。食感を楽しむように、何度も何度も歯を動かす。
一通り堪能し終えたのだろう。最後に唇を舐め、言った。
「ねえ、久しぶりに、良いでしょ?」
トロエが来てからは、掛かりっきりでそういった行為は減っていった。
彼女は大層不満な様子で、時に殺気立っていたことすらあったのだ。
「後悔してる?」
「全然」
「なら良かった」
トロエも手の掛かる時期を超えたし、これからはもう少しリープに割く時間を増やせそうだ。
なのでさっそく彼女の胸に手を添えた。
「きゃ……! も~やめてよ~」
「にやけながら文句言ってもな~」
そろそろ服を「パパ? ママ?」中断した。
「トロエもおいでぇ」
「あ」
「? うん」
呼び声に応じ、とてとてと軽やかにトロエは歩いてきてしまった。これ以上良からぬことを口走りそうな口は塞いでおく。
「何してるの?」
「ママとお酒飲んでたんだ。トロエもジュース飲む?」
「いいの!?」
「いいよぉ。一緒に地下に取りに行こーな」
もごもごと何やら文句を言いたげなリープに耳打ちする。「えっちはトロエが見てない時にな」
手を退けると案の定リープは「また?」「なんで」と口を尖らせた。
「子供に見せるもんじゃないから。頼むからこれで納得してくれって」
「む~……」
「パパ! 早く!」
「はいはい」
まだむくれているリープを抱きかかえたまま、階段を先に降りる。"明かりを灯す魔法"を使う必要があるからだ。
魔法の光をじっと眺めていたトロエに声を掛ける「トロエ?」。トロエはハッとして言った。
「ママ、トロエも魔法使いたい」
「ん、いいよ」
「魔法教えるの?」
「駄目だった?」
「いや、良いと思うよ。この辺も安全じゃないし」
魔法の手ほどきは俺で経験済みだし、10年もあれば形になるだろう。
「明日から頑張れよ」
「うん!」
ジュースを両手で持ちながら、トロエは元気よく答えた。
そして翌朝、トロエは誰よりも早く起きたのである。
「ママ! 起きて!」
「う~ん、今寝たばっかなのにぃ」
文句を垂れながらもベッドから這い出てくるリープ。寝ぼけながら、トロエに急かされながら朝食を食べ終え、顔を洗ったあたりでようやく目を覚ましたようである。
2人は対面に座り、魔法のお勉強が始まった。事前にどう進めるかは聞いていたが、やはり不安が勝ったので、初日は見学することにした。
「じゃあまずは魔力を感じるところからだね」
「こっち来て」リープはトロエを抱き寄せた。
「溶解液を出す魔法」
魔力の流れを作り出し、体感させるのが狙いの魔法である。生産したのは水。リープは周囲に浮かべるだけに留めていた。
「分かった?」
分かるわけない。
「分かった!」
分かるんだ……。天才か?
「じゃあ次は――」
こうして、トロエは随分と魔法に魅了されたようで、のめり込んでいったのである。
残念ながらトロエが最も使いたがっていた、溶解液を出す魔法は習得が叶わないようだったが。
あれは人間では知覚し得ない精度の、物質への理解が求められるらしい。それでも熱意は失わなかったのだから大したものだ。
日増しに魔法の腕を高めていくトロエ。そして彼女が15を少し過ぎた時、こう言い始めたのである。これを言った彼女は幾分か緊張しているようだった。
「わたし旅をしようと思う」
いわく自分の実力を試したい。パパとママ相手じゃ良く分からない、とのこと。
(どっかで聞いた理由だな)
しかし以前と違い、それが表向きの理由でしかないことは理解できた。
(何時までも、ここに閉じこもってるのは嫌だよな)
何度か町に連れて行ったことはある。彼女が外の世界に目を輝かせ、あれこれ質問を投げかけてきたのを、ほかならぬ俺自身が良く知っている。
トロエが自立する日。いつかこういう日が来ることは分かっていた。その日まで健やかに育て、そして
(あ~。じゃあ魔族についても話さなきゃだよなあ)
必然過去に埋めた爆弾、秘密の1つも何とかしなきゃいけないようだ。気が重くなるのを気合で防ぎ、努めて明るい口調で言った。
「魔族についてなんだけど……」
「あ、ママが魔族って話? あんな子供騙し何時までも信じてる訳ないじゃん?」
「……あ、そう」
「角が杖って」とトロエは笑いを堪えきれない様子でくすくすと笑い出した。笑い事ではない。だけれどそれを指摘する気力はなかった。
「あーおもろ。でも意外だな」
トロエはひとしきり笑い終え、緊張もほぐれたか、実にリラックスした様子だった。
そんな彼女の様子に、確かに救われたと思う。ひっそりと深呼吸し、波打つ心臓を落ち着かせる。
「パパは反対するかと思ってた」
ここからはもう雑談みたいなものだ。口は軽やかに動いた。
「そんな気難しい感じだったか?」
「う~ん、というか、過保護?」
「基準がおかしいってそれは」
リープは「へぇ~」とか、「ふ~ん」とか、「いってらっしゃい」とか。とにかく適当なので、何度か肝を冷やしたことがある。
あれは3年前の事だ。
トロエの姿が見えないのに気がついて、リープに所在を確かめたことがある。
彼女は生クリームを泡立てながら、
「竜の巣に行ってくるって」
のんきに手を動かし続けていたのである。カチャカチャと。
ドラゴンと追いかけっこしているトロエを保護できたのは、不幸中の幸いだった。身のこなし方も教えていて本当に良かったと思う。
「あれも3年前か」
「あ”!(高音) その話はやめろ!」
トロエさん顔を真っ赤にさせながらの右フック。彼女のあまりの慌てっぷりに、少しからかいたくなってきた。
「そんなへなちょこパンチで旅できんの?」
「うっさいな。魔法使いだからいいの!」
そう言ってトロエは
「水を操る魔法」
人間では魔族の魔法は使えない。
だからトロエはダウングレードした魔法を扱うことにしたのだ。水のみに限定し、魔力の消費を抑えるため、自らが生み出した水以外を操作するよう調整した。
彼女が水筒から取り出した水は青色に着色されていた。魅せ技の側面が強いのである。繊細さを重点に修練してきたが……
(ん? 大丈夫か?)
戦いはもっと大雑把で良い。美麗さより泥臭さ。勝ち筋は考えられているのか? どうしよう不安になってきた。
「ちょっと、戦い方について考えてみようか」
「は?」
それから半年間。不貞腐れトロエをなだめつつ戦略を詰めていった。
基礎から変える気はない。あくまでトロエの魔法を軸に、有効な戦略を考えていった。
昔リープが主力にしていた、高圧での射出が切り札で良いだろう。普段使い用の、持続性を意識した、水を保持しながらの戦い方を考える必要がありそうだ。
これは魔法の専門家に相談した方が良い。
「私?」
リープならどうするかと言うと。
実演のために3人揃って外に出る。リープは昔畑から掘り出した、巨大な岩を指差した。
その岩を丸々水で覆い、水圧で圧し潰したのである。
「こんな感じかな」
「出来そう?」
「う~ん」
駄目そう。
トロエは繊細な技術の方が得意なので、そっちで考えるべきだろう。ふと名案が浮かんだ。
「隙を見て肺に水を流し込もう」
「え、こわ」
「めんどくさくない?」
結局水を手元に保持し、武器と同じ要領で振るう事になった。勢いを付けて叩きつける……ハンマー?
まあ、悪くはないだろう。狼型の魔物を一撃でノックダウンさせる程度。威力は十分である。当て勘もそれなりにあるようだ。
そして出立の前日、大きなケーキを作り「わたしそれで喜ぶ年じゃないけど」門出を祝った。
トロエは白銀に輝く蜘蛛糸のマントを纏っている。これはシルクのようでいて、並の武器では傷1つ付けられない優れたマントだ。更に脚や胸部には、蜘蛛糸よりも遥かに丈夫な、バジリスクの蛇革が急所を保護している。そして手には幼少の頃より共に在った杉から拝借した、魔法の杖が握られていた。
旅支度を終えたトロエに声を掛ける。
「町まで一緒に行くか?」
「いい」
「お弁当を」
「いい」
「あ、杖の補修「いいって!」
「心配し過ぎじゃない?」リープはそう言うが、いや確かに彼女の言う通りかもしれない。いやでも。
「いってらっしゃい。気を付けてね」
「うんママ、行ってきます。パパも! 行ってきます」
「あ、ああ。行ってらっしゃい」
こうして、旅立つ彼女の背を見送った。晴れやかな空模様だが、朝露が残り、地面はまだぬかるんでいた。日陰には霜柱が残ってさえいる。
肌寒い風がさっと吹いた。鳥肌が立ち、思わずリープと身を寄せ合った。
それでも遠ざかっていくトロエの背を、いつまでも眺め続けていたのである。