廃墟の前に、立ち尽くす一組の男女。
一人はスーツを着た人間の男。
一人は制服姿のウマ娘。
目を閉じ、祈りを捧げている二人。
しとしとと降る酸性雨が、肩を濡らしてゆく。
人が殴りつけられる音と、悲鳴が響く。
それでも構わず、彼女らは続けた。
己の家族と、そして師の安らぎをーー
[デイブレイク・オブ・ネヴァーダイズ]
それは今から、十六年前のことである。
「ザッケンナオラー!スッゾコラー!」
「アイエエエ!助け、グワーッ!」
口汚いスラングが響き渡り、悲鳴があがる。
死と暴力に包まれた、マッポー的アトモスフィア漂う辺境の国で、一人のウマ娘が生を受けた。
一時は産まれてくることすら危ぶまれた彼女であったが、何の奇跡か、ブッダの慈悲か、母子共に無事に出産を終えることができた。
そして命を拾った彼女をーー両親はこう名付けた。
不死者ーー『ネヴァーダイズ』と。
彼女の家庭はこの国の平均的な家庭に倣って裕福ではなく、明日をも知れぬ身であった。
しかしながら深い愛情を受けて育ったネヴァーダイズは、心優しき素直なウマ娘へと成長した。
そして、彼女が齢十五になったその頃ーー運命を決定付ける出来事が訪れた。
「お母さん、行ってくるね」
母へ声をかけ、シューズを履くはネヴァーダイズ。
「ゴロツキには気をつけなさいよ?」
心配そうに、母は娘へと言う。
「ダイジョブダッテ!もし来たら、このカラテで…イヤーッ!だから」
彼女は元気よくチョップ突きをしてみせ、にかりと笑う。
やれやれ、と母もまた、笑う。
(一体どこで覚えたのやら)ーーと思う母。
ネヴァーダイズはいつしか、独特な喋りをするようになっていたのだ。
そして習ったこともないはずの格闘技術をーー彼女曰く、カラテを習得し始めた。
だが、彼女はそれを自ら振るうことはなかった。
両親の教育故か。
そんなやりとりを交わしたのち、ドアの閉まる音が鳴った。
「もっとゆっくり閉めなさい!…もう」
ふふ、と笑い頬杖をつく母。
何にせよ、娘が元気に育ったことはーー親として喜ばしかったためだ。
そして、常にこうも考えていた。
(あの子をちゃんと走らせてあげられれば)
と。
♢♢
臙脂色(読み:えんじ。濃い紅を指す)にちかい鹿毛を揺らす、小柄な影が一つ。
ネヴァーダイズだ。
先刻家を飛び出した彼女は、朝も早いスラム街を駆け回っていた。
急激な近代化がもたらした酸性雨も気にせずに、彼女は実に楽しそうな笑顔を浮かべていた。
走ること。
それはウマ娘としての本能である。
しかしながら、彼女の家庭にはそのための用具を揃えたり、トレーニングをさせるための蓄えは無い。
それをよく理解しているが故に、彼女は毎朝こうして街中を走りーーそれを解消している。
『実際安い』、『合法で安心』などと書かれた看板を掲げる店を横切りつつ、ネヴァーダイズはひた走る。
そうするうちに、彼女の耳が揺れ動いた。
「ブッスゾコラー!」
「アイエエ!助け…誰か…!アバーッ!」
ナムアミダブツ!
細い路地の先から聞こえる、怒号と悲鳴、そして鈍い打撃音。
このスラム街では、実にチャメシ・インシデントな光景だ。
それを横目にチラと見たネヴァーダイズは、思う。
一つ違えば、自分があそこに転がる物言わぬ男になっていたのでは、と。
そしてさらに思う。
強くならなければ、のし上がらねば、食われるだけだ、と。
ネヴァーダイズには夢があった。
それはーー『大規模なレースに出場し、勝って己が名を轟かすこと』。
そして得た力でーーこの場合は名声によりーー家族に安全な暮らしをさせること。
全員でこの国を出て、穏やかに過ごすこと。
彼女は、いつしか強く、そう願うようになっていた。
惨劇から正面へと目線をを元に戻すと、彼女は振り切るようにスピードを上げた。
赤黒いつむじ風が、通りを駆け抜けてゆく。
何軒かの屋台を走り過ぎたのちーー彼女は朝焼けの彼方に消えた。
「ほう…あの走り…」
そんなネヴァーダイズの姿を、何者かが見つめ、呟いた。
しわがれた男の声だった。
サングラスをかけた老人はーーはためくマフラーに彼女の残したものを感じ取り、ふ、と口角を上げる。
そして彼は下駄を鳴らしつつ、歩き出した。
この時、ネヴァーダイズはまだ知らなかった。
この偶然なる出会いが、己が運命を変えることとなろうとは。
#1 完