山を越え谷を越え、たまに人に出会っては追いかけられる。
街道を避け獣道を進めば魔物と交戦し、時にはドラゴンの背に乗り込み大空を駆けた。
そうして5年の歳月を掛けて、その廃墟に辿りついた。
「これが家なの?」
屋根は半分剥がれ、床からは元気に花が咲いている。あった筈の家具はどこへやら。
庭と呼んでいた空間には、背の高さほどの草が生い茂っている。竹や木がないだけマシと考えるべきかもしれない。
総評して、リープがそう言うのも無理からぬ惨状だった。
「これから家に戻す」
魔法を教えてもらうのはそれからだなと、付け加えた。
リープは辛うじて腐っていない床に座ると、魔力を練り始めた。どうやら手伝ってくれる気はないようだ。
まあ、それは問題ない。
リープ自身、あまり魔法への理解度は高くないようだし。
魔族は生まれつき魔法に高い適性があるが、言ってしまえばそれまでだ。
生きていく中で感覚を掴み、自力で魔法を習得していく必要がある。
リープは人間の見た目で言えば、10歳にも満たない。実際の年齢も大差ないようだ。まだ人に魔法を教えられるような習熟度ではない。
……騙された気がしないでもないが、別に急ぎという訳でもなし。気長に待てば良いだろう。
「さて」
彼女のことはともかく、こちらも手を動かさなくてはならない。
今は時期的には秋だ。この辺りは冷え込むはず。
自分は大丈夫だから忘れがちだが、魔族も寒さにはさほど強くないらしい。真っ当な家を用意しなければ、凍え死んでしまうだろう。
「木を切る必要があるな。剣の1つくらいは用意しておくべきだったか」
こういう時、魔法があれば便利だろうなと思うのだ。
「手刀でなんとか……いや、釘とか、布とか。色々物入りか」
結局、里まで物資を補給しに行く必要がありそうだった。
*
歩けば3日の距離だが、我が素晴らしき健脚のお陰で、数時間ほどで帰宅することができた。それでも帰宅する頃には夜になっていたが。
「ただいま」
返事はない。期待はしていなかったが……。
「……何してんだ?」
床を剥ぎ、問いかける。
リープは床下の土を掘って、カエルのように埋まっていた。
「……何してたの」
そっくりそのまま同じ質問を返された。
押し問答をする気はないので素直に答えると、彼女も答える。
「魔物が来たから、隠れてた」
「ああ……」
この辺りにはそれなりに魔物が居る。
ドラゴンの縄張りだから多少はマシなのだが、お構いなく闊歩する奴もいるのだ。
俺の前には現れないから失念していた。
彼女の警戒心がもう少し低かったら、喰われていただろう。
「悪い悪い。もう離れないよ」
「当たり前だ、バカ」
彼女を掘り出し抱き上げる。恨み事は甘んじて受け入れよう。
これ以上の言及はしないようで、彼女はすぐさま建設的な話題に移った。
「お腹空いた」
「どこ食べる?」
「腕」
「好きだな。脱ぐからちょっと待ってろ」
流石に毎度血まみれにされては敵わない。だから服は脱いでいるのだが、これもそのうち魔法で解決したいところだ。
服を脱ぎ終え、リープを膝に座らせる。彼女が俺に背を預ける形だ。そしてそのまま二の腕に齧り付くのである。
「……ッ」
さほど鋭くもない歯が食い込んでいくのは、正直結構な痛みである。
(痛みには、とっくに慣れたと思っていたんだけどな)
最後に怪我をしたのは何時だったか。多分、傷つけば死んでいた頃だろう。こうして生命の危険信号を感じていると、自分もちゃんと生きているのだなと実感する。
(……痛みで生を実感するなんて、変態みたいだな)
何だかおかしくて、つい笑みが漏れてしまう。
「なに笑ってるの?」
「気にするな。それより美味いか?」
「ふつう」
鼻まで血まみれにして齧り付いているのだから、ただ素直じゃないだけだと信じたい。そうじゃなきゃ、食べられた俺の腕も報われないだろう。
「ん」
食べ終わった彼女の口を拭う。水があった方が良さそうだ。井戸は、作っていただろうか?
「意外とやることが多いな」
「なに? 眠い」
じゃあベッドにと思い……それも無かったと気がついた。
「用意するから待ってて」
「藁のベッドは嫌だよ。チクチクするから」
藁すらないよ。そう言葉にするのは憚られた。
その辺りの草を刈り取って敷き詰めようと思っていたが、怒るかな。怒るだろうな。
どうにもリープは我儘である。最初は文句ひとつ言わず、無言で着いてきていたのだが。
こちらも加減が良く分からなかったので、最大限便宜を図っていた。でもやり過ぎだったのかもしれない。
「まあ、良いか。それなりのベッドはすぐに用意できないと思うけど、どうする?」
既にリープは舟を漕いでいるので、我慢は無理そうだ。ていうかこの様子なら床でも良くない?
「じゃあ、この、まま……」
「それじゃあ作業が出来ないんだけどな」
リープは人を布団代わりにすると決めたようである。既に半場夢の中に入り込んでいるようだった。
床に置いて作業に戻ろうかと思ったが、起こしても面倒なので辞めておいた。
いつも夜は見張りをしているのだが、ここならその心配はないだろう。
だが手持ち無沙汰だ。
「……寝てみるか」
この体に睡眠は必要ないが、眠れないという事もないだろう。
壊れた屋根から夜空を見上げる。
吐いた息は白く、一瞬だけ夜空を覆う。
煌めく星々の中に、月はない。今日は新月だったか。
「ん」
リープが僅かに身じろぐ。
寝苦しいのだろうか、いや、寒いのだろう。
脱いでいた服を手繰り寄せ、彼女に掛ける。
リープは当初着ていたボロから、少しだけグレードアップした服を着ている。
魔族は魔力で服を作るらしいが、量や精巧さは魔法の練度に依存するとのこと。
厚着が難しいなら、防寒具も必要だ。
他には――
「寝るんだったな」
考え事をしていては、眠気もやってこないだろう。せめて目はつぶるべきだ。
――目を閉じると、まずは聴覚が敏感になった。
鈴の音に似た羽音を出す虫。甲高かったり、低音だったり、レパートリーに富んだ動物、魔物達の鳴き声。風に揺れる木々のざわめき。
次いで触覚。嗅覚。
柔らかく、暖かい少女。だが人間の少女からは想起し得ない、濃い血の匂いがした。
少女を抱く力を少しだけ強める。お返しとばかりに、少女が掴む力も強まる。
自然と頬が緩むのを感じる。胸の内が、じわりと暖かい何かで満ちていくようだ。
(何だろうな、この感覚)
ずっと昔に忘れてしまった、この感覚の名前は――
その名前を思い出す前に、意識は闇に落ちていった。