子供は何とか一命をとりとめた。
衰弱の原因は無茶な移動に寄るものだったようだ。
リープには知識が無く、赤ん坊に俺たち基準の移動速度が、負荷を掛けることを知らなかったのだ。
彼女は多くの知識を長い年月で蓄えたが、それでも知らない事が多く、未知に対してあまりにも迂闊だった。
そして俺自身も、そんな彼女の悪癖を放置していた結果がこれだ。
山奥にひっそりとある、俺たちの家とほとんど変わらない規模の家。生活模様もそう変わらないだろう。数時間前までは、そうだったはずである。
だが今は廃墟でしかない。この家に住む者は、もう居なくなってしまった。
死体が二つ。下手人は言うまでもない。
せめて墓くらいは作らなければ。
遺体を運び、埋め、墓石に刻む名前を探す。
「……君の名前はトロエと言うんだな」
最悪な状況の中で、赤ん坊の名前が分かったことだけが救いか。
「……どうすっかな…………」
埋葬を終え、途方に暮れる。
今も手の中で眠る赤ん坊を、返す当てが無くなってしまったからだ。
(町に置いていくか?)
それが一番いい方法だと思えた。
決して裕福な町とは言えないが、この子が自立できるまでは育ててくれる筈だ。
(でもそれは無責任じゃないか?)
しかしそれはあまりにも多くの苦難をこの子に科すことになる。
親を、全てを奪い。そして放り捨てるというのはあんまりじゃないだろうか。
(育てる、のか?)
ならば、俺たちが――
(違うだろ)
ぐちゃぐちゃになりかけた思考を正すように、こめかみを指で押しつぶす。
親指が皮膚を貫通し、ずぶりと突き刺さる。鮮明な痛みが走り、意識も正常化される。
そうだ、それは正しい選択ではない。
(……俺の願望だ。そんなにごっこ遊びがしたいのかよ?)
俺がそうしたいと思ってるから、引き取るのが正しいと思考を誘導している事に気がついた。
だって、その結論はあまりにも課題が多すぎるからだ。
(まずリープが一番の問題だな)
彼女はあまりにも無知だ。ふとした拍子で殺しかねない。
俺が育てるという手もあるが、そもそも彼女が連れてきたのである。隙を見て奪いかねない。
(……そのあたりの話、動機はきちんと確認しておかないとな)
今時間を掛けて悩んでいるのも実は不味い。
家に居るよう言ってはいるが、本来は目を離すべきじゃな......ああ、
「はぁ~~~」
また、思考がねじ曲がっていることに気がついた。
駄目だ、もう『どうすれば引き取れるか』を考えている。
赤ん坊を見る。険しい顔のまま眠りに着いていた。
「君はどうしたい?」
そんな意味のない問いかけをした。
*
私は何かを間違えたのだと思う。
彼の血の気の引いた顔を見れば明らかだった。
彼は直ぐに私から子供を回収すると、体を触り、磨り潰した薬草を飲ませていた。
(ああ、体調が悪かったんだ)
お腹が空いていたのだと思った。やはり彼が居て良かったと思う。丁度良い赤子の確保は面倒なので、死なずに済むのならその方が良い。
(あ、だから怒ってたのかな?)
考えてみれば、人間はかなり増えたとはいえ赤子の割合はそう多くなかった筈。有限の資源はなるべく大事に使っていかなければならない。料理をするようになってから、やりくりの大切さを理解できるようになった。
(そういえば、ゼイゲンは牛乳買ってきてくれたかな?)
彼は赤子の面倒に付きっきりで、荷物の整理をしていなかった。『赤ん坊に必要な物を買ってくる』とすぐさま町へ行ってしまったからだ。すごく焦っていたのが印象的だった。
子供ができたら忙しくなるとは認識していたが、当初想定していた形とは違う。私が面倒を見る筈だったが、現状は止めておいた方が良いだろう。役割を逆転させて、私がサポートをする方が良い。でもいずれは私も面倒を見られるようになりたいと思う。
(母乳は出なかったから、牛乳で育てるんだよね?)
大型瓶の中には5Lほどの牛乳が注がれていた。これは何日分なのだろうか? 料理に使う分は確保できるか?
「……ふふ」
自然と笑みが漏れた。新たな生活に、考えていた以上にワクワクしている自分が居た。
*
常識的に考えて、子育ての知見など何一つない俺たちに育てられる筈はない。
考え直しに成功し、赤ん坊を町の人々に委ねる決断ができた。リープの説得は後回しだ。
とりあえず町の長老に相談すれば良いとのこと。年老いた老人、長老に事情を説明した。
当然リープの事は話さない。魔族の襲撃に偶然居合わせ、夫婦は死んでしまったが、この子だけは助けられたというストーリーだ。
「そうかい、あの夫婦が」
長老は沈痛な面持ちで赤ん坊の頭を撫でた。
シワだらけの顔に、より一層深いシワが刻み込まれたかのようだ。
胸が痛むが、ここで懺悔をするわけにはいかない。俺が生涯抱え込まなくてはいけない罪である。
(……人を自称するなら、今すぐリープを殺しに行くべきだろうな)
だがそれは出来ない。もう俺にとって彼女は、害だからという理由で排除できる存在では無くなってしまった。
「あんたも知っていると思うが」
長老が変わらず沈痛な面持ちのまま言った。
「うちもそれほど余裕のある町じゃないんだ」
目立った産業がある訳でもなく、寒冷地故に作物も多くは取れない。付近の村は寒村と呼ばれる事も多く、寄り集まった所で優雅な暮らしは望めない。
「もちろん、それでも子供1人くらい預かることは出来るがね。この子に辛い思いをさせる事も多いだろうよ」
そうだろう。予測できたことだ。だがそれでも――
「あんたはそれなりに裕福だろう? そっちで預かった方がこの子も幸せだと思うがね」
(やめてくれよ……)
弱音を口にせずに済んだのは、秘密を漏らさないよう、きつく唇を噛みしめていたからだ。
それほど長老の言葉は、毒々しくも魅力的だった。
腹に力を込めて、否定の言葉を吐き出す。
「いや、流石に男手1つでは……」
「男手1つ?」
長老が待ったを掛けた。ここで?
(確かにそれは嘘だけど……)
リープを最後に連れてきたのはもう200年は前の事だ。エルフやドワーフはもうこの町には居ないし、彼女の事を知る人物は居ない筈。まさか雑貨屋の娘のことを言っているのか?
「あんた、耳は短いがエルフだろう?」
「は?」
何を言うかと思えば、そんな妙な切り口で話し出した。
「あんたはずっとこの町に顔を出しているらしいが、若さを保ったままというじゃないか。結構な有名人なんだよ。エルフの血を引いているってのは本当かい?」
「ああ、そういう……」
確かに、そう言われれば目立つのだろうか。エルフも珍しい存在になりつつあるらしいし。世界の変化に取り残されている気がする。
「エルフの血は……そうそう、爺さんがエルフだったよ」
嘘だ。しかし長老は「やはりそうだったのか」と得心がいった様子。
「妻が居ると聞いていたが、あの噂は嘘だったのかい?」
「あ~……」
よく覚えていないが、確かに雑談の中でリープの話をしたような気がする。
つまり俺は有名人で。些細な雑談1つ忘れられず。人々の話題の種になっているという事だろうか。
(これからは発言1つ1つ注意しないといけないのか? 面倒過ぎるな)
さて、それじゃあ妻についての噂はどうしようか。
事実と異なるといえばそうなのだが、女と同居しているのは合っている。居ない事にするか?
(……今後口を滑らせない自信がないな。そもそも何の話だ。赤ん坊を預かることができるかどうかだろ?)
それなら――
「確かに居るけどさ。子供を育てた経験はないよ。未経験には難しいだろ」
「ふむ?」
結局そこに帰結する。
だから頼むからこれ以上俺を揺さぶらないで引き取って欲しい。
「ここ最近娶った訳ではあるまい? 聞きづらい話だが、子が出来ないのか?」
「……」
言葉が出なかった。意識も一瞬飛びかけていた気がする。聞きづらいなら聞くなよと思う俺がおかしいのか?
いっその事走り去ってしまおうか。もう赤ん坊は長老の手の中だし。
「怒る気持ちは分かるがね、これは大事な話だよ。そうか、できないのだな?」
1人勝手に納得しているようだが、まあ別に良いだろう。その通り子供は出来ない。
「なら猶更あんたらで育てるべきだな」
「どうしてそうなるんだよ」
しかし俺の願いなどお構いなしに、長老はそう断言したのだからムカつく。
「子を育て、巣立ちを見送るのが大人の務めであり、生きる意味だからだ」
と、長老は何とも苦い顔で言った。
「勝手に人の生きる意味を決めるなよ」
「これは真理だ。理解できないうちは、何時まで経っても青二才だな」
「そんな真理はねえよ」
「それが青いと言っているのだ。……ではお前さん。今までどう生きてきた? これからは何を糧に生きるつもりだ?」
「どうって……」答えようとして言い淀む。リープについては避けて話すべきか?
言い淀んだのを都合よく解釈したらしく、このクソジジイは勝手に話を進めた。
「無為に過ごす羽目になるだろう? 当然だ。命を繋ぐこと。これが生きとし生ける者全てに課せられた使命だからだ。使命から逃げる者は、空虚な生を送ることになる」
そろそろ我慢の限界だった。これ以上リープを放ってもおけないし、ジジイの戯言に付き合ってやる時間もない。
立ち上がったところで、老人はしわがれた声を張り上げた。
「あんただって本当は理解できてるんだろう?
……こんなに頭に血が上ったのは、産まれて初めてかもしれない。
殴りかからず、胸ぐらを掴んだだけで済んだのが、我ながら奇跡だと思う。
「……お前に何が分かる?」
このままくびり殺してやりたい衝動を抑えて、言葉をひり出した。
「……分かるさ、うちもそうだった」
老人は過去を振り返るように、ぽつぽつと語り出す。
「ワシには、どうにも種が無いらしくてな。エルフの薬で判明するまでは、随分と妻に苦労を掛けたよ。
本当に、心労を掛け過ぎた。そのせいか妻は早死にしてしまった。ワシは妻に何もしてやれなかった」
最早それは懺悔だった。話は続く。
「それどころか、ワシは自らの子に拘り過ぎた。愚かなことだ。血の繋がりを絶対視していたのだ。
もしも、もしも受け入れていたのなら……」と、老人は言ったきり黙り込んでしまった。
つまりこの老人は、自らの後悔を俺たちで晴らそうとしているのだろう。全く迷惑なことだ。
的外れだ。そもそも子供が欲しかった訳じゃない。ただ愛が欲しい、その証明として子を欲していたのだ、リープは。
あの時にそう確認して――
『……うん』
――子供は出来ないと告げた時の、彼女の涙を堪えるような声が、脳裏によぎった。
もしも手ぶらで帰ったら、彼女はどんな表情で出迎えてくるだろうか。
(……ああ、クソ。後悔は一生後を引く)
もう腹を決めてしまおう。良いじゃないか、どうせ碌でもない男だ。これ以上罪が増えたところで構いやしないだろう。誰かが罪を突き付けてきたのなら、軽薄に笑い飛ばしてしまえばいい。あはははは。
「子育てに詳しい奴を教えてくれ」
老人から赤ん坊を半場強引に奪い取る。その時の衝撃で起きた赤ん坊が激しく泣いた。
取り急ぎ、子供のあやし方から学ぶ必要がありそうだ。