「元気ない?」
「そんなことないよ」
赤ん坊を持ち帰り、必要な物と知識を仕入れてきた。
熱心なおばさんがここまで付いてくると言ってくれたが、流石にリープを見せる訳にはいかない。丁重にお断りした(あれは完全に住み込む勢いだった)。
さて、さて……。
ちょうど赤ん坊――トロエは長旅で疲れたのだろう、すやすや眠っている。話をするチャンスだ。
「リープ」
トロエを貰ってきたベビーベッドに寝かせ、彼女に向き直った。
「何?」
彼女は特に変わった様子はなく、いつも通りだ。
あまりの平常ぶりに、自分はもしかしてとんでもない勘違いをしているのではないかと思わされた。
都合のいい妄想を振り払うように首を振る。聞けばハッキリすることだ。
「あの赤ん坊の両親を殺したのはお前か?」
「そうだよ?」
間髪入れずに彼女は答えた。
明日の献立の方が、もっと時間を掛けていただろう。あまりの意識の差に、脳がぐわんと揺れた気がした。
(もしかして俺がおかしいのか?)
そんな訳ない。気をしっかり持とう。
だがこれは、1つ1つ確認していく必要があるか。
「人を殺すのは悪い事か?」
「違うでしょ?」
「それは……! 一概には言えないか」
そうじゃなくて。荒ぶりそうになる気を抑え、1つ深呼吸。額に滲んだ汗を乱暴に拭い去る。
「確かにぶっ殺した方がいい人間はいるし、自衛のための返り討ちも躊躇う必要はない」
「うん、そうだね」
冷静さを取り戻した問いにも、彼女は変わらず淡白に答えた。
彼女の表情は、口角を僅かに上げた微笑みで固定されている。彼女にとってはただの雑談でしかないのだ。
「今回のケースはどう思う?」
「あの夫婦が罪を犯していたかは分からないかな。自衛のためでもないよ」
「……それじゃあ何故?」
ここでようやく彼女は表情を崩した。考え込むように首をかしげる。
「子供は欲しかったけど、大人は要らなかったから。"やむを得ず"ってやつかな?」
「……もう少し詳しく」
「うん……ところで、」
彼女は少し罰が悪そうに俯いた。ここでようやく、俺が求めたポーズを取り出したのだ。
「怒ってる?」リープは不安気な表情で、声も震わせていた。動揺はしているみたいだが、俺の考えている原因と同じとは限らない。どんな答えでも、動揺を悟られぬよう、気をしっかり引き締める。
最早彼女の考えは読めないと思った方が良いだろうが、正面からぶつかるべきだ。嘘はつかない事にした。
「ああ、怒ってるよ」
「ごめん」
彼女はそう言って
「私、赤ちゃんのことは良く分かんなくて、死なせそうになっちゃって」
彼女は何を言っているのだろうか?
「だからこれからは全部ゼイゲンの言う通りにする。気を付けるから」
そして媚びるように「ね?」と言った。
最後の提案は、実に流暢だった。これはきっと、予め想定していた会話だ。
「確かに、扱いについては俺が見た方が良いな」
だがその件については彼女の方針で良い。敢えて暴く必要もないだろう。
だいたい俺が怒っているのはその事ではないのだ。軌道を無理やり元に戻す。
「"やむを得ず"について詳しく教えてもらっていいか?」
「え?」
不意を突かれたような顔。
どうしてそんな事を聞くのか理解できていないといった様子だが、それでも彼女は素直に考えてくれているようだ。
「だから、大人は必要ないから……」
彼女はより良い言葉を探しているようだった。
しばらく「う〜ん」と唸っていたが、いい言葉が見つかったのだろう、晴れやかな顔で言った。
「そう! 大人が居たら孤児にならないでしょう? だからあの子を孤児にするために、"やむを得ず"殺したの」
「……なるほどね」
養子を取るにはまず孤児が必要で。目当ての子供を孤児にするために殺したという事か。
「リープ」
俺はその過ちを、どう説明すれば良いのだろうか。
「まず孤児は作るものじゃないんだ」
「え? でも戦争とかでよく作ってるよ?」
「目的が違うだろ。あれは孤児を作るために殺してるんじゃなくて、結果として孤児になったんだ」
「そうだっけ?」
「そうだろ、そんな記述あったか? 親を殺すのが目的で、子供についての言及あったか?」
「無かっ、た、ね?」
妙に言葉に詰まっている。納得していないな。これ以上言葉を続けても、反感を買うだけだろう。
ならばせめて、結論だけは無理やりにでも伝えよう。
「孤児は作るもんじゃない。そのための殺人はダメ。おーけー?」
少し間をおいて、「......おーけー!」
ピースピースと、呑気にリープは答えた。
上手くいったとは思えない。そもそも彼女に罪の意識が欠片もないのだから、意識させることは出来ないのかもしれない。
(修正は、俺には無理だな)
惚れた弱みという奴だろうか。関係性の悪化を恐れ、上手く言葉に出来ない。彼女は『一緒に居てくれる』とは言ったが、それでも怖い物は怖いのだ。著しい弱体化だった。
だからこの件はこれで良い。とりあえず二度目はないだろう。そう納得するしかなかったのである。
しかし別件でズレた行動を起こすだろうなとは思った。流石に事前の対策くらいは打っておきたかった。
(全チェックは流石に無理だな。やること全部事前申告させるか? 現実的じゃないか)
「……今度新しいこと始める時は、やる前に俺に言ってくれ」
「分かった」
これで良し。後は野となれ山となれ。
(……疲れたな)
意外、ではないが。見知らぬ一面を覗いてどっと疲れてしまった。
でもまだまだ話さなければならない事があったりする。赤ん坊の食べ物についてだ。
トロエは柔らかい物なら食べられる時期らしいが、それでも主食は乳だ。
しかし牛乳は母乳の代替品にはならない。
単純に体を作る栄養素が不足している以外にも、母乳にはアレルギー予防、免疫系の強化等。様々な役割を担う物質が含まれているからだ。
これを牛乳ベースで調合することは不可能と言って差し支えない。
「ここに母乳が少しある」
手の平ほどの瓶を机に置く。半分も入っていないので、一日分にも満たない量だ。
「これと同じものを魔法で作るんだ」
「え、無理」
即答。だが不可能ではない筈だ。
「リープの魔法、溶解液を出す魔法なら可能だろ。十分な拡張性はある筈だ」
拡張性を上げるため、リープの魔法術式は大まかに二グループに分けられている。
生成した魔法の放出量、強弱。また放出した溶液の操作を司るグループA。
生成する魔法の成分を規定するグループB。
グループBを複数用意することにより、リープの魔法は拡張性を確保しているのだ。AとBの組み合わせ。AとB'の組み合わせで、まったく効能が違いながらも、使用感を統一することが出来る。
ただしグループAの制約により生成可能なのは液体のみ。だが魔法の名称とは異なり、それが溶解液である必要はない。
「簡単に言うよね」
リープは瓶を手に取り、ちゃぷちゃぷと揺らした。まなざしは真剣そのものだ。彼女は魔法にはどこまでも真摯に向き合っている。
「複雑な混合物だ。それに液体以外も混じってるね。微小な、固体かな」
「そうなのか?」
「うん、牛乳と同じだね。あれも長時間放置すると、沈殿物ができるでしょ? あれは牛乳に固形物が含まれてるからなの」
「へー。じゃあやっぱり無理なのか」
最初に彼女が言った通り無理なのだろう。言ってしまえば、母乳というのは生命が作り出した神秘だ。それを再現しようというのは無理があったのだろう。無くても一応育ちはするらしいし、不完全なミルクで我慢してもらうか。
と考えていたら、
「……ちょっと待って」
何かが彼女の琴線に触れたのだろうか。難しい顔をしながら、目をつむり意識の中に埋没し始めた。
チクタクと、時計の針が規則正しく働き続けている。
それから暫くして、トロエが泣き声を上げた。彼女も働き始めたようである。
「おしめじゃないな。飯の時間か?」
メモによるとそろそろお腹がすき始める時間だ。
未だ微動だにしないリープへ向き直る。
「まだ掛かりそう?」
「......」
掛かりそうだ。
今日のところはメモだよりで赤ん坊用のミルクを作ろうか。
そして一夜が過ぎた。
その間も彼女は微動だにしないのだから大したものだ。手に持った瓶の中身は、もう痛んでいる気もする。
「......腹空いたろ。何か作ろうか?」
返事はなし。
試しに彼女の口元に腕を持っていく。唇に押し付けると口を開き、そのまま齧りついた。血がぼたぼたと瓶や太ももに降りかかる。幸い瓶には蓋がしており、中身に入ることはなかったが。
(あれ、食べさせて良かったのか?)
まあいいか。
咀嚼が止まっているようなので、顎を掴んで上下に動かす。次に上を向かせて飲み込ませようとしたが、これは上手くいかなかった。咀嚼が足りてないか。
(......流動食用意するか)
口内の肉を引っ張り出した。作り方はトロエのお陰で習得できている。
そして6日後。
「出来たよ」
リープは空の瓶を机に置いた。そして瓶を上から押さえつけると、みるみるうちに乳白色の液体で満ちていく。
まさしく魔法。得も言われぬ感慨が胸中を包み込んだ。
「比較したいから新しい母乳持ってきて」
「大丈夫だと思うけど」と彼女は付け加え、よろよろと寝室へと向かっていった。不眠不休だったのでさぞお疲れだろう。
「おやすみ」
彼女の背に声を掛けた。自分でも驚くほど、その声かけは優しかった。
結果として。
生成した母乳の成分にはなんら問題はなく、一応俺も毒見してみたが、体に異常は出なかった(俺の毒見に意味があるのかはやや疑問だが)。
これで食事についての問題はクリアしたと言えよう。
まあ、それ以外にも細々と問題は発生していたのだが。おおよそ普通の悩みであったことからここでは割愛させていただく。
俺を大きく苦悩させることになったのは、やはり魔族と暮らしているという異常な環境に起因するものだった。
胃をムカムカさせる問題は、赤ん坊だったトロエに確かな意識が芽生え、クリティカルな質問ができる年齢――5歳になって程なくしてからだ。
「どうしてママには角が生えてるの?」
素朴で、回答を間違えられない質問だった。後悔が走馬灯のように巡り、俺を惑わす。
だが意を決して口を開いた。
「ママはね――」