「管制室から各員に通達――」「――警察に連絡を――」「どのヒーローが向かってるか至急照会――」「負傷ありとの情報、救急車が到着するまで救護と――」
音と光にその部屋は包まれていた。
5人、インカムをつけた職員がモニターに表示される情報から導き出される指示を、現場にいるヒーローたちに伝える。時には警察に指示を仰ぎ、時には他のヒーロー事務所に連絡を取って連携を依頼する。普通では、溺れてしまう莫大な情報量を瞬時に把握、整理し、最良の選択をよどみなく行っていた。
慌ただしく、様々な情報が伝えられているのに、一切のほつれなく、混乱することなく、むしろ、ヒーローたちが十全に実力を発揮できるように職員たちは尽くしていた。
ここは、チームIDATENの管制室、5人の、電子系や情報処理系の個性、もしくは、ただただ経験を重ねた無個性、または無関係の個性を持つ職員から成り立っているIDATENの頭脳であった。
そのオペレートを後方から、ガラスを隔てた展望部屋の椅子に、出久と優雅は座っている。
出久の後ろには珠雨華が立てかけられており、話しかけることはないので、起きてはいない。
そもそも、珠雨華はこういったことが苦手なので、寝てしまう。ただ、今は寝ているのが出久には助かっていた。
二人とも、職員たちの動きを見ていた。しっかりと目に焼き付け、メモを取る。
(流石、公安も参考にするヒーローチーム、情報収集、伝達なら公安以上だ……。)
出久は純粋に感心していた。
ヒーロー公安委員会は、公安、と名前がつくが元は防衛省の流れをくむ組織(第六話参照)のため、個性発生以前の自衛隊が使っていた情報システムはあるが、表に出せない事案を行うのがほとんど。
むしろ、警察や一般のヒーローへの情報を遮断するような妨害工作がメインでもあるから、こうした協力関係を作り出す運用では、圧倒的にチームIDATENが上であった。
公安の勉強会で二人は知っていたが、知っているのと実際に目にするのでは、雲泥の差がある。
通常、同業他社である他のヒーロー事務所への協力依頼や、組織が硬直化・複雑化している警察への要請などはあまりされない。なぜなら、事件が起こった際、どのヒーローへ優先的に情報を提供するか、事件解決にあたっての指揮系統がはっきりしていないためだ。下手に要請を送るとかえって混乱が生じてしまう。
では、優先順位や指揮系統を決めればいい、となるが、これもうまくはいかないのだ。
よく、ヒーローチャートがヒーローの上下関係のようにいわれるが、上位のヒーローだからといっても、オールマイトのように単体で活動するヒーローが指揮がとれるとは限らない。また、チャートの順位で情報提供を優先させると、ヒーロー業界の盛者必衰はよくあること、ランキングは上位だが、個性も身体能力もすっかり衰え、芸能活動などでチャート上位に食い込んでいたりするヒーローもいるため、余計に混乱を生じることもありえる。故に、優先順位や指揮系統は決めず、また、ヒーロー活動の公平を期すため、との名目で、現在は地区ごとにいるヒーローに、その地区の莫大な情報が送られ、それからヒーローたちは自分のスタイルにあった情報を拾い、事件解決を行っているのだ。
だが、IDATENでは、その莫大な情報を収集、分析し、他のヒーロー事務所に在籍するヒーローにも情報を提供、協力の要請、警察にも、指示を仰いで、多くの事件を解決に導いていた。
これは、代表である飯田天晴が、困っている人を一刻でも早く助けたいと思いに職員やヒーローたちが共感し、その理念から成り立っているためだ。
プライドがない、と冷笑されることもあるが、プライドで誰かが助けられるなら、プライドを持つよ、そう天晴が笑って話した、と職員たちの談だ。
それ故に、飯田天晴の人徳で成り立っている、と二人は考えていたし、公安の報告書にもそう書かれていたが、一人で事務所を育て上げた彼の才能は非凡なものだろう。仮に代表ヒーローである天晴がヒーロー業から引退しても、このシステムが存在する限り、チームIDATENは成立できる。
二人が思わずうなって注視している時、肩を叩かれた。
振り返ると、天晴が、インゲニウムのスーツ姿の天晴がいた。ヘルメットを脇に抱え、精悍な顔立ちは苦笑していた。
「根を詰めすぎだよ、二人とも。確かに人生が掛かっているけど、これからが本業なんだから、本番前に集中力が切れてしまってからは本末転倒」
そういって、天晴はヘルメットを被り、ターボヒーロー・インゲニウムとなる。
「さて、行こうか、ヒーロー活動の時間だ!」
出久と優雅はインゲニウムに連れられ、管制室から地下駐車場に移動する。
「お疲れ様です! インゲニウムさん!」
地下駐車場に駐めてあったトラック――インゲニウム専用の移動車両の前に、ヒーロー活動を支える職員たちは整列して、出迎える。
「今日もよろしく、みんな!」
インゲニウムからの言葉に、職員たちは、はいっ! と威勢の良い返答がされた。
インゲニウムが車両に乗り込み、専用の、四角い箱のようなピッドに固定される。その様子をみていた優雅と出久に、一人の職員が声をかけた。
「青山優雅さん、緑谷出久さん、今日はお兄さんとドライブといきましょうか」
声をかけた職員の腕章には、運転手と書かれ、二人を運転席に案内する。
運転席は前後の2列シートになっていて、後部座席では、モニターが増設され、荷台のインゲニウムたちの様子が映し出されている。二人は後部座席に乗り込んだ。
「出発します。よろしく、どうぞ」
インカムをつけた運転手が先ほどまでいた管制室に告げ、管制室は即座に車両のナビゲートシステムを管制室と同調、車両の運転席ガラスモニターには、道路交通情報などと共に地図が表示される。地図の一角に目的地点が表示された。
『情報伝達、七分前に首都高速道路にて――』
それは、高速道路にて起こった事件の概要で、あおり運転をしていた車両が事故を起こして逃走中とのこと。事故の負傷者は別なヒーローが対応しているため、インゲニウムはあおり運転をした車両を見つけ次第確保を、と運転席と荷台に共有されたスピーカーから、告げられる。
各地に設置された監視カメラの映像が出久と優雅の座る後部座席のモニターにも映り、トラックはあおり運転の車両が通るであろう、高速道路の出口に急行する。
これから、慌ただしいヒーロー活動が始まる。
☆
「……――という感じですね、二人にそのあとは車両を確保する様子を見せたり、あ、あと、交通誘導を手伝ってもらいましたが、職場体験の範囲なのでご安心を」
騒々しくもあった一日は過ぎ、夜。
事務所のインゲニウムに用意された個室にて、天晴はパソコンに向かっていた。
夜はインゲニウムの活動時間であるが、今日は二人の学生を招いているために日中に活動時間を変えているのは前述の通り、業務時間は既に終了している。
ただ、業務時間外だったが、天晴はしっかりとスーツを着込み、パソコンに向かっていた。
パソコンのモニターには、一人の男性が、雄英高等学校教師の相澤が映し出されている。
相澤に一日の出来事を天晴は報告していた。
相澤から、新入生を職場体験させて欲しい、と連絡があったのは、三週間前のことだった。
まだ、入学もしていないのに職場体験という、相澤の申し出に天晴は困惑した。
相澤が去年、一クラス丸々除籍にして、その後に生徒たちをいくつかの事務所に送り出し、職場体験をさせたのは業界でも有名だった。
去年も除籍処分の生徒たちを受け入れた実績が天晴にはあったが、前回の職場体験があったのは五月上旬、まして、まだ入学もしていないのに、職場体験とはどういうことか、天晴は混乱した。
相澤曰く、今年の入学試験でとんでもないことをしでかした二人がいる、二人はこのままでは数年前の、あの事件のように
そういうことなら、と、天晴は二人を受け入れる。
仕事の終わりに、相澤と話すことが決まりになっていた。
ただ、相澤が懸念するような問題児には思えなかったのが、天晴の正直な感想だ。
「普通の学生と、ヒーロー活動中は変わりなかったそうです。犯人確保の瞬間には目を輝かせたり、いろいろなことを質問したりして、サポーターの職員は元気がいいと褒めてましたよ」
基本的に、速さを強みとするインゲニウムは、インターン以外では学生と行動を共にすることはない。
インゲニウムの個性であるエンジンに追いつける個性を持つ学生が、貴重だからだ。そのため、職場体験では、インゲニウムをサポートする車両に学生は乗り込んで見学をするが、その様子は普通の学生と変わりなかった、とサポーターの職員は話していた。
『……そうですか』
その言葉に、相澤は黙ってしまう。安堵が半分、何かを思案しているのが半分だろう。天晴は推測した。
「――ただ……」
少しだけ、インゲニウム――天晴は言うべきか逡巡したが、打ち明ける。
「少しだけ、二人のメモを、管制室を見学する際のメモをのぞき見したんですが、優先順位についての考察があったりと、学生、というよりも、同業者、プロヒーローのようでした」
これは、ただの偶然だった。
二人が管制室を見学してメモを取っていたが、その内容を少しだけ、背後から近づいた天晴は見てしまった。
そこには、今起こった事件の概要、そして、優先事項を考察するメモが取られているのに気がつく。
はじめての職場見学にしては専門的すぎた。いや、インターン生どころか、プロヒーローでも、滅多にいないだろう。大概のヒーローは、情報の概要や優先順位に興味を抱かない。あれは、情報をどのように処理するのがいいか、どのような開発がいいかを考えるサポート科や、この処理能力をどのように経営に、ヒーロー事務所の運営にするべきか、経営科の学生の内容のようだった。現場のヒーローを志す学生ではない内容だっただけに、記憶に残っていた。
「それと、なんというか……」
それだけではなかった、天晴が抱いた違和感は。
天晴は腕を組んで天井を見上げる。
「二人には、驚きのラグがないんです」
『ラグ、ですか?』
相澤は天晴の感想に顔を上げた。
「えぇ、メモを取っていた二人に声をかけたとき、まるで
天晴の個人的な感想、考えすぎ、と一笑に付す意見だったが、学生らしからぬことであった。
今まで、学生たちに声をかけると、最初は驚くが、やがては慣れて驚かなくなる。しかし、二人はいつまでも驚き続けた。まるで、慣れない、といったように。
ただの偶然かも、と天晴は頭を掻いて笑ったが、相澤は考え込むように黙ってしまう。
その後、形式的なやりとりのあと、終了した。
☆
「や! 二人とも! お待たせ!」
太陽は空のてっぺんに登ったお昼過ぎ、珠雨華を背負った出久と、腰に大きなベルトを巻いた優雅の前に、インゲニウム――天晴は二人と同じ、雄英高校のジャージ姿で事務所の前に姿を見せる。
「えっと、インゲニウムさん、僕たち、これから日中のパトロール巡回について行くんですけど……インゲニウムさんは夜勤だから今日は僕たちと一緒に行動しないはずじゃ……」
出久が頬をかきながら尋ねると、笑顔のままに天晴は、
「あぁ、担当は俺と代わってもらった。もちろん、夜勤もでるよ。ただ、街の様子を知るのもヒーローの仕事。少しの異変も見逃さないためにね! いつものヒーロースーツもいいけど、君たちの引率も兼ねているから、母校のジャージで街の警備をしようと思ったんだ」
天晴は胸をはる。
真面目な人だ、と二人が思うと同時に
「インゲニウムさん、雄英高校出身だったんですね」
「そうだよ、君たちのOBだ、敬ってくれたまえ」
胸を叩いた天晴に、二人は噴き出してしまった。
「じゃあ、行こうか、二人とも」
インゲニウム、天晴は張り切って歩き出す。
☆
街は、平和だった。
笑顔で人々は行き交い、暴走車両も、個性を悪用する犯罪者もいない、平和で、穏やかな平日の午後、本日開店とのぼりに書かれたスーパーマーケットが混んでいて、ちょっとした客同士の乱闘騒ぎがあって、天晴は携帯用のインゲニウムのヘルメットを被って仲裁に入ったぐらいであった。
とても、平和な午後だった。
「さっき、大丈夫でしたか?」
「うん、平気、よくあることだから」
出久は天晴に声の頬をみる。僅かに赤く腫れている。
さきほど、客同士のもめ事の仲裁に天晴が入った際、興奮したお客に殴られてしまった。
客はやらかした、と気づいたのか、それからは大人しくなって、すぐにもめ事は解決したが、天晴の右頬が負傷した。
「いや、みんな殺気立ってるね。開店セールなら仕方ないけど、個性を使う人がいないようにみるのも仕事だからね」
そうやって天晴は店を見る。
開店セールを行っているスーパーマーケットが混雑して、その店の歩道を天晴と出久、優雅の三人は誘導整理をしていた。
ヒーローの仕事、には疑問符がつくが、先ほど仲裁に入った際、店側から感謝と人手が足りない、と話され、手伝いをすることになったのだ。
三人は列を整理していたが、ふと、出久は気がつく。
店の少し離れた街路樹に、来店した子供たちに配られた風船が、三メートルほどの高さの枝に引っかかっていた。
そして、その風船を涙目で見ている少女がいることに。
出久はその子に気がつき、優雅も遅れて気がつく。ただ、今は目の前の人数で手がいっぱいだった。持ち場を離れていいのか悩むが、
「ここは俺に任せて」
天晴がにっと、笑窪を強めてサムズアップした。
すみません、と声をかけ、二人は店から離れると、
「取ってあげるね」
少女に声をかけて、離れるように出久は指示する。
街路樹の、風船の真下に出久は腰を落とし、両手を合わせ、バレーのレシーブをするような姿勢を取った。
「優雅くん!」
「ウィ!☆」
優雅は助走をつけ、右足を出久の合わせた両手に踏み込み、出久は一気に持ち上げた。出久の助力もあって、真上に跳躍した優雅は、そのまま風船を取ると着地し、傍らでその様子をみていた少女に風船を差し出す。
「ありがとう! お兄ちゃんたち!」
風船をみていた少女だったが、風船が戻ってきたことが嬉しくなったのか、笑顔で風船を受け取ると走り去っていった。
「良いことしたね、二人とも」
再び、店の手伝いに戻った優雅と出久に、天晴は声をかけるが、二人とも、どこか気の抜けたような、ぼんやりとした様子だった。
「どうかしたの?」
「い、いえ!」
「なんでも☆」
二人は我に返り、列の整理をわざとらしいまでに張り切って行うが、心境は同じだった。
((いつぶりだったろうな、感謝の言葉をもらうの))
純粋な感謝をもらうことを、二人は忘れていた。それが突然あって、どう反応すればわからなくなっていた。
☆
「お疲れ様でした。これ、お店からお手伝いしてくれたからって、感謝の気持ちだって」
時刻は既に日が西に傾く夕暮れ、二人に缶コーヒーを天晴は差し出す。スーパーマーケットの人混みも落ち着いていた。
「まぁ、普段はここまで丁寧じゃないけど、こんな感じだね。どうだった、二人とも?」
天晴の質問に、二人ははにかみ、言葉を句切りながら、
「その、ありがとうって言われたの……」
「嬉しかった、です……」
二人の言葉に、天晴は笑った。
「ふふっ、良いことを聞いたよ、よかったよかった」
缶コーヒーを開け、天晴は一息に飲み干した。
あとは、事務所に戻るだけであった。
ただ、出久は我に返ったように天晴を見て、
「あ、すみません、天晴さん。僕、ちょっと忘れ物を、してしまいました」
「ミィトゥー☆」
出久の言葉に、優雅も続く。
「夜勤に遅れてしまうから、先に戻っていてください、僕たちは二人で戻れますから」
天晴の返答を待たずに、二人は走り去ってしまう。
天晴は空になった缶をゴミ箱に捨て、
「やっぱりあそこかな?」
頭を掻く。
ここは、初日に通った鳴羽田、再開発が進んだ街の一角。
ここをパトロールの場所に天晴が選んだのは、わざとであった。
どうしても気になった。だから、二人があの場所に足を運ぶと思って、この場所をパトロールしたのだ。
こっそりと、速度に関する個性とは思えないほどに、二人の背中は見えなくなってしまい、天晴は個性を使いつつ、二人を追った。
☆
「来たね」
「うん」
細い路地裏に出久と優雅はいた。
何の変哲もない、ビルとビルに挟まれた、路地。
大通りから見えなくなってしまった場所の入り口に、二人はいた。
二人の両手が、僅かに震えていた。
それでも、二人は歩みを進める。
そして、十三歩でたどり着いた場所。
数年前、花が生けてあっただろう、萎れた植物と入れてあるペットボトルが置かれた一角。
長年放置され、汚れていた。
そこを、出久は首に巻いていたタオルで、綺麗に拭う。
優雅は、萎れた花や、周りのゴミをまとめ、レーザーで焼いて処分した。
綺麗にして、よくよく見れば、壁にへこんだ痕跡がある。そこに、二人はもらった缶コーヒーを置いた。
両手を合わせ、黙祷する。
「遅く、なってすみません……。コンパスさん……」
「僕たち、コンパスさんみたいに雄英に、合格しました」
ぽつり、ぽつりと言葉が漏れた。
二人の足下に、滴が落ちた。
二人の両目から、涙がこぼれ、落ちていった。
「ごめんなさい、ごめんなさい……」
「ごめんなさい、僕たちは、貴方に――――」
優雅はただただ、謝罪を繰り返し、出久は何かを話しかけた。ただ、最後まで言い切れない。
二人を個性を使って猛スピードで天晴が突っ込み、二人を押し倒したからだ。
「天晴さ――!」
疑問を口にする前に、出久が異臭を嗅ぎ取る。それは、間近から香る、血のにおいだった。
「ぐう!!」
天晴は唸る。二人を押し倒した天晴の背には、二本のアーミーナイフが刺さっていた。そこから、血がにじみ出ていた。
「!!」
一瞬、天晴の状態に意識を割くが、すぐに自分たちに迫っているものに気がつく。
出久はとっさに、天晴が押さえつけているままに、珠雨華の引き金を引いた。それは、優雅も同じ、無理な姿勢のままにネビルレーザー、腹部からのレーザーを空中に放つ。
珠雨華の弾丸と、優雅のレーザーが空中にばらまかれ、
「ぐっ!」「ぎっ!」
二人から苦悶の声が上がる。
二人の足――出久は右すね、優雅は右太ももに、クナイが刺さっていた。
それと同時に、ジャリジャリと金属音が響く。
二人が迎撃した、自分たちに迫っていた大量のナイフや手裏剣、クナイが路地裏に転がった音だった。
「ぐふっ! 話はあとだ! 早く逃げろ、二人と――――!」
天晴の声が途切れる。
体を起こそうとして途中の体勢で、天晴は停止していた。
無理矢理、固められたかのような不自然な姿勢だった。
出久と優雅は起き上がり、見れば、二本、天晴に刺さっていたアーミーナイフが一本になっている。
それだけではない、自分たちに刺さっていたはずのクナイが、消えていた。
「むぅ、避けた、か――」
そして、濁ったような、腐ったような声が響いた。
路地裏に、暗闇に包まれる前の夕方、目と鼻を包帯で覆った、猫背の男が現れる。
「……お前は」
出久には見覚えがあった。
ヒーロー専門の殺人鬼・ステインが、そこにいた。
出久と優雅は構える。
だが、出久は珠雨華は纏わない、纏えなかった。
なぜなら、ステインの手元には、三本の刃物が握られ、その刃に付着した血を、ステインは舐める。ここの刃物の柄には、糸がつけられ、それが、すべてステインの手元につながっていた。
『凝血』
ステインは血を摂取すると、その血の持ち主を自由を奪うことができる。
故に、ここに、三人の彫像が完成した。
「ハァー……」
ただし、三人の前に、腹を空かせた猛獣がいるという、最悪の状況に、出久と優雅は冷や汗を流すしかなかった。
ゆっくりと、ステインは出久に近づいた。
そのまま、背負っていた刀を抜く。
ボロボロに、刃こぼれした刀身を、出久の首元に押しつけた。
「お前は、なぜ祈った?」
ちらりと、横目でステインは二人が缶コーヒーを置いた場所を見る。
その理由を聞いていた。
「――……大事な人が、安心して眠って欲しいのは当然思うだろう」
ステインはその返答に、ため息をついた。
「偽物の、英雄に何を祈る?」
「にせ……もの?」
「力及ばず、死した偽物の英雄だろう? そんなモノに祈るとは、問う価値も――」
ステインの言葉は続かない。
構えていた珠雨華の装甲がスライドし、そこから一丁の拳銃が、銃口が、丁度ステインの頭を貫く位置にあり、撃たれたからだった。
ただ、ステインはとっさの反射神経で避け、距離を取る。
「お、し、い~~~」
出久は珠雨華を構え直す。
装甲をパージするボタンを押し、拘束具が全身を捕らえた。
「なぜ、動ける?」
まだ、例え、一番反応が薄いO型でも、まだ凝血の時間内だった。
その証拠に、優雅も、天晴も動けていない。
ステインは疑問を口にするが、今度は出久は答えなかった。
ただ、珠雨華を構える。
しかし、ステインは出久と対峙し、心から震え上がった。
出久の目は、何も映していない。
まるで、薄膜がはっているかのように、輝きのない瞳で、ステインを捕らえていた。
出久は、切り替えた。
一年間、忘れていた存在が、目の前にいる。
人間を大量に買い取り、個性で生きたまま家具や楽器に加工していた富豪。
個性を使って幼子を誘拐し、その幼子が貧しい家の子だと判明すれば飼い犬に食わせ続けた老人。
どいつもこいつも、ただ、平和に生きていただけの人々を脅かす害虫。
それが、
ここも、その犠牲者の一人が眠る場所だ。
理不尽に、家族を愛したヒーローが命を奪われた。
一年間、忘れていた現実を、緑谷出久は思い出した。
出久は、右手の腕時計を外した。公安の記憶処置の効果を薄れさせる腕時計を、捨てた。
ーーごめんなさい、オールマイト。
出久は、オールマイトに謝罪する。
せっかく、光の道を歩ませてくれたのに、再び、影を歩こうとしているのだから。
「お前は、何者だ?」
ステインからの誰何に、出久は応える。
「
出久は思い出す、ここは、その覚悟を決めた場所でもあるから、始まりを、思い出した。