空がまだ闇に包まれている早朝、秋名湖畔にある旅館に1人の芦毛のウマ娘が訪れていた。
「いつもありがとうねトレノちゃん、毎日大変なのにえらいねぇ」
「慣れてるんで大丈夫ですよ、それじゃ、これで失礼します」
「うん、お母さんによろしくねぇ」
藤原豆腐店と書かれたバッグを背負い旅館の女将と別れた"スプリンタートレノ"、彼女の前面には数十年前に流行したリトラクタブルの夜間用ライト、そして後ろ腰と尻尾にはテールランプが装着されておりその身を白に黒いラインが入った服で包んでいる、その姿はまさにあの"アンフィニイエロー"を負かしたウマ娘そのものだった。
「さてと…」
峠道に入ったトレノは一気に速度を上げていく、暗闇に響くアスファルトを駆ける音、やがて最初のコーナーが見えてきた、しかしトレノは減速せずそのまま突っ込んでいく、オーバースピードギリギリの所で一気に速度を落としスキール音を立ててコーナーに進入していった。
ギャアァァアア‼︎
「(ちょっと速すぎたか…?まぁいいや)」
足の向きをほぼ変えずに、つまりはカウンターをあてずにトレノは難なくコーナーをクリアしていく、履いている白黒のシューズから火花と煙があがり、コーナー後半の姿勢が安定した所で再び走り出し立ち上がっていく、彼女が残したドリフト痕はこれ以上無い理想的なラインを描いていた。
「(はぁ、早く家つかないかなぁ…)」
トレノはいつものぼけっとした顔をしながらも、次々と完璧なスーパードリフトを繰り出しながら秋名を下っていく、太陽がほんの僅かに顔を出し始めた時間、彼女ただ1人だけの秋名峠にドリフトのスキール音が鳴り響いていた。
「ふわぁ…ねむ…」
「お前本当にいっつも寝ぼけた顔してんな」
「本当に眠いからしょうがないじゃん…」
「はぁ…そうだトレノ!んなことよりこれ見ろよこれ!」
バイト先での一騒動から数日経ったある日、2人はいつものように登校していた、レビンは眠そうなトレノに自身のスマホを見せつける、そこには中央トレセン学園スペシャルイベントと書かれた告知が映っていた。
「中央トレセン…?東京の?」
「そう!なんでも新しく大会が始まるらしくてな、それの記念として特別イベントをやるらしいんだ!それに見てみろよこれ、あのトウカイテイオーと抽選でレースできるらしいぜ!こんなの見に行くしかないよな⁉︎」
中央で新たに始まった"UAF"、それを記念してファン感謝祭の様な特別なイベント会が行われる、中でも目玉のイベントがあのG1ウマ娘、トウカイテイオーと抽選で選ばれた一般ウマ娘達がエキシビションレースを行えることだ、既に数千を超える応募が集まっており、どれ程の盛り上がりを見せているかよく分かるだろう、しかし次にトレノが呟いたセリフはレビンを唖然とさせた。
「…トウカイテイオーって誰だ?」
「…はぁっ⁉︎⁉︎おまっ、トウカイテイオーを知らないって言ったか⁉︎嘘だよな⁉︎世間知らずにも程があるぞお前⁉︎」
「お、おいレビンうるさいってば…」
「バカヤロー!これが叫ばずにいられるか!大体お前はなぁ!」
「始まった…」
レビンの叫びに周りにいた登校中の生徒達の視線が一気にトレノ達に降り注ぐ、レビンはそんなことお構い無しにいつもの説教まがいの講釈を垂れ始めた、やれレースに興味を持てだの、やれウマ娘としてだの、散々聞かされた話を再び大声で聞かされたトレノはその顔を顰めていた。
「…つーわけで、お前もイベント来いよな!レース観ればきっとハマるぞ!」
レビンの講釈は学校に着いても続き、挙げ句の果てには休み時間毎にトレノの教室に来てまで話していた、そしてようやく終わったのは数時間授業を終えた後のことだった。
結局2人はそのイベント祭に行くことになった、レビンの話にトレノは相変わらず興味の無さそうな顔で応える。
「別に行くのはいいけど、走るの観て楽しいか?」
「お前は分かってないんだよ!走ることの楽しさが‼︎」
「…いや、というか私はもう飽きてるっていうか…」
「はぁ?飽きてる…?」
キーンコーンカーンコーン
「レビンお前次移動教室じゃなかったのか?うちの教室いて間に合うの?」
「やべっ!と、とにかく再来週の土曜だぞ!忘れんなよ!」
「わーってるよ、じゃあね」
次の授業を忘れていたレビンは慌ててトレノの教室を出て行った、周りが授業の準備を始める中、先程言われたレビンの言葉を思い出し、トレノは小さく呟いた。
「楽しいかもしれないけど、毎日やってたら飽きるよ…」
─────中央トレセン 生徒会室
「協力に感謝するぞルドルフ、後はその芦毛のウマ娘が引っかかるかどうかだが…」
「構わないさ、私としてもその子の走りは観てみたいものだ」
書類作業を行うルドルフと来客席に鎮座するサバンナ。イエローがスピードスターズに提案したエキシビジョンマッチはサバンナが謎の芦毛のウマ娘を探し出す為に考えたものだった、ルドルフが生徒会長権限で手を回しそのウマ娘が参加するかも分からないそれを承認した、これまでに無い異例の事態だ。
「失礼しまーす‼︎カイチョーお仕事終わったー?」
そこにノックもせずに勢いよく入ってきたのはルドルフと同じく流星が入ったトウカイテイオーだ、彼女はこうしてよく生徒会室に入り浸りルドルフに会いに来ている。
「フッ、相変わらず元気だなテイオー」
「あれ?サバンナじゃん、群馬に行ってるんじゃないの?」
「1日中向こうにいる訳じゃないさ、日中はいち学園生徒としてこちらにいるぞ」
「ふーん、あっそうだ!ねえカイチョー、今週の土曜ボクも群馬に連れてってよ!峠レース観てみたいんだ!」
「全く毎回どこから情報を仕入れてくるのやら…まだ生徒会内でしか発表していなんだがな」
「(おおかたブライアンだろうな、テイオーにごねられて面倒くさくなって吐いた…そんなところか)」
フッとサバンナは乾いた笑いをする。
「ねぇいいでしょ?イエローの走り見たいんだヨー、どりふと?だっけ、あれかっこいいじゃん!」
「しょうがない…テイオーも当日連れて行くが、サバンナは平気かい?」
「問題無いさ、ついてくるといい」
「やったー‼︎」
はしゃぐテイオーを横目にルドルフは最後の書類を書き終えた、それを茶封筒にしまい席を立つ。
「サバンナ、私はこれから今の件についての告知を行いにいく、君は…」
「もちろん同行しよう、提案者は私だからな」
「承知した、そういうことだテイオー、私達はしばらく席を外す、生徒会室は開けとくから自由にしていてくれ」
「えぇーっ⁉︎せっかくカイチョーに会いに来たのにぃ!」
甲高い鳴き声をあげるテイオーを残し、2人は生徒会室を後にした、ルドルフたちが告知をしたその日、トレセン学園中は秋名峠でのエキシビションマッチの話題に持ちきりになっていた。
「…ここだ」
場所は戻り群馬県渋川市、蝉が五月蝿く鳴く日中、ライムサーティーンはとある場所へと足を運んでいた。【藤原豆腐店】と書かれた看板、横の狭い駐車場には赤いスポーツクーペ、彼女が探してる人物がここに居る、戸を開けるとぶっきらぼうな挨拶が聞こえた、藤原フミ、この店の店主であるウマ娘だ。
「…らっしゃい」
「やっと見つけましたよ、貴女が秋名最速のウマ娘ですね?」
「…んあ?」
「貴女に話があってきました」
「…あ、それと厚揚げひとつ…」
「中央の奴らが秋名にか、今頃峠レースがまた盛り上がるなんてな…けど、アンタが探してる奴は私じゃないぜ」
「そんな!豆腐屋やってる芦毛のウマ娘なんて貴女しかいない!あのアンフィニイエローをちぎったんでしょ⁉︎」
「仮に私だとしても、代走するってのは無い話だ」
「っ!…」
フミのその答えにライムは唇を噛み締めた、探しに探しやっとの思いで見つけた自分達のチームが中央に勝てるかもしれない最後の選択、それをあっさりと否定されてしまったのだ、フミは一本取り出したタバコに火をつけ話し始める。
「考えてもみろ、ガキが中心のレースに私みたいなバァさんが出るのは場違いってもんだ、ガキ同士の喧嘩は自分達で済ませるもんだぜ」
「…アタシは秋名で育った走り屋だから、中央…レッドサンズの奴らが、秋名の走り屋全部をバカにしてるのが見え見えで…それが一番許せないんです…!」
「秋名にだってすげぇ走り屋は居る!藤原さん、貴女ならそれができるはず!頼みます…!アイツらに実力のある奴がいるってこと…見せたいんです…!」
深々と頭を下げるライム、それが見ていられなくなったのかフミは厚揚げが入ったパックをライムの目の前に出した。
「…あいよ、厚揚げ140円」
「えっ…」
「…帰んな、力にならなくてすまなかったな」
タバコを消して作業に戻ったフミ、ライムは彼女の背中をじっと見つめた後、ポケットから小銭を出して店を出て行った。
「また来ます、藤原さん」
「やれやれ…本当に私じゃないんだがな…」
ライムが去った後、机に置かれた小銭を見てフミはそう呟いた。
2人の出会いから数時間経ち、日が沈んだ午後9時、店の戸締りをしていた結衣の耳に聞こえた腹に響くようなエンジン音、耳をピクリと動かした結衣が徐に駐車場に出ると一台の車が入ってきた、赤いGR86、フミの愛車だ。
「どうしたんだ、ウチはもう閉まりだぞ」
「おい結衣、お前だろ、ライムとかいう奴に変なこと吹き込んだの」
車から降りて早々フミは悪態をついた、結衣は彼女の言葉を聞いてやはりという風に笑った、この展開はお見通しだったようだ。
「事実だろ、秋名最速は今も昔も"ジーシーインプレッサ"こと藤原フミだ」
「いきなりきて代わりに走ってくれって、必死に頼んできてよ、哀れで参っちまうぞ…ま、走りに熱心なああいう奴は嫌いじゃないけどな」
「ライムはいい奴だ、嫌いじゃ無いなら走ってやれよ、中央だろうが楽勝だろ?お前なら」
「…やだね、ガキの喧嘩に大人が突っ込むようなもんだ」
懐からタバコを取り出し火をつける、結衣はその言葉を待ってましたと言わんばかりに、フミにある提案をだした。
「ならガキの喧嘩にはガキを出せばいい…そうだろ?」
フミはその言葉にピクリと止まりゆっくりと結衣の方を向く。
「…トレノのこと言ってんのか?」
「そうだ、かなり速いんだろ?」
「…秋名の下りなら誰にも負けない位には、まっ、私には敵わないけどな」
「ハッ、そうやってすぐ負けん気出すとこ変わってないなお前」
「けどアイツもなぁ、誰に似たのか知らねえが頑固なところがあって、走れといって素直に走るような奴じゃないんだよなぁ…」
「本当に親子そっくりだな」
「うっせ…ま、あのライムって奴の誠意に免じて作戦を考えておくか」
「(とは言ったものどうすっかな…)」
結衣と別れ家に戻ってきたフミは首を捻らせていた、どうやってトレノを走らせるか、自分の娘が自分以上の頑固者であることは重々承知している分、悩みに悩んでいた。
「(素直に言ってはい走りますって言うわけねえし…うーん…)」
「母さん、ちょっといい?」
その時、丁度問題の本人であるトレノが帰ってきた、読んでいた新聞を置きフミは振り返る。
「んぁ、なんだ?」
「再来週の土曜、高崎まで送ってくんない?レビンと東京行くんだ」
「東京?」
「中央トレセンの祭りみたいなのに行くから付いて来いって、高崎から新幹線で行くから送ってよ、電車賃は小遣いから出すし」
トレノからのお願いに、フミは何かを閃いたのかニヤリと笑った。
「…いいぞ、高崎までだな」
「よかった、じゃ…」
「ただし、条件がある」
「…はぁ?条件?」
「そうだ、今週の土曜、峠最速とか抜かしてやがる中央の奴らを軽くひねってこい、秋名の下りでだ」
「ッハァ?いきなりなに?」
ハナから突然言われた条件、趣旨が分からないトレノは素っ頓狂な声を出した。
「そうすれば駅まで送ってやる、それに電車賃も出してやるよ、おまけにちょっとの小遣いのおまけ付きだ」
「なっ…⁉︎新幹線代に…小遣い…⁉︎」
いきなり出されたその誘惑に思わずたじろぐトレノ、太っ腹すぎるその条件に心が揺れ動いている娘にフミはニヤニヤと口角をあげる。
「(すげぇ…この条件はめちゃくちゃぐらっとくる…!)」
「どうすんだ?やるのか、やらないのか」
「…少し考えさせてよ」
そう言い残すとトレノは自室のある2階へと上がっていった、フミは再び新聞を手に取り吸い殻を灰皿へと落とす。
「ハッ、好きなだけ考えな…ま、どうしても嫌っていうなら…って駄目だ、血が騒ぎだしちまったな…」
そう独り言を呟き小さく乾いた笑いをこぼした、スピードスターズとレッドサンズの交流戦まで後2日を切っていた夜、後に伝説となるウマ娘の始まりの炎が静かに燃えあがろうとしていた。
どうしてフミの愛車がGR86なのかは、ウマ娘としての名前にインプレッサを使いたかったのと、トヨタと頭文字Dのコラボで文太がGR86に乗っていたからです、時代設定的にも現代なので現行車にしたというのもあります。