問い合わせの結果、交通費が出ることが分かったので、電車に揺られることしばし。
梢は神奈川県側の繁華街に、片道一時間以上かけて出動した。
当然ながら事態は既に収束しており、着の身着のままの梢は、最寄りの交番で正規の祓魔師から事後報告を受けていた。
「交通費については現金書留で後日郵送します。領収書はありますか?」
予備ではない社会人祓魔師は男性で、奇抜な制服以外は、どこにでもいそうな風体をしていた。
「はい、これです」
梢は予め帰りの分の切符も買っておいたので、二枚分の領収書を提出し、祓魔師から小さく舌打ちされた。
「確かに。それで今回の界異についてですが」
本題が金銭的なやり取りの後に来ることに、彼女は違和感を覚えたが、特に議論をすることでもないので、そのまま聞くことにした。
「都市伝説型ですね。名前はドッペルゲンガー、聞いたことはありますか?」
「あー小学生の頃聞きましたね。自分の分身が現れて、会うと死んじゃう奴」
都市伝説とは妖怪や精霊よりも新しい、創作として割り切られたオカルトである。
インターネット上の掲示板文化の隆盛と共に発達し、そして衰退したホラー。
「そうです。今回出たのは正にそれで、被害者も病院へ搬送されました」
それは神でも悪魔でも妖怪でもない。
不安や恐怖を煽る存在、或いは挿話。
しかして界異の登場と共に、都市伝説もまた、架空の存在だったはずのモノと、同じように顕現してしまった。
「犯人、ていうかそのドッペルゲンガーは、どうなったんですか?」
「我々で退治はしましたが、都市伝説型は非常に再発し易いので」
我々と言いつつも、この場に正規祓魔師は一人しかいない。他の職員は既に関係各所に向かうか、撤収した後である。
「じゃあ解決しないんです?」
「いいえ、都市伝説型は元となった話に強く影響を受け、現在その話をしている人間の本にしか現れません。そして最後の犠牲者を足すと、それで消滅して当分現れなくなります」
遠回しに被害者が出尽くせば、話は終わると言われて、梢は内心が荒むのを感じた。
「要は犠牲者が出たなら、その話は誰がしてるんだってオチになるからですか?」
「ええ。語り部そのものは都市伝説の一部ではないので、そこまで来てしまうと界異は終わりを迎えるしかありません」
噂の張本人、言い出しっぺ、そういう手合いが自滅して、最後を迎える。
神出鬼没で頻発するのが強みなら、これこそが都市伝説型界異の泣き所であった。
「それに無差別という訳でもない。あくまでもその『噂話』を口にした、人間の所にしか現れないのです」
自分たちがしているのは噂話ではなく、現実の脅威の話なので、安全だと祓魔師は言う。
「あくまでも創作の話が大事なんですね」
「どういう構造なのか、まだよく分からないんだけどね。あまり話してこれ以上拡散しても不味いから、そろそろ切り上げるけど、何か質問あるかな」
梢は被害者の特徴を聞いたが答えて貰えなかった。万が一にも噂話にそれが混ざりミスリードが生まれたとき、捜査が一層難航するからである。
知りたければ一早く現着するしかない。
「ドッペルゲンガーって強いんですか? やっぱりオリジナルと互角とか?」
「いや、別にそんなことはないです。ただ一般人よりは強いから、対処ができないと危険なことには、変わりないですね」
言いながら何かの用紙に何かを書きつけて、祓魔師は梢を見た。
「急な呼び出しに来てくれてありがとう。何かごめんね」
「いいえ、私こそ間に合わず申し訳ありませんでした」
社交辞令的な感謝と謝罪を受けて、梢も恙ない返事をする。彼女の祓魔師としての最初の出動は、空振りという結果に終わった。
「もし自分の所に界異が出ても、絶対に一人で相手しないで。通信妨害もよくあるけど、とにかく私たちに連絡して、いいね」
「はい」
そうして遅れること一時間、予備と正規の祓魔師は解散した。
――その日の夜、コーポ森塚にて。
「てことがあった訳」
『へーウケる』
帰宅した彼女は夕飯を済ませ、名前もうろ覚えの級友と通話していた。
『被害者ってどんな人だったの?』
「内緒だって。教えてたり広まったりすると、聞いた人の所に怪物が来るからって」
『ヤベーじゃん』
とはいえ被害者の情報が手に入らない訳ではない。
梢は点けっぱなしのテレビを見た。今では人を殺したことのないキー局は存在しない、メディアという名の界異である。
「ヤバいよねえ。しかも予備には装備が貰えないの。自前で用意して領収書を出したら、お金は出してくれるって。有り得ないでしょ」
被害者のプライバシーなどガン無視したニュースが、次から次へと垂れ流されて来る。
やれ今月で何人目、やれ被害者は何れも若い女性。
飛ばし記事と政治的イデオロギーによる偏向報道で占められた番組の中で、比較的情報の鮮度と精度が高いコンテンツだ。
『それなら最初から寄越せよって』
予備の祓魔師には正規の装備は支給されない。そのため丸腰が嫌なら、武器と防具は自作を余儀なくされる。
「ネットで界異用の武器とか防具作ってる人のサイトあるから、そこ見て作るしかないわ。あとはヘルカリ」
ヘルカリとはネット上の闇市である。注文した商品が届くのは一割という魔窟で、何故か全く摘発されない。
「まあこれも就活よ」
『偉いねー、あ、そういえば梢ちゃんさ』
「ん、なに」
「この前教えて貰ったアプリだけどさ」
ああ、と梢は相槌を打った。コーポ森塚は県境にある売春宿だが、それだけでは穴場足りえない。
この僻地にある胡乱な施設の価値を引き上げるには、それ相応の理由がある。
「ああ、血統書(ペディグリー)ね」
その理由こそ、彼女が口にしたアプリにあった。
『そうそう、アレ最初は面倒臭いと思ったんだけど、やって見ると入れ食いだね』
「なら良かった。でも定期検診は忘れないでね。客もその辺すぐ見分けるから」
『血統書』とは首都圏で秘かに流行っている出会い系アプリであり、登録者は自分の保健所での各種性病、伝染病の検査結果を登録することができる。
匿名で受けられるので、顔を出していようが、偽名であろうが問題は無い。
首都圏ではゾンビめいた売春婦により、性病が増加しており深刻な問題となっている。
そんな社会的背景を活用し、安全に情事に耽ることができることが『血統書』と、ひいてはコーポ森塚の強みであった。
『ねー、どっからやって来るんだろ』
「嬢が事後に紹介するんでしょ」
中には虚偽の登録をする者もいるが、そういう手合いはどういう訳か、あっという間にアカウントを削除される。
一説にはそういう呪いが掛けられているという、荒唐無稽な憶測が出回っている。
「私は中々客が付かないんだよね。やっぱり身長が高いとそれだけで不利だわ」
『あー、男って自分がチビに見られるの、すごい気にするよね』
梢も梢で客を取ってはいるが、他の入居者ほどには指名されない。
包み込むようなふくよかな肢体、湿り気を帯びた視線、纏わりつくような声。
底なし沼のような褥は好評なのに、不思議と後が続かない。
「だからバイトをコツコツしたり、予備校行ったりする訳」
通う高校は日本一の馬鹿校でも、梢まで日本一の馬鹿という訳ではない。
『梢ちゃん進学すんの?』
「そのほうが賞味期限伸びるからね」
『そおかあったまいー』
そうしてしばらく話した後、彼女は電話を切って、床に就く準備をする。
入居者たちより一足早い、一日の終わりだった。
寝間着に着替え、化粧も落とした素顔の自分。それがふと、電源を落としたテレビに映る。
(そういえば、あの人は公務員なんだよな)
脳裏にドッペルゲンガーの話をする、男性祓魔師の姿が蘇る。
(誘って見れば良かったなあ。今度狙うか)
自分が新たな鉱脈を見つけたことに気が付くと、梢は次の出動に期待しながら布団に潜った。
コーポ森塚。穢れに穢れた賃貸物件だが、今日もまた平和な一夜を迎えるのであった。