「おっ」
夕暮れ時。ある用事でトレーナーさんの仕事部屋に向かう前、トレセン近辺の商店街を通っていたころ。鼻がいい匂いを嗅ぎつけたから、見つけてしまった。
春も間近、寒さもあと少しと言うところで、ここらへんでは見かけない販売車(かお)があった。
ホカホカ香る甘い蒸気の向こうには、尻尾の向きまできっちり揃えた、たい焼きが数十尾、大漁。
『あっ』
という顔を、車の中のはちまきのお姉さんにされたのは、まぁおそらく、アタシの顔を見つけたからなんではないでしょうか。──自惚れじゃ、ないよね?
知り合いではないけれどそう思うのは、一つ心当たりがあるからです。
不肖、ワタクシめみたいなものですが、最近頑張って、有馬記念を勝っちゃったことですし。
お互いに絶妙な間合から会釈をしあって、見事、ネイチャさんはたい焼きに釣り寄せられたのでした。
**
「有馬、おめでとうございます!」
「あはは、どうも~」
開口一番お祝いしてくれるから、低い腰で有難くおほめを頂く。
お姉さんはそれはもう、たい焼きのように暖かくまくしたててくれた。嬉しい。
「私、レースってニュースくらいでしか見ないんですけど、地元からネイチャさんが出るって聞いたから、初めて中継を見たんです。──そしたら、有名な子たちの間をずばずば抜けていくネイチャさんの姿が、ほんっっとうにかっこよくて!」
「いやそれほどでも。運が良かったのもありますよ」
「そんなそんなご謙遜を! あのテイオーちゃんや、ライスちゃんにも勝ったわけですから!」
「やあ、それはほんとに、アタシでも信じられないんですけど。へへ……」
終始、照れた。こういうことを行って貰えるのが、最近どうも増えたんだけど、行って貰う度、改めて実感が蘇って、さらには大きくなっていく。勝った時は呆然として、大歓声と、言葉はなく抱きしめてくれたトレーナーさんのことくらいしか、憶えてないんだけど、その鮮やかさは、どんどん更新されていきます。
そして、年も明けちゃって、アタシのシニア期も終わったから、もっぱら考えるのはこれからのことで、不安になることも増えるのですが、こう、ふとした時にもらう誰かの言葉が、自信を取り戻させてくれるのです。
「ありがとうございます。へへ、たい焼き、頂いていきますね」
「わあ、ありがとうございます! ──ってわあ、御代金なんて大丈夫です! サービスさせていただきますよ、折角来ていただけたんですから! 好きなのを、好きなだけ選んでください!」
「わ、いいんですか?」
「勿論!」
お姉さんの弾けるような笑顔。あらもう、このお店、繁盛してるんだろうなと思わされます。そんな接客をされてしまったら、退くのも無礼というやつでしょう。
「じゃあ、折角なので御言葉に甘えて──っては言いますけど、うん、大人買いは自重しときますね。へへ、ちょっと有馬が終わって、体重が増えちゃってて」
たははと頭を掻いたら、お姉さんは笑ってくれた。ちなみに事実。正月、気がね、緩みました。
「なるほど、アスリートですもんね。では、なんの味にしましょうか?」
「ん~~っと……」
さて、これは悩む悩む。
無難に、粒あんと粒あん?
二択を残して、粒あんとカスタード?
勇気を出して、ストロベリーと、抹茶クリーム?
ふ~~む、甲乙つけがたし、どのたい焼きも本命レベル──となるならば、いっそと、プロに聞いてみることにした。
「あの、じゃあ、お姉さんのおすすめ、二つ教えてもらえます?」
「……あら」
「あら?」
お互いに、きょとんとした目がぱっちり合った。お姉さんは、ちょっとだけ恥ずかしそうに言った。
「いえいえ、お二つも選んでくれるのが嬉しくてなんて!」
一拍、ぐるりと、頭が回って、気付きます。
「……あっ!」
「え~っと、まずは王道の粒あんと、もう一つはうちが激推し中の自信作、ストロベリーがおすすめですよ! 伝説の品種『うまおう』苺を贅沢に使ってるんです! うちにしかない味なので、気に入って貰えたら嬉しいです~」
気持ちいい笑顔のお姉さんには、今、アタシの苺みたいに赤い顔ってどう見えているでしょうか。
『自重する』って言った手前、二つもたい焼きを食べる子、って勘違いされた──ならまだ良い。マシ。全然。
……何より恥ずかしいのは、何も意識することなく、二人分を頼んじゃっていた、不肖、アタシ。
**
「お、おいす~。お疲れっすー」
「お疲れ様、ネイチャ。ごめんな、トレーニングでもないのに呼び出して」
「いえいえー。──。」
『──そんな他人行儀なー、いつでも呼び出してくれていいんですよー?』
なんて軽口が浮かぶのに、なんだか喉でつっかえてしまった。
ちょっといつもより早い心拍のせいでしょうかね、ええ。
そんなアタシの心中など知らず、トレーナーさんはちょっと汗ばんだ額で、困ったように笑います。
「まさか、代えたばっかりのシューズがあんなに早く壊れるとはな。ほんと、ネイチャに何事も無くてよかったよ」
そう、今日の用事というのはそれ。
アタシのおニューのシューズ、壊れちゃったんです。特に走り方が悪かったとか、土が悪かったとかもなく、なんというか、初期不良というか、天命というやつ(?)。
なので、トレーナーさんはと言えば休日返上で、腕まくりをして、新シューズの装蹄をしてくれていたってわけです。
ふぅっと一息ついたトレーナーさんは床に胡坐をかいて、工具箱とタオルに囲まれています。しんどそうな作業の反面、一区切りついた表情はどこか楽しそう。トレーナーさんが実はこういう工作的(?)な仕事が好きだというのは、三年一緒に過ごして、アタシももう知ってる。
「いやあ、でも、装蹄も、俺結構上手くなったと思うんだ。三年前と比べて」
「うん。確かに。三年前とかトレーナーさん、いっぱい絆創膏張ってたもんね?」
「憶えてるか、はは」
笑うトレーナーさんの指先は、今となっては傷もない。けれど、ハンマーの煤で、ちょっと汚れてる。安全用の白い手袋が、工具箱の上に脱ぎ捨てられているのは、それだけ慣れたってことだし、きっと、『もっと精密にやるため』外したってことなんだろうな。
捲られた袖の下、細身な腕も、力仕事の終わった後だからか、少し血管が浮いていて、いつもより2割増しくらいで逞しく見える。筋肉、やっぱり、ちゃんとあるんだなあこの人、とか思ったり。
……あれ? いま、ちょっと変態?
恥ずかしくなって目を逸らしてたら、「よおし」とトレーナーさんが意気込んだ風にいう。
「ちょっと待っててな。もう少しで終わるから」
見れば、また作業に入ろうとしている様子。
おっとっと、縁起ぶった前かがみになりながら、彼の方へ踏み込みます。
「ちょいと、トレーナーさんや」
「ん? なんだ?」
ふりふりと、アタシは後ろ手に密かに隠していた、持ってきた紙袋を前に掲げ、見せつけます。
「アタシ、別にこの後用事あるわけじゃないですから。ちょいと休憩にしませんか。ほうら、差入れもあるんですよ。いい匂いがするでしょう」
たい焼きを漁ってきた紙袋を、かさかさ揺らせば、
「うわ」なんて、子供みたいな顔をするものだから、笑ってしまった。
**
以下、トレーナーさんを席につかせて、お茶を用意するまでの会話。
「わかった。たいやきだ」
「おお、ご名答!」
「ふふん、この匂いなら一発だな」
「それでは正解者には見事、ご褒美としてお好きな味を選ぶ権利をあげましょう」
「お、味が違うのか。粒あんと白あんとか?」
「ブブー。粒あんは正解。でももう一つは難しいよ? 正解しようとすると一日が終わっちゃうかも」
「はは、それは困るな。なんだろ、チョコレートとか?」
「おっ、不正解ですが、その線ですよ」
「ええ、じゃあ……コーヒーとか?」
「あはは、それはない! 挑戦的すぎ!」
正解を伝えたのは、ちょっと遠回りした後でした。
やりすぎても、冷めちゃうからね。
**
さて、席に着き。
たい焼きを皿に乗せている間のアタシの隙を盗むように、トレーナーさん、ふわと小さくあくび。気付いたけど、見ていないふりをした。トレーナーさんはアタシに気を遣わせるのも嫌だということは、この三年で知ったこと。
一方で、アタシのために疲れてくれていることが、ほんとはあんまりよくないんだろうけど、嬉しい。
「粒あんとストロベリーか。さて……どうしよっかな」
そしてまた、考える風に腕を組んでから、ちらっとアタシの顔を盗み見たトレーナーさんの視線も、ええ、やっぱり見逃しませんとも。ネイチャさんわかっちゃった。あくびと反対に
こっちの方は言葉に出すのは、きっと可愛い反応が見られると思ったから。
「はは~ん、今、アタシの好きな方を考えたでしょ?」
トレーナーさん、ギクリと音が立つような顔をしました。はにかんで肩をすくめます。
「……バレた?」
「駄目ですよ~。大人なんだから、自分の意思はハッキリさせないと~」
「いやいや、ネイチャに好きな方を食べさせたいのは俺の意思だよ」
……カウンターじゃん。
……なにその、正解をサラッというやつ。
「でも困った、どっちの味のスイーツも、昔、美味しそうに食べてたからさ」
さらに続けざま放った言葉に、アタシも、あ、と面食らって赤くなる。トレーナーさんが温泉旅行で買ってくれたお饅頭とか、レースの下見の帰り道、ふと立ち寄ったカフェでの、苺のパフェとか……う……なんでほんと、そういうとこ、しっかりしてるかな。
トレーナさんは折衷案みたいに、ぱんと手を合わせた。
「じゃあ分かった、どっちも半分ずつ食べたい」
「はぁ……言うと思った」
「いいだろ? 反則じゃない」
「どっちつかずじゃない?」
ちょっと意地で言い返してみたけど、「そうか?」なんて言って、やっぱり、この人はすらっと返せるんですね、これが。
「二人でしか半分こはできないだろ? どっちもは二人でいるからこその特権なんだよ」
決まったな、みたいな顔をされて、決められたな、なんて悔しくも思いました。
仕返しじゃないけれど、トレーナーさんの指は汚れていましたので、アタシの手で食べさせてあげました。ちょっと抵抗はされたけど、こんな会話を繰り広げながら。
「いや、それは手を洗ってくるから……!」
「あら、なんてこと! そんな間にたい焼きは冷めちゃいますよ! お店のお姉さん、きっと悲しむだろうなあ~……?」
「うっ、ネイチャの新規ファンのお姉さんが……!」
恥ずかしそうなのを押し切ったから、せめてと二口で頬張ろうとするトレーナーさん。ちょっと苦しそうにもぐもぐする姿を見れて、してやったりと思ったのでした。
……あれ、これもちょっと、変態?
「はい、お茶も御呑み~」
「ありがとう……って、コップに入ってるなら、自分で呑めるから!」
**
たい焼き。美味しかったです。特にストロベリーは新感覚。リピート確定。今日のお礼も含めて、また行かなきゃね。
なんてことを心に決めて。それはそれとして、こちらも、今日の本題。
装蹄を終えたシューズを、トレーナーさんが履かせてくれる。足に触れられるのも、スカートのままで変に緊張しなくなったのも、すっかり慣れてしまったなあと思う。トレーナーさんの手も──昔は割れ者を触るみたいに慎重だったのに、今は、持ち慣れた食器を触るような──なんてのは、思い上がりでしょうか、どうでしょう。
「どうかな。違和感はない?」
トレーナーさんが言うから、立って、数歩。うん、感触通り。
「ふうむ、ぴったり。トレーナーさんも腕を上げましたなあ」
「それほどでも、あるな。なんてたって、有馬制覇のウマ娘のトレーナーですから」
「あら」
トレーナーさんが、ドヤと笑みを返してきたから、ちょっぴり虚をつかれてから、アタシなりのドヤも向け返す。
ちょっと、そんな風に笑ってくれるのが意外だったから、胸が暖かくなる。……昔は、トレーナーさんもアタシのことばっかり褒めて、自分のことは棚に上げてばっかりだった。『ネイチャのおかげ』とか、『俺なんてまだまだ』とか。お互い似たところはあったのかな、自信ってモノは難しかった。
けれど、そうだ。トレーナーさんのおかげでもあるし、周りの人のおかげでもあるし、アタシのおかげでも、あるのでしょう。綺麗な金色のトロフィーは、未熟だった心の真ん中に、もうしっかり飾られている。きっと、お互いに。
ぺたっと椅子に座りなおした。
そのことが嬉しくて、少しだけ、しんみりとする。
トレーナーさんは、凄い人。
アタシも、凄いことをやってしまった。
「ね」
靴を一度脱がせてくれたトレーナーさんに、声をかける。はたとした目は、いつだって真っすぐアタシを見てくれる。
「次は、どこを目指しましょうか」
──このシューズで、どこまで、あなたと一緒に行けるでしょうか。
なんて、胸の中には、もっと芯を食った言葉があるのに、また今日もアタシは、そこまで口に出すことができないから、ええもう、ほんと、まだまだなんです。
だろうと、変わらず、あなたは前を見てくれる。
「連覇か。あるいは海外制覇か。どこへでも行けるよ、ネイチャなら」
うん。知っている。あなたが、そう、信じて、応えてくれることを。
アタシよりも、アタシの走る道の先に熱心なあなたのおかげで、ここまで来れてしまった。
だからお返しに、アタシも思うのです。
これもまた、もう一つ、言葉にできない心の底。
──ねえ、トレーナーさんも、どこまでも行けるんじゃないでしょうか?
桜のつぼみのような、青い不安が、新しい春が近づくからこそ、芽生えているのです。あなたなら、きっと、他の子だって、もっと早く走らせられるのでしょうと。
ウマ娘とトレーナーの関係は、永遠じゃない。そんなことわかっていると、今日も同じことを考えている、ああ、アタシはやっぱり、まだまだアタシらしいのです。
──けれど。
「じゃあ、次のシューズも装蹄してくれますか?」
少しばかり大人になったネイチャさんは、ようやく、そこまでは、口にできるようになったのです。
新しい不安を呑み下すことはできなくても、もう、抱えながら走ることはできるから。このシューズが、いつか走りつ尽くしてくたびれるまで。
あなたは、ずっと目を逸らさずに微笑む。
「勿論。必ずもっと腕を上げるからな」
そう言って、トレーナーさんはもう一度腕まくりをします。
細くて、頼れるその腕に、ふふっと笑ってしまう。
頼もしい姿ばかり見せられるから、アタシも、吹っ切れずにはいられない。
椅子を降りて、トレーナーさんの方へしゃがみこんで、目線を合わせる。
ピンと指を立てる。一本、あなたの鼻の前へ。
「じゃあ、改めてアタシも宣言。──どっちも、一着取るからね!」
「おおっ、頼もしい! かっこいいぞネイチャ!」
拳を握って、楽し気なトレーナーさん。アタシも、なんだか楽しくなってくる。
「ねえ。これって、どっちつかずじゃないんだよね?」
「ああ。強くなった俺達の、特権だ」
決まったな、二回目の表情。今度は、アタシもお返ししたかった。
指をすいと、あなたの唇の前へと持っていく。……ええ、まだ、触れるところまではいけなかろうとですけども。
「言いましたね。最後まで、付き合ってもらいますから」
トレーナーさんに気持ちの全部が伝わっていなかろうと、アタシは、アタシのために言葉にした。
あなたとなら、アタシでも、二人分欲張れるから。
「最初っからそのつもりだよ」
そして、言葉の通り、あなたは出会った時から変わらずアタシの行く先を見てくれていた。
熱い顔に、自分自身で気付かないふりをして、立ち上がった。はあ、暑い暑い。まだ春も先なのにね。
「じゃ、まずは手始めに、今度一緒に、今日のたい焼き屋さんをリピートするの、付き合ってくださいね?」
「えっ。……うん? ……うん! そうだな、新しい挑戦の前にまず、英気を養わないとな!」
「ふふ、そういうことにしといてください♪」
次もまた、二人分。
どうか、道の果て、辿り着けるところまで。