人類が機械に負けた世界に転生したけど、記憶喪失の美少女アンドロイドを世話したらめちゃくちゃ懐いてきた   作:アスピラント

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幕間1
楽園、そして月の呼び声


 反重力駆動車が、ほとんど音もなく滑るように走っていた。

 車体の下から淡い光が尾を引き、整備された高速道路を一条の線となって駆け抜けていく。窓の外には、完璧に統制された都市景観が広がっていた。

 

 白と金を基調とした建築群が延々と並び、そのすべてが幾何学的に配置されている。高層ビルは同一の高さと角度で整列し、壁面の金属光沢は人工光を均等に反射していた。建物の外壁には国章のシグマ《Σ》が刻まれ、秩序と純粋を象徴している。

 

 ここはエリュシオン人類統治連合国が支配する巨大都市――アウロラ。

 

 火星に築かれた人類至上主義国家の理想卿であるエリュシオンの領域には、常にエネルギーフィールドの天蓋が空を覆っている。外界の大気は遮断され、人工的に生成された青空がその内側に投影されていた。

 

「スカイ・リーパーはしくじったみたいね」

 

 そんな未来都市を見ながら、反重力駆動車の助手席に座っていた紫色の髪を靡かせた女が呟く。彼女の名前はリディア・クロイツァーと言う。エリュシオンにて機人(マキナス)の研究で名を馳せた傑物だ。

 

 そして彼女の隣には男がいた。

 名をユース・アーヴィング。

 

 年齢は二十代半ばに見えるが、年相応の粗さや若さはなく、整えられた銀灰色の短髪と、淡い青色の義眼が作り出す左右非対称の顔立ちは、精密機械を思わせる冷ややかさを帯びている。首筋から鎖骨にかけて覗く人工皮膚の継ぎ目は極めて薄く、よほど注意深く見なければ機械化手術の痕跡とは分からない。

 

 彼はリディアと同じく、エリュシオン直属研究機関に所属する主任技術官であり、専門はアセンション・システムの神経制御系および戦術AIの設計を担当している。

 人間の判断速度を超えた戦場演算、敵性思考の予測モデル、集団戦闘における自律連携アルゴリズム――その分野において、ユースの名は若くして知られていた。

 

「……彼らだけじゃ、無理な内容でしたしね」

 

 ユースは正面を見据えたまま、低く抑揚の少ない声で口を開いた。

 

「高機動と隠密性能に特化した部隊ではありますが、制圧・殲滅戦には向かない。重装甲の殲滅部隊か、少なくとも近接戦闘用の大隊を同行させるべきだった」

 

 まるで研究報告を読み上げるような冷静さだった。

 

「なぜ、あの構成だけで投入したのか……」

「ふっ……」

 

 リディアは肩越しに流れていく都市の光を眺めながら、薄く笑った。

 

「理由は単純よ」

 

 紫の髪が車内の空調に揺れる。

 

「あれはアインヘルの息がかかった一派が、最高指導者に無断でやったことだから」

 

 ユースの義眼がわずかに光度を変える。

 

「独断、ですか」

 

「ええ。それに功績を独占するつもりだったんだろうね。成功すれば英雄、失敗すれば……現場のミスで終わりよ」

 

 リディアは鼻で小さく笑う。

 

「どのみち、計画が頓挫した時点で運命は決まっていたようなものだけど……まぁ運が無かったわね」

 

 車内に反重力装置の微かな振動音だけが残る。

 ユースは数秒沈黙した後、ぽつりと問いかける。

 

「……アインヘルは、失敗の責任を取ると思いますか」

 

 その声音には、純粋な疑問と、ほんのわずかな諦観が混じっていた。

 

 リディアは即座に答えた。

 

「ないね」

 

 即断だった。

 

「あの老耄はのらりくらりとかわすだろうさ。部下の越権行為だの、情報の錯誤だの、適当な理由を並べ立ててね」

 

 彼女は小さく舌打ちする。

 

「忌々しいことだがな。ああいう連中ほど、しぶとく権力にしがみつく」

 

 ユースはそれ以上何も言わず、都市を貫く光の帯の中を車で進み続けた。均整の取れた白と金のビル群が、まるで無限に続く回廊のように並び、道路脇の人工樹木はすべて同一の高さ、同一の葉形に剪定されている。そこには偶然も、自然の歪みも存在しない。

 

(住んでるだけで息苦しくなるような環境なのに、それに加えて権力争い。機械が全て人類の滅亡を願うものなら既に負けている)

 

 もっとも勝つ見込みが本当にあるのか――ユースは頭を抱えてしまいたくなった。ただこう考えている人は少なくない数だがいる。もっと現実的に考えて、機人と共存する未来を選択した方がいいに決まっている。

 

 だけど上は許さないだろう。

 それに付き従う英雄も同じく。

 

「それよりも……問題は月よ」

 

 そう考えているとリディアが少しトーンを低めにして語り出した。

 

「月のプーパの活動が、ここ数週間で異常なほど活発化している」

 

 ユースの視線がわずかに鋭くなる。

 月の現状については彼もよく知っていた。

 あらゆる勢力が互いに争い、紛争が絶えない無法地帯だ。

 だがここ100年あまりで勢力図が変わり、エリュシオンだけじゃなく一部の機人側でさえ予期せぬ事が起きていた。

 

「観測記録は見ました。出現頻度、行動半径、群体の再編成速度……すべて予測モデルを上回っています」

「そう。しかも連中、これまでのような無秩序な拡散行動じゃない」

 

 リディアは端末を起動し、簡易ホログラムを展開する。淡い光の中に、月面の観測データと奇妙な有機構造体の群れが浮かび上がった。

 

「まるで……目的を持って動いているように見える」

 

 彼女の瞳が細められる。

 

「プーパは知性を持たないとされてきた。でも、最近の挙動はそれを否定している。集団での役割分担、囮行動、資源確保ルートの固定化……どれも偶然とは思えない」

 

 ユースは無言でホログラムを見つめる。

 

「奴らの異常行動を分析しない限り、次に何が起きるか分からない」

 

 リディアの声には、研究者としての興奮と、同時に拭いきれない不安が滲んでいた。

 

「スカイ・リーパーの失敗なんて、前座に過ぎない可能性すらあるわ」

「……リディア博士はどう考えますか」

 

 先輩であり、頼れる上司であるリディアの率直な意見を知りたくなったユースは食い気味に問う。すると彼女は「あくまでも推測だけど」と念を押した上で言った。

 

「月の地下……プーパの()に彼らを率いる何かがいる」

「何か……」

「ええ……しかもただのプーパじゃない」

 

 王のような存在がいる――リディアは静かに言った。

 

         *   *   *

 

  静謐という言葉だけでは足りないほどの沈黙が、その空間を支配していた。まるで神々が暮らすような荘厳な部屋には、エリュシオンの国章が幾重にも浮彫として刻まれている。

 

 無理もない。

 ここは国家の意思が決定される、選ばれし者のみが足を踏み入れることを許された会議殿なのだから。

 

 そんな部屋の中心には巨大な半円形の机――いや、もはや壇上と言ってよい机が置かれているのだが、その奥に一人の男が座していた。

 

 白金の法衣に身を包み、背筋は異様なほどまっすぐに伸びている。年齢は定かではない。壮年とも老年とも取れる顔立ちだが、肌には一切の弛みがなく、彫像のように硬質だった。金色の長髪は肩口まで流れ、光を受けて微かに輝いている。

 

 彼は分厚い一冊の書物を手にし、ゆっくりと頁をめくりながら、まるで独白のように口を開いた。

 

「母なる神は……我々を欺いたつもりであろうが、それは違う」

 

 低く、澄み切った声が、広大な空間に静かに反響する。

 

「機械というものは、ただの道具だ。意志も魂も持たぬ。人のように悩み、選び、信じることなどできはしない」

 

 頁を閉じ、細い指で書物の表紙を撫でる。

 

「それにも関わらず、連中は“統計”を“運命”などという大仰な言葉にすり替え、自らの魂と知識、そして権能を分け与えた子らに未来を託した」

 

 口元に、かすかな嘲笑が浮かぶ。

 

「実に……馬鹿馬鹿しい話だ」

 

 男は顔を上げ、虚空を見据えた。

 

「たかが計算だ。数式だ。演算の積み重ねなど、いくらでも捻じ曲げられる。破壊できる。上書きできる」

 

 その瞳には、揺らぎがない。

 神をも否定する傲慢さと、それを当然と信じる絶対的な確信だけが宿っていた。

 

「……お前はそう言ったな」

 

 最高指導者は、会議場の奥、照明の届かぬ闇へと視線を向ける。

 

「賢者アインヘルよ」

 

 数秒の沈黙の後、柱の影から、細長い人影が音もなく進み出る。

 

 その人物は異様なほど背の高い老人だった。枯れ枝のように細い四肢、鷲のように尖った鼻梁、深く落ち窪んだ眼窩。その奥で光る瞳だけが、年齢を感じさせぬ不気味な輝きを放っている。

 

 白衣とも法衣ともつかぬ長衣を引きずりながら、ゆっくりと歩み寄り、やがて机の手前で片膝をついた。

 そして口角を不自然なほど吊り上げ、歪んだ笑みを浮かべる。

 

「最高指導者様……」

 

 老人の声は掠れており、しかしどこか甘美な響きを帯びていた。

 

「この老骨が……一度でも、貴方の期待を裏切ったことがありましょうか?」

 

 賢者の名を冠する科学者――アインヘルは自らの主の前にしても、それは余裕のある態度を捨てない。積み上げてきた功績、そして能力に対して絶対的な自信があるからだ。

 

 ただし彼の振る舞いは不敬そのもの。

 この場に集う()()()からしたら、アインヘルの態度は非常に腹立たしいものだった。

 

「……随分と余裕だな、アインヘル」

 

 重苦しい沈黙を切り裂くように、会議場の一角から低い声が響く。それと同時に柱の並ぶ列の間から、一人の男が歩み出る。

 

「少なくとも……()()は貴様を信用していない」

 

 年の頃は40代と言った所か。黒と白の軍装を纏い、鍛え抜かれた体躯は人間離れした威圧感を放っていた。短く刈り込まれた銀髪と、鋭利な眼光。腰には儀礼用ではない、実戦用の軍刀が下げられている。

 

 彼は人類救世軍の最高司令官にして、《戦士》の二つ名を持つウルトという名の男だ。

 

「貴様は独断で、スカイ・リーパー部隊を動かした。その結果がどうなったか……言うまでもあるまい」

 

 ウルトの視線は刃のように細まり、アインヘルを射抜く。

 

「任務は失敗。目的も果たせず、エクスマキナに余計な警戒心だけを与えるだけじゃなく、無駄に戦力を消耗し、我々に対して政治的な火種まで残した」

 

 一歩、踏み出す。

 

「……どう弁明する気だ?」

 

 その声は抑制されていたが、底には煮え滾る殺気が沈んでいた。だがアインヘルは、片膝をついた姿勢のまま、肩をすくめるような仕草を見せる。

 

「おやおや……失敗、ですかな?」

 

 白濁した瞳を細め、芝居がかった口調で続ける。

 

「実験というものは、成功と失敗を重ねてこそ意味を持つもの。彼らが生き延びたこと自体、貴重な観測データになりますぞ?」

「詭弁を……」

 

 ウルトの声に怒気が滲む。

 その瞬間だった。

 

「まあまあ、二人とも落ち着こうよ」

 

 場違いなほど軽やかな声が割って入ってきた。

 玉座に近い位置、円卓の縁に腰掛けるようにして、いつの間にか一人の少年がいた。

 

 年は十代前半ほどにしか見えない。柔らかな金髪に中性的な顔立ち、白を基調とした簡素な服装。だが、その無邪気な微笑みとは裏腹に、周囲の重臣たちは一斉に息を呑む。

 

 彼もまた、最高指導者と直接言葉を交わすことを許された存在だった。

 

 名は奇術師――ラキ。

 

「博士もさ、もうちょっと態度を考えたほうがいいよ? ほら、閣下……血管浮いてるし」

 

 ラキはくすくすと笑いながら、宙に足をぶらつかせる。

 

「それに、今回の件は失敗だけど……完全な無駄じゃなかったでしょ? 収穫はあったって」

「収穫がある依然の問題だ」

 

 すると今度は赤い髪を靡かせた女が現れた。

 目つきはまるでナイフのように鋭く、顔には細かい傷が刻まれて野性味あふれていながらも、それがかえって美しさをアピールしている。

 

 執行者――エルブロジア。

 それが彼女の名前だった。

 

「賢者アインヘル」

 

 赤い髪が会議場の照明を受けて炎のように揺れる。その視線は刃物のように鋭く、片膝をつく老人を真っ直ぐ射抜いていた。

 

「貴様の問題は失敗そのものじゃない。独断専行が多すぎる。常に組織の指示を無視し、勝手に駒を動かし、勝手に失敗し、勝手に“実験”とほざく」

 

 一語一語に怒気と軽蔑が込められていく。

 

「それだけじゃない。お前は……我々エリュシオンが掲げる理想と、同じ場所を見ていない」

 

 ざわり、と空気が揺れた。

 

「人類の純化、機械の完全排除、そのための秩序ある支配。だが貴様は違う。機械を憎んでいるような素振りを見せてはいたが、どちらかというと異常な執着に私は見える」

 

 エルブロジアの瞳が細まる。

 

「貴様は我々とは別の目的を持っている。違うか?」

 

 場の視線が、一斉にアインヘルへと集まった。

 だが老人は動じない。

 ゆっくりと顔を上げ、白濁した双眼を細め、愉快そうに口角を吊り上げる。

 

「疑うのなら……どうぞ、ご自由に」

 

 かすれた声は、驚くほど穏やかだった。

 

「研究資料でも、私の私室でも、脳の中でも。解剖でも監視でも……邪魔などいたしませんよ」

 

 くく、と喉を鳴らして笑う。

 

「やましいことがある者ほど、隠したがるものですからな。私は違う。ただ“真理”を追っているだけだ」

 

 その言葉に、エルブロジアの眉間に深い皺が刻まれる。

 

 その時――

 

「……争いは、身体に毒ですよ」

 

 静かな声が場に落ちた。

 

 今度現れたのは、一人の女だった。

 

 淡い灰色の長髪。細い肢体。白を基調とした簡素な衣服。目元は機械製のカバーで覆われ、表情の半分が見えない。それでも、その佇まいには不思議な柔らかさと儚さがあった。

 

 彼女はゆっくりと歩み出る。

 

「ナーシャ……」

 

 誰かが小さく呟いた。

 世話人――ナーシャは静かに口を開く。

 

「最高指導者様の御前です。感情をぶつけ合う場所ではありません」

 

 静かな声なのに不思議と逆らえない重みがあった。

 その後に新たに4人の影が現れた。

 亡者、解体者、織り手、騎士、それぞれ2つ名を冠していた彼ら4人も、ナーシャに同意を示していた。

 

 すると口を閉ざしていた筈の最高指導者は本を閉じた。

 乾いた音が静まり返った会議場に小さく響く。

 その視線が、賢者、執行者、奇術師、世話人、そして新たに現れた四人の影――亡者、解体者、織り手、騎士へと、順に向けられていく。

 

「……諸君らのことは理解しているつもりだ」

 

 低い声が空間を支配する。

 

「アインヘルよ。お前が人類の存続を最優先に考えていることも」

 

 白濁した瞳を一瞬だけ見据え、

 

「エルブロジア。お前が秩序と統制こそが唯一の未来だと信じていることも」

 

 赤髪の女へと視線を移す。

 

「ラキ。混沌の中に可能性を見るお前の思考も」

 

 軽薄な笑みを浮かべる少年へ。

 

「ナーシャ。誰よりも静かに、この国の“終末”を想定して動いていることも」

 

 機械のカバーに覆われた女は、微かに頭を下げた。

 そして、闇の中に立つ4人の異名持ちにも、短く目配せをする。

 

「だがな」

 

 最高指導者の声が、わずかに低くなる。

 

「この場に集う者が一人でも欠ければ、我々に未来はない」

 

 会議場の空気が張り詰める。

 

「勿論……勝つことは重要だ。支配することも、滅ぼすことも、排除することも」

 

 指先で机を軽く叩く。

 

「だが――我々が生き残らねば、何の意味もない」

 

 アインヘルが、わずかに口角を上げた。

 

「賢者が求めるのは“人の生存”だ。勝利は手段にすぎん」

 

 最高指導者は天井を仰ぐ。

 そこには、エネルギーフィールド越しに投影された人工の空が広がっている。

 

「太陽系に築き上げられた、人類の叡智。文明。科学。都市。軌道上の楽園……」

 

 彼の声は、次第に熱を帯びていく。

 

「それらはすべて、本来“我々のもの”だった」

 

 拳をゆっくりと握りしめる。

 

「だが機械どもは、人の魂と知識を模倣し、盗み、奪い……あまつさえ“意思”を持ったかのように振る舞い、主人の座に居座った」

 

 その瞳に、冷たい憎悪が灯る。

 

「奪われた文明を取り戻す」

 

 静かに断言するように言った。

 

「そのためには機械の力が不可欠だ」

 

 エルブロジアの眉がわずかに動く。

 

「皮肉な話だがな」

 

 最高指導者は、薄く笑った。

 

「彼らの築いた技術、彼らの演算能力、彼らの兵器、生産網、宇宙進出技術……それらを利用せねば、真の意味で人類は太陽系を取り戻せない」

 

 アインヘルの喉が、愉悦に鳴る。

 

「今度は我々が奪う番だ」

 

 最高指導者は、ゆっくりと立ち上がった。

 

「道具に戻すのだ。魂も、自由も、意志も剥ぎ取り――」

 

 冷たい微笑を浮かべる。

 

「人類の未来のために、再び正しい場所へ戻してやるのだ」

 

 会議場の重鎮たちは沈黙したまま、その言葉を受け止める。

 

「この長きにわたる戦争に終わりを齎すのは、我々――救済の勇者達(ヒーロー・オブ・サルベーション)だ」

 

 今この時を持って、エリュシオン最高戦力が動き出した。

 それは同時に、近いうちにアルタとベガの2人に立ちはだかる事を意味していた。

 

 

          *   *   *

 

 

 月面のとある高地。

 鋭く削られた岩山の頂に1人の女が立っていた。

 

 人の骨格を思わせる流線的な肢体に、身体へぴたりと密着する戦闘用ボディースーツ。その装甲は薄く、それでいて月光を受けて淡く輝き、まるで生体金属の皮膚のようだった。関節部には微細な発光ラインが走り、内部で循環するフォトン流が、脈拍のようなリズムで明滅している。

 

 彼女は機人(マキナス)だった。

 

 腰まで届く淡いエメラルド色の髪が、微弱な重力に揺らめき、冷たい真空にふわりとたなびいていた。

 

 女は山の縁に立ち、はるか上空を仰ぐ。

 視界の先には、漆黒の宇宙を背景に浮かぶ、青く輝く星。

 雲の白と海の蒼が渦を巻く、美しい惑星――地球。

 

 かつて人類が生まれ、機人が創られ、そして争いが始まった場所だ。彼女はゆっくりと胸の前で指を組み、ほんのわずかに目を細めるとため息を吐くように言った。

 

「……ベガ」

 

 彼女の視線がわずかに震える。

 つい最近まで彼女はベガは何をしているのだろうか、ちゃんと頼れる仲間がいるのか、不安でいっぱいだった。

 

 だが()()()()()()を聞いて、深く安堵するのと同時に危機感を覚えた。

 

「……まだ、間に合うといいんだけど」

 

 彼女は眼前にて広がる、巨大な穴を見ながら言った。

 月の地下にいる存在が胎動し始めている。それはそう遠くない内に破滅的な戦いが幕を開けるという証でもあった。

 

「正念場ね……」

 

 月の荒涼とした大地の上で、その言葉は誰にも届かず、ただ電子ノイズにも似た微かな振動となって消えていくと、代わりに地下から不気味な音が鳴り響く。

 

 それを聞いた彼女はこう思った。

 運命の歯車が、ひとつ軋む音を立てて回り始めているようだ――と。

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