Ω×Λ -distortion:AMAZONZ- 作:イチゴころころ
いくつもの綻びが繋がる世界で生きるアマゾン・
不可思議な存在との接触によって異世界の街・波妃町に迷い込んでしまった彼は、ゾンビハンターとして街を守る謎の女性・
彼らによると、健二が異世界に飛ばされてきたのは壊滅したはずの悪の教団……その遺産である『銀の鍵』によるものだという。
有り得るはずのない現状に、ぽっかりと抜け落ちてしまった“記憶”。
混乱する健二はさらに、正体不明の紫の煙に再び襲われてしまうのだった。
そして彼は今――、
「『
波妃東高校の学園祭に来ていた。
「…………なにしてるんだろ、僕」
パンフレットを握りしめ、健二は呆然と呟くのだった。
およそ4時間前のこと。
健二は飛び起きるように目を醒ました。視界に飛び込んできた見覚えのある内装は霧島廻たちの拠点――確か店名はアクアリオだったか――のもので間違いない。額に滲んだ汗を拭いつつ眉をひそめていると、背後から声をかけられる。健二はほのかに既視感を覚えた。
「よう、大丈夫? まさか2日連続で君をここまで運ぶ羽目になるとはね」
フロアの隅の席でタブレットをいじっていた男は目白一織だ。初めてこの店に来たときもこうやって起き抜けに声をかけられた……これが既視感の正体だろう。もっともその時は店内ではなく屋上だったが。
「ああ、別に責めるつもりはなくてね……むしろすまなかったよ。諸々を説明する為とはいえ君をあの廃墟に連れて行ったのは早計だったと思う。申し訳ない」
静かな夜景を映す窓をバックに、一織は頭を下げる。健二は上体を起こすと、しおらしく唇を結ぶ彼に「いえ」と応えた。
「ええと……僕は一体、どうなったんですか?」
「変なのに襲われたことは憶えてる? たぶん、こう……紫色の、こういうの」
一織の説明はなんともふわふわしたものだったが、今の健二にはすぐ合点がいった。そして最も直近の記憶が呼応するように蘇る。
「紫のヤツに襲われるのは、たぶん2回目だよね? 俺も霧島さんに説明されるまで知らなかったんだけど、アレは言わば“ペナルティ”らしい」
「ペナルティ?」
「そう。生きた知的生命体が時間とか、空間とかを飛び越えちゃったときに生じるペナルティ……。有識者の間では『猟犬』とか『ティンダロス』とか呼ばれているらしいけど。本来その世界にいないはずの者を執拗に追いかけ回して、なかったことにするための存在、みたいだよ」
そこまで言ったところで彼は口をつぐむ。健二も察することができた。この場において最も身近な、“時間とか空間とかを飛び越えちゃった”存在は……自分自身しかいないからだ。
「つまり、僕がそのペナルティの対象というわけですか」
「まあ、そうなるね。ただ……具体的にその“猟犬”が何をするのかについては記録がなかったんだ。俺が駆けつけたとき、健二は既に意識を失ってた。でもそれだけ。今こうして俺たちは問題なく話せているし、君には外傷もないように見える。……何があったかを教えてくれるかな」
「えっと……」
何があったかを問われても、困るというのが健二の正直なところだった。ゾンビとの戦闘の最中に紫のモヤに襲われ、それに包まれたことは憶えているが……。
「……ごめんなさい。僕にもよく分からないです。気を失ったのは確かですけど、特に体調が悪いというわけでも、どこかが痛むわけでもないし」
「そっかぁ……」
「そう言えば、廻さんは?」
「廃墟に残って調べ物。恥ずかしながら情報探索に関しては俺はお手上げ、任せるしかないからね」
「……ひとりで大丈夫なんですか? しかもこの時間……いま深夜ですよね」
「まあそこは心配無用だよ。あの人、寝なくても平気なタイプだから」
「はあ」
「それよりも、俺は君を見張ってろと」
「……」
「と言っても、君が危険なヤツじゃないってことはもう理解しているし、今回はどっちかというと護衛の意味合いが強いよ」
タブレットを閉じ、一織はぐっと伸びをした。健二は小さく俯き、胸に手を当てる。自分の鼓動を感じ、心なしか緊張が和らいだ気がした。
「今度いつ“猟犬”が僕を襲うかわからない、からですね」
「そう」
「護衛と言うよりは……一織さんもそういう意味では情報収集ですね」
一織は目を丸くし、「はは」と笑みを溢した。
「そう、相手がよくわからん存在である以上、守れるかどうか大分怪しい。というか、多分無理。でも健二の近くにいれば、少なくともお目見えすることはできるだろうって、そういうこと。この期に及んで打算的で申し訳ないけども」
「いえ、大丈夫です」
「てか君、やっぱ見た目以上に
「まあ……それなりに経験、詰んでいるっていうことでしょうか」
「いいじゃん、かっこいい」
「ははは……」
ゆったりとした笑い声が、店内に響く。疲弊した身体と……心にも、響いてくるような気がした。
程なくして、一織は仮眠を取ると言って横になった。健二は何度か迷った後、そっと店を出た。一織もアマゾンであるため、物音には細心の注意を払って。
「ふう……」
外はもう夜明け前だった。ひやりとした風は秋のものだろうか? そう言えば元いた世界も季節は秋だったなと思い出す。別々の世界でも、季節はリンクしていたりするのだろうか? まあ考えるだけ野暮ではあるのだが。
「ごめんなさい、一織さん」
一織にはとにかく休めと言われていた。それからひとりで行動するなとも。それがこちらの身を案じてのセリフだということは、健二にはすぐにわかった。打算的と言いつつも、彼らは本気で自分のことを心配してくれている。かの“教団”とどのような因縁があったかは推し量ることもできないが、一織と廻は単純に、健二が元の世界に帰れるように尽力してくれている。健二にはそれが嬉しかった。
嬉しかったからこそ、これ以上巻き込みたくないと思った。
「(これは僕の問題だ……それに)」
胸に手を当てる。少し前まで――厳密には半日ほど前までは何か、胸に痛みがあったような気がする。でも今は
「(そうだ、軽いんだ……すごく軽い。心も、足取りも。なんか、不思議な気分……)」
心地良い、と言うのが適切なのだろうか。脳の奥の大部分を占めていた辛さ、苦しみから解放されたような心地。あらゆる悩み、重圧が何処かへ飛んでいって、もう背負わなくて良いと確信できるような安心感……のようなものを健二は感じていた。
「(すごく良い、気分だ。……あ)」
そんな健二の心が映ったかのように、気づけば辺りはすっかり明るくなっていた。当て所なく歩くうちに、軽く数時間は経過したようだ。歩道には人通りも確認できる。思わず辺りを見渡すも、見覚えなんてあるわけがない。この波妃町は彼にとって異世界の街。土地勘がないどころの話ではないのだ。
「えっと……」
困ったように視線を泳がすと、健二の視界にある親子連れが映る。それなりに着飾ったような風体の母親らしき女性と、幼稚園児くらいの男の子のペアだ。バス停の周囲でうろうろする彼女らの様子はまるで自分と同じ、迷子のように見えた。
「……」
一織によるとこの街はここ数年で急速に再開発され、主に観光業に力を入れるも打率3割程度でそこそこ空回っている迷走期なのだという。昔ながらの田舎道とぴかぴかの近代道路が入り交じっていて、特に街の外から来た人にとっては迷いやすい構造なのだとか。察するに目の前の親子も、そんな大人の事情キメラと化した街並みに翻弄されている最中なのだろう。
しかしながらかくいう健二も街の外――“街の外”どころではないのだが――から来たヒトのひとりであり、前述の通り土地勘など皆無。現代高校生の必須アイテムであるスマホもずっと圏外のままで禄に使えない状態だ。迷子の手助けなど務まるはずもない。むしろ却ってややこしい事態に導いてしまいかねない。冷静に考えて余計なお世話などするべきではない――と思う健二だったが、今の彼は同時に……妙に気分が良くもあったのだ。
かくして、甥っ子の学園祭に参加するためにはるばる県外からやってきたのだという女性とそのお子さんに連れ添い、そこそこの奮闘を経て道案内を完遂した健二は今――そのまんまの流れで正門をくぐってパンフレットを受け取ったところで我に返ったのだった。
「(流されるまま敷地内に入っちゃったけど、知らない高校の学園祭にひとりで来てもなぁ……)」
健二の格好は一応制服ではあるので、周囲からは恐らく他校の生徒に見えているのだろう。特段浮いているような自覚はないが、場違いであることも間違いない。いくら心が軽くて気分も良かったからと言って、流石に流されすぎなのではないかと軽い自責を覚えつつあったわけだが……そんな自責など吹き飛んでしまう程の光景に、彼は目を奪われていた。
「『
受付のテーブルの前で、まるでゲームに出てくるNPCのように全く同じ台詞を吐き出し続ける女子がいた。恐らく実行委員か何かなのだろう。左腕にはいかにもな腕章もつけていて、大きな黒縁眼鏡の下にはキラッキラの爽やかな笑顔が張り付いている。一見、学園祭を思いっきり満喫する真面目系女子高生のようではあるが……、
「(なんだ、なんだこの……なんとも言えない、この、とんでもない虚無は!?)」
健二は戦慄していた。偶然なのか何なのか、健二はその女子の一挙手一投足・脳天からつま先までのすべてが“偽り”であると見抜けてしまったのだ。
「『
第一村人のお手本のようなその言葉に裏には『クソつまらん。早く終われ』の本音が隠されていて、
「あ、はい。美術部の展示ですか? あちらの階段から3階まで上がっていただいて、すぐになります!」
ぺかっとした笑顔の裏には『いや何のためのパンフだよ。開けよ』『なんで私に聞くのかなぁ。実行委員はそっちにもいるのにさぁ』の本音、
「あ、2年5組の『喫茶あすとらる』にも是非是非寄っていってくださいね!」
ちゃっかり自クラスの出し物を宣伝する茶目っ気には『義務だりぃ』の本音がそれぞれ隠されている……ような気がした。
まあ正直なところ、本音を建て前で隠すことなど人間誰しも、大なり小なりやっていることとは思う。高校生ならなおのこと。というか健二自身もその高校生なのだし、アマゾンとして相応の修羅場を潜って相応の落ち着きと達観を獲得した今でさえ、建前のための嘘偽りをまったく使わないとは言い切れない。それが悪いこととも言い切れないだろう。
だがそんな、思春期に纏わる道徳的観点を踏まえた上でも尚、目の前の彼女の猫かぶりは完璧だった。建前の完成度もそうだが、何よりもその本音との振れ幅が常軌を逸しているように思える。一体全体どんな学生生活を送ったらこんな虚無を醸し出せるのか。目白一織がこの世界で唯一のアマゾンだと知っていなかったら、健二は(特に気配を感じないとしても)同族を疑っていただろう。
「あの、どうかされましたか?」
そんなことを考えていたら件の偽り眼鏡女子に声をかけられてしまった。唖然と突っ立っている健二を案ずるような挙動の裏にはもちろん、『一応声はかけたけどお願いだからトラブルを起こさないで欲しい』みたいな本音が感じ取られる。
客観的に見て完璧に思えるその猫かぶりから何故ゆえ本音を見抜けるのか、実は健二自身にもよくわかっていない。
「あのー、大丈夫ですか?」
「あ、ああ。……うん、大丈夫です。えっと、すごく賑わってたから、圧倒されてしまって」
実際圧倒されたのは目の前の彼女の完璧な偽りっぷりであるのだが、健二はなんとか拙い建前で対抗する。
「あはは、それは何よりです! 楽しんでいってくださいね!(いやなんもないんかい。てか他校の人だよね。制服で来てるってことは、生徒会繋がりか何かかな? まあなんでもいいけど、なおさらトラブルにならないで欲しいな。トラブルになるにしても私のあずかり知らぬところで起こしてね。いってらっしゃい)」
「あ、ハイ。ありがとうございます(表情豊かな子……)」
静かな建前合戦に冷や汗をかきつつ、健二は促されるままにエントランスを抜けた。そして廊下を曲がったところでほっと一息。……凄まじい圧を持った女子高生だった。下手な戦闘より緊張したかもしれない。
「一織さんや廻さんと言い……この街も大概すごいところ……なのかも」
「――おい」
「うわっと?」
独りごちていると、背後からかけられる声。偽り女子との邂逅で(謎の)緊張感に晒された健二は思わずびくりとしてしまう。
振り返るとそこには恐らくこの波妃東高校の生徒と思しき男子生徒がいた。頭頂部が黒くなりつつある金髪で、背丈は健二よりも一回り小さく、ギターケースを背負っている。
「僕、ですか?」
「そうだよ、他に誰がいる」
彼はその表情に明確な敵意と警戒を宿しているが……全体的な雰囲気は高校生そのもの。年相応の、ちょっと不機嫌になった男子以上の何者でもない。直前の出会いがあまりにも強烈だったことも相まって、健二は安心感を覚える。
「(そう、だよね。高校生ってこういうのでいいんだよね)」
「おいアンタ、聞いてるのか?」
そうこう考えていると、ずいと詰め寄られた。何はともあれ目の前の金髪の男子がこちらに警戒を見せているのは事実なのだ。偽り眼鏡女子の本音ではないが、トラブルを起こすのはこちらとしても避けたいところ。健二がその肩を少しだけ強張らせると――、
「アンタ……あ、あの子と知り合い、なのか?」
「………え?」
金髪の男子はやたらとどもりながら、その首を赤らめて凄んできた。
「……あの子って」
「とっ、とぼけるなよ! さっき楽しそうに、話してただろ! あの子と」
「あー……」
該当する人物はひとりしかいない。完全武装の偽りで健二の生存本能をあわや刺激するところだった、実行委員の眼鏡女子である。
「えっと。僕はただ声をかけられただけですよ? 僕がぼーっと突っ立ってたから、大丈夫ですかって」
「つまり、逆ナンされたってことか!?」
「多分違うと思いますけど!? 実行委員として当然の対応をしてくれたんだと思います!」
「なんてこった、迂闊だった……。学園祭は外部から人がたくさんくる……普段とは違う出会いにあの子が魅了されちまう可能性だってあり得たんだ……」
「あ、あれ。なんだか僕、妙な勘違いをされてる……?」
「う、うるせえ! チョーシ乗るなよ他校の高身長!」
「他校の高身長!?」
会話が飛躍した上に、空中ですれ違いまくっているのを感じた。とにかくこの金髪男子を落ち着かせなければならない。さもなくば結構最悪な部類の悪役にされてしまいそうだと、健二は既に悟っていた。
しかし健二が二の句を継げるよりも先に、廊下の奥から教師らしき男性の「おーい
「なにしてんだぁお前? トラブル起こすんじゃないだろうな? 今度は停学じゃ済まんぞ――」
今どき珍しいとも言える典型的な体育会系っぽい男性教師はそんな言葉をまくしたてながらずかずかと迫ってくる。すっかり縮こまってしまった金髪男子は「や、やべえ」と言いながらその視線を泳がせていた。
「……」
だが健二は咄嗟に両者の間に割って入り、男性教師の動きを制す。
「あ、大丈夫、ですよ。道案内をしてもらうところ、でしたから」
「む、そうなのか? 見たところこのへんの高校の制服じゃないみたいだが……」
「隣の県から来ました。えっと、従兄弟が、ここに通ってて」
「そうか……。まあ、なんでもないなら良いんだ」
そう言うと教師はもう一度、健二の背に隠れる金髪男子を睨み付けてから去っていった。健二はふうと息を吐く。なんとか誤魔化せはしたものの、だいぶ怪しい建前だったと思う。先ほど邂逅した完全武装偽り眼鏡女子の凄さが改めて窺える。
「おいアンタ」
「あ、えっと。咄嗟に庇っちゃったけど……良かったん、ですよね――」
「アンタめっちゃいいヤツだな! なんか奢らせてくれ!」
「(すごいいい笑顔……)」
先ほどまでの敵意はどこへやら。金髪の男子は純粋な笑顔を健二に向けてきた。これはこれでやや直感的が過ぎるとも思ったが、まあ高校生はこんな感じで良いんだろうとも思うのだった。
各クラスの出し物と言えば、学園祭というイベントにおける目玉のひとつだろう。この波妃東高校の学園祭――名前は確か翠風祭――でもそこは変わらないらしく、お化け屋敷や巨大迷路など、ロマン溢れる屋内アクティビティがどの階にも建ち並んでいる。屋外で焼きそばやかき氷の屋台が出ているところから察するに、学生主体のイベントでは何かと壁になりがちな食品衛生に関わる部分も結構しっかりしているのだと思う。
そんな選り取り見取りなお店屋さんの中からチョッカン(仮命名)くんが選び出したのは――2年5組主催クラシカルメイドカフェ・『喫茶あすとらる』だった。
「帰れ♪」
入店早々、ニッチすぎるお出迎えの挨拶を投げかけられるチョッカン(と健二)。張り付いた爽やかな笑顔と裏腹なそんな言葉を吐き捨ててきたのはなんと――いつの間にシフトに戻ったのやら――先ほど出会った実行委員のイツワリ(仮命名)さんだった。
「ははは、やだなぁー。5組の出し物は罵倒メイドカフェとかいう特殊な代物じゃなかったはずだけどなぁ。とりあえずさ、案内してもらって良いかな? あと接客も」
「絶対やだ。帰って。もしくはキッチンの手伝いをして」
「(すごい。あの子が建前を使わずに喋ってる……)」
チョッカンの真後ろで極力気配を消していた健二は、会うのがたったの2度目にも関わらずかの眼鏡女子の一面に感心していた。イツワリさんは可愛らしいメイド服姿のまま、接客される気満々でやってきたクラスメイトと静かな攻防を繰り広げている。どうやら自分はチョッカンが彼女に会いに行くための
「てかいつも言ってるよね? クラスでなるべく私に話しかけないでって」
「いいじゃん、こういうときくらい! 学園祭だし!」
「意味分からん。理論が破綻してる。そもそも学園祭なんていう生産性の欠片もないイベントに特別感を出してく神経が理解できない」
「(にしても辛辣すぎない……?)」
見たところチョッカンは彼女に好意を抱いている様子だったが、こんなに冷たくあしらわれて大丈夫なのだろうか……と、同じ男子高校生として一抹の心配を抱く健二。しかし金髪の彼は特段意に介した様子も見せず、「いや、ほら。友だち連れてきたんだよ!」と食い下がる。イツワリはそこで初めて健二の存在に気づいたのか、はっと顔を上げるとその丸い両目を見開いた。
「あ。さっきの……」
「ど、どうも」
イツワリは即座に居住まいを正す。するとなんということだろう、先ほどまでの辛辣さが嘘みたいに爽やかな、キラキラした学園祭全力満喫女子高生がたちまち姿を見せてきたではないか。
「おかえりなさいませ、ご主人様。お席にご案内致しますね。そっちの従僕も道案内ご苦労様でした。
「ちょっとぉ!?」
前言撤回。やっぱり辛辣だった。
結局、チョッカンの下心入店は頑なに拒否され、かといって健二も単身でメイドカフェに突入するわけにもいかず、ふたりは有耶無耶な流れのまま逃げるように校舎を後にしたのだった。陽は既に傾き始め、建ち並ぶ屋外屋台の白い屋根も茜色に染まりつつある。
「悪かったなぁ。本当はうちのクラスの料理、奢りたかったんだけど」
花壇の縁に腰掛ける健二へと、買ったばかりのスムージーを差し出すチョッカン。健二は「ありがとう」と応えてそれを受け取る。何だかんだ庇ってくれたお礼をしたいと思ってくれていたのも本当のようだ。
「はーあ。他のクラスメイトもいる中で突っ込んだのがやっぱマズかったかなぁ。あの子、周りの目を気にするタイプだからさ」
「……」
まあ分からなくもない、と健二は思った。きっとイツワリがあのレベルの猫かぶりを使いこなすのは、ひとえに周りの視線を気にしてのことだと思う。健二は幸いにも同級生に恵まれたためそこまで気にする学生生活を送っている訳ではなかったが、本質的に自分も周囲に遠慮してしまうタイプだと自覚している。ゆえに彼女の気持ちも分からなくはない。いや、想像に難くないと言った方が適切か。
「……喧嘩中、とか?」
ふっと降りてきた疑問がそのまま口から出ていき、健二は思わずびっくりしてしまった。しかし口をつぐむ一方で、チョッカンはハハハと笑って応えてくる。
「いやいや、別に付き合ってるわけじゃないよ。まだね。オレが一方的に、空回ってるだけだ」
「(“まだ”……か)」
「あ、やばい。練習行かなきゃ」
言うが早いか、チョッカンはギターケースを担ぎ直して立ち上がる。
「なんにせよ、色々ありがとな! あっ、3日目の後夜祭、オレらライブやる予定だから! 良かったら観に来てくれよ! そんじゃーっ!!」
そうして彼は初めて出会ったときと同じような勢いで、健二の前から去っていった。
「ははは……」
不思議と笑い声が零れた。スムージーを一口啜り、夕闇に染まりかけた敷地内を見渡す。
「(なんか、随分と久しぶりな気がする)」
楽しい、と健二は思った。
知らない世界、知らない街、知らない学校で出会った、知らない男子と女子。それでも目の前に流れていく人々の喧噪や、どこか浮ついたようでそれでいてキラキラとしている、独特の空気。今日がたまたま学園祭だっただけだろうが、この妙に心地良いそわそわとした気持ちは間違いなく、高校生として謳歌していた青春そのものであるような気がした。
「(おかしいな……もう、みんなの顔も、
元いた世界の、友人たちの顔。小百合を初めとした同級生たちとの日々。
そしてその先にある――
『 』
一瞬、ほんの一瞬だけ浮かびかけた景色は次第に薄れて消えてゆき、一瞬後にはどんな景色だったのかさえ消えてなくなってしまう。
空っぽの言葉。見えない顔。もうそれが何なのか、何のためのものだったのかもよくわからない。
いや……いっそわからないままでも良いのかもしれない。確証すら既にないが、理解したらきっと苦しむ。心を押し潰してくるような感情に苛まれ、下手したら暴走する。ならばそんな感情などいらない。なくたっていいものだ。事実、今日は楽しかった。“悲しまない”ということは、そのぶんだけ“楽しめる”と言うことなのだから。
「クレープ、好きなんですか?」
「え――」
不意にかけられた声に視線を上げると、今日だけですっかり見慣れてしまった黒髪眼鏡の女子の顔があった。今は実行委員モードなのかメイド服ではなく、制服に腕章という出で立ちだ。
「イツ……」
「“いつ”?」
「い、いや……」
その名で呼びかけ、すんでの所で呑み込む。そう言えばチョッカン共々、彼らとちゃんと自己紹介をしていなかったなと、健二は今更のように思い出した。だがそんな健二よりも先に、イツワリが口を開く。
「クレープ屋台、ずっと見てましたよね」
「え、そう、かな……」
「あれ、違いましたか? だったらごめんなさい。私の勘違いです」
「いや」
彼女が指し示す先には確かに、クレープ屋の屋台が。完全に無意識だったが、どうやらその屋台を注視していたらしい。
「えー、こほん。さっきはすみませんでした。せっかく私たちのクラスに来てくれたのに、追い出すような形になってしまって」
改まってしゃべり出すイツワリ。その姿は態度こそ完全武装の偽りだが、健二に対して申し訳なく思っているのは間違いなく本音……のように思えた。
「いいんです。僕の方こそごめんなさい。押しかけるような真似をして」
「主に悪いのは糸巻くんの方ですよ。えと……彼の友だちですか?」
「まあ……うん」
一瞬迷ったが、健二は肯定する。なぜそうしたのかは、自分でもよく分からないままだ。
「……」
イツワリはそれ以上特に何も言わず、おもむろに歩き出した。向かう先は先ほど指し示したクレープ屋台だ。彼女は売り子の生徒と一言二言交わすと、そのままクレープをひとつ受け取った。支払いをしたようには見えなかったが、何かしらの建前を行使したのだろうということは容易に想像がつく。
「はい、どうぞ。お詫びです」
「え、えっと……」
「だってずっと見てるんですもん。よっぽど好きなんですね、クレープ」
茶化すようにはにかむイツワリ。その造り物の笑顔が何故だかやたらとキラキラして見える。
「じゃあ私は行きます。『
今度こそ去っていくイツワリ。彼女の小さな背中は、たちまち人混みの中に消えていった。
「…………」
残された健二は何気なくクレープを口にする。素直においしいと思った。それから二口、三口――昨日の昼以降何も食べていなかったなと身体が思い出したようで、あっという間に平らげてしまった。
「……おいしかった」
学生の出店で出される、言ってしまえば素人クオリティのクレープ。特段特別な素材を使っている筈もなく、無粋な物言いが許されるのならこんなイベントにかこつけないとまず買わないような代物。それでも……それでもおいしかった。当事者ならいざ知らず、自分はこの学校の生徒でもないのになぜここまでおいしく感じるのだろうか。空腹だったからだろうか。それとも。
それとも?
『 』
「――ッ!?」
突如として、殴られたかのように健二の意識が揺さぶられた。心臓の鼓動が、警報音のようにけたたましく聞こえる気がする。
「はあっ、はあっ!?」
すっかり忘れていた。自分が今、こんな場所で暢気に過ごしている場合でないことを。
自分が『銀の鍵』によってこの世界に連れてこられたこと。
教団とやらの残党が自分のことを狙っているらしいということ。
時空を飛び越えてしまった代償に、“猟犬”なる存在にも狙われているということ。
自分が何か大切なものを忘れてしまっていたこと。
それは絶対に忘れてはいけない何かであったこと。
そして、自分が人喰いの異形・アマゾンであり、過酷な運命と闘ってきたこと。
何もかも、不気味なほどにすっかりと――
「(何をしていたんだ僕は!?)」
流されるままにこの波妃東高校へとやってきて、イツワリやチョッカンと出会い、楽しい時間を過ごした。それは間違いない。間違いなく楽しい時間だった。だが、だからと言って己に降りかかっている現状をまるっきり忘れるなんて、我ながら有り得ないことだと思う。いや忘れてしまうのを良しとしている節すらあった。まるで――“楽しい”という感情以外、精神が受け付けなくなってしまったかのようだ。快楽に溺れる、薬物中毒者のように。
――――具体的にその“猟犬”が何をするのかについては記録がなかったんだ。俺が駆けつけたとき、健二は既に意識を失ってた。でもそれだけ。今こうして俺たちは問題なく話せているし、君には外傷もないように見える。……何があったかを教えてくれるかな。
確信した。
自分は今、“猟犬”の攻撃の影響を受けている。一織の言うとおり外傷はない。だが間違いなく彼の内面――精神に異常をきたしている。
「そうだ、“猟犬”は僕を狙っている……!」
辺りを見渡す。幸いと言うべきか、あの紫色の影は見えない。しかしこれまでの経験上、あの存在は神出鬼没。今この瞬間にも現れたって不思議ではないのだ。そして……周囲にいる人々はほぼ確実に巻き添えを食らうだろう。本来ならば健二は、このようなヒトの集まる場所にいるべきではないのだ。そんなことすら今更のように気づく。
「はやく離れないと……本当に何をやってるんだ、杉山健二っ……!」
焦る気持ちのまま健二は走り出した。裏門を抜け、薄暗い山道を駆けていく。少しでも、少しでもこの場から離れないと……と。自分に言い聞かせながら。
* *
夕闇に染まった街を見下ろし、霧島廻はインカム越しに聞こえる音声に眉をひそめた。
「そう。わかったわ。引き続きお願いね。それと……こちらからも報告がひとつ」
生暖かい風が彼女の髪を撫でる。風の音にかき消されないよう、廻はほんの少しだけ語気を強めた。
「
視線を下げる廻。その先には簡易照明の淡い輝きと、お祭り特有の喧噪が確認できた。
「杉山くんと彼女を会わせてはならない。いいこと? わたしは引き続きこちらを探す。あの子にも連絡しておくから、そっちは任せたわよ」
* *
「――“猟犬”の軌跡を追えば、君に会えると思っていたよ。杉山健二クン」
「はあーーーっ、はあーーーーっ!?」
息を切らして走る健二の前に現れたのは、地面まで伸びる真っ黒な髪と青白い貌、薄汚れた白衣を携えた女性。
「“猟犬”の粛正方法は精神への攻撃だ。接触によって対象の精神力を削り取り、抵抗力を奪う。猟犬との接触を繰り返した対象はやがて精神力を失い、廃人と化す。そうなる前に君に出会えて良かったよ、杉山健二クン。いや……“タイプ
「お前が……僕をこの世界に……連れてきたのか!?」
呼吸が整わないまま疑問を……いやほぼ確信しながらの言葉をぶつける健二に対し、その女性は返答の代わりに薄い笑みを返す。そしてこれまた返答の代わりか、彼女の周囲の暗闇からは数体のゾンビがボディーガードの如く姿を現した。
「なかなか良い学校だろう? 私も結構お気に入りの場所だったんだ。この場所で君に出会えたことも何かの運命かな。いいね、いい。素敵なロマンを感じるよ」
女性――白鳥白亜はその白衣を翻した。くすんだ白色の布の隙間から鈍い光を放ったのは、獣の横顔を模したようなおぞましい風貌の――真っ赤なベルトだった。
「!! そのベルト……!」
「さあ、教団の無念を晴らすとしますか」
続いて彼女が取り出したのは1本の注射器。それを傍らのゾンビに突き立てると。シャフトをゆっくりと引き上げる。月明かりを反射したシリンジの中には、グズグズになったゾンビの腐肉が確かに充填されていく。最後に彼女は、その注射器を腰のドライバーに装填した。
《 NEO ―― SI・G・MA 》
「――アマゾン」
白い爆炎が灯る。炎の向こうで異形のシルエットが描かれると、続いて二回、三回と爆炎が放出される。炎の輪が波紋のように広がる度、生物的だったシルエットが段階的にさらなる変異を遂げていく。
「くっ、この力……この気配はまさか……!」
凄まじい爆風に耐えながら、健二はその炎が
炎が晴れ、暗闇から現れたのは全身に羽根のような突起を携えた女性型の
だが姿そのものは大きな問題ではない。問題は目の前の同族が奇妙なほど……それこそ死体と同じくらいに体温を持っていなかったということ。そして、このような冒涜的な個体の存在を既に知っていたということだ。
「“シグマタイプ”……!」
『おや。予習もバッチリのようだね――“タイプ
【 NEXT DISTORTION 】
――君の細胞は特別だ。それさえあれば、私たちの悲願は成就に近づく!
――僕は認めたくないのかもしれない。その、温もりのない肉体というものを。
――このままだと、学園祭は中止にせざるを得ないと思います。
――下がりなさい、杉山くん!!
「scene5 SIGMA:双の力と骸の翼」