万が逃げ出し古菲は一人ぽつんとその場に取り残されていた。
「こ、これが気の抑制アルか?!まさか気を抑えることで姿まで消える……ってそんなわけないネ」
どんなに察しが悪くとも、気づくだろう。
その場にはほんの少し陥没した地面があり、それは足型のようにも見える。
すなわち、師父は逃げたのだ。
「師父の強さの片鱗が見れると思ったのに残念ネ……」
そう一人ごちる。
今に至るまで古菲は彼の本気を見たことがない。
何度も何十回も彼に挑み、どんなに筋力をつけようと、どんなに技を磨こうとも彼は一切本気を出すことは無かった。
いつも構えすらせず、困った顔をしながらこちらを眺めている。
そしてこちらの技を見た後は怪我さえさせられることなく沈められる。
一体どれほどの力を持っているというのだろうか。
それさえわからないほどに瞬殺される。
動きを目で追うことすら出来ず、気づいたら地に伏している。
そんな馬鹿げた強さを彼は持っていた。
だが、それは悔しくもあったが同時に嬉しかった。
今まで彼女が見てきた強者はあくまで理解できる範疇にしかなく手の届く範囲にしかなかったのだ。
だから修業を重ね、相手を下し、また更に強いものに挑む。
それの繰り返しだった。
そんな"手の届く範囲"だけの修行と戦いの日々は強くなっているという実感がいつでも得られ、楽しかったがふと思ってしまった。
この先もし更に強いものが現れなかったらどうなるのだろうか?と。
チョコボールのように次々と出していけば、いずれ終わりが来る。
自分より強いものが現れなくなった時、どうなってしまうのかと、ふと、考えてしまった。
それで私の戦いは終わるのか?そんな先にあるものが武の極みなのか?それが最強という称号なのか?と。
でも今の時点では、まだまだ上がありそんなことを考えるだけ無駄だと、そんなものはただの妄想だと、押し殺し修行に没頭した。
そんな時だった、彼の噂を聞いたのは。
最初は半信半疑だった。
そんなに強い人間がいるわけない。
だが心の何処かで期待している自分もいた。
だから挑んだ。
結果は前述の通りである。
そして古菲は理解した。
世界にはこんなに強い人間がいるのだと、ワタシの強さはまだまだ途中でしかなくその先があるのだと、果てはないんだと。
まあ、そういった感動を与えてくれたが最強を目指す以上その理解できないものを理解しないことには話が進まない。
でも彼はその力を進んでふるおうとするような好戦的な人間ではない。
だから、戦いの中ではその片鱗を見ることは出来ない。
ならば、弟子になればその強さの欠片を見ることができるんじゃないかと思い弟子入りした。
そしてその力を見ることができる最初の機会だったため、少し心が踊ったが結果はこれだ。
また今日も見ることは出来なかった。
残念だが仕方ない。
選択の権利は強者にのみ与えられた自由なのだから。
と、そんなふうに見れなかった悔しさをごまかしながら考えていると近くに幾つかの気配があることを感じた。
『気』の修行の成果だろうか、どうやらそういった微妙な変化を感じやすくなっているらしい。
先ほどまでは師父というとてつもなく強大な気配があったため気付かなかったが近くに幾人かが潜んでいることが分かった。
いつも通りワタシに挑もうとする挑戦者か?とも考えるが戦意や敵意といったものは感じない。
むしろいつも感じているような、と思いいたったことでその辺の茂みに向かって話しかける。
「みんな、そんなところに隠れて何してるアルね?」
そう言うとビクッと言ったような効果音が聞こえたような気がした。
近くにあった茂みが揺れそこから何人か、自分の所属しているクラスの友人、知人が現れる。
「き、気づいてたの?」
「気がついたのはついさっきアル。で、こんなところで一体何の用ネ?」
そう古菲が言うと覗いていたという後ろめたさからか彼女たちは少しうろたえる。
だが、そんなことを気にすることもなく話しかけてくる少女がいた。
「ねえねえ古菲ちゃん!さっきの人彼氏?なんかすがりついてたようにも見えるけどもしかしてフラれちゃった?」
まあ誰と言わなくてもわかるだろう。
パパラッチもとい、自称ジャーナリストの朝倉和美だ。
どうやら先程の恥ずかしい姿を見られていたらしい。
「ち、違うアルよ!し、師父とは別にそういう関係じゃないアル!」
そういったことをごまかすため少しムキになって答える。
「そうなの?それにしてはずいぶんいい雰囲気だったみたいだけど」
そう言ったのが不味かったらしい、まるで我が意を得たりと言わんばかりに追求してくる。
しまったと思うも、遅かった。そのままの勢いで色々と聞いてくる。
「そういえば、古菲ちゃんは婿を探してるとか聞いたけどホント?なんでも、強い人を探してるとか。もしかして彼がそうなのかな?噂によると麻帆良最強みたいだし」
なんだか妙にテンションが高い。
先ほどまで落ち込んでいた事もあって少し温度差を感じてしまう。
「違うネ……師父とはそういうのじゃないアル」
「え、あ、……そのえっと、ごめんなさい」
そうポツリと漏らすとやっちゃったみたいな雰囲気を出して謝られた。
彼女はよく取材していることもあってそういった空気の変化には敏い。
そういった部分が強引な取材をしていても嫌われない秘訣なのだろうか。
別に対して気にしてはいないがそんな様子がおかしくて少し笑ってしまった。
「別に気にしてないアルよ。で、いきなり何ネ?」
聞くと彼女はさっきまでの空気のせいか黙りこんでしまう。
それを見かねたのか明日菜が前に出て答えた。
「いや、最近古菲ちゃんがあの男の人に弟子入りしたって聞いて和美が彼氏じゃないのって言い出してね。私は違うんじゃないかって言ったんだけど色々と意見が割れてね。確かめようってなったのよ」
どうやらそういうことらしい。
周りからはそういう風に見えるみたいだ。
確かに思い返してみれば、そうとられてもおかしくないことをしていた。
そう、ここ数日を思い出す。
毎朝、彼を迎えに行き、一緒に登校、放課後もまた迎えに行って下校ののち二人きりで修行。
自分のことでなければ確かに付き合っているのか?と思うだろう。
そんな様が面白かったのか何なのかふと笑みが溢れる。
「そうアルか?確かに好きか嫌いかで言えば好きの方に入るけど別にそういうのじゃないアル。どちらかと言うと憧れのほうが近いアルね」
そう古菲は率直な意見を述べた。
そうだ。今の私にとっての師父は憧れの存在で目指すべき対象だ。
そんな存在に恋い焦がれてはいるがそれは恋愛感情ではないだろう。
そう、自分の考えを心のなかで強くする。
けれどなぜか周りのみんなは納得しなかったようで、
「……やっぱり恋愛なんじゃ」
「え?でも本人は違うって」
「いや、私古菲ちゃんのあんな顔見るの初めてだよ?なんというか妙な大人の色気みたいなのでてるし」
「うん……私ちょっとドキッとしちゃった……」
何かぼそぼそと話し合っている。
「聞こえてるアルよー。だから違うっていってるアルねー」
そういうも彼女たちは聞く耳を持たず何度か問答を繰り返す。
えー?でもなどとそんな他愛もないことを。
その様子がおかしくて、でもなぜかたまらなく胸が締め付けられるようで……
「ん?どうしたの?古菲ちゃん」
「……何でもないアルよ。そろそろ暗くなってきたし寮に戻るネ」
そう言ってはぐらかすように家路につく。
先ほどまでの暗い感情はどこかに消えてしまっていた。
また明日も頑張ろう。
そう決意を新たにしつつ、彼女たちとワイワイ騒ぎながら寮に帰った。