「――死から逃げてはならない」
黄金は剥がれ落ち、人々の喧騒が蘇り始めた。
そこに歓喜の声はなく、穏やかな日常が続いていた。まさに止まっていた時が再び動き出したかのように。
喧騒に負ける事のない、良く通る声で、ゼイゲンは続けた。
「運命と受け入れるにせよ――抗うにせよ」
男の声には複雑な感情が混ざっているように思われた。その感情は正確には分からないが、フリーレンにも【ノイズ】
男は続ける。
「死とは向き合わなきゃならないのさ」
穏やかな口調だった。
「だがもしも――」しかし一転し、男は握りしめた拳を掲げて言う。力強く、挑戦的な笑みを浮かべながら。
「お前が死の先で抗う道を選ぶのなら――――
――俺の許に来い。お前の寿命分くらいは待ってやるよ」
フリーレンでさえ、惹かれてしまいそうな不思議なカリスマが男には確かにあった。時代の覇者とはああいう者を言うのだろう。それにしても――
(寿命分くらいは待つ、か。やっぱり普通の人間じゃないみたいだね)
千年前と同じ姿で居るのは、人間の寿命をクリアしているからか。一体どのような外道を用いたか知らないが、興味深い話だった。エルフである自分には価値はないが。
「ああ、それとマハト」
男は続けた。いったいどんな言葉が吐き出されるのだろう。
「カネ持ってる? せっかく街が戻ったしさあ、服買いに行きたいんだよね」
…………なんかもう台無しだった。
「………………少しなら」
そしてマハトも持っていた。まさかである。本当にヴァイゼでどんな暮らしをしていたのだろうか。
お金を受け取った男は、何故かこちらに歩みを向けていた。自然と身体が強張る。別に敵ではない筈だが、何をするか分からない男でもある。
そして男はフリーレンを通り過ぎ、シュタルクへと声を掛けた。
「上着ありがとな。買い終わったら返すけど、はぐれたら面倒だし一緒に来い」
「おう、分かった」
とても日常的な会話をしに来ていた。
「お久しぶりです、リープ様」
「――久しぶり、フェルン。グルッペが手紙の返事がないって怒ってたよ」
「え、送りましたけど。途中で紛失されたんですかね」
フェルンは即行で馴染んでいた。いや、確か知り合いだったか。お料理クラブとやらの。
(……まあいいか)
ちょうど聞きたいことも出来たし、話しやすい空気は歓迎するべきだ。
「マハト服屋どこー?」
「……南西の通りを進み、二つ目の曲がり角を曲がった先の左手側にある」
そう言ってマハトは踵を返した。
「どこ行くんだ?」
「…………やるべきことがある。何せヴァイゼは、50年の時を飛び越えてきたのだからな」
流石に、この状況から殺戮を開始するほど間抜けではないだろう。マハトの魔法は死んだのだから、剣士が剣を失ったようなものだ。
(これからどうするのかは知らないけど、マハトは最早脅威ではなくなった)
全ての七崩賢が失われ、魔王の残滓は消え去ったのだ。本格的な人の時代が訪れるが、未だ魔族は消え去っていない。もしも魔族がこれからも生き残り続けたいのなら、魔族は再び群となる必要があるだろう。
ゼイゲンとリープ。
魔族リープは強大な力を持つが、統べる存在ではない。だからもしも魔王が再来するとしたら――
「それはしないつもりだ」
「…………………………は?」
フリーレンはまさか自分の内心に返事があるなど思いもよらず、何拍も置いて抜けた返事をした。まさか心でも読めるのか。
「そうじゃない。肉体の僅かな変化から読み取るのさ」
「いや読んでるじゃん。心」
油断も隙も無い。というかこちらを見ている様子はなかった筈だ。戦士とはこうなのだろうか。
しかし話の取っ掛かりができたのは幸運だったかもしれない。
「聞きたいことがあるんだけど」
「何だ、言ってみろ」
もう読んでいないのか、敢えて言葉を待っているのか。どちらにせよ質問をする必要はありそうだった。
「千年前から生きてるカラクリ。教えてよ」
「なんだフランメから聞いてないのか?」
「俺はな、
特に驚きはない。状況から言って、それ以外にありえないからだ。フリーレンが知りたいのは、不老の成り方である。
男も当然フリーレンの内心には気がついている。だから続けて理由を言った。
「女神様の祝福ってやつだ。世界を救ったご褒美だよ」
「――――――――」
【ノイズ】【ノイズ】【ノイズ】
「――へえ、じゃあ私も何か貰えそうだね」
「……動揺は無しか。強いなお前」
男は目を見開き、本当に感心したかのように言った。
しかし女神様のご褒美と来たか。それが本当なら、一体何をおねだりしようか。
「お前」
今度はリープが話しかけてきた。以前はこいつの事が心底嫌いだったが、不思議と今はそうでもない。
「なに」
「…………別に。私には関係ないか」
話しかけてきたのに、勝手に納得して離れていった。あ、ちょっと嫌いになる。
リープはゼイゲンの傍に戻っていったが、彼は何やらシュタルクと話しているようだった。
「女2ひ――2人と旅してんのか」
「そうだな。言い間違いについては聞かないぜ?」
「そんでお前は戦士。じゃあ俺はお前だな」
「……なんか聞き覚えのあるフレーズだ」
特に中身のある会話ではなさそうだ。
「折角だしお礼も兼ねて技教えてやるよ」
そう言うとゼイゲンはシュタルクの頭を思いっきり掴んだ。
「痛ダダダダダ!!!!!」
「はい伝授完了。らくちんだったろ?」
「痛てーよ! せめて言ってからやってくれよ!」
戦士流の伝授魔法だろうか。魔法使いで良かったと思う。
――その後、特に特筆すべきエピソードも無く、フリーレン達はエンデへの順路に戻り、ゼイゲン達はグラナト領へと戻っていった。
*
「まさか、このような形で再会を果たすことになるとは思わなかった」
50年の歳月は城塞都市ヴァイゼに重く降りかかるだろう。しかしそれに悩まされるのは、もう少し後の話。
だから領主であるグリュックにも、こうしてテラスでティータイムを楽しむ余裕があった。
「……私もそう思います」
話しかけた訳ではないが、彼の呟きに返事をした者が居た。傍に控えていたマハトである。
一見して、彼らの在り方は50年前、マハトがこの都市を黄金化した時と同じである。グリュックとしては、特に関係を改めようとは思っていない。いつかマハトがこの都市を破壊するであろうことは、出逢った時から分かっていたことだ。
だからグリュックは変わっていない。変わったのは、マハトである。
「これからどうするつもりだ? 今度はその手で壊してみるか?」
「…………意地の悪い事を言いますね」
「ああ、悪党だからな」
聞かなくても分かる。マハトにはもうこの都市をどうこうするつもりはない。
かつてマハトは悪意を知るために、この城塞都市を敢えて破壊しようとした。人間ならば悪意が無ければ為せない事を模倣し、知ろうとしたのだ。
マハトは友人だし、彼の望みを叶えてあげられたら良いとも思っている。
それでも、だがそれはそれとして。グリュックは彼を利用したのである。破壊が無為になるであろうことは、実は分かっていた。しかし止めなかったのである。
――この街が
この地で生まれ育ち、多くの思い出が詰まっている。
妻との出会い、息子の誕生。この街を去る者との別れ、そして死別。その間にも数えきれないほど多くの人々と笑い――憎しみあった我が故郷。
だからグリュックはこの街を愛し、同時にぶち壊したくて堪らなかったのである。そのためにマハトを使った。己では出来ないが、彼には出来ると確信があったから。
「――その報いがこれならば、女神様は人間をよく理解している」
「グリュック様?」
グリュックは己の内心を全てぶちまけることにした。マハトを利用した事。彼の行いの果て、願いは叶わないであろうと知っていたことも。
マハトは何の感情も乗っていないような表情を崩さなかった。これが人間であれば、怒りに震えていただろう。そして『悪意』という感情に支配された筈である。
だがマハトが出力した感情は、単純な疑問だった。
「何故今更それを口にしたのですか?」
「お前の言いたいことは分かる。私の発言は、関係性を壊すだけだ。言うべきではなかっただろう」
だが人間には、それを理解してなお、言いたくなってしまう理由がある。
「『罪悪感』を減らすためだ。こうして全てを吐いてしまえば、許された気になってしまうのだよ、人間とは」
己を悪党と自称するのも、同じことだ。
『悪党だから悪い事をするのは仕方ない』と正当化し、『罪悪感』から逃れようとする姑息な心理。
「…………醜いですね」
「まったくだ。醜いものだよ人間は――――いや、私か」
全てを剥き出しにしよう。醜さを人間という種族に適用し言い訳をするのは無しだ。醜いのはあくまで己自身の心である。
「どうだ、愛想が尽きたか?」
「いいえ、グリュック様がそのような方であることは存じておりますので」
「そうか」グリュックは溜息をついた。ならばもう少し、この危険な友人との奇妙な付き合いは続きそうだ。
「嬉しそうですね」
「そんな訳ないだろう。相変わらず、君は人の考えがわかっていないな」
グリュックはカップを置いた。
「そういえば、デンケンが戻ってきたようだ。迎えに行ってやれ」
随分と間が良いが、今は言及しなくても良いだろう。どうせどこからかアプローチが飛んでくる。
マハトは「承知しました」と返事をし、デンケンの許へと向かっていった。
*
「魔族マハトは外敵からヴァイゼを守るため、止む無く街を黄金化した。しかしマハトには人々の黄金化を解除する事が出来ず、ヴァイゼは50年の時を黄金として過ごす羽目になった。
その間マハトは魔法の研究と並行して、ヴァイゼの黄金を盗賊から守るため結界を展開し、世界から身を隠していた」
馬車から降りたデンケンが出し抜けに言った。マハトは疑問を口にする。
「そのホラ話は何でしょうか?」
「カバーストーリーだ。もしもこの街に居続けるのなら必要だろう」
真実を知る者はごく少数で、多くの人はこの美談を肯定するだろう。しかしマハトはこういった話をデンケンが口にするとは思っていなかった。
「意外でした。貴方はこの手の策略を嫌う方だと」
「何十年前の話をしている。儂は見ての通り立派な老いぼれだ」
彼は呆れているようで、拗ねているようにも見えた。彼はマハトの知るデンケンだった。
「ここへ来た目的の一つは果たした。もう一つの方もこなしておこう」
「目的とは何ですか? よろしければお供させてください」
デンケンは「当然同行させるつもりだ」と答えた。そして目的を告げる。
「墓参りだ。長らくしていなかったのでな」
…
……
………
デンケンには妻がいた。名をレクテューレと言う。
しかし彼女は体が弱く、デンケンと永遠を誓い合って暫く経った後、病によりこの世を去った。
そこには誰の悪意もなく、落ち度もなかった。
それでも死は平等に降りかかる。恨みを向ける相手のいなかったデンケンは、距離を取ることで、彼女の死から目を背けるしかなかった。しかし時間もまた平等に彼に降りかかり、死の傷を半ば強引に癒してしまった。
「マハト、墓とは何のためにあると思う?」
デンケンはレクテューレ――妻の墓標の前で呟いた。
「死者を弔うためです。死後の安寧を願います」
「まるで辞書を引いたかのような回答だな」
当然だ。マハトは墓の価値を理解できない。だから一般的にどう扱われているかを答えるより他は無かった。
「己の悲しみと向き合うためだ」
デンケンは墓を向いたままそう答えた。彼の表情は伺い知れないが、ならば――
「悲しみはありません。私には必要のない物ですね」
「
だが違うのだとデンケンは言った。
「――悲しみを我慢すれば、自らが悲しんでいることを忘れてしまう。
だから泣くべき時には泣き、笑うべき時には笑う。自らの心を表に出さなければ、自らの感情すら知ることが出来ない」
デンケンは墓へと向けていた顔をこちらに移した。向き合った顔には当時はなかった深い皴が刻まれていて、彼も老いたのだとようやく理解できた。
しかしその瞳と、声は。力強いままだった。
「――――だからマハト。知るために、泣くのだ。悲しんでいると言葉にするのだ。
その先に、お前が求めているものがあるかもしれない」
「私は悲しんでいるのですか?」
その感情は知っている。――――しかし、思えば。己は悲しんだことがあっただろうか。
「さあな。やるだけやってみれば良い。試すのは得意だろう? 気軽に黄金郷すら作ってしまうのだからな」
「皮肉が上手くなりましたね、デンケン様」
マハトは笑みを浮かべた。
(ああ、でも、俺はまだ生きている。次だ。次に生かそう)
万物を黄金に変える魔法が失われようと、やるべき事は変わらない。何故なら――――
――――俺の
魔族に魔法を教えてもらおう! 黄金郷のマハト編 完