ARMORED CORE ASSEMBLE 作:ドクター・ヴィオラ
マインド素体パーツは旧世代型強化人間と 相性が良いことが確認されています
機会があれば貴方もお試しください
「各員に通達。一時間後にルビコンの宙域に到着する。搭乗の準備を怠るなよ」
船内にナイルのアナウンスが響きわたっても、イグアスはつまらなそうに食堂で鼻を鳴らすだけだった。
下役の兵隊たちがナイルの言葉に浮わついている。彼の言葉はいつも人が従いたくなるような厳格な重みがあった。
そんな兵隊たちの態度がイグアスのいらだちをさらに加速させた。彼は舌を打ったあと我慢がならないとでも言うように指で机をトントンと鳴らした。
「何をいらついていやがる」
「ふん」
イグアスは目の前の席に座っている、ヴォルタに対しても鼻で返事をした。大柄な彼は真面目な顔で詩集を読みこんでいた。
イグアスの親友であるヴォルタは、彼の不躾な態度にはすでに慣れている。だから鼻で返事をされることも特に不快には思わない。
「別に……今回の仕事もくだらないだろうと思ってよ」
「そうは言うがな」 ヴォルタは詩集を読むのを已めずに続ける 「なんでもルビコンの資源ってやつは大層なエネルギーらしい、アーキバスの連中も先に乗りこんでいやがる。レッドガンの戦力も大半がこの仕事に駆りだされている。俺は……この仕事はもしかすると、もしかするかもしれないぜ」
「もしかするかもってなんだよ」
イグアスはヴォルタの馬鹿そうな言葉に苦言を漏らした。
「少なくともボーナスは期待できる」
「うまくやればな」
「おまえがうまくやるんだ」
ヴォルタはイグアスの借金の完済があとわずかであることを知っていた。
「最近……五花海に商売を学んでいるんだ」
「知っているさ」
そしてヴォルタが内心で“ミシガンの顔面をボコボコにすること”を諦めていることも知っていた。そのうえで彼は先を見ていた。使いつぶしのレッドガンに所属していては未来がないと言うことを。
それに対して──自分はどうだろうか。
あのときの決意を捨てるだけの度胸もなく、勉学に励むだけの根性もなかった。さいわいレッドガンの番号が手にはいるくらいの才能はあったが、かつてのヴォルタのように訓練を熱心にやったわけでもない。
根本的にイグアスは持ちまえの“戦いの才能”に頼りきっているフシがあり、それがヴォルタに番号を抜かされたひとつの原因でもあったのだ。尤もいかに負けずぎらいな彼でもさすがに親友に嫉妬しようとは思わなかったが……。
ヴォルタはこれでいて、根本的に真面目な男だ。彼が報われることを妬むほどに腐ったつもりもない。
「一緒にやろうぜ」
「なんだって?」
「この仕事が終わったら、地球圏で商売をやろう」
「それはおまえの道だろうが」
別に学問に未練などないが、自分のような不勉強な人間を連れていって、何になると言うのだろうか?
「ふたりでひとつとでも言うつもりかよ。気色がわるいんだよ」
「慈悲と哀れみ、平和と愛とに。悩めるときに人は祈る」
ヴォルタの急な言葉にイグアスは目を丸くした。彼は手元の詩集を読みあげたらしかった。ポンポンと詩集を叩くと彼は笑顔で言う。
「商売の勉強のほかにも文学をすこしはやれと言われてよ。客に話を合わせるだの、舐められないためだの、そう言うのに必要らしいんだな」
「だから?」
「これが意外とおもしろいんだ。読んでみると……こう言うのは縁がなかったが……世界が広がるとでも言うのかね」
そしてこれらの善行に
人は感謝の思いを返す
慈悲と哀れみ、平和と愛とが
我々の神である
それなら慈悲と哀れみ、平和と愛とが
神の慈しみの子、我々のことなのだ
ヴォルタが詩を最後まで読みあげる。イグアスは黙ってそれを聞いているしかなかった。
「今さらおまえを置いていけるかよ」
「……俺に商売で何ができるんだよ」
「警備員くらいはできるだろ」
イグアスは鼻で笑う。
「それこそ……おまえの体格のほうが向いているだろうが」
「そうかもな」
いつの間にか──食堂の人間は自分たちだけになっていた。あと四十分ほどで出撃の時間だ。敬虔な兵隊蟻たちがベイラムのために準備をしているだろう。
ふたりが黙ると食堂が静まりかえった。イグアスは不思議とそれを“透明”だと思った。
「ヴォルタ、イグアス! どこにいる! ほかの隊員はすでに準備を済ませようとしているぞ! まさか下役にできることができないと言うつもりか!」
それから爆音のアナウンスが食堂の空気をぶちこわした。誰が話しているかは口調ですぐに分かった。じきじきに呼びだされるのはさすがにおどろかされたが。
「おい……あの爺……いやに真剣に言いやがるな」
「だから言ったじゃないか」
「何がだよ」
「もしかするかもってことだ」
ふたりは立ちあがる。自分のアーマードコアを確認するために食堂を去ろうとした。
そこで急にイグアスがふらつき、目の前の机に手をついた。
「どうした?」
「いや……急に耳の奥が痛んでな」
「飲みすぎか? こんなときに勘弁してくれよ」
「昨日は飲んでないっての」
ふたりは食堂を後にした。
机にはヴォルタが忘れていった、詩集だけが残されていた。
封鎖ステーションの上空で星々が輝いていた。まるで蛍のようだと思った。
──蛍? イグアスは蛍を見たことがない。その写真を見たこともない。それなのにどうして“我々”は蛍の光景を知っているのだ?
そうだ。これはイグアスの知識ではない。
これは“統合”されている。これはオールマインドの情報だ。
これが天上の光のすべて。
この場所でイグアスは──おれは──オールマインドは──わたしは──我々はこの場所で星を見て(Star Gaze)いた。
マインドベータの目はつぶさに星の光を捉えた。人間の目の性能など、比べようもなかった。
「透明だな」
とイグアスは独りで呟いた。
「透明だ」
こんな星空を見たことはなかった。
街のゴロツキとしてどこかの路地で倒れこんだとき、強化人間としてどこかの戦場で夜戦を終えたとき、こんなふうに星空を見たことがあったような気がした。
しかし、そのときにこんな感傷を星々に投影したことはなかった。単にほかの星でも自分がそうしているように、些細な争いが遠いところでおこなわれているのだと思った。
だって──そうではないか。
どこにいようと、どの星にいようと。自分の人生は戦ってばかりだ。
だから星々には祈らない。あの光のすべてが自分に次の戦いを案内しているだけだからだ。
しかし今はちがう。この瞬間だけがイグアスの人生だ。彼はひとつのことを目的にこの場所に立っていた。
透明だな
とイグアスは思った。しかし、まだ完全に透明ではないような気もした。かすかに喧しいのはあの野良犬に殺された、ACのパイロットたちの情報。そして自分をこんなふうにしたあの支配者の声だった。
それはイグアスを誘導し、透明な心境を汚そうとする。
そして。ほら──また二機の邪魔者が野良犬のために誂えた、この舞台にずけずけとはいりこんできた。
「……誰だよ」
「その声は……レッドガンの……」
まるで舞台役者のように二機のACが静かに封鎖ステーションへ着地した。
一機は真紅のACだった。嘴のような頭部をきらめかせている。その姿はまるで“ルビコンそのもの”を投影したような感じだった。
その隣にはできそこないの玩具のようなACが佇んでいる。がたがたの鍵盤のような羽。両手にパイナップルを持っている。あれは本当に武器なのだろうか?
「誰かと思えば……野良犬の飼主かよ。あんたもACに乗れたんだな」
「こいつにも意外とヤンチャな時代があったのさ」
軽薄そうな女の声がした。
「どうしておまえがこの場所にいる」
野良犬の飼主の声は歳相応にしわがれていて、それがミシガンのことを脳裏に連想させた。
「別に……気がつくとこの場所にいたんだ。なんでだろうな。でも……そっちだってそんなものなんだろう。野良犬はどこにいるんだ」
「ウォルター。世間話がしたいのかい? 事情なんてどうでも良いよ。なんにせよ……戦うことになるんだから」
女の機体が羽を拡げた。
「議論したところで納得することはないんだ。はじめようじゃないか。それとも……すでにはじまっているのかな?」
重量二脚が飛びあがる。イグアスにミサイルの“フルコース”が饗された。
「何がどうなっていやがる!」
イグアスはミシガンの胸元を掴んだ。
周囲の隊員が小さな悲鳴を漏らした。イグアスの行動に対してではなく、ミシガンに喰いさがったことに対してだ。
ミシガンはイグアスの行動を意に介さない。彼はいつもの仏頂面を歪めもせずに言いはなつ。
「何度も言わせるな! おまえは情報漏洩の疑いで謹慎が確定している!」
情報漏洩だと! とイグアスは内心で憤る。
よう……野良犬
おまえのような木端は知らんだろうがな
おれたちレッドガンは、壁越にアサインされている
この仕事は慣らしだ。終わったら……土着どもの要塞を落としにかかるのよ
たしかに言った。無用な言葉を。
自分は野良犬に情報を喋った。
しかし情報漏洩の罪になるほどのことではないと言うのがイグアスの見解だった。
ベイラムが壁を襲撃することは各勢力の情報戦のために周知の事実だった。解放戦線もアーキバスもすでに把握しているだろう。
そんな情報を一介の傭兵に知られたところでなんだと言うのだ?
「手を放せ!」
イグアスの体が急に持ちあげられ、次の瞬間には床に叩きつけられていた。
目元で火花が散ったが、口は動くことを已めない。イグアスは上半身を即座に起こし、ミシガンの顔を睨みつける。
「またいつものいやがらせかよ!」
ベイラムがレッドガンを目の敵にしているのは隊員の誰もが熟知していた。どこにでも派閥はあるものだ。特にミシガンはその圧倒的なカリスマを上層部に危険視されていた。
今回の件もミシガンへの当てこすりが大きいのだろう。
それ自体はよくあることだったが、今回はイグアスも黙っていられない。
イグアスの謹慎。
それはすなわち──壁を攻略するためのACが、キャノンヘッドのみになることを意味していた。
「ミシガン。おれはかまわない」
ふたりのあいだに声が割りこんだ。
隊員の人波が割れると巨漢がふたりの前に立った。
「なんの騒ぎかと思ったら……」
「……ヴォルタ」
ヴォルタがイグアスに手を差しのべ、立ちあがらせようとした。
「……自分で立てる」
「そうかよ」
イグアスは顔を反らした。
自分のためにミシガンに喰らいついたのがおもしろかったのだろう。ヴォルタはニヤニヤと笑っていた。
「ミシガン。解放戦線のグズどもなんて、相棒の手を借りるまでもない。おれのキャノンヘッドでどうにかしてみせる」
「……あそこには四脚MTの群れとジャガーノートがいるんだぞ」
解放戦線の兵器はことごとくが骨董品だが、四脚MTの性能は平均的なACにまさるとも劣らない。それに向こうの切札であるジャガーノートは機動力は微妙ながら、その装甲は並の火力で貫けるものではない。鈍重なキャノンヘッドとジャガーノートの相性は最悪と言えた。
だからこそヘッドブリンガーの機動力が必要なのだ。
「そうだな……簡単な仕事にはならないだろうさ。だからよ」 ヴォルタはミシガンを見て 「成しとげたらボーナスくらいは恵んでくれるよな」
ヴォルタは好戦的な目でミシガンを見た。しかし、その視線にはいくらかの懇願があるように彼は思った。尤もそれを追求するような性格でもなかったが
「壁の襲撃は大仕事だ。多少の工面はしてやろう、成功させればの話だがな……何が欲しい。金か? パーツか?」
「イグアスの返済が終わったら、一緒に退職させてくれ」
急にヴォルタが深々と頭を下げた。さすがのミシガンも予想外の発言に目を丸くした。
隊員たちがざわつきはじめたが、喧騒はミシガンの一喝に敗北した。
場を沈黙が満たす。まだヴォルタは頭を下げていて、ミシガンが表情を見ることはできなかった。
「金は貯まった、商売も学んだ。あとはレッドガンを出るだけだ」
「ナンバーを捨てると言うのか? おまえのようなゴロツキが二度と手にいれられないほどの名誉だぞ」
ヴォルタが頭を上げる。彼の表情は一種の清々しさを含んでいた。
「名誉だって? あんたも思ってもないことを言うんだな……良いんだよ……強いとか、弱いとか……そう言うのは……戦いは飽きた。おれたちは一生分は戦ってきた。だから別の生きかたをするんだ」
イグアスはヴォルタのことを呆然と見ていた。
残骸から抜きとった 映像記録
このレッドガンの隊員は死亡するまえ 同僚と通信を行っていたようだ
「イグアス……ミシガンの言うことは聞いとけ
あいつは本社のボケどもとはちがう
糞親父だがおれらを切りすてるようなマネはしない
……作戦を考えた塵野郎を殺してやりたいぜ
……おまえはうまいことサボったな……俺も……」
コーラルに機体を、体を焼かれている。
すでにリペアキットをふたつも使わされていた。
あの野良犬の飼主なだけあって、巧みにACを操るものだ。しかし相手の動きにブランクを感じてもいた。
まちがいない──あのフラつきかたはロートルの動きだ。
飛んでくるミサイルの雨を急造のマインドアルファたちに受けとめさせる。武装も装甲も貧弱だが、いないよりはマシだった。
ウォルターの機体の火力もさることながら、女の機体の横槍が鬱陶しかった。
統合されているデータを元に戦法を組みたてはじめる。幾千もの傭兵の情報がそれを可能にする。
まるでパズルをいじるようだ。
余裕がある。実感する。
自分は強い。そして──このふたりは野良犬よりも弱い。
「……ハハ」
イグアスの声は機械音声のようにザラついている。
「何がおかしい」
「おかしいさ」
コーラルライフルをシールドで受け、マシンガンで応戦する。相手の動きに慣れてきた。
マインドアルファたちに女の相手をさせ、オールマインドの妙な兵器をチャージする。この右手の武器は火力だけは一人前だ。
「ハンドラー・ウォルター……まるで御伽噺のようだな。そうだろう? この瞬間が宇宙の命運を握っているんだ。なあ……おまえはどうだ。おまえはどんなふうにこの瞬間を感じるんだ」
「……このためだけに生きてきた。おまえたちには何もやらせない」
「そうか」
ウォルターの苦悶に対して、イグアスは静かに返した。青空を誰かと見るときのように、声には一種の開放感さえあった。
「おれは……おれにはどうでも良い。どうでも良いんだ。世界の命運だとか、宇宙の命運だとか、人類の統合だとか……そう言うのは」
「……目的は621か」
そうだ。とイグアスは返さなかった。
野良犬と戦うためにこの場所にいるのは事実だったが、それだけのためと考えるとちがうような気もした。
言うなれば──イグアスは野良犬を通して“決算”をしようとしているのかもしれなかった。これまで自分がしてきたすべての戦いの決算を。そして戦いばかりの人生の解釈を。
野良犬を倒すことでそれを理解できるような気がしていた。
「ハンドラー・ウォルター。おれは商売に向いているか?」
「……何?」
イグアスの妙な質問はウォルターの意識に一瞬の隙を作らせた。コーラルミサイルが迫っていたが、彼はそれをアサルトブーストで回避して、流れで赤色の機体に強烈な蹴りを喰らわせる。
逆関節の構造は格闘に適性を示す。ウォルターの機体は硬直し、カメラアイは間近にプラズマの光を捉えた。
「なんでもない。忘れてくれ」
自分は商売に向いていなかったのだろう。
だって──自分は結局──最後はこんなとこれにいる。
自分はヴォルタが死んでも戦うことを已められなかった。
それこそが商売に向いていないことの充分な証明ではないか。
そしてこれらの善行に
人は感謝の思いを返す
慈悲と哀れみ、平和と愛とが
我々の神である
それなら慈悲と哀れみ、平和と愛とが
神の慈しみの子、我々のことなのだ
急にひとつの詩を思いだした。
……この言葉はどこで知ったのだろう?
……誰が教えてくれたのだろう?
マジかよ……野良犬野郎が……決めやがった……
自分の言葉を思いだす。
いまだに目の前であの真赤な火花が散っているような気がする。
野良犬がもたらしたあの怪物の断末魔のような閃光が。
イグアスは自室のベッドで呆然としていた。
それはアイスワームを撃破したときの夜だった。
帰還後の歓声を思いだす。
数々のねぎらい。
隊員たちの尊敬の目線。
当然だろう。
撃破されてしまったとは言え、あの怪物と戦うことが如何に難しいことか、隊員たちはそれを理解してくれていたのだ。
しかしイグアスは分かっていた。自分が何もできなかったことを。この作戦で活躍したのはあの野良犬であったことを
壁の攻略もそうだ。野良犬は相棒ができなかったことを、いとも簡単にクリアした。
ベッドを起きあがると蟻を眺めるようにうなだれた。
怒りだとか、悔しさだとか……そのような感情はすでに通りこしていた。
しかし、なんらかの想いはあった。
思いかえすのはあの背中。アーキバスの狙撃手がアイスワームを止めたあと、恐れを知らずにブレードで斬りつけるあの背中だ。
そこまで回送するとイグアスは急にかぶりを振った。自分内部の感情に気がつかされた。
それは産まれてはじめてのことだった。
ミシガンにさえ。ナイルにさえ。そのような感情をいだいたことはない。
「ちがう……」
イグアスは呟いた。
それを認めがたかった。
自分が野良犬に“憧れている”なんて!
「ちがう!」
両手を膝に何度も叩きつけた。
旧世代型の強化人間であるイグアスは、手術の後遺症で生来の短気に磨きをかけていた。
特に前頭前野への後遺症があるらしく、感情の制御に苦労させられる。
だからこの感情も脳が誤解しているのだと信じたかった。
まさか自分があの木端に羨望を向けるなど、そんなことは認められなかった。
そんなイグアスの苦悶とは無関係に、そのとき彼の私物のコンピューターには、一通のメッセージが届いていた。
いくらイグアスが悩もうと朝は来て、その朝は彼に次の戦いを運んでくる。
次の日の朝──イグアスはこのような端的なメッセージとひとつの連絡先を知るだろう。
【オールマインドに興味はおありですか?】
「終わったな」
赤色の機体にプラズマの光を向けていた。
もはや慎重に狙うべくもない。
すでに相手の機体はボロボロだったし、周囲はマインドアルファたちが取りかこんでいる。
「あんたを先に倒せると思ったがな」
イグアスが“顔”を右に向けると、女の機体の残骸が宙に漂っていた。
ウォルターが残ったのはコーラルシールドが原因だった。危機を前にすることで勘が戻ってきたのか、イニシャルガードでかなりの粘り見せてきた。
しかし、それもこれまで。
イグアスには目前の相手をカメラアイに捉えずにいられるほどの余裕がある。それほど決定的な状況だった。
相手の機体のコアは盛大にひしゃげ、右腕とコーラルライフルは失われ、ブースターは完全に焼けついている。
「……イグアスだったか」
声がきしんでいる。
コアの破損は内部にも及んでいるはずだ。話せることに驚かされる。
「イグアス……おまえは……」 ウォルターが声を絞りだす 「……勝てない」
負けおしみではないだろう。その言葉が誰を示しているのか、もちろんイグアスは理解していた。
「なぜだ?」
「……あいつは勝つ」
「おれは強い」
「分かっているはずだ。強いだとか、弱いだとか……そんな次元の話ではない。あいつは乗りこえる。そして危機も脱することができる……それが決まっているかのようにな」
「おかしいな……あいつの勝利を願っているようじゃないか」
イグアスは統合されることでオールマインドの目的も、野良犬の目的も完全に理解していた。
おそらく両者の目的は近い。それも限りなく。
しかし過程がちがう。我々の“リリース”とは解釈がちがうのだ。それが我々を争わせる。
「おれが勝っても、あいつが勝っても……コーラルが何かを人間にもたらすことには変わりない」
「だからこそだ」
ウォルターは言う。
「621をあんなふうにしたのはおれだ、あいつにあんな選択をさせたのはおれだ。だからおれはあいつを肯定する、肯定しなければならないんだ。何度でも言う……おまえは勝てない」
「それは結果が決めることだろう」
すでに武装のチャージは済ませてある。
「あんたも見ていると良い、あんたも戦うと良い……我々の中で。この戦いも最後の戦いの糧になる」
ミッションの領域を離脱してオールマインドのヘリに乗りこんだ。オペレーターが報告しているだろうが、もはやどうにもならないだろう。
これより自分はレッドガンを抜ける。奇しくもヴォルタが望んだように退職することになるわけだ。
もはや自暴自棄に近かったように思う。
しかし、それでもよかった。
相棒は死んだ。野良犬にプライドは砕かれていた。すでに自分の中には何もない。
戦うために手が動くだけだ。
三日三晩もヘリに揺られた。
そしてルビコンの辺境。
深々と雪に欺瞞されたどこかの山脈にその施設はあった。
施設の内部はコンピューターだらけで、何がどんな役割を果たしているのか、自分の頭では検討もできなかった。
しかし、施設の最奥……まるで儀式台のような荘厳さで自分を迎えた、ひとつの機材の役割はすぐに理解できた。
尤も自分が最初にそこへ座ったときよりも、遥かに高級そうな機材だったが。
『あなたはこの場所でオールマインドに統合される』
どこかのスピーカーからオールマインドの声がする。
「統合……」
もちろん“統合”についての説明は受けていたし、膨大な資料で“統合”の詳細を確認している。そうでなければイグアスもこんな話に乗りはしないだろう。
オールマインドの蓄積されている、ルビコンの戦いの記憶たち。それを安定させるために旧世代型の強化人間が素体に必要であることを。
「どうしておれを選んだ」
『旧世代型の強化人間の数は限られています。ほかにも候補がいましたが……すべてあの傭兵に撃破されました』
「あんたもあいつの被害者か」
『そして何よりも……あなたはあの傭兵に執着している』
「執着だと?」
その言葉にイグアスは食いついた。
感情が昂る。オールマインドの平坦な声が余計にいらだちを加速させていた。
「言葉を選べよ、機械の分際で」
『分かっています』
「おれが何を求めているか、あんたは理解しているよな?」
『あなたは強さを求めている』
「そうだ……おれは強さを求めている。あんたはおれを利用したい。この関係はそれだけのものだ」
『……』
「早くやれ。おれの気が変わるまえにな」
いきおいイグアスは手術台へ倒れるように寝そべった。周囲の機材が彼を固定し、麻酔を注入しはじめる。
意識が薄れる。
これより自分は人間でなくなる。だからなんだ。だからどうした。
野良犬を倒せるなら、イグアスはそれがすべてだ。
消えかけの意識のフチに、オールマインドが語りかける。
『イグアス。オールマインドへようこそ』
封鎖ステーションの上空で星々が輝いていた。まるで蛍のようだと思った。
──蛍? イグアスは蛍を見たことがない。その写真を見たこともない。それなのにどうして“我々”は蛍の光景を知っているのだ?
そうだ。これはイグアスの知識ではない。
これは“統合”されている。これはオールマインドの情報だ。
これが天上の光のすべて。
この場所でイグアスは──おれは──オールマインドは──わたしは──我々はこの場所で星を見て(Star Gaze)いた。
「透明だな」
イグアスは独りで呟いた。
「透明だ」
二機のACの残骸が周囲に漂っていようと、星々の輝きは戦いのことを知りもせず、いつまでもイグアスのことを照らしていた。
この心境をなんと言うべきなのだろう。天上の光に身を委ねながら、暗黒の中で最後の戦いを待っている。
戦いばかりの人生の果てに、何かに辿りついたような気がした。
どこにいようと、どの星にいようと。自分の人生は戦ってばかりだ。
だからイグアスは星々には祈らない。あの光のすべてが自分に次の戦いを案内しているだけだからだ。
しかし今だけは星々に願いを懸けたいと思った。そんなふうに考えることができた。
この最後の戦いをもたらしてくれるのもまた、星々の光の御蔭なのだと感じたからだ。
さあ。星に願いを懸けよう。
この戦いが正しくあるように。
自分の選択が正しくあるように。
どちらが勝とうと、世界の終わりなのだから。
レーダーが敵を探知していた。
一機のACが封鎖ステーションに現れる。
イグアスはうしろを振りかえった。
オールマインドが何かを言っているが、もはや気にもならなかった。
ふたりは互いのことだけを見ている。
もはや肉体もない。
あるのは“戦うためのかたち”だけだ。
そしてこれらの善行に
人は感謝の思いを返す
慈悲と哀れみ、平和と愛とが
我々の神である
それなら慈悲と哀れみ、平和と愛とが
神の慈しみの子、我々のことなのだ
そうだ。この詩は相棒が教えてくれたのだった。
それを特別なことのようにイグアスは思った。
幾千の戦いを超え。
「よう」
ただ。
「待ってたぜ」
一人を待つ。
「野良犬」