焦りが全身を焼き焦がす。
トロエの言葉により、私は自らの命に限りがあると知った。
全ての生物に課せられた運命。しかし私は否定する。
(――――――ゼイゲン)
私の愛。私の愛しい人。
彼の燃えるような赤い髪は、太陽のように煌めく神聖さで、しかし手を通すと少しだけ引っかかる癖毛が、なんとも愛らしい。
高い背に全身を覆う筋肉、それはあらゆる彫像よりも美しく、力強さと優雅さを同時に感じられた。
透き通った青い瞳はどんな事でも見通してしまうかのようで、何度も心を震わされた。
彼の低い落ち着いた声は、まるで心に直接語りかけてくるようだった。その声を聞くだけで不安や心配事がすっと消え、心が穏やかになった。
彼の存在は、まるで冬の寒さから守ってくれる暖炉の火のようだ。
その温かさは私を優しく溶かしてくれる。
彼の愛は無条件で深く、純粋で、その愛に包まれることは、この世で感じられる最大の幸せだとすら思えた。
彼の為なら、私は何でも出来ると思えたのだ。
(でも、届かなかった)
不老不死の魔法。
彼の肉体に掛けられた特大の奇蹟。
私には届かなかった。恥を忍んで頼った人間にも、当然成し得なかった。
(……もっと)
もっと、もっと私に時間があれば、届いたかもしれないのに。
どうして私は3000年しか生きられないのだろうか。
後悔ばかりが募る。
もしも私が他の事に明け暮れず、不老不死に挑んでいれば、結果は違っていたのだろうか。
「ゼイゲン……」
呟きは、私の想定以上に部屋に響いた。
「どうした?」
彼の声が私の鼓膜を震わせる。こそばゆい思いがして、閉ざしていた目を見開いた。
寝室は、いつもと変わりないように思えた。
しかし良く見れば日に焼けたために色褪せ、小さな傷やへこみが随所に見られた。
でも、心配そうに私をのぞき込む彼は、何一つ変わらない。
彼の首に手を回し、力強く抱きついた。彼も私の腰に手を回し、柔らかく抱き寄せた。
「私、悔しいよ」
内心を吐露する。だって、もうどうすればいいか分からない。自然と涙が溢れてきた。
「私、何にもできない。何にも出来ず、私死んじゃうんだ」
彼は静かに私の髪を撫でた。いつもなら直ぐに落ち着く所作も、今は効果を示さなかった。
嗚咽の治まらない私に、彼は言葉を掛けた。
「何もできないなんてことは無いさ。今まで沢山の事をしてきたじゃないか」
それは魔法であったり、料理に始まり家事全般。そして子や孫たちへの振る舞い方。
彼は私が沢山の事をしてきたと言った。
でも、そんなものは――――
「――――――――死んじゃったら、何の意味もない……!」
無意味だ。死ねば後は無に帰るだけ。後に残るものなど何もない。
彼は「そんな事ない」と言った。
「リープが生きた証は、俺だけじゃない。トロエの子供たちも継いでいく。死んだら終わりなんて、そんな事は無いんだ」
そんなの……。
「そんなの、意味ない……!」
何かを言いかけた彼に被せるように、言葉を吐き捨てた。
「だって、だって貴方が独りになっちゃう……!」
彼は息を呑んだ。
反論はない。だって、それが事実だ。私がいなくなったら、ゼイゲンが独りになってしまう。
『……私は、どこにも行かないよ』
かつて交わした約束を思い出す。
あの時の彼の微笑みは、今でも忘れていない。心から安堵した、彼らしからぬ、子供みたいな笑顔を。
だから、その約束を守れないことが、彼を1人残してしまうことが。私の胸をどうしようもなく焦がしている。あふれる涙を抑えきれなくするのだ。
悔しい。苦しい。辛い。悲しい。どうして私は死んでしまうのだろう。
こんな想いをするなら――――――――
「――――――――ずっと一緒にいたいよ」
――――それでも彼と出会い、育んできた愛は、否定できなかった。
*
50年という年月は、常人ならば大半を占める年月だ。
魔族の寿命に比べれば多いとは言えないが、しかし魔族とて1日に3度の食事を取り、1度の睡眠を要する。1日は同じく1日、同じ時間を生きているのだ。
そしてリープは50年もの間、死の恐怖に犯され続けていた。今はもう、起き上がることも難しいほどに衰弱してしまっている。それでも意識はハッキリしているようで、毎夜彼女は涙を流していた。
俺は、彼女から死の恐怖を取り除く事が出来なかった。死とは無縁だった俺に、どんな言葉が掛けられよう。
(でも、このままじゃ駄目だ)
焦燥感だけが募っていく。
コンコン、と扉が叩かれた。外に誰かがいるようだ。来客など何年ぶりだろうか。
「こんにちは」
暗闇から現れたのは、深くフードを被った老婆だった。
「どなたで?」
「旅の魔法使いだよ」
そう言って老婆はフードを外した。雪が舞い、長いオレンジ色の髪が、三つ編みとなって零れ落ちた。
緑色の力強い瞳には見覚えがあった。
リープと交戦していた魔法使い。まさかここまで追いかけてくるとは。
「……50年か。人が老いるには、十分な時間だよな」
「そういうあんたは、あの時から何も変わっちゃいねえな」
そして老婆は奥へ視線を向けた。
「
老婆は挑戦的な笑みを浮かべ「まさか、か弱いババアを追い出したりはしないだろ?」と言った。
………
……
…
老婆――フランメはハーブティーの入ったカップで暖を取りつつ言った。
「それで、あんた何もんだ? エルフやドワーフ、ましてや魔族にも見えないが」
「あ?」
久しぶりに聞かれた問いに辟易しつつも、祖父がエルフだったと嘘をついた。
「嘘だね」
フランメの鋭い視線が刺さる。
溜息をついた。まあ、別に隠し通すような事ではない。
「不老不死なんだよ。昔頑張ったご褒美にして貰ったのさ」
フランメは細めていた目を大きく見開いた。そしてこちらの顔をまじまじと見つめ、「嘘じゃないようだね」と1人納得していた。
「確かに女神の
「…………で、何しに来たんだ?」
フランメは「おお、そうだった」とわざとらしくおどけ、
「話は勿論お姫様、魔族についてさ」
そうだろうな。場合によっては戦いになる。ずっと想定していたことではあるが、意外にも今まで機会が無かった。
遥か昔の覚悟だ。だからこそ気が重い。
フランメは俺の内心を見透かしたかの様に言った。
「私も今更戦おうとは思わないさ。そういうのはもう弟子に任せてある」
「……あのエルフか? 大成するとは思えないが」
何というか、緩い雰囲気のエルフだったと思う。
フランメは大きく笑い、弟子の出来について肯定した。
「それが良いんだよ。平和な時代に生きられる奴が、これからは必要だ」
笑いをぴたりと止め、真剣な眼差しでフランメはこう続けた。
「あの村で死者は出なかった」
リープが襲った村の事だろう。意外だった。フランメは「だからじゃないが」と前置きして言った。
「あんたのお姫様にも、少し可能性を感じちまったんだ」
フランメは驚くほど穏やかに笑った。
だが、俺は全く笑えなかった。
「その可能性は無い。あいつの性格に関係なく……もう時間が無いからな」
吐き出した言葉が胸に刺さった。分かっているのだ。だが心のどこかで、そんな事はない。いつか彼女は元気になり、以前の生活に戻れると考えていた。
「そのようだ」フランメは寝室に視線を向け、次いでカップに落とした。
ハーブティーを飲み込む小さな音だけが、響いていた。
「もう行くよ。邪魔したね」
フランメは立ち上がった。
見送る義理はないし、その気力もなかった。
フランメが扉を開けた。外の冷気が部屋になだれ込む。
「これは凡人の戯言なんだが」
フランメは外――――暗闇の中、部屋からこぼれる光が静かに降る雪を照らしていた。煌めく雪の結晶を見ながら呟いた。
「私達は短く儚い生を、だからこそ悔いのないよう生きる。失敗を恐れながらも、勇気をもって乗り越えてな」
そして一歩踏み出して言った。
「それって、実は永遠を生きる者にとっても、変わらないんじゃないか?」
扉が閉められた。冷気と、吹き込んだ雪だけがフランメの痕跡だった。
きぃ、と今度は寝室の扉が開けられた。
「リープ、起きて大丈夫なのか?」
急いで彼女の元まで向かう。
今日はまだ元気なようで、自分の足で彼女はしっかりと立っていた。
「うん、誰か来たの?」
「ああ、でももう帰ったよ」
ハーブティーを淹れ直し、リープに渡した。
(可能性、か)
フランメの言葉を思い出す。
リープは平和な時代に適応できるかもしれないという言葉。
穏やかに、ゆっくりとハーブティーを啜る彼女を見ていると、確かに人類との共存もあり得たかもしれないと思えた。
(勇気をもって……)
そしてもう一度、今度は別の言葉を思い出した。
――不安は大きい。でも、それを理由に足踏みをしてはいけないのだろう。
不死である以上、俺の時間は永遠だ。今後似たようなケースも訪れるかもしれない。その時に、今の後悔をまとめて清算してしまえば良い。
……心のどこかで、そんな弱気があったのだ。だが似たケースは類似であって、決してリープではないのである。
彼女への後悔は、今しか拭うことはできない。
「なあリープ」
彼女へ声を掛けた。
「明日、久しぶりに街へ行こう」
………
……
…
かつてまばらに配置されていた家屋は理路整然と並べられ、雑多な石を積み上げて作られていた壁も、今では均一な形に切り揃えた綺麗な石に変わっていた。
そして道行く人々は比べられないほど増え、各々が自分に合った色とりどりの召し物を纏っていた。
2人で共に通った街とはまるで別物。時の流れは全てを洗い流してしまう。
それでも……
「あら、あらあらあら!」
1人の夫人が目ざとく俺――ではなく隣のリープを見つけ駆け寄ってきた。
「ゼイゲン! あんた久しぶりね。元気にしてた!?」
挨拶も早々に、夫人は興味を隠す素振りすら見せずリープに言った。
「貴女がお姫様、リープちゃんね。本当に可愛いわねぇ~」
べたべたと触る夫人に、リープは鬱陶しそうな顔をしながらもされるがままにしていた。流石に角に触れそうなら止めるが、幸いそこまではされなかった。
そして夫人はにんまりと笑い言った。
「うふふ、あんまり邪魔しちゃ悪いわね。お楽しみにね」
風のように来て、風のように夫人は去っていった。
「誰?」
リープが呟いた。
「あれは農家の奥さんだな。いつもあの人から野菜買ってるんだよ」
「ふ~ん。――――お姫様?」
「……別にいいじゃんそういうのは」
そして劇場へ向かう。
道すがら、多くの人に声を掛けられた。
いつも薬草を買い取って貰っている薬師、良い焼き物を作る陶工、リープのパンに対抗意識を燃やすパン屋、細々としたお願いにいつも答えてくれる雑貨屋。酒場のごろつきや教会の神父。本当に多くの人がリープに関心を持ち、挨拶していった。
「何なの……」
リープは辟易としていた様子だったが、劇場を出る頃には元気を取り戻していた。
街を展望できる高台に行き、夕焼け色に染まった街並みを見渡す。
ベンチに腰かけたリープへ向かって言った。
「今日はどうだった?」
リープは「楽しかったよ」と言い微笑んだ。久々に見た朗らかな笑顔だった。その笑顔を見ただけで、今日街へ出た意味もあったと感じられた。
しかし、その笑顔もすぐに陰ってしまった。
俺は彼女の苦しみを取り除きたい。しかし彼女の望むような魔法は使えない。死を避ける手段を提示できない。
だからせめて、彼女の心だけは救いたかった。
「街の人はどうだった?」
だけどそれは俺1人では為し得ない。だから、今まで会った全ての人に。
「鬱陶しかったよ」
リープは言葉通りの表情をしながら、バッサリと切り捨てた。それも彼女らしいなと笑う。
それでも、と言葉を紡ぐ。
「――――でも、独りにはならないさ」
かつて彼女は言った。俺が独りになってしまうと。彼女の涙ながらの慟哭から、苦しみの多くを俺の未来が占めているのに気がついた。
それだけは俺が晴らすことが出来――そして彼女と共に生きると決めた、俺の義務だった。
「全部リープのお陰だよ。街の人達と関わり続けたのは、リープがいたからだ。今は遠くに居る子供たちも……まあリープがいなければ縁もなかっただろうな」
共に過ごした3000年。俺の全ての行動の根本は彼女だった。
それら全てが彼女の死と共に消えるだろうか。――――そんな筈は、ない。
意味などないと彼女は言った。そんな筈はないと、俺は彼女に示さなければならない。
「俺は独りじゃない。多くの人がいるよ。外だけじゃない。ここにだって」
そう言って、自らの胸を指す。
「君からは最初、魔法を教えてもらったね」
魔力というものが良く分かっていなかった時期だ。俺の飲み込みが良くなかったから、彼女は随分苦労したようだ。
「覚えてる。大変だったよ。トロエの方がずっと才能があったね」
リープも過去に思いを馳せ、くすりと笑った。
その顔がどうにも愛おしくて、彼女の額に口づけをした。
「――――君は、俺にとって祝福だった」
今も女神が生きているのかは分からないが。リープと出逢えた奇蹟は、他の全てに勝る贈りものだったのだ。不老不死は彼女と出会うための、試練だったと思えるほどに。
「君は俺の中で生き続ける。だから、これからも何とかなるさ」
太陽が眠り、空には夜が広がり始めた。
夕焼け色と、濃い青色のグラデーション。青色が広がっていき、そして星々が輝きだした。
「じゃあ、私が死んでも大丈夫だね」
リープは寂しげに言い、そしてぎこちなく笑ってこう続けた。
「それはそれで酷くない? 薄情者」
全くもってその通りである。努めて軽薄に謝罪した。
――――彼女に手を差し伸べる。
「帰ろうか」
そのまま手を握りながら、帰路についた。
*
それから、10年の月日が流れました。
穏やかに過ぎ去ったように見えましたが、リープが死を受け入れようとも、決して彼女から恐怖が取り除かれたわけではないのでしょう。
しかし震える彼女の体を、いつもゼイゲンが抱きしめていました。そうすると、僅かな間、安息が彼女に訪れたのです。
彼女のそばにはいつも彼がいましたから、震えている時間は、とても少なかったように思えます。
10年間、多くの幸せがありました。
ですが終わりは避けられません。
床に臥せるリープの手を、ゼイゲンは静かに握っていました。
彼女は首だけを彼に向け、こう言いました。
「ねえ、ゼイゲン。私は貴方の中で生き続けるんだよね?」
それはかつて、ゼイゲンが彼女を元気づけるため贈った言葉でした。
彼は肯定します。しかしリープは寂しげに言いました。
「実は、それがどういう意味か、良く分かってないの」
それは今わの際に、ぽつりと漏れた疑問だったのかもしれません。
彼は困ったように額にしわを寄せました。
どう話そうかゼイゲンは悩んでいたようですが、既にリープの中では結論が出ているようでした。
彼女は言いました。
「だから、私にも分かる形で、連れて行って欲しいの」
そしてリープは、力を振り絞って腕を持ち上げました。
中でも小指を高く掲げています。
その言葉、その動作が意味することを、彼は正しく理解していたようです。
ゼイゲンは彼女の指を口に持っていき、迷うことなく噛み千切りました。
そして一息に飲み込んだのです。
それはいつしか辞めていた、彼らの古い習慣の逆でした。
かつてリープの血肉になっていたゼイゲン。それが今は、リープがゼイゲンの血肉の一部になったのです。
彼女にとって、これ以上ないほど分かりやすい、共に存る形だったに違いありません。
「……痛いね」
リープが泣いているのは、ただ痛かったからではないでしょう。彼女の表情からは、喜びが読み取れました。
ゼイゲンは咄嗟に謝り、次いで微笑みました。
リープの体は、既に限界を超えていたのです。
思い残しが彼女を生かしていました。
しかしその思い残しも、今清算されてしまいました。
リープは口を開きました。しかし言葉にはなりません。それでも彼らの心は繋がっていましたから、きちんと伝わっていたのでしょう。
ゼイゲンは言いました。
「こっちこそ、ありがとう」
そしてリープは目を閉じ――――粒子となって消え去りました。
リープが消え去った後、彼はまだ温かみの残るシーツを握り、静かに嗚咽を漏らしました。温かみが消え去った後も、いつまでも、いつまでも…………。
それでも、彼はいつしか前を向くでしょう。
リープの愛は消えることなく、ゼイゲンと共に存り続けるのですから。
彼女の愛が、彼の力となるのです。
――――誰に語られる事も無い物語。しかし確かに、ここに永遠の愛がありました。
これにて完結です。ご愛読ありがとうございました!
……と、これで終わっても良いのですが、ビターエンドだと読後感があれなので、
もう少しだけ続けて、
何の伏線もなく、しかし問答無用のハッピーエンドで締めたいと思います。
というわけで、次回
『Segen sei mit Lieb (1)』
よろしければお付き合いください。