トロエとフォージの関係を認め、晴れて2人は夫婦となった。
とはいえ二夜連続での晩餐会は行われなかった。昨夜の再会を祝しての食事と、まとめてしまおうという運びになった。
しかしまあ、2人の関係は当然手紙で知っていたのだし、来ることも分かっていたのだから、プレゼントもまた、当然用意してあった。
「まだ旅を続けるんだろ?」
頷くトロエに魔法の本を渡す。分厚い緑の装丁で、表紙には白い地図とコンパスのシルエットが描かれている。
「これは?」
「無限にページが増える魔法の本だよ。日記付けてるんだろ?」
「おー……便利じゃんか。ありがとう」
続いてフォージにも魔道具を渡す。銀のブレスレットで、ツタが巻きついたような彫刻が施されている。
「治癒能力を強化するブレスレットだ。前衛ならこういうのが役立つだろ?」
「凄っ、ありがとうございます……! 流石
感嘆するフォージに、トロエは「あ!」と大声を上げた。
「そう! マントとか鎧とか、オーバーパワー過ぎて色々大変だったんだからね!」
ぎゃー、とトロエは騒ぎ立てた。王族と勘違いされたやら。やたら盗っ人に会うとか。
確かに時代にそぐわない性能だったかもしれないが、命には変えられないだろう。
トロエも理解しているのだろうが、それでも文句は言っておきたかったらしい。緩くなだめるフォージにも攻撃の矛先を向け、10分ほど騒いだところでようやく落ち着いた。
しかし、からかいたくなる気持ちを抑えられそうもなかった。
「じゃあ今あげたのも上手に隠さなきゃな」
「この……! はぁ~~~」
トロエはひと際大きな溜息をついた。
「まあ、有難く頂きますがね。あと近いうちにまた顔出すから」
「今度は他の仲間も連れてね」とトロエは言った。
そろそろ別れの時が来たのだろう。場は少しだけしんみりした。
「トロエ」
そしてリープがトロエに杖を渡した。リープは穏やかに微笑んでいる。
「この杖」
トロエは杖を受け取ると、昔を懐かしむように目を細めた。その杖は彼女が旅立った時の、在りし日の杖に瓜二つだったからだ。
「同じ杉から切り出しておいたよ。これが好きなんでしょ?」
「ズレてるなあ……」トロエはそう言うが、非難する調子ではなく温かみのある言葉だった。「でもありがとう。頑張るよ」声は小さく、震えていた。そして背を向け走り出す。10歩ほど進んだ後、振り返りこう言った。
「じゃーねーーー!!!」
トロエは誤魔化すように、大きな声で別れを告げた。
フォージも「お世話になりました。お元気で」とこちらは礼儀正しく別れを告げた。
2人が去った後、リープが呟いた。
「前より幼くなってなかった?」
「素直になったんだよ。それも成長さ」
俺の声は、我ながら随分優しかった。
――それから、宣言通り2人は定期的に家を訪れた。孫を連れてきた時は心臓が止まるかと思ったし、2人目を連れてきた時なんて、もうどうにかなってしまいそうだった。
リープも孫と遊ぶのが好きなようで、トロエの時以上に構っていた。
しかし子供の成長につれ、訪れる頻度は落ちていった。数年に一度の再会で、子供の成長の早さに驚かされた。リープは子供が大きくなっても、小さな子に接するように振る舞っていた。これではまるで本物のおばあさんのようだ。
ひ孫が出来た。孫は遠方に住んでいるため、中々会う機会は無いが。リープの問題さえ無いのなら、こちらから出向くことが出来るが、贅沢な悩みだと思って諦めようと、無為な思考を追い払った。リープはぼんやりする事が増えているように思えた。気のせいかもしれないが。
フォージが死んだらしい。病気だというが、年を考えれば仕方がない。トロエは我が家に住むことになった。孫に世話をさせるより、こちらで面倒を見た方が良いだろう。老いた子の面倒を気兼ねなく見られるのは、不死の特権だ。久しぶりの3人の暮らしに、リープは生き生きとしていた。
だがトロエの命もそう長くないだろう。別れの時が来たら、笑顔で見送ろうとリープと決め合った。
*
命の灯が消えゆくのを自覚した。トロエという名の老婆は、自らの死期を悟ったのだ。
走馬灯のように、自らの人生を振り返る。
不老不死の父親と、魔族の母に育てられた。
魔法を学び旅に出て、数多くのダンジョン、魔物、そして魔族に挑み打ち勝った。
出会いに恵まれた。フォージと結ばれ、子供たちを愛した。
――――そして今、人生の終わりを故郷で迎えようとしている。
(数奇な人生だった。最高のアガリね)
後悔など無かった。だが、たった1つだけ、心残りがあったのだ。
(わたしは父と母の、本当の娘ではない)
少し考えてみれば、当然の帰結だった。
何せトロエは魔族ではない。純粋な人間である。父は兎も角、母が産みの親である筈がなかった。
それとなく父に尋ねた事がある。自らの出自について。
その時父はほんの一瞬だが、罰の悪そうな顔をした。すぐさま笑顔という仮面に隠れてしまったが、後ろ暗い背景があることは明らかだった。
そして魔族の生態は、旅の中で嫌という程理解させられていた。
……だがそれも疑惑。真実に蓋をすることも出来た。
しかしわたしは町で聞き込みを行った。そして雑貨屋の老人が、わたしの真実を話してくれたのだ。
「お節介かもしれないけどねぇ。お父さんも話しづらい事でしょうし。あんたもいい大人なんだから、知っておいた方がいいでしょう」
そう言って、わたしの生家があった場所と、そこで何があったのかを教えてくれたのだ。
真実を知った。顔も名前も知らぬ両親の悲劇を知ったのだ。
(今更、恨み事なんて垂れる気はないけどね)
恨みを持つには、あまりにも多くの愛を受け取り過ぎた。
だからこれはわたしが、墓場まで持っていく秘密である。
(でも何もしないのは、不誠実よねえ)
「母さん」
枯れ切った喉を震わせ母を呼んだ。既に起き上がる力もない。老いに犯されきった我が身はもう眠ることしか出来ず、そしてこの強烈な睡魔が、死をもたらすことも直感してしまったのである。
「どうしたの? トロエ」
母はいつまでも若く、美しいままだった。
魔族という種はただの魔物ではない。その衰えることない美を以って人を魅了し、時に死すら生ぬるい悲劇を作ることもあった。
一つの王国があった。
かの国の女王は国一番の美女であったという。
だが人の美貌は永遠ではないのだ。日に日に衰え、損なわれていく美しさに女王は絶望した。それを見かねた家臣の1人が、不老不死の魔法に大きな懸賞を掛けたのである。
多くの者が挑んだが、誰一人として至らなかった。遂に女王が失意の底に沈もうとした時、ある者がこう言った。
「魔族というのは、永遠の美貌を持つらしい」
女王は直ぐに魔族の捕獲令を出し、数体の魔族が捕らえられた。その際多くの犠牲が出て、女王は大層心を痛めたという。
捕らえた魔族のうちの一体がこう言った。その魔族は格段に美しく、まるで若き日の女王のようであったという。
「永遠の若さが欲しいのね? 教えてあげる」
女王はその美しい魔族を檻から出した。枷も外すよう言った魔族に対し、女王は決して応じなかった。遂に説得を諦めた魔族は、観念してこう言ったのである。
「人を食べれば良いのよ。私達は人を喰うことで、その命を吸収し、永遠の若さを保っているの」
女王は、それはできないと諦めようとした。しかし魔族の巧みな話術によって、遂に罪人ならばと受け入れたのである。
料理人が何度も嘔吐し作り終えたその料理は、酷い出来だった。女王は何度も喉をつかえさせたが、死に物狂いで完食した。すると何という事であろうか。確かに女王は若返ったのである。
だがその若さも長くは持たず、魔族の甘言により女王は再度罪人を処刑し、その肉を喰らった。しかしその若返りは、先と比べて明らかに短かった。
「弱っていたのよ。健康な人間を食べないと」
健康な罪人など居なかった。牢の中で弱り切った彼らでは、美貌を保つことができないと女王は絶望した。その女王の様子に、魔族は心底不思議がって尋ねた。
「どうしてわざわざ罪人を食べるの? もっと若く、健康的な人間が大勢いるでしょう?」
罪のない者をどうして殺せようか。だが魔族はやはり疑問を口にした。
「貴女は女王でしょう? なら国の者は貴女の物じゃない。何を遠慮する必要があるのかしら。躊躇っていたら――」
そう言って、魔族は鏡を指差した。そこに居たのは、何という醜い老婆だろうか!
タガが外れた瞬間だった。
女王は適当な若者を捕らえ、適当な罪で処刑し、そして喰らった。
鏡に映った姿の何と美しいことか!
捕らえ、殺し、喰い。何度も何度も女王は外道を繰り返した。もはや国の事など頭に無かった。あるのは美しい我が身だけ。
そして、決起した国民に女王は捕らえられ、彼女を唆した魔族は、動乱に紛れ姿を消していた。
その後処刑台に登った女王の姿は、かつて鏡に映った醜い老婆そのものであったという。
魔族の恐ろしさを伝える物語である。
だがこの物語には、1つ大きな誤りがある。
(永遠では、ない)
魔族は決して永遠を生きる者ではないのだ。
「初めの違和感は、息切れでした」
「うん?」
怪訝な声を上げたが、耳を傾けるようだ。リープの顔には変わらず笑顔が張り付いていた。
「思ったよりも、長く走れないのです。疲れが溜まっている訳ではありません。次第に日常的な動作でも、息が上がるようになりました」
「体も固くなっていきます。肩が上がらなくなり、関節も痛み始めるのです」
「食欲も無くなって来ましたね。以前ほどには食べられないばかりか、消化の悪い物は、胃が受け付けなくなってくるのです」
ひと息に話したせいで、疲れてしまった。だが、ここで終わるわけにはいかない。
最後の力を振り絞り、言葉を続ける。
「母さん、心当たりはありませんか?」
しわに覆われた指をリープの美しい指に重ねる。その指がピクリと震えた。
震えたのは指だけではない。リープの口元は、震えわなないていた。貼り付けた笑顔の仮面に、ひびが入る。
「魔族には、寿命がある」
口にした特徴は、老化の表れである。
リープには心当たりがあったのだ。しかし彼女は外見だけは変わらないため、それが老化であるという事実を自覚できていなかった。
今、違和感が確かな形になって、彼女を襲い始めたのだ。
「わたしと母さんの間に別れがあるように、父さんと母さんにも、別れがある」
そして老化による衰えがもたらす最も大きな影響、死の恐怖がリープに突きつけられた。
もはや笑顔の仮面など跡形もない。彼女の顔は絶望に染まり切り、生気を失っていた。
「先に、無に帰ります。どうかお元気で」
これにて、産みの親への義理立てが完了した。
――――ああ、だからこそ、願わくば。
(どうか母に、安らかな眠りが訪れますように)
トロエがこの世を去ってから100年後。
それはゼイゲンとリープが出逢ってから、約3000年後のことである。
リープがゼイゲンの前から、姿を消した。