「まったくどいつもこいつも……!」
ドラートは肩を怒らせて、扉を勢いよく閉めた。木製の扉が乾いた音を響かせリーニエの耳を打つ。
「うるさいんだけど」
「それは悪かったな!」
怒り収まらぬドラートは、勢いのままにソファに腰を下ろした。
リーニエの体が揺れる。彼女はだらりと横になったまま、仕方がないとドラートに声を掛けた。
「どうしたの」
「どうしたもクソもあるか! リュグナーめ! あれだけの少人数すら収容できない会場しか用意できないとは、不甲斐ない!」
彼はリュグナーを呼び捨てにしていた。
ちなみに会場とはライブ会場の事であり、今のドラートは歌って踊るアイドルである。どうしてこうなった?
「何人?」
リーニエは芋を薄切りにして油で揚げた――そうポテトチップスに指を伸ばした。そのままパキリと軽快に嚙み割る。
「10,000人だ!」
「そんな会場ないでしょこの街にさ」
ちなみに武道館のキャパがそんなものらしい。
この時代に箱は作れるかもしれないが、そんな人数が集められるのだろうか?
勿論そんな懸念などドラートの野望の前には無力である。
彼は怒鳴り散らした。
「だったら特設会場を組めば良いのだ! 『無理だ諦めろ』などと! まったく最近のリュグナーは調子に乗り過ぎだ!」
「お前が言うな」
リーニエのツッコミが耳に入っていないのか、彼の勢いは衰えない。
「ゼイゲンの奴にボコボコにされた時は胸がスッとしたものだが……!」
「ああ……」
一応模擬戦という名目だった。リーニエは当時の事を思い出す。あの時は本当に――――
リーニエが回想している間にも、ドラートは止まらない。
「また腫れあがるぐらい殴られれば良いのだ!」
「それな」
自分ではやらない(負けるだけなので)彼は何処までも他力本願だった。
そしてこの件についてだけはリーニエも同感なようである。かわいそ。
「はぁ」
満足したのか、ドラートはポテチに手を伸ばした。
「おい、私のだぞ」
「別にいいだ――あぶな!」
ひゅっ、と。ドラートの頬に投げナイフが掠る。少し遅れてツ、と血が流れだした。
「お、お前! そこまでやるか!」
「私の物に手を出す者は何人たりとも許さない――そうリープ様のように」
「何の話だ……!」
ドラートの疑問はリーニエにとっては逆に疑問だったのか、首を傾げた。
「知らない? ゼイゲンに近づく女はリープ様が殺すって話」
「……そういえば、そんな噂を聞いたことがあるな。……じゃあお前ヤバくないか?」
「そうだよ。私は特にマークが厳しい。
美少女として産まれたばっかりに、こんな苦労をする羽目になるなんてね。頑張れ私、がんばリーニエ……ぷふ」
「へー」
ドラートは興味が失せたのか、鏡を取り出し髪を整え始めた。リーニエは「はぁ」と軽いため息をつく。
「ほんと、リープ様かゼイゲン死んでくれないかな」
「それな」
彼らにとって2人は目の上のタンコブだったらしい。でも何もしない。だって勝てないし。
リーニエはだらけたまま、片足を持ち上げソファの背もたれに掛けた。
「おい、はしたないぞ」
「うるさいな。こっちは長旅で疲れてるんだよ」
「もう10日も前の話だろうが……!」
オイサーストから船と馬車による長い旅を経て帰ってきたのである。ゼイゲンに連れて帰ってもらえば数時間で済んだ。でも必然的に密着する羽目になるので、それ即ち死である。論外。
そんなリーニエの事情など意に介さず――というか10日も前なら考慮不要という常識的な判断に従いドラートは言った。
「俺は淑女としての嗜みを持てと言っているのだ」
小言を言うドラートに、リーニエはイラついたのか舌打ちをした。
「あー、うっさいうっさい。これだから童貞は駄目だな」
「は!?」
ドラートは立ち上がった。
「それは関係ない――だいたいお前も処女だろうが!」
「フ」
リーニエは不敵に笑った。
「私は良いんだよ。美少女の処女には価値があるからね。童貞には無い」
「そんな男女差別があってたまるか……!」
彼らはだいぶ人間の暮らしに馴染んでいるのか、下世話な会話もお手の物だった。喜ぶべきではないかもしれない。
「悔しかったら女の1人でも連れてきなよ」
リーニエは鼻で笑う。
「ま、無理だろうけどね」
ここまで言われたら引き下がれない。ドラートは血走った目をしながら叫んだ。
「舐めるなよ……? 俺はアイドルだ! 女の1人や2人、すぐに連れてきてやるからな!」
「いってらっしゃーい」
来た時と同じように、扉は勢いよく閉められた。
リーニエはやっと静かになったと、再びポテトチップスに手を伸ばしたのだった。
*
と、飛び出したは良いものの、ドラートは悩んでいた。
「俺に相応しい女など、果たしてこの世に存在するのだろうか」
彼の高められた自尊心は、将来のパートナーも著しく肥大化させていた。
そして対等どころか自分以上のスペックを相手に求めてもいる。悪い癖が出ていた。
「ん?」
半開きの扉から、聞き覚えのある声が漏れていた。声の主はリュグナーとゼイゲンのようである。珍しい組み合わせではない。あの2人は魔族と人間の共存とやらを目指してよく話し合っているのだ。
今も熱の籠った話し声が朧げに漏れ響いている。熱心な事だ。
「……フン、偶には手伝ってやるか」
行き詰まったための逃避行動でしかないが、ドラートはそれに気がつくことなく扉を開けた。
「お2人とも――」
「この女性はどうですか? 胸も大きい」
「いやこれは詰め物だろー」
魔法で撮影された女性の写真を手に、2人は最低な会話を繰り広げていた。
「ドラートじゃん。どうした?」
ゼイゲンはまるでやましい事など何もないと言わんばかりに、平然とドラートへと声を掛けた。
ドラートは魔族であり、人間の常識は現在勉強中だ。
ここで声を荒げれば恥をかくのは自分かもしれないと、努めて平静に振る舞った。
「お2人は何をしているので?」
「おー、グラナト伯爵のお見合い相手探してるんだよ」
「お見合い、ですか?」
それは確か番を探すための行為だった筈だが……
「グラナト伯爵は適齢期を過ぎているのでは? 必要ですか?」
「お前、それ失礼な発言だから気を付けろよな」
ゼイゲンは苦い顔をした。
ドラートも考える。女性に年齢の話をするのはタブーだが、男もだったのか。人間とは面倒な生物だ。
「しかし意外でした。グラナト伯爵もそういった話に興味があるのですね」
「無いから問題なんだよな」
ゼイゲンは写真を机に置いた。どうやら本格的に話をするつもりらしい。
「お前らが伯爵の息子
「はあ」
はっきり言って興味がない。
ドラートは人間の社会についての講義をほぼ聞き流していた。
魔族としての擬態能力をフル活用し、聞いているフリをし続ける。その間も熱心に写真を眺め続けていたリュグナーだったが――
「ゼイゲン様」
遂にゼイゲンに声を掛けた。一枚の写真を手にしながら。
「この娘はどうでしょうか。私は良いと思うのですが」
「どれどれ――って、幼すぎないか?」
写真の娘はようやく10歳になるかならないかの少女だった。あどけない顔には、緊張が幾分混じっているように思える。
リュグナーは頷いた。
「しかし成長が期待できます」
「おっぱいの話?」
「それ以外にありますか?」
2人は楽し気に笑っていた。
ドラートはそっと部屋を抜け出し、吐き捨てるように呟いた。
「下劣な連中だ」
そしてリープをこの馬鹿げた部屋に向かわせるよう手配したのだった。
*
リュグナーとゼイゲンは論外として。理想の伴侶を探すのなら男に聞いてみるのが良いだろうと、ドラートは幾人かに声を掛けた。
グラナト伯爵「相手を思いやれる人、だろうな」
伯爵の執事「健やかな方が良いでしょうね。無論、愛があればその限りではありませんが」
料理長「子供好きな女性でしょうなぁ」
錬金術師「女はやめとけ」
プンメル「ケツ! 安産型のケツが良いですぞ!」
「……いまいち分からんな。言っていることがバラバラだ」
廊下を歩く足取りは重い。
日は傾き始めており、もう暫くすれば夕食の時間である。その時リーニエに何を言われるか……
『……フ』
「――――ッ!」
無言で嘲笑う姿が想像された。あってはならないことだ。断じて、絶対に。
「あれ、ドラート君どうしたんすか、風邪っすか」
身震いしたドラートに、何かを勘違いしたメイド――リープの専属であるツォーフェが声を掛けた。
「様を付けろ。ドラート様、だ!」
「いやあ、ドラート君はそういうんじゃないし」
ヘラヘラと手を振るツォーフェ。このメイドの心臓は鉄でできているのだろう。リープという危険物のお付きをやっているのがその証拠だ。
「くっ……まあいい。それより仕事はどうした。こんな所で油を売っている場合か?」
「いやそれがちゃん様はゼイゲン様とチュッチュし始めちゃったし、出来るメイドツォーフェは席を外してるんすよ」
「…………おい、その理由は朝も聞いたぞ。だいたいさっきまでゼイゲン様と俺は会っていたんだ。吐くならもう少しマシな嘘を吐け」
「いやマジで」
だいたい下劣な会話をしている所に
その事実を突きつけてやると、メイドは得心がいったのか、「あ~……」と呟いた。
「仲直りックスっすか。超楽しそうっすね、いや絶対楽しい」
「? まるで意味が分からんぞ」
ツォーフェは「ふぅ」と溜息をついた。「まったくしょうがないベイベーだぜ」と言わんばかりに。
「ん……? 今声に――」
「良いっすかドラート君。
喧嘩ってのはですね、魂と魂のぶつかり合いなんすよ」
相変わらず意味不明だが、ドラートはここは聞きに徹することにした。
「消耗し、言葉を交わす事に離れていく心。本当はこんな事言いたくないのに、口から飛び出してしまう売り言葉に買い言葉。不安と焦燥の中、どうしてか涙が溢れてしまうんです。
でも止められない。止めたいのに、私から言い出す勇気が出ない。どんどん冷たくなっていく体に震えるけど、暖を取ることもできない。そんな時、優しく彼が抱きしめてくれるんです。
彼の鼓動と温もりを感じながら、気がつくんです。『ああ、彼も同じ気持ちだったんだ』って。
離れていった寂しさと不安が一気に安心感に変わって、昂っていた心と体はそのままに、彼を求めだすんですよ」
ツォーフェは「ふぅ」と、また息を吐いた。
「最高じゃないっすか」
「いやまったく分からんが」
しかし人間は随分と複雑に物事を考えているらしい。
尤も、それを認めるのはプライドが許さないので口にはしないが。
「う~ん」
親指と人差し指で顎を支えながら、ツォーフェは何事かを考えているようだった。
「ちゃん様がアレだったので気がつきませんでしたが、魔族ってそーいうの薄いっすよね。発情期とかあるんすか?」
「……貴様、それが礼の欠いた発言であることくらいは理解できるぞ」
睨みつけるが、メイドはヘラヘラと笑うばかりだった。
「良いじゃないっすか。うちとドラート君の仲っすよ。親しき仲に礼儀なんてないっすよ」
「……むぅ」
確かに、ある程度の仲なら多少は礼の欠いた言動も許されるのだろうが――
「いや待て俺とお前は――」
「で、どうなんすか? 年中発情期の人間と違って、魔族にはそういう時期があるんすか? ちょー気になるっす」
否定の言葉は疑問に押し流された。
グイと寄せられた顔に怯み、思わずドラートは素直に答えてしまった。
「知らん! 発情などしたことがないからな!」
「ん?」
何という時間の無駄だろう。ドラートは踵を返し――――腕を掴まれたために足を止めた。
「――――ちょっと待った。じゃあ何? 君はそういう経験をしたことがない?」
「ッ! だったらどうし――腕を離せ! 痛い!」
万力のような力で掴まれていた腕を擦り、ドラートは距離を取る。一体なんだというのだ!
ツォーフェはハッとした顔をし、常と同じような調子で言った。
「あ、すんません。つい衝撃の事実で我を忘れて」
そして気持ち悪い笑顔を浮かべ始めた。
「え、いや、ちょっと待って。マジで? マジ童? 精通も?」
「何を言っているんだお前は」
ツォーフェはその場を去ろうとしたドラートの前に風のように回り込み、ガシっと両手で肩を掴んだ。
真剣な表情を作ってはいるが、にやけるのを抑えきれないのか、口元は歪んでいた。
「ドラート君、人生――いや魔生損してるっすよ、マジで!」
「何なんだお前は」
ドラートは腕を払おうとしたが、残念ながらそれは叶わなかった。
「うちの事は良いんです!」
ツォーフェの大声に、ドラートは僅かに震えた。
「愛する事、愛される事って、とても素敵な事なんですよ。
世界は広く、うちらはとてもちっぽけで、1人で抗う事は難しい。
それが当然だと思って、たった独りで居る人に、うちは手を差し伸べたい。
1人では出来ない事も、2人なら――愛があれば乗り越えられると教えてあげたい!」
ツォーフェは肩に置いていた手をドラートの両手に持っていき、優しく包み込んだ。
「だからうちがドラート君の初めてを――ドラート君に愛を伝えたいんです」
多少本音が漏れたが、聖母のような表情を浮かべ、耳心地の良い言葉でツォーフェは締めた。
ドラートは気迫に押され正常な判断ができなくなったのか、愛について考え始めた。
疑問ではあったのだ。
リープという魔族が、どうしてあれほど強いのだと。
もしそれが自分たち通常の魔族が知らない『愛』という感情に起因するのであれば、ここでツォーフェの提案に乗る事で、他の魔族に対し先んじることができるのではないかと。
ドラートは都合の良い未来を夢見て口角を上げた。
「――――ふん、良いだろう。お前の口車に乗ってやる」
「おっほ! よし来た、じゃあヤリましょう。誰かに見つかる前に! さあさあさあ!」
ツォーフェに押され、ドラートは空き部屋に足を踏み入れる。
そこが捕食者の空間であるなど露知らず。
この世の真理を。
それは――
全国100万人のドラートファンごめんなさい
品性の欠けた話が続きましたが、次回からマハト編に入るので薄れると思います、はい