Ω×Λ -distortion:AMAZONZ-   作:イチゴころころ

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 『アマゾン細胞』――。
 ここではないどこかの世界の、どこかの組織が生み出した人工生命体。

 文字通り細胞サイズの微少な生命体は、その他の命あるものと同様に本能のまま生き、増え、己の有する命というモノを存続させることのみを繰り返す。その意味において、アマゾン細胞は何の変哲もないただの生き物と言えるだろう。
 そして、ライオンがシマウマを喰らうように、シマウマが草を喰らうように、アマゾン細胞の食性にもある指向が存在する。


 それは人間の肉だ。


 やはり何の変哲もない――と、再び論じるのはわざとらしいだろうか。あるいは神の視点でも持っていれば、そうして割り切ることもできるのだろうか。
 残念ながら人間は神ではない。ライオンに喉笛を食いちぎられる瞬間、「これは自然の摂理だから」と納得するシマウマが一体どれほどいるのだろう。人間は神ではないから、シマウマの気持ちなどわかるはずもないのだが。

 しかし数奇なことに、そんなアマゾン細胞は他でもない人間によって生み出されたのだ。そしてその体験は人間に、神になれたと錯覚させた。その甘美な錯覚はやがて全能感へと昇華し、やがていくつもの“神さまごっこ”が始まった。

 ある者はアマゾン細胞を人間サイズの怪人・アマゾンへと成長させ、
 ある者はアマゾン細胞を己の肉体へ移植し、
 ある者はアマゾン細胞に己の遺伝子を掛け合わせ、
 そしてある者は、増やしたアマゾンを皆殺しにしようと死の雨を降らせ、
 アマゾンと人間が交配し、
 アマゾンで死者を蘇らせ、
 多くの人間がアマゾンに喰われ、
 逆にアマゾンを食料にし、
 そしてまたアマゾンを皆殺しにしようとした。

 こうして人間の“神さまごっこ”は、延々と繰り返されることとなる。いつの時代でも、どの世界でも。そこに人間とアマゾンが、同時に存在する限り。


 これは出会いと慈愛の物語。


 “神さまごっこ”の果て、ぽろりと零れ落ちたふたりの獣。
 出会うはずのない彼らが出会い、理不尽な運命と向き合う準備をする物語である。





scene1 AMAZONZ:生きる者と悲しむ者

 

 

 ふと、空が奪われたのはいつからだったかと考える。

 

 当たり前のようにそこにあったはずの空。その青いキャンバスにはおよそ不釣り合いな、不気味な紋様の刻まれたタワーがそびえ立っている。

 赤と青のグラデーションとなった空を見上げながら、ひとりの男子高校生がぼんやりと歩いていた。年齢の割にすらりと高い身長を持ち、複雑そうな表情の中にも穏やかな優しさを内包している彼の手には、ひと束の百合の花が握られている。

 

「2ヶ月、か……」

 

 その自答は先ほどの自問に対するものだ。『空が奪われた』というのは中々に言い得て妙というか、そのタワーが放つ圧倒的な存在感によって縦に引き裂かれた青空は、まさに奪われたという表現が合致している――と、彼はなんとなくそう思っていた。

 

「ですね。あのタワーが建ってから、ちょうど2ヶ月になります」

 

 自答に過ぎなかった言葉を拾い上げる、涼やかな声。見上げれば、坂道の中ほどのガードレールに腰掛ける、セーラー服の少女の姿があった。

 

小百合(さゆり)さん……」

 

 名前を呼ばれた少女は小さく微笑むと、とことこと坂道を降りてくる。挨拶にしては諸々の文脈をすっ飛ばしているが、問題はない。特段長い付き合いというわけでもないものの、ふたりの間にはそれだけの信頼があった。とは言え、独り言を拾われるのは恥ずかしいのだが。

 

「聞いてたんですか」

「……盗み聞きする気はなかったんですけど」

 

 バツが悪そうに首を傾げる少女・小百合(さゆり)。だが彼も別に目の前の彼女がそんな悪趣味な人物だとは思っていない。ゆえに謝る必要もないと思ったが、それもまたこの小百合という少女の在り方だ。こんな具合に彼は諸々を観念し、話題を先に進めることにした。

 

「わかっているつもりでしたけど、あのタワーが建ってから2ヶ月になるんですね。今もこの世界は……危険に溢れています」

「健二さんの言う通りです。けどヒーローが、……“仮面ライダー”が戦っているじゃないですか」

 

 そう。あのタワーは脅威の象徴である。この世界には大きな脅威が迫っている。……しかしながら、それを守るヒーローが存在するのも確かだ。

 

「(“仮面ライダー”か……)」

 

 ヒーロー、それにつけられた“名前”。

 その単語を心の中で繰り返しながら、彼は自分ではない人物のことを思い浮かべる。きっと傍らにいる小百合が思い浮かべるのも、その人物のことなのだろう。

 そうしてふと小百合の横顔を伺うと、偶然にも彼女と目が合った。その丸い瞳は少しだけ見開かれ、そのまま視線を彼の手元へ送る。――百合の花を持ったその手。奇しくも彼女の名と同じ花であったが、それが意味するところを、小百合は既に理解していた。

 

「……今日もあの場所に?」

「うん……。報告とか、色々と。そんな感じです」

 

 彼は小さくはにかむと、花を両手に持ち直した。

 

「最近、なにかとごちゃごちゃしてきましたし。……お陰で話題には事欠きませんけど」

「でも健二さんは、特に話題がなくなったとしても行きますよね」

「……」

 

 彼は答えない。

 小百合は特に追求することもなく、ただ小さく「私もそうですから」と溢す。

 

 そうしてどちらからともなく歩き出した。言葉のないまま、静かな街の中を歩いていく。沈黙が苦痛になるような関係性ではなかったが、“あの場所”へ向かうときだけは決まって、会話のなくなるふたりなのであった。

 

 

 

 

 

 彼――杉山健二(すぎやまけんじ)はアマゾンである。と言っても元々は人間で、後天的にアマゾンに()()()()()存在だ。

 

 人間としてこの世に生を受けた直後、健二はこの世界の“神さまごっこ”に巻き込まれた。そして運良く――あるいは不運にも――その神さまに見初(みそ)められ、命を存続させることを許された。同時に運悪く――あるいは幸運にも――、人間を辞めることを強いられた。

 そして神さまになったつもりでいる人間がそれだけで終わってくれるはずもなく、健二が高校生になり、その手で因縁の元凶を倒すまで、悪辣な神の遊びは続いたのだった。

 しかしながら、偽りの神に弄ばれるだけの人生をやり直したいかと問われれば、健二は即座に否定するだろう。一連の戦いの中で多くの出会いがあったのもまた事実であり、彼はそのことをとても大事にしている。誇っていると言ってもいい。自分の選択や歩いてきた道筋に後悔はない。悲しみに囚われて身動きが取れない時期もあったが、それもちょうど、いま隣を歩くセーラー服の同級生と共に乗り越えて久しくなる。

 この杉山健二という名のアマゾンは、穏やかな笑みの中に確かな芯を持つ男なのだ。

 

 

 

 

 

 帰路につく頃。陽はすっかり傾き、くすんだ道路標識は倍以上の長さの影をコンクリートへと伸ばしている。空から見下ろしてくる“脅威”に静まりかえってはいるものの、人気(ひとけ)のない街並みはどこか穏やかで、まさに束の間の平和といった様相だ。

 健二と小百合はとりとめのない話をしながら、商店街へ続く道を歩いていた。盛り上がっている……とはギリギリ言えなそうな微妙なラインではあるが、お互いに行きよりも言葉数が多いのは間違いない。

 

「私、思うんですよね。学食はいい加減にアイスの販売を開始するべきだと」

「……? 2階にあるじゃないですか、アイスの自販機」

「学園内の需要量に釣り合っているとは到底思えません。今でこそピークが過ぎたとは言え、毎年あんなレベルのいらぬ争いが起きていると思うとゾッとします。そのうち怪我人が出たって不思議ではありません」

 

 そんな馬鹿な……とは否定しきれない健二。活力に満ちあふれた同級生たちの姿を思い浮かべると、呆れるような微笑ましいような、不思議な感じがした。

 ふたりは程なくして、掠れた『止まれ』の文字が地面に張り付く分かれ道に辿り着く。どちらからともなく足を止め、どちらからともなく会話を辞めた。

 

「じゃあ僕は、一旦学園に寄ってから帰りますから、ここで」

「……」

 

 健二はそう言って立ち去ろうとしたのだが、小百合からの返答はない。不思議に思って振り返ると、彼女は真っ直ぐに健二を見つめていた。彼女の視線は優しく包み込んでくるようで、それでいて力強く諭すようでもあった。

 

「小百合さん……?」

 

 特別な関係などではないものの、相応に信頼し合う仲。しかし今の彼女の表情は、健二を以てしても読み取ることのできない複雑なものだった。

 

「……私は、似合うと思いますけどね。ヒーローとしての健二さん」

「え」

 

 小百合の口から零れる、柔らかな声色。すっ飛ばされた文脈を、健二は咄嗟に見つけることができないでいた。

 

「えっと……」

「じゃあ私もここで。……また明日」

「あっ」

 

 踵を返し、立ち去っていく小百合。健二はしばらく呆然としたのち、今のは彼女なりの気遣いだったと遅ればせながら気づく。そして萎びた花の入った袋を無意識に握りしめ、そっと視線を落として「そんなに気を遣わなくていいのに」と呟いた。

 

「(僕はもう、ずっと……)」

 

 ふるふるとかぶりを振り、健二は思考を払う。ともあれ彼女がこうして気遣ってくれた以上、ほったらかしにするわけにはいかない。せめて挨拶だけでも返そうと、健二は再び顔を上げ――、

 

 

 

 ―― ダ レ ニ   ア イ タ イ ノ ?

 

 

 

 突如として。

 健二の耳元で囁かれる、そんな声。

 

「……ッ!」

 

 真後ろだった。ほぼ真後ろのゼロ距離から話しかけられたかのような、そんな距離感だった。不気味なのは気配がなかったこと。そして今この瞬間も尚、気配がないこと。

 健二は反射的に飛び退き、その“背後”から距離を取る。動作の途中で鞄へと手を伸ばし、使い慣れた“ベルト”を取り出す。何かはわからないが尋常ではないと、健二は確信していた。

 

「……!?」

 

 しかし振り返った彼の視界には、何の姿も映っていなかった。

 

 

 

 ―― キ ミ モ  カ ア サ マ ニ  ア イ タ イ ノ ?

 

 

 

 再び囁かれる声。方角は真後ろ、距離はほぼゼロ。

 

「母、親……? 何のことだ! 僕は――」

 

 同様に飛び退き、振り返るも結果は同じ。

 

 

 

 ―― コ タ エ テ   ダ レ ニ   ア イ タ イ ノ ?

 

 

 

 まるで“真後ろ”そのものが話しかけてきているかのように、健二の視界にその声の主はどうしたって映らない。

 

 

 ―― コ タ エ テ   ダ レ ニ   ア イ タ イ ノ ?

 

 

 繰り返される“真後ろ”からの声。健二の全身を悪寒が(はし)り、次いで駆け巡る衝撃に思わずたたらを踏んでしまう。

 

 

 ―― ケ ン ジ ノ  ゼ ン ブ ヲ  ミ セ テ

 

 

「くっ……!」

 

 声を振り払うように、健二は“ベルト”を装着した。それを掴む彼の腕には血管が浮かび上がっている。動揺していることは間違いないが、この程度の動揺でその挙動が鈍ることはない。彼の戦闘センスはそれほどまでに研ぎ澄まされている。

 

 ドクン、と。全身のアマゾン細胞が活性化するのを感じる。健二の心の乱れを受け取ってか、彼の中にいる“彼”はどこかそわそわしているように思えたが、関係ない。今話しかけてきたモノの正体が何であれ、どうしようもなく悪趣味な相手であることは間違いない。ならば健二の選択はひとつ。これまで何度もそうしてきたように、戦う決断を下すこと。

 

 しかし無情にも、コンマ数秒のところで相手の方が早かったようだ。

 

「――うっ、うああああっ!?」

 

 健二の視界が瞬く。ふらついた視界には偶然と言うべきなのだろうか、タワーから一際妖しく輝く真っ赤な光が射出される光景が飛び込んでくる。

 再び視界が瞬く。彼の脳裏に一瞬だけ、黄色く光る石が映し出された。もうどこまでが視界で、どこからが思考の中なのか、健二には既に判別が付かなかった。

 

 疑問符を浮かべる隙も許さず、ぐちゃぐちゃになった視界と思考はすぐさま不気味な色に染まり、踏みしめていた筈の足場も気づけば消失。健二は一瞬にして、不快な玉虫色の模様が無限に広がる空間へと呑み込まれてしまった。

 

 

 

 

 

 生理的嫌悪感を煽る不気味な色で満ちた空間で、健二の脳は乱暴に揺さぶられていた。

 

 ―― ミ イ イ ィ ィ ィ ィ 

 ―― セ エ エ エ ェ ェ ェ ェ ェ

 ―― テ ェ ェ ェ ェ ェ 

 

「ぐううぅぅ!?」

 

 不快な声が脳の中で響く。

 先ほどまでは“真後ろ”だったその声は、まるで健二の両耳から侵入でもしてきたかのように、ちょうど眼球の裏側あたりで響き渡っている。おまけに相当な大音量だ。健二は自分の頭を掻きむしりたくなるような衝動に駆られたが、そもそも前後も上下もあやふやな状態では上手くいかず、両手は虚しく空を切る。

 

「なにを、……っ!?」

 

 目の前に広がる玉虫色の景色が歪み、鼓動する。巨大な心臓の表面を見せられているようだった。そしてその景色は一層大きく震えると、細かい網目状に切り取られていく。

 それは“画面”だった。玉虫色のよくわからないモノで染まっていた視界は一転、小さな“画面”が縦へ横へと無限に並ぶ景色に染め上げられた。その無数の“画面”に映し出された映像を否応なしに見せつけられ、健二は思わず目を見開く。

 

「趣味が、悪いな……っ!」

 

 それらは健二自身の記憶だった。無限に並ぶ画面には、彼の過去の記憶が流されていた。

 幼少期の思い出はもちろん、高校への入学や転校。アマゾンとしての覚醒と戦い、そしていくつもの出会い――。これまでの人生を網羅するような映像が、視界いっぱいに広げられていた。

 その中には当然、“大切な人”と出会い、笑い合う映像もあった。数は決して多くないが、自然と目で追うくらいには、自分の中で大きくなっている記憶だ。悲しみが少しだけ膨れ上がり、胸の奥が僅かに締め付けられた。……だが、それだけだ。

 

「なんの、つもりかは……知らないけどっ! こんなやり方、僕には……効かない! 僕たちはもう、乗り越えているっ! 嫌な思い出も、大事な思い出も全部! 生き残った僕たちが守っていくって決めたから……ッ!」

 

 頭が割れそうになる感覚に耐えながら、健二は頭の中にいる“声”に啖呵を切った。視界の端には小百合と殴り合ったときの映像がある。ボロボロに泣きわめきながら、彼女と共に悲しみを乗り越えたときの記憶だ。

 すると“そんなもの見るな”とでも言うように、小百合との記憶を映した映像が消灯する。それを皮切りに他の画面も次々と暗くなっていき、とあるひとつの画面のみが残されることとなる。

 

「……! 本当に、趣味が悪い……!」

 

 そこに映っていたのは、名も知らぬ妊婦の遺体。自分を中心に行われた“神さまごっこ”に巻き込まれ、無残に引き裂かれたふたつの命。ご丁寧に表示してくれたそのシーンは、かつて健二の心を折った紛うことなきトラウマである。

 だが結果は同じ。驚きこそすれ、もう取り乱すことはないのだ。失われた命を軽んじている訳では断じてない。トラウマを受け入れて前に進む術を、彼はとうの昔に知っているからだ。この“声”がなぜ健二を煽ろうとしているかなど知らないが、いまの健二の心は、この程度ではなびかない。

 

 ――そのはずだった。

 

「…………え?」

 

 心臓が軋む音がした。自分の中にいる“もうひとり”が震え出すのがわかる。

 

「なんで……!?」

 

 健二は既にベルトを装着している。それはアマゾン細胞を活性化させる装置。悉く妨害を受けて未だに発動できずにいるが、装着した時点で待機状態になるその装置は今、健二の中にいる“もうひとり”を中途半端に覚醒させている状態だ。そんな“彼”がまさに、その目を薄く開け始めた。

“彼”は健二の感情に敏感だ。動揺すればするほど暴走のリスクが高まるが、裏を返せば健二の心が凪いでさえいれば心強い味方となる。

 健二は取り乱してなどいない。なんなら最初に謎の声を聞いたときより、幾分も冷静になれている自覚があった。しかし“彼の中の彼”はそわそわとその激情を蠢かせ、今にも外に飛び出そうとしている。こんなちぐはぐな状態は初めてだった。

 

 

  『――健二くーーーん!』

 

 

  戸惑う健二の脳裏に叩き付けられる、はつらつな声。

 

 

  『昨日は、助けてくれてありがとう!』

 

 

  向けてくれた、純真無垢な笑顔。

 

 

  『健二くんはみんなと同じ……』

 

 

  暖かくて、優しい温もり。

 

 

  『健二くんは……大切な――……』

 

 

  流れる血。徐々に消えていく温もり。

 

 心臓が跳ねる。つい数秒前まで決してなびかない筈だった心が、無抵抗に押し潰されていくのを感じる。対照的に、健二の中にいる“もうひとり”が無制御に膨れ上がっていくのを感じる。

 

「やめろ……」

 

 健二は悟る。これは自分の意思じゃないと。自分の意思に反して()()()()()()()()()()()()()と。

 

「やめろ……!」

 

 突如、自分をこの空間に誘い込んだ謎の声……。その声は初め――理由は不明ながらも――健二のトラウマを刺激することでその感情を揺さぶろうとしている、そう思っていた。

 だが、そんな次元の相手ではなかった。トラウマの刺激は手段のひとつに過ぎなかったのだ。この声の主は今、健二の感情を直接、無理矢理かき乱している。おもちゃ箱をひっくり返す、無垢で残酷な幼児の手のように。

 

「やめろォォ……っ!」

 

 大切な人の記憶、大切なモノを失った記憶。激しい怒り、悲しみ、憎しみ、喪失感――言葉にできないものもすべて引きずり出され、粘土をこねるようにぐちゃぐちゃに混ぜ合わされる。

そして――その醜い塊を喰らった“彼の中の彼”が、遂に鎖を引き千切った。

 

 

「やめろおおォォォォォ!! うわああぁぁア“ア”ア“ア”ア“ア”ア”ア“!!!」

 

 

 伸ばした手が燃え上がる。大量の感情に煽られ、健二の中の“彼”が暴れ始める。全身のアマゾン細胞がその色を変え、爆発するように変異していく。

 

 人間としての()()が弾け飛び、象られるのは鋭い爪牙を身に纏う異形のシルエット。

 過剰なほどに肥大化した両腕と、対照的にスラリと伸びる両脚はアンバランスながらもどこか優美な均衡を保っていて、脛の後ろと下腕部にも肉食獣の牙を模した漆黒の突起が伸びていく。

 縦に伸び、吊り上がった両目と尖った両耳を携える頭部は、大地を駆ける狩人の形相。

 首元と背中から生える純白の毛皮は、月下に吠える孤高の追跡者の象徴。

 

 

 ――“ウルフアマゾン”。

 神を自称する愚者どもがこの場にいたならば、彼の姿をそう呼称するだろう。

 

 

『オ“オ”“オ”オ“ォォォォォアアアアアアアアーーーーッ!!!』

 

 湧き上がる感情のまま健二――ウルフアマゾンが腕を振るう。目の前に広げられた悪趣味な映像を払いのけるように。既に健二自身の自我はほぼなくなってしまったが、……何よりも特別だったその“笑顔”を自ら引き裂くのは、皮肉以外の何ものでもないだろう。

 

 果たしてその映像は腕の一振りで、粉々に砕け散ることとなった。

 視界を埋め尽くしていた画面がすべて割れ、背景としての玉虫色の光がその隙間から染み出すように広がっていく。

 

『――ッ!?』

 

 “笑顔”の破片は瞬く間に融けて消えていった。思わず目で追おうとしたが、すぐに見えなくなってしまった。そして、その代わりにとでも言うように玉虫色の光が大きく蠢き、再び彼を包み込んでいく。先ほどの画面とは打って変わって、いくら腕を振るおうともその光は振り払えない。

 

 

 ―― オヨビミタイ ……サア イッテラッシャイ ケンジ?

 

 

 再び光に呑まれる直前、最後にそんな言葉を聞いた気がした。理性の喰らい尽くされた今の彼に、その言葉を理解することはできなかった。

 

 

 

 

 

『グゥッ!? アアアアアアーーーー!!』

 

 視界が光ごと弾け、ウルフアマゾンの目の前に飛び込んできたのは大きなガラスの仕切り。両脚は“床”についていて、重力もその方向にしっかりと感じられる。前後上下の判別も回復し、まるで()()()()()()()()ような感覚。

 しかしそこは分かれ道でもなければよく知る街の中でもなく、ガラスの向こうに見えるのは薄暗くて薄汚い屋内の風景。小百合の影もなく、ガラス越しにこちらを見上げるのは防護服を身に纏った十数名の人影。

 

『……ッッ!!』

 

 そこがどこで、何が起きたかなんて彼にはわからない。恐らく人間としての思考力が残っていたとしても、理解するにはあまりにも突飛で難解な展開だっただろう。

 だが確かなことがひとつだけ。健二は……否、ウルフアマゾンはその視線を知っている。厳密にはガスマスク越しで見えていないのだが、その好奇の視線――命と運命を弄ぶ“神さま擬き”の視線を知っているのだ。そして間の悪いことに、ウルフアマゾンの中にはついさっき、行き場をなくしたどうしようもない激情が宿ったばかりだった。

 

『ヴァアアアア“ア”ア“ア”ァァァァァーーー!!』

 

 力任せにガラスを叩き割り、一番手前にいた防護服の人物の頭部を鷲掴みにする。

 

『――!?』

 

 ヒトじゃない、とウルフアマゾンは直感で悟った。指先から感じられる体温の低さ、防護服の奥にあるであろう肉体の脆さ。そして何より、一切避けようとも抵抗しようともしない、その“空っぽさ”に。そしてその不可解さは、ウルフアマゾンの激情を煽るのに充分なものであった。

 

『――アアアアア!』

 

 もう片方の腕も伸ばし、その人影を上下に引き裂く。血は流れず、腐った木片のようなものが飛び散るだけ。だがそれを皮切りに、それまで微動だにしていなかった周囲の人影は一斉に動き始める。

 彼らが取り出したのは不思議な形をした銃器だった。その縦長の銃口からは一斉に弾丸が射出され、ウルフアマゾンに降り注ぐ。それは電撃を纏った特殊弾――“神さま擬き”がアマゾンを鎮静化させるために生み出した、対アマゾン用の武装である。

 しかしウルフアマゾンは予備動作無しで跳躍し、天井に両脚の鉤爪を食い込ませてぶら下がる。偽りの雷霆は虚しく空を切り、壁に突き刺さって情けない破裂音を響かせた。

 

『グゥゥゥーーーアアアアアアアーーーーッ!』

 

 咆哮が飛び散ったガラス片をビリビリと震わせる。ウルフアマゾンは天井を蹴り、防護服の集団に躍りかかった。

 

 ――こいつらは敵だ。彼はそう思った。

 こいつらのような存在がいたから、多くの人が悲劇に見舞われるんだと。そんな激情を爆発させながら、彼は目の前の人影を切り裂き、食いちぎり、踏み潰す。

 

 ――それは違う。次に思ったのはそんな言葉だった。

 “そもそも自分が悪い”、と。自分のような存在がいたから、自分のような存在がくだらない“神”を育ててしまったから、多くの人が巻き込まれたんだと。

 

 ――そして、“彼女”も。

 

『ウゥ……!?』

 

 記憶にこびりつく……いや、こびりつけられたあの笑顔――心の奥に浮かび上がる笑顔には何故かモヤがかかり、ついさっき聞かされたばかりの彼女の声も妙に掠れて思い出せない。まるで健二自身の心が、それらをはぐらかしているかのように。

 

『ヴワアアア“ア”ア“ア”ア“――――――!!』

 

 防護服の集団は既に全滅していた。散り散りになった白い布きれと、腐った木片のような何かが辺りに散らばり、もう爪を振るう相手はどこにもいない。

 残ったのは激情だけ。そんな原始的で、生々しくて、どうしようもなく色鮮やかなものに身を任せ、彼は目の前のすべてを――この世界のすべてを蹂躙すべく、小さな窓から覗く夜空に向かって歩を進める。すべてが敵だと、自分に言い聞かせながら。

 

 ――そのときだった。

 

 

 

「……やあやあ。これまた予想外の場面に出くわしちゃったもんだ」

 

 

 

 背後の瓦礫の向こうから、そんな声が聞こえた。

 ゆっくりと振り返るウルフアマゾン。先ほどまでと一転、その挙動に確かな警戒が宿っているのは、かけられた声――緊張感のないふわふわとした声色から得も言われぬ圧が感じられたからだ。

 

「“同族”に会うのは……初めてなんだよ。だから実のところ、結構テンション上がってるんだよね、俺」

 

 ひしゃげた鉄扉をくぐり抜け、飛び散ったガラス片を踏みしめ、それでいて腐った木片は踏まないようにして。

 姿を見せたのはひとりの男。紺色のジャケットを羽織る、何の変哲もないひとりの男だった。

 

『……』

 

 だが、ウルフアマゾンは即座に理解した。――“同族(アマゾン)だ”、と。目の前に現れたその男の中から、微弱ではあるが()()()()()()()を感じられたからだ。

 そして彼にとって、同族とはすなわち殺し合う対象だ。“神”のいたずらで生み出された被害者同士でありながら、それらの同族は一部を除き、自分たちに仇成す存在だったからだ。そして……その“ベルト”をつけているのなら、尚更である。

 

「でも……一緒に飯でもどう、なんて。……言える感じじゃなさそうかなぁ」

 

 男の腰に巻き付いているのは、健二もよく知る変身装置――『アマゾンズドライバー』。

 吊り上がった両目のような発光ユニットを携え、左右に一本ずつグリップの伸びたそのバックルは、アマゾン細胞を戦闘用に覚醒させる“神”の兵器。あるいは実験器具。

 

『グウゥゥゥゥ……ウウゥゥゥゥウウ“ウ”ウ“ッ!』

 

 ウルフアマゾンは、健二は心の中で問いかける。――()()()()()、と。

 男はドライバーのグリップを握りしめる。その問いに答えるかのように。

 

LAMBDA(ラムダ)

 

 静かに、確かに放たれるプレッシャー。空気が微かに震え、ドライバーの駆動音が低く響き渡る。

 男は小さく息を吐き、顎を引いてこちらを睨み付けてきた。彼の瞳が(くら)く光り、決壊するかのように染み広がった黒目はその(まなこ)を漆黒に塗り潰す。それは光の届かない無限の暗闇を見渡す、深海魚の双眸のようだった。

 

 

「――アマゾン」

 

 

 青白い爆炎が灯る。ガラス片を吹き飛ばし、男のシルエットが変異していく。

 

《D・D・Dive! To the bottom...! 》

 

 眠っていたものを解き放つように。

 影に隠れた、その姿を見せるように。

 爆炎の中から現れたのは暗い青色の異形。携えるのは深淵の捕食者を模した流線型の体躯に、大海原を切り裂く大きな背ビレ。

 

『……はじめまして、だねぇ、“お友達”。出会っていきなりで申し訳ないけど――』

 

 確信した。こいつは敵だ。敵ならば……(たお)さなくては。

 

『さあ――勝負だ』

『ヴウウウウゥゥゥゥゥアアア“ア”ア“ア”ア“ーーーーーッッ!!』

 

 

 深海の牙と月下の爪。

 風を斬り、声を枯らし。

 銀色の(ひず)みの向こう側で、ふたつの異形が交わる音がした。

 

 

 

 

 




  【 NEXT DISTORTION 】

 ――あんた、相当()り慣れてるねぇ? 同族と

 ――僕の、頭の中のこの”声”は……

 ――大事なのは指向性だ。そこを見誤るなよ、お友達。

 ――ここは波妃町(なみきちょう)。深淵の屍が嗤う街。歓迎するわ、杉山健二くん。


  「scene2 DUEL:海の獣と月の獣」




というわけで、読了ありがとうございました。
作者のイチゴころころと申します。

あらすじにも記載したとおり、本作は私とパズル(https://www.pixiv.net/users/34948832)様のコラボ創作となっております。コラボ元作品未読でも大丈夫むしろ大歓迎!といった感じなので、この第1話を楽しんでいただけた方は是非とも引き続きお付き合いください。
どうぞよろしくお願いいたします。


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