魔法の開発は難航していたが、最近ようやく"布に付いた血を取り除く魔法"の開発に成功した。
お陰で洗濯が楽になったし、血の匂いが充満するベッドで眠らずに済むようになった(癖なのか噛みつかれることが多いのだ)。
血以外は取れないので、洗濯はやっぱり必要なのだけど。
どうせならもっと範囲の広い魔法を作るべきだったと、干したシーツを眺めながら考えていた。
とはいえ魔法は生活を大いに便利にした。
俺たちの生活は一変したと言っていい。
「ねえ」
裾を引かれる。一変したといえば。
「ちゅ~~~♡」
目を閉じて、唇を尖らせ突き出しているリープが居た。端的に言えばキス待ちである。
彼女の変化は信じ難かった。
こうなったのは10年前の事である。――そう、10年こんな調子なのである。困らないがちょっと疲れる。確かに楽しい。でも……。
(……何で俺はこんな事で悩んでるんだろうな)
それは兎も角10年前。あれは珍しく暑い夏の日だった――
………
……
…
「あっつい」
「そうだな」
家の中は暑いので、軒先に椅子を持ち出して座っていた。
地下室でも作って冬の間に雪でも保存しておくか?
いやレアケースのためにそこまでしなくていいか……。
「ねえ」
魔族も汗をかくらしい。不快だと服を脱ぎ捨て、恥部すら惜しげもなく晒している。井戸水を浴びたばかりなので肌は照らつき、日の光を反射して輝いて見えた。
「腕出してよ」
言われるがままに差し出す。
リープは齧り付いたが、けだるげな顔が直ぐにしかめっ面に変わった。
「ぬるい。冷やしてきて」
「無茶言うなよなあ」
いや切り離しておけば可能か。でも彼女は生餌以外は口にしない困ったちゃんなので、無理だなと考えを改める。
「川にでも行くか」
そこなら流石に涼しいだろうと提案してみる。
彼女は「あ~~~」と唸り、上体を反らしながら考えている様子。
ようやく腹が決まったのか、背を起こして言った。
「じゃあ連れてって」
「暑いんじゃなかったのかよ」
案の定、暑いと苦情を述べる彼女を運ぶ羽目になった。
*
川を掘り起こして小さなプールを作った。
作った直後は土で濁っていたが、すぐに透明な水に変わった。
頭まで潜ったリープが水の中で揺蕩っている。空気の泡がぷくぷくと浮いては水面で消えた。
人とは思えない均整の取れた肉体を持つ少女。流れのない水の中で、膝を抱えるように丸まっている姿は、まるで水晶に閉じ込められた妖精のように錯覚させられた。
彼女と目が合う。魔性を湛えた瞳がこちらを射貫く。
リープは浮かび上がり、こちらの腕を掴んで言った。
「ねえ、一緒に入ろう?」
言われるがまま、引かれるままに水中に引きずり込まれる。
セイレーンは歌声で人を水中に誘うが、言葉で誘いこむ魔族は彼女らの親戚かもしれない。
どちらにせよ、不死の身では溺死も無縁ではあるが。
「――――」
彼女が水中で何事かを言った。しかし言葉にはならず、泡となって消える。
彼女の背を撫でる。水中故か、いつも以上に滑らかに感じた。
なんだか楽しくて、背から臀部にかけてを何度も擦るように撫であげる。
顔を寄せてきた彼女に口づけし、余っていた空気を送る。
しかし大半の空気は溢れ、水の中へと散ってしまった。
やはり足りず空気を求めてリープは水面へと顔を上げた。
そうすると胸が真正面に来る。目の前で胸が、呼吸と共に上下する。ツンと立った乳首が揺れていた。軽く噛むと、少女の全身がピクリと揺れた。
胸が降下し今度はリープの顔が目前に来た。
頬を膨らませて怒りを表現している様子。そしてゆったりと頭突きをしてきた。
随分と記号的な感情表現だから、本気で怒っている訳ではないだろう。その証拠に頭突きを終えた彼女は悪戯気な微笑みを浮かべていた。
彼女は更に潜っていく。
思えば随分と感情表現が上手くなったものである。
俺も聞かれれば答えるが、真っ当に教えたことはないので、大部分は本や芝居から仕入れた知識だろう。
その影響か意図の読みやすい表現が増えたと思う。
しかしそれは彼女が伝えたい感情であって、本音ではない。
隠した本音がお互いの関係に溝を深めることがよくある。それが心配だ。
既に数百年も付き合ってる相手との心配事としては、笑われてしまうような話かもしれないが。
(くだらない)
リープが浮上してきて、唇を突き出した。
もう一度空気を送ろうとしたが逆に――
「――――ブハ!!! ぺっぺっ!」
急いで水上に顔を出し、送られてきた物を吐き出した。
「うえぇ、少し飲んじゃった」
リープも顔を出す。
「私それ嫌いだから、あげる」
「いらんわ! あー、気持ちわる」
たまにある非常識な行為はどうにかならないものだろうか。
水に浮かぶ白いあれ(~〇)を掬いあげ、森の中へと投げる。
「あれは捨てていいやつだから」
「そうなの? 人間には美味しいらしいけど」
「いや……」
何故か言葉に詰まった。そんな訳ないと思うのだが、本当に美味しいと思う人もいるのだろうか。
「一般的には、好かれる味じゃないと思う」
「一般的には?」
「……ううん」
リープはずいと顔を近づけてきた。
さてなんて答えよう。
(味については掘り下げがち)
「普通は不味いんだけど、不味いのを美味しいと感じる人もいるというか」
「どうやったら美味しくなる?」
「いや、だからそれは個人差で――」
「知ってるよ。でも味覚って変わることあるんだよね?」
「何でそんな事は詳しいんだよ……」
そして何で拘るんだよ……。
「ねえ。何があったら変わる?」
更に顔を近づけてくる。鼻の先がくっつきそうだ。
「……愛、とか?」
圧に押されてつい適当な事を言ってしまった。
「愛、愛かあ……」
しかし納得して頂けたのか、彼女は得心がいったかのように呟いた。そしてのけぞり倒れる。水飛沫が派手に舞い、彼女はぼんやりと水面に浮かんでいた。
しばらく呆けていたと思ったら、勢いよく起き上がり再度近づいてきた。
「どうしたら愛って手に入るの?」
「難問だな……」
古今東西問われ続けてきた問題である。
生涯手に入らない者もいれば、あっさりと手にしてしまう者もいる。
そして俺はどちらかというと前者である。
リープを抱き寄せる。
「俺も分からない」
「なら――」
「探していこう。こうしていれば、いつか見つかるさ」
「……」
リープの顔から表情が消えた。しかしすぐに――まさしく仮面をかぶったように、笑顔へと豹変した。
「うん!」
満面の笑みは、虚偽の証でしかない。
それでもこの場はこれで良しとした。
たとえ過ちでも、愛への向き合い方としては、間違っていない筈だからである。
…
……
………
――そう10年前は思っていたのだが。
『愛を手に入れるためには、もっと親密になるべきでは?』なんて適当なことを言うべきじゃなかったし、その参考資料もちょっと間違えたなって。
「ちゅ~~~♡」
本日6回目のキスをしながら、今後の方針について考え始めた。
*
キスは好きだ。
ただ唇を重ねるだけでも嬉しいし、唾液は蜜のように甘く感じる。
あくまでも甘く感じるだけで、実際にはそうでないことは知っている。
これこそが恋人という関係性が生み出した甘味であり、より深く私が追い求めている物である。
「うぇえええ……」
「無理するなよ……」
口に含んだ精液を吐き出す。彼は笑いながら助言するが、そうもいかない。
私は彼の全てを味わいたいのだ。そのための努力は惜しまないし、挑戦は続けるつもりである。
「そろそろいけると思ったんだけど」
口を水でゆすぎながら考える。こんなに愛してるのに、まだ足りないのだろうか。
「なあ」
彼は私の腰に手を回し、膝の上に抱きかかえた。
眉間には僅かにシワが寄り、口角も少し上がっていた。
(笑ってる? 困ってるのかな?)
「この際挑戦は止めないけどさ、やり方を変えてみても良いんじゃないか?」
「むう~……」
確かに結果が振るわないのであれば、変えるべきだ。
だけどそれを判断するには時期尚早だと思う。
「んん~……」
「まあ、無理にとは言わないけど」
私の頭を撫でる彼を、気取られないよう観察する。
眉間のしわはより一層深くなったように思える。
困っているのだろうか。だとしたらそれは私の本意ではない。
前提として、彼と友好関係を結び続ける必要がある。そもそも彼が止めるのなら、それは間違った方法なのだろう。いい加減なきらいはあるが、間違いない。
「分かった、辞める」
彼の脇腹に手を添える。筋肉質な体は、私の体とは大きくかけ離れている。
へそへ手を這わせていく。くぼみから少し上へと向かえば、何時のものか分からない古傷があった。私の知らない傷。
「
彼がそう提案した。
人間はよく発展しているようで。まばらな拠点は規模を拡大してきたし、雑な衣服に意匠を取り入れ始めた者も居る。
しかし同時に他者への目が厳しくなったようで、私達は奇異の目で見られることも増え始めた。エルフやドワーフもそれを嫌い、どこかへ行ってしまったようである。魔族の活動が原因と言われているが、因果関係が分からない。
「ゼイゲンが行くなら、行く」
「良し」
彼は私を降ろし、「じゃあさっそく行くか。服着たらな」と言った。
そして私達は町へと行った。
人間の視線は不快だ。雑踏から溢れる声も好きじゃない。
甲高い鳴き声が雑音の中に響き渡った。
流石の人間たちも、それを無視することは出来なかったのか、一時視線がそちらに割かれる。私もそれを見る。
それは人間の赤子だった。
母親に抱かれあやされている。徐々に落ち着き始め、声も小さくなった。次第に人々の視線も外れていく。私も同様に逸らした。
(子供か……)
私達は雑踏を歩き続けた。