グラナト城。いつもの朝。
朝日が射す寝室で、1人の少女が目を覚ました。
乳白色に近い黄色の髪。その側頭部に埋もれた二対のねじくれた角。彼女の名前は魔族リープ。かつてゼイゲンという男の肉体を食料として提供する見返りに、魔法の使い方を教えていた少女だ。
彼女の隣には、そのゼイゲンという男が穏やかな寝息を立てながら眠っている。彼は不老不死の人間。魔法を学ぶために魔族の少女リープを保護した人間だ。
「リープちゃん様、お目覚めっすか」
パチリと。暖炉にくべられた薪が爆ぜる。グラナト城は大陸北部に位置する寒冷地だ。メイドツォーフェの仕事は、まず暖炉に火を入れることから始まる。
「起きてるなら今日のご予定をお話ししてもよろしいっすか」
「ん、いいよ」
ぱちくりと瞬きをし、一糸まとわぬ姿で、お湯で顔を洗いながらリープは返事をした。
「午前中いっぱいはお料理クラブっす。今日はマカロンすね。材料の手配は問題なく済ませてます」
「午後は」
「製薬における結晶精製についての講習ですね。資料はもうありますけど見ますか?」
「後で読む。……じゃあ今日は一日忙しいのか。ゼイゲンは?」
「俺はまだ寝てる」
「いやゼイゲン様も忙しいっすよ。起きてるんなら起きてください」
観念したのか、ゼイゲンも体を起こす。彼もリープ同様一糸まとわぬ姿だった。
「俺の予定は?」
「さあ……?」
「知らないのかよ」
しょうもないやりとりに、リープは何かしら思いついたのか、パアと笑顔を広げた。
「知らないなら無いのと一緒! 今日は一緒にいよ!」
「知らないならしょうがねえかあ!」
「やべ、隙与えちまった。嘘でーす。午前も午後も会議でーす」
ベッドに戻りかけた2人をツォーフェは制止する。
場合によってはツォーフェがメイド長から詰められるのだ。あのしつこい糞ババアの小言は彼女も聞きたくなかった。
「マジ勘弁すよ。最悪リープ様の予定は順守してほしいっす」
「じゃあゼイゲン。私のとこに来てよ」
「お料理クラブは男子禁制じゃんか。嫌だよ」
「ぶぅ~」
お料理クラブの実態を誰よりも把握しているリープは、強引に進めるのは悪手と判断したのである。不満は垂れたが、それ以上の追及はしなかった。あまりしつこいのはゼイゲンの好みから外れる。
「じゃあご飯は一緒に食べようね」
「ああ、昼と夜は時間作るさ」
そうと決まればマカロンにはたくさん愛情をこめて作ろう。お昼に持って行って、たくさん褒めて貰わないと。
リープは愛しの彼に軽く口づけして、部屋を後にした。
*
「リープ様おはようございます!」
「おはよう。じゃあ早速――」
と、リープは言いかけたところで言葉を止めた。
場所は城からほど近くに建てられた調理場だ。
シンクの備え付けられた作業台が並び、奥には複数のオーブンとコンロが並んでいる。実習用としては贅沢で、実際何かの催しがあれば、この調理場は貸し出される事もある。
それらが見渡せる場所にリープは立っていたが、見知らぬ人物が2名存在していることに気がついたのだ。
その2人はやや緊張した面持ちで、料理クラブの面々に混ざっていた。
1人は灰色の長髪と、一房の三つ編みをハーフアップにした、貴族然とした少女だ。どこか勝気な印象を漂わせている。
もう1人は、オレンジ色のボブをツーサイドアップにしている、同じ年ごろの少女。こちらは緊張した面持ちながら、笑顔でこちらを見つめていた。
「リーニエ、誰?」
「その2人はオイサーストから来たらしいよ。今日から暫く滞在するんだってさ」リーニエは2人に向き直って言った。「じゃ、2人とも改めて自己紹介してよ」
「はい」と2人は返事をして言った。
「ラヴィーネでございます。父の付き添いとして参りました。本日はお招きいただき、誠にありがとうございます」
と完璧な礼をしながら言った。
それを「ほぇ~」と呑気に眺めていた相方に対し、ラヴィーネは脇腹を肘で突き催促する。
「え、あ……。カ、カンネです。その付き添いで来ましたよろしくお願いしましゅ」
噛んだ。
「嚙んでやんの」
「リーニエさん!? そこは生暖かい目で見守るとこじゃないの!?」
「それはそれでどうなんだよ」
騒ぐカンネについ口調を戻してしまっているラヴィーネ。咄嗟に通常営業に戻ってしまったが、ラヴィーネは気を引き締め直した。粗相があってはならないのだ。
主にこのリープという相手に対して。そのリープはというと、特段気負った様子もなく言った。
「どうせうるさくなるし、楽にしていいよ」
「リープ様それ誰の事言ってるんですか?」
「お前とフェッティ」
「好きでやってる訳じゃないですぅ」とその少女は言い残し去っていった。
そして他の少女――ラヴィーネ達と同じ班の少女が彼女達に話しかける。
「みんな適当だから適当にやっていいよ。あ、私はグルッペね」
「そうなの、ですか?」
ラヴィーネは寸前で思いとどまり敬語を使ったが、余計変な感じになってしまったかもしれない。緊張しているという自覚はある。それは初めて出会う相手というのも勿論あるが、それ以上に魔法使いとしての感覚が、緊張を強いているからに他ならない。
(知ってたけどよ。驚くなって方が無理がある。出鱈目すぎんだろ、あれは)
リープという魔族の強大過ぎる魔力にやられてしまっているのだ。
「気持ちはわかる。ぶるっちゃうよね」
そんなラヴィーネの気持ちを代弁したのは、まさかの魔族リーニエである。いや、魔族だからこそ、なのかもしれない。口調はこんなんだが、彼女なりに思う所があるのかもしれない。聞くところによると、魔族は魔力の多い相手に対して服従するのだと言うし。……この呑気にメレンゲを泡立てている姿が服従してる態度か?
(じゃあやっぱ違げーか)
「そんな事よりさあ」
カンネが言った。
「メレンゲ作るの手伝ってよ。ラヴィーネお嬢様は力仕事はお苦手でございますでしょうか? まあお嬢様だもんね、無理かー」
「……」
こいつ引っぱたいてやろうかと思ったのは一度や二度ではないが、今日のところはぐっと抑えることにした。今だけはお行儀よくしようと決めていたのだ。
「てめぇっ……!!!」
抑えた筈の怒声が調理場に響く。しかしこれは先ほどリープに話しかけていた少女の声だとすぐに気がついた。
「生地がでっけえよ! 相変わらず雑な女だな!」
「あ゛あ゛!? こんくらい許容範囲だろうが!」
極めて粗野な言い争いだが、誰も止めようとはしない。隣でグルッペが「またあ?」と呟いただけだ。
「それが雑って言ってんの! 焼き加減変わるわ!」
「変わるか!」
「変わる!」
不毛な言い争いだった。
流石に止めるべきだと少女達は思ったか――いや、違う。騒音が迷惑だと感じているだけだ、あの顔は――とにかく、少女達の視線がリープに注がれていく。
リープはため息をついた。
「殺し合え。私の邪魔をするな」
「え?」
「よっし! お許しが出たぞ。表出ろやブス」
「え……」
「おーおー。豚っ鼻さらに広げてやるよ」
「えぇ……?」
どういう事だとラヴィーネが指をさしながらグルッペに視線を向けると、彼女は「流石に不味そうだねえ」と危機感を感じさせない口調で言った。
「誰か男の人呼んできてよ」
「無理だよグルッペ。誰も来たがらないって。日頃の行いだね」
「じゃあチーフに「いいぞ! 血を見せろ!」駄目そう」
「チーフ野生目覚めちゃってんじゃん」
「じゃあツォーフェで良いか。あのメイドどこ行った?」
「ドラート捕まえに行ったんじゃね?」
「あーあー! 聞きたくない聞きたくない!」
カオスな状況だった。
ラヴィーネが呆然と立ち尽くしていると、カンネが話しかけてきた。
「あのさあ、少しは手を動かしなよラヴィーネ。やる気ないなら帰れ」
「……」
ラヴィーネはにっこりと笑った。分からないことだらけだが、一つだけ分かった事がある。
どうやら、我慢する必要はなさそうだ。
*
リープは問題ごと全部無視して作った魔のマカロンを手に、上機嫌でゼイゲンの胸に飛び込んだ。
「た、だ、い、まぁ~」
「おかえり、良い匂いのお嬢さん」
ゼイゲンは腕を広げて彼女を受け止めた。リープの髪と、彼女の手にした箱から、ほのかなアーモンドの香りと、甘く濃密な匂いが立ちのぼる。
「早速食べても?」
「ご飯の後にね」
「了解、ママ」
肩をすくめて食卓に着く。
テーブルの上には温かなポタージュが湯気を立てている。傍に添えられた白パンは、ほのかに焼き色が付けられ、小麦の香りが広がっていた。香草とともに蒸されたタラの包み焼きが、白ワインの香りをほのかに残して皿に載っていた。
冷やされた葡萄が銀の皿に盛られ、陽の光を受けてきらきらと光っている。
そしてデザートはリープのマカロンだ。
ピンク、ミントグリーン、ラベンダー、そして鮮やかなオレンジ。色とりどりのマカロンが並んでいる。まるで丸い宝石のようだ。
ひと口食べると、甘い香りが広がった。クッキーのサクサクした食感とクリームが口の中でとろけ、さらにそれぞれの色が味に深みを加えている。ピンクはストロベリー、グリーンはピスタチオ、ラベンダーはほのかに甘いラベンダーの香り。
「流石、美味しいな」
「ふふん」
リープが胸を張って答える。今まで食べたマカロンの中で一番美味しかったのだから、その自信は正当なものだ。
「当然だよな。俺のリープが最高だなんて」
「オレ……ふ、ふふん」
リープは再度胸を張った。頬は赤らみ、目尻はヒクヒクと震えている。声も上ずっているようだ。
なるほどこういうのも好きなのか。新たな発見だった。
「ご褒美――は時間ないか。また夜にな」
「うぅん、……待ってるね」
不満はあるようだが、素直に従う事にしたようだ。
聞き分けの良いリープの額に口づけをして、部屋を後にした。
そうして、リープはその後講義を流しつつ、夜にしっぱり楽しむのだが、ここでは記載できないので幕を閉じる。
兎にも角にも。
これが今の2人の日常なのである。2人きりではいられないけれど、それなりに楽しく日々を過ごしている。そうして少しずつ親しみを深め、やがて訪れる別れの日に、ふと何かを得ていたことに気づくのだ。
日々は繰り返され、けれど確かに、前へと進んでいく。
『今日もいつも通りの一日だった』
そう言って、一日を終えるのである。
では、また別の日に会いましょう。
おわり。