住環境を整える前に、雪が降り出した。
屋根は張ったが保温が足りず、リープにとっては辛い時期であった。
(何でこんな目に)
ゼイゲンという男で暖を取りながら、当人に八つ当たりのように噛みついた。
だが初めて見る雪というものに、心は踊った。
それは湿った土のようでいて、手に持っていると水になる。実際雪を口に含むと喉が潤った。
男に教わった雪だるまという物を作ってみたり、木の皮に座り雪の斜面を滑ったりした。
「は~~~」
吐いた息が白くなる。空から降り続ける雪に混ざり、宙に溶けていった。
初めての冬の思い出は、雪という未知の物質が彩った。
そして雪の下から植物が芽吹き始めた頃、ようやく家が完成した。
雪解け水が川になだれ込むのを見る。凍っていた川には、どこから湧いてきたのか、魚が揺らいでいた。気になったので捕まえ齧り付く。悪くはないが、人間の方が味が良い。食料はあの男だけで良いだろう。
それ以外にも、隠れていた動物たちが顔を覗かせていた。魔物も居たので急いで逃げる。どうも男の傍には魔物は近づかない。安全圏はそこだけだった。
(……私はここから出られない?)
夏、と呼ばれる季節はあっただろうか。さほど長くなく、暑さもほとんどなかった。良い時間は過ぎ去るのが早いと男は言った。
いくつかの葉の色が変わり、小さな動物たちが木のみを集めているのを良く見た。今の私には必要のない物だ。好きなだけ頬張ると良い。
そしてまた冬が来て、雪が解け、木々が青々となり、葉を減らし――その繰り返しの中、私は一日も絶やすことなく魔法の修練を続けた。
ある程度私の魔法が形になってからは、男に魔法を教えることにした。
人に教えるのは煩わしかったが、「それも勉強になるんだよ」と男は言っていた。腹が立ったので蹴った。
魔法を練り、教える。対価として男の肉を喰い、時に自然に触れる。
魔法を練り、教え、食べ。練り、教え、食べ――
そうして日々を過ごしていくうち、私は男以外の人間も口にしたくなってきた。
私は少しだけ言い方を変え、「他の人間に魔法を試したい」と言った。
そうした理由は、特にない。
私も力を付けた。どうしても人に魔法を試したくなってきたのも、理由の1つであるからだ。
「俺じゃ駄目なのか?」
男は困ったように言った。私は頷いて答える。
「うん。お前だとイマイチ私の実力が分からないし、普通の人間に試したい」
こいつはすぐに再生するから、魔法の効き目が測りづらいのだ。
「……まあ、確かにリープは強くなったとは思うけど」
男は腕を組み、目を細めて私を見た。
私は男の前でくるりと回ってみせる。
成長して、背も伸びた。男には及ばないが、昔見た人間の女と同じくらいにはある。
服もイメージ通りの物が作れるようになった。
肩を露出し、首で支える構造。薄手で肌に張り付くような服は臀部まで覆い、動きやすく快適だ。基本は白地で、黒のラインを脇から下に通した。その上には金の文様を施してある。成長と共に膨らんだ胸部には、トパーズの大きな装飾をあしらった。そして脚はヒールの付いた靴を除き、露出してみた。
男は露出が多すぎると非難したが、私はこれで良いと思う。寒さは肉体に回す魔力を増やし対処する。多少勿体無いが、仕方のないことだ。
「この辺りに来る旅人には、負けの目があるのが心配だ」
話は戻り男が言うには。
この地域は秘境と呼ばれる場所で、さほど珍しい資源がある訳でもない。よって魔物の駆除が行われておらず、凶暴な魔物たちが跋扈する危険地帯なのだと。
そんな辺鄙なところに来るのはよほどの変人。戦いに飢えた強者くらい、らしい。
「だからと言って、人里に降りるのはもっとオススメできないけど。自警団の連中も馬鹿にできないし、エルフは勿論、ドワーフが鉄の武具を持ち出して来たらかなり大変だぞ」
と、男は言葉を重ねていく。辞めておけと。
だが本当に避けるべきだろうか? 人間は同胞を庇う性質を持つようだし、これもその一環かもしれない。
「分かった。辞める」
そういう事なら、今は従っていた方が良いだろう。
後は何時抜け出すかだが……。
(畑をいじってる時かな。スコップを壊しておこう)
物々交換用にと、男は薬草を育てている。思ったよりも管理が大変と言っていた。それなりに時間も掛かるようだ。妨害をしておけば更に時間を稼げる。
そうと決めたら、今日のところは普段の生活に戻るだけだ。
本棚から人間の娯楽小説を抜き取る。
婚約者を殺された男が、次々と別の人間を殺していく物語である。
男の膝に座り、栞の挟んだページを開く。
死んだ婚約者に思いを馳せているところだったか。
愛する女が冷酷な手によって奪われ、その死は私の心に深い傷を残した。しかし復讐の道を歩むことが正しい道なのか。手を血に染める度、私の心を迷わせる。
彼女の無念に報いることが、正義である筈だ。しかし殺した者にも、愛する者が居たのだ!
復讐の正義と、悪と同類になり果てるという大罪の狭間で、揺れる私の心は答えを見つけることができない。彼女の魂が安らかな眠りにつくために、私は何をすべきなのか。
「ヴェゲールトよ、復讐の道を選ぶべきか、それとも許しの道を選ぶべきか。どちらが真実の愛なのだ!?」
「はあ」
本を閉じた。また訳の分からない事を言い始めた。途中までは面白かったのに。
「死んだ女の事なんて気にしないで、殺し尽くせよなあ」
そう思ったが、普通人間は人間を殺さない。この男は頭がおかしいから妙な事で悩むのだ。
「俺が思うに」
本を覗き見していた男が言った。
「男は恋人の事なんてきれいさっぱり忘れて、普通に生きるべきだと思うけどな」
「殺さないの?」
「ああ、殺さない」
「でも前は『舐められたら終わり。やられたらやり返せ』って」
「うん、言った。言ったけど、この男には素質がなかったんだよ」
「素質?」
「そう。罪悪感に耐える素質が無かったんだ」
「罪悪感? どういう意味?」
「ん~。悪い事をすると、後ろめたい気持ちがする感じ」
良く分からない。
それが伝わったのか、男は曖昧な笑みを浮かべ、私の頭を撫でた。
「そのうち分かるさ」
*
リープが相談してきた次の日。畑の手入れをしようと道具を手に取ったら、根元から溶けているのに気がついた。
「せめて隠す方針にして欲しかったな」
下手人は1人しかいない。
今も山を下っているリープだ。
「これじゃあ異変があったのが丸わかりだ。その辺りの考えが抜けてるのは落第だな」
この有様では仕事にならないので、里に行って新しい道具を入手しなくてはならない。
そのついでに、警告を無視したリープの様子でも見ておこうか。
俺は、彼女の殺人そのものを止めるつもりはなかった。
人類にとって、魔族は敵だ。その流れはもう揺らぐことはないだろう。
いずれここを離れる時、人との戦い方を知らない魔族というのは問題がある。
人として失格なのは自覚している。
だが共に過ごした相手だ。他人よりは遥かに思い入れがある。
だから助言はすれど、直接の手出しはしないことに決めていた。いわゆる折衷案である。
ふと昨日話した復讐物語に思いを馳せた。
もし彼女が負け、殺されたら。俺は果たしてどうするのだろうか。
「……遠くに人間の気配があるな。今日中には接敵しそうだが」
気配を消し、リープの後を追う。
道中の魔物避けくらいはしておこうか。