「ところで西住」
「なんだ、安斎?」
三年目の大会も終わり、その後の大洗騒動も無事執着を迎えた秋口の見えるころ。
安斎千代美と西住まほは、和室でテーブルをはさんで向かい合って座っていた。
「確かにな、私はお前と一緒の大学に行くといった。そのために努力もしてるし、この誘いはうれしかったんだ」
「そうか」
机の上には大学受験用の参考書や問題集が所狭しと並んでいる。
そのどれもがかなり学力を要するものばかりであることから、それらを用意したのが西住まほであることを示している。
「確かに私はまだアンツィオの中でも中の上…いや今は頑張ってるから上の中くらいにはなったかもしれない。だけど高校生の平均で見れば、まだ目標としてる大学のレベルには達してない。それは私もわかってるんだ」
「そう…だな。だからこそ、こうして私が少しでも力になれればと、勉強を教えようと誘った。志望大学のランクを下げるのは最終手段だし…お前も望まないと思ったから」
「…ありがとな。心遣いは本当にうれしいし、お前の言う通りだ。そして、今から私は、全力でお前が教えてくれる内容を覚えようと思ってる。けどさ…」
「うん」
静かな時間が流れる。二人の発する言葉以外、聞こえる音は何もない。
しいて言うならば、秋風の透き通るような音色と、自然に囲まれた外から鳥の鳴き声が聞こえるくらいだろうか。
勉強をするには、静かで落ち着いた、完璧なシチュエーションと言えた。
だがしかし。
安斎千代美は、これから始まるであろう大学受験のための勉強の内容が、自分の頭に少しでも残るかが不安でならなかった。
「…なんでお前んちに私は今、いるんだ?」
「うん」
※ ※ ※
事の始まりは大洗と大学選抜の試合が終わって一か月ほど経過した日のこと。
試合終了後に安斎千代美と西住まほがお互い一緒の大学に行こう、と約束してから、安斎千代美は勉学に力を入れていた。
もちろん、アンツィオ高校の戦車道を来年のために鍛えることも忘れてはいない。
だが、今まで以上に…いや、今までは割と勉強など投げやりだったが、生まれ変わったかのように、真剣に授業に取り組み、自主学習も始めたのだ。
その成果もあってか、安斎千代美の成績は自分では驚くほど、伸びた。
上記にあるように、アンツィオ高校の中ならば上位に入る程度の学力を得ることができたのだ。
校内テストで上位に自分の名前を見つけたとき、安斎千代美も大いに喜んだ。
喜びのあまり西住まほへメールをして、成績が伸びたという報告を10行近くにわたり書き連ねたのだ。
もちろん、最後に「お前と一緒の大学に行くために、もっと頑張るからな!」という一文を加えてだ。
そのメールに対し、4時間後に拙いひらがなのみで
「うれしい。
がんばれ。」
といったメールが返信されてきたのを見て、思わず吹き出してしまったのもいい思い出である。
とにかく、安斎千代美は西住まほに学力的な意味で追いつくためにも、自分では相当の努力をしたと感じていた。
学内で上位の成績も取れている。これならば、西住まほが進学するであろう大学へも、もう少し努力をすれば行けるのではないか。
そう期待を持ちたくなる程度には、安斎千代美も努力の成果を感じていた。
だが、現実は非情であった。
アンツィオ高校の中だけではない、全国的な高校生模擬テスト。
安斎千代美のテストの結果は、中の中。
大学の合格期待度は「C-」の文字が大きく印字されていた。
これは痛かった。安斎千代美もある程度覚悟していたのだが、全国の平均的な学力に比べて、アンツィオの学力は低いのである。
アンツィオの授業をしっかりと聞き、その中でよい成績をとっても、全国レベルで見ればまだまだ低い、ということがこのテストで証明されてしまったのだ。
この結果を見て、安斎千代美は焦りを覚えた。
どうする。いやどうすると言っても勉強をするだけなんだけど、それにしたってこの成績はまずい。
どれだけアンツィオで努力しても、自分の成績はこれ以上は上がらないのではないか。
そんな思いが、安斎千代美の頭に浮かんでしまう。
実際のところ、安斎千代美は頭の回る方である。
アンツィオの授業のレベルなら理解できているし、きちんと教える相手がいればめきめきと学力を上げることが可能な程度には、ポテンシャルを秘めていた。
だが、その才能も、しっかりと教えられる教師がいなければ発揮されない。
戦車道も、優秀な指導者がいてこそ後輩が育っていくのである。
今の安斎千代美は、自覚している井の中の蛙であった。
「…でもなぁ…こんな結果を西住に伝えたら、すごい心配されそうだしなぁ…うーん…」
自宅の自室の勉強机の前で椅子に背を預けながら、文章が完成しており、あとは送信ボタンを押すだけのスマホを見る。
内容は簡単に言えば、「こないだの全国模試微妙だった。もっと頑張らないとな!」である。
友達に送る文章としては凡百の、女子高生ならば幾らでも交わすであろう、軽い愚痴。
そんなものだが、それでもそれを西住まほに送るのには、少しためらいを感じる安斎千代美であった。
「…うん、やめた。やめよっ。こんなの考えてる暇があったら勉強しないと!」
10分ほど悩んだあと、安斎千代美はこの文章は送らず、自力で何とかしようと考えた。
そもそもこんな内容の文章をあいつに送っても、心配して困った顔で、4時間ほどかけて拙い文章を打ち込む西住がいるだけだ。
そんな無駄を生むくらいであったら、何より勉強をすればいい。
塾に入るほどのお金があれば戦車道に使ってしまうので、塾やより高い参考書などは購入できないが…なに、教科書をしっかりと読み込めば成績は上がるのだ。…上がるはずだ。何事も基礎基本だ。
そのように頭を切り替えて、安斎千代美は送信ボタンに伸びようとしていた指を、破棄ボタンに伸ばした。
そしてぽち、と破棄ボタンを押す。
はずだったその指は、一瞬先に受信したメールの受信ボタンを押すことに成功してしまった
「…って、うわっとぉ!?」
遅れて手に感じるバイブレーション。いきなりのことだったので、安斎千代美の心拍数がわずかに上昇する。
ちょうどたまたま、誰かからのメールを受信したようだ。破棄するはずだったメールは保存ボックスに送られた。
「なんだー…いいタイミングでメールしてきたのは誰だぁー?ペパロニか?カルパッチョかー…?」
と一人愚痴りながらメールを開こうとして…先ほどの自分の発言が矛盾していることに気づく。
ペパロニもカルパッチョも、自分と携帯端末でやり取りするときは基本的にLINEだ。両者とも、今どきの女子高生らしく、スマホを所持している。
LINEがスマホという機器の導入とともに莫大な普及を遂げた現在、メールの使用率は年々低迷しているのだ。
もちろん安斎千代美のスマホも例外ではない。メールでやり取りするような相手は、そう多くない。
そうだ。例えば、先ほど安斎千代美自身が送ろうとしていた相手とか――――
「………まさか、なぁ?」
はは、と乾いた笑いが安斎千代美からこぼれた。
まさか。ありえない。中学時代は携帯を持たず、今でもやっとガラケー所持に進化した程度の情報文化に疎い友人からメールが来るなど。
お互いアドレスを交換したはいいが、扱いすらろくに覚えてられないせいで、今の今まで相手からメールなど送られてきたことのない友人が、メールを送ってくるなど。
ありえない。安斎千代美は、そんなわけξヾノ・∀・`ξナイナイ、と思いつつも、スマホを操作し受信したメールを開く。
差出人の名前の欄には、
『西住』
と書かれていた。
自分が知る限り、西住と呼べる知り合いは3人。
家元、しほ。友人、まほ。その妹、みほ。
当然家元とメールのやり取りをするほど深い仲ではない。そもそもアドレス交換すらしていない。
妹の西住みほとは戦車道大会二回戦の後にアドレスを交換した(彼女もまたガラケー使いであった)が、登録名は「西住みほ」だ。
となると、これは…このメールは。
「…マジかよ!?……西住…成長したなぁ…!」
我が友人の情報文化の文明開化に妙な感動を覚えつつも、メールの内容を確認する。
つい先ほどまで弱音を吐こうとしていた相手からは、どんな内容のメールが届いたのか―――?
『親愛なる 安斎へ
お前のこの間の全国もしの結果をみた。
あの順位だと、私たちが幾大学への進がくはむず かしい。
わたしがべんきょうをおしえてやる。かくごしていろ。』
「………どういうことだよ西住流後継者ァ!!」
そこには、最後のほうに漢字変換をあきらめたのがよくわかる、西住まほからの勉強会の誘いが記されていた。
※ ※ ※
そしてその週の土曜日。
西住に電話をもらい(電話は普通にできる程度には使えるらしい)、なぜか待ち合わせ場所として指定されていたアンツィオ高校のグラウンドに安斎千代美はぽつんと突っ立っていた。
土日の練習は隔週で行っており、今週はたまたま休みの週であった。グラウンドにいるのは安斎千代美一人だけだ。
手には勉強道具と、準備しておけと言われたお泊り用具一式。どうやら、土日と二日とも勉強を教えるつもりらしい。
「あいつ、なんでこんなところを集合場所にしたんだ…?グラウンドで勉強するつもりか…?」
と一人愚痴をこぼしてから、グラウンドが指定された理由をピンと思いついた。
確か、近くに黒森峰の学園艦が近づいていたはずだ。そして、彼女ならヘリでやってくるだろう。西住流の財力は半端ない。
となると、着陸するための場所が必要だ。だからこのグラウンドが指定されたのだ。
指定場所が腑に落ちた安斎千代美は、次にこれから向かう場所はどこか、ということに思考をスライドさせる。
そのまま黒森峰に拉致されて勉強会の流れになるのだろうか?
それとも私の自宅に上がり込むつもりだろうか。それも予想して、一応きれいに掃除はしてきておいたが。
先日の電話連絡では、結局そのあと行く場所を聞く前に電話を切られてしまったのだ。
必要な用件のみ伝えてすぐに電話を切られ、ポカンとした顔でスマホを眺めた過去を思い返す。
しばらくしてから、予想通りヘリでやってきた西住まほを上空に発見し、接近してくるのを髪を抑えながら見上げる安斎千代美。
今日はモブモードの三つ編みではなく、ドゥーチェモードのツインテールだ。集合場所を学内に指定されてしまっていたので、部員に見られた時に多少は威厳が残るように、コンタクトにツインテールの恰好である。
もっとも、服装は普通に私服だが。
「待たせたな。乗れ」
「…乗るけどさ。乗るけど、もうちょっと私に何か言うことあってもいいんじゃないか?」
「…………似合っているな、髪型」
「違ーう!!」
文句を垂れながらも、ヘリに乗り込む安斎千代美。
シートベルトを装着したのを確認してから、西住まほはヘリを起動させ、飛翔を始めた。
「で、だ。西住。私はどこでお前に勉強を教わることになるんだ?黒森峰か?」
ある程度空を飛び、学園艦の外、海に出たところで、助手席からそんな質問を西住まほに投げかける安斎千代美。
この友人は、核心しか人に伝えないきらいがある。戦車道でもそう言ったことは多い。
戦車道のことならば、言葉の裏まで読むことができると安斎千代美は思っていたが、流石にこのようなシチュエーションで、行き先を全く聞いていない状態では、それを予想することは困難だった。
「黒森峰…ではないな。お前も他の学園艦で勉強するのは集中できないだろう。静かで、集中できるところだよ」
「そりゃそうだ!内心そこだったらどうしようかとヒヤヒヤだったよ!…ん、じゃあどこなんだ?」
黒森峰の学園艦ではないようだ。となると必然、西住まほの自宅ということでもないだろう。
そうなると、ではどこで勉強するのだろうか?こいつのことだから、静かな場所で国立図書館とか言い出してもおかしくはない。その場合全力で止めるが。
「安心しろ、すぐに到着する」
「…や、どこだか知りたいんだけどな?…まぁいいか」
すぐに到着するということなのであれば、文句は言うまい。シートに体重を預けて頭の後ろに手を組み、安斎千代美は思案した。
ついでに、もう一つ疑問に思っていた内容を聞いてみることにした。こちらは聞けばすぐに答えが返ってくるだろう。来てほしい。
「…ところで西住。なんでお前、私の模試の結果知ってたんだ?」
「ん…ああ、あれは単純に、全国模試の順位表からお前の名前を探しただけだ」
「はぁ!?軽く20万人が受験してる模試だぞ!?……どんだけ頑張ったんだよ!」
学園艦に乗船しているほぼすべての高校三年生が受験したはずの全国統一模試である。
確かに、ネットの厚生省のHPで正式な手順で申請することによって、膨大なサイズのPDFデータで受験者全員の順位を確認することができる。
もちろん過度な個人情報流出にならないように、名前のみのそれではあるが。その中から、西住まほは安斎千代美を見つけ出したということだ。
「気になっていたからな。何、ネットに詳しい副官…今は隊長か。その子に任せたから、データを出すのはすぐだった」
「いやお前、それでもすごい行数になるんじゃないか…?下までは見てないだろうけど、単純計算で20万行だぞ?あ、でも私の名前で検索すればすぐに出る…のか?」
「元隊長権限で隊長室のプリンターを借りて印刷してもらって、エリカに目で確認してもらったが」
「紙資源の破壊者めぇぇーー!!!」
私の名前を探すためだけに犠牲になった大自然の森林たちと、涙目で数百枚の印刷および名前引きをしたであろう黒森峰現隊長を憂い、安斎千代美は叫んだ。西住まほはよくわからないといった顔でヘリの操縦を続けていた。
…その後、他愛のない話を続けつつも、安斎千代美はそういえば、と一つ思考が浮かんできた。
自分たちの学園艦が日本のどのあたりに近かったかを思い出す。そこから考えれば、今向かっている行き先がわかるのではないか?
アンツィオ高校と黒森峰の学園艦が次に寄港しようとしていたところだから…えっと…
「……あれ?」
安斎千代美はふと、今自分たちがいる地方について嫌な予感がした。
思い出したのだ。自分たちがどのあたりにいるのかを。そして、同時にある一つの場所が勉強合宿の舞台として思い当たった。
今、自分たちがいるのは…………九州地方の、近く。桜島のような山が、そういえば道中で見えたような。
そして、それは。
「…着いたぞ安斎」
「え?……ええ?」
西住流本家のある、熊本県のある大地。
そしてヘリは想像通りに、熊本の大きな大きな屋敷のヘリポートへと着陸した。
「今日からここで勉強合宿だ。今日と明日、しっかりと教えてやるからな」
「…………えええええーーーー!!!???」
※ ※ ※
そして舞台は冒頭に戻る。
「……いや、確かに静かで、勉強にはいいところだと思うけど。いいのかお前?」
「いいのか、とは?」
「いや…その、なんていうか。私をここに連れてきても」
「……ああ。そのことか」
参考書と問題集を開きながら、安斎千代美が西住まほに疑問をぶつけた。
安斎千代美の言葉の裏に別の意味が含まれているのは、機微に疎い西住まほにも感じることができた。
彼女は、遠回しに私を心配してくれているのだ。
『私の事をインタビューで言ったせいで、お前の母親と一悶着あったのに、大丈夫なのか?』
そういうことである。
この質問を投げかけた安斎千代美も、基本的に友人への心配をこめて、言葉を選んだのだ。
最も、安斎千代美の表情には『私も見つかったらタダじゃ済まなかったりしない?』という保身的な部分も若干ながら見え隠れしていたが。
「心配しなくていい。流石に私もそこまで考えなしじゃないよ」
「本当かー?お前って結構思い立ったら吉日なところあるからなー…特に私に対しては」
ふっ、と微笑を表情に作った友人に対し、怪訝な目を向ける安斎千代美。
常に冷静沈着で、密な思考を張り巡らせるタイプにも見えるこの友人だが…別の一面として、割と考えなしに行動するところがあることも、安斎千代美は理解していた。
この友人は、基本的に思い立ったら即実行、をする人間なのだ。
大洗廃艦騒動の時がまさにそれだ。いの一番に、大洗への転校手続きを済ませたのは彼女だ。
もちろんそこには妹の心配が多分に含まれていただろうが…それでも、時折見せるそういった一面を、安斎千代美は深く理解していた。
「家元…母様は、今週の土日は戦車道のプロリーグの会合で外国に出張している。帰りは3日後だから」
「そうなのか…。…ん?」
なるほど、母親がいないからこそこうして実家にお呼びされることになったわけだ、と安斎千代美は一人納得した。
だが、続いて疑問が沸き上がる。家元の西住しほが不在となると、現在この家は…
「…なぁ西住」
「ん?」
「もしかして、今は私たち二人以外に、誰も家にいなかったりするのか?」
安斎千代美は続いて沸いた疑問を投げかける。
このシチュエーションは、もしかして…もしかして、二人きりという奴なのか?
もしこれでどちらかが男性だったら、高校生にあってはならない異性不純行為に及んでしまいそうな、そんな状況に私たちはいつの間にかいたのか?
質問の言葉と共に、安斎千代美は若干顔が熱を持ったのを感じた。
たぶん、今、顔が赤い。
「……そうだったら、どうする?」
「…どうするって……おま、お前なぁー…」
口角のみわずかに上げた顔。
10倍ほど倍率を挙げれば、悪戯をする子供のような表情を作る西住まほを見て、安斎千代美はため息をついた。
自分の目の前にいるこの女は、こういう顔をするときは…柄にもなく、ふざけている時だ。
その表情を作るのは、安斎千代美と西住みほの前だけであることを、安斎千代美は知らない。
「お前のその言葉でわかったよ、どーせ女中さんみたいな人がいるんだろ?えーと、中学の時に聞いたな…確か、菊、あー」
「菊代さんだ。いつも身の回りの世話をしてくれてる。ありがたい限りだよ」
「その人がいるおかげで、お前はまだ料理の一つも作れないんだろうけどな」
シャーペンをひらひらと指先で弄びつつ、安斎千代美が軽口をたたく。
今現在の安斎千代美は、西住まほと友人ではあるが、当然私生活など知るはずもなく、その菊代さんという人とも交流がない。
それでも、西住まほの日常生活を想像することは容易だった。
彼女は戦車道でも、私生活でも、不器用なのだ。驚くほどに。
「………私だって、料理の一つや二つくらい」
「ふふん、炊飯ジャーのスイッチを入れるのは料理とは言わないぞー?しょうがないなー、そんなんじゃ彼氏できないぞー?」
「…私がそういった方面に、興味があるとでも思っているのか?」
西住まほが少しむすっ、とした表情を作る。黒森峰の隊員であれば、恐怖で身がすくんでしまいそうなその表情。
そしてその顔に対して、ニカッ、という擬音が似合いそうな笑顔を返す安斎千代美。気兼ねなく返せる、二人の関係。
「思ってるわけないだろ!とはいえ一人で生活もできないようだと辛いぞー、女子力的な意味で。なーに心配すんなって、今度教えてやるからさ!」
「……………うん。安斎、それは…」
……一緒の大学に入って、一人暮らしを始めたら教えてくれるのか?…と続きそうな自分の口を、西住まほは意志の力でふさいだ。
それは明確な目標であり、二人の現在の夢である。だが、お互いそれがとても大切な約束だと感じているからこそ、気軽に口に出すのはためらわれた。
はたして西住まほは続く言葉を飲み込むことができた。が、若干顔が火照ってしまったのはしょうがないことだろう。
安斎千代美も、軽い気分で発した自分の言葉に醸し出されたニュアンスに思い至ったのだろう。
西住まほに釣られるようにして、またしても顔が赤くなるのを自覚した。安斎千代美は思う。私今体温何度あるんだろ。
「………………勉強しようか」
「そだな」
どちらともなしに話題を切り上げ、二人は勉強に戻るのであった。
※ ※ ※
朝9時に西住まほの実家に到着してから、およそ6時間が経過した。
途中安斎千代美の提案で1時間につき10分の休憩を取り、菊代さんが作ってくれた昼食を二人でいただき、午後の勉強も二度の休憩をはさみ、いい感じに集中できた頃である。
安斎千代美から10分の休憩を提案されたとき、西住まほは、
「休憩など…必要ないだろう。無駄な時間だ」
と最初はぶっきらぼうに反論したが、
「休憩を取らないで勉強できるのはお前だけだ!普通は適度に休憩を取ったほうが勉強の効率も上がるんだぞ!」
と安斎千代美に強く言い寄られてしまったので、しぶしぶ休憩の提案を呑んだ。
とはいえ、この勉強のペースに慣れてくると、なるほど休憩とはいいものだ。
今まではここまでやると考えた範囲が終わるまでずっと集中し続けていたが、1時間ごとに休憩すると、集中力が長続きするのを感じることができた。
そもそも他の人と一緒に勉強したことすら今回が初めてであった西住まほは、普通の人間が勉強の時に休憩を挟むものだとは知らなかった。
なるほど、戦車道における静と動、鉄壁の守りと必中の射撃のようなものか。と大変ずれた感心を安斎千代美に覚えつつ。
そして安斎千代美もまた、この勉強会に慣れてきた。
何に慣れたのかというと、西住まほの教え方の下手さに、だ。
「…西住、ここがわからん。どうやって解くんだー?」
「ん。…………ここが……こうなって………こうだ」
「……ううん。わかった、頑張ってみる…」
一言で表すと、西住まほは勉強を教えるのが下手だった。
自分ができることを他人もできるという前提の上で喋るものだから、どの公式を使うとか、どの順序で解き方を進めていくのかなどの教えるべきところをすっかりと抜いて、模範解答のみを伝えるのだ。
始めの内は、こんな教え方をされて頑張れる黒森峰の隊員たちはすげーな…、と、安斎千代美もまたずれた感心を覚えていた。
とはいえ、教鞭の相手は安斎千代美である。
しばらくすればすぐに西住まほに適応できるのもまた、安斎千代美が安斎千代美たる所以であった。
西住まほの示す解説の抜けた模範解答から、西住まほの解くまでの思考をたどり、そのうえで自分がまだうろ覚えである公式の存在を教科書から自力で発見し、付箋をつけたりマーキングをしたりする。
そして西住まほの解答を参考にしながら、教科書の公式を実際に使って自力で解く。
その上で、今度は西住まほに解答をもらっていない、同じタイプの問題を教科書を使わず自力で解いてみる。
解ければ、問題の解法を自分のものにできる、というわけだ。
西住まほを理解し、また西住まほの教え方について不満を覚えないからこそできる、安斎千代美の献身であった。
それに、この勉強会は目の前の親友が自分のために開いてくれたものだ。
そんな場で、「お前の教え方は下手だ」と言えるか?
…いやまぁ言ったけど。
一番最初に答えを聞いた時に冗談交じりに言ったけど、それでもその不満を後々まで引っ張り、西住まほの気持ちをないがしろになどできるものか。
私のために精一杯頑張ってくれているなら、私も精一杯の自分で応えるだけだ。
安斎千代美は、自身の学力向上のため、という目的意識ではなく、友人の心遣いに応えたい、という目的意識を持ち、勉強に取り組んでいた。
そしてそれは、今まで自分の部屋で一人でやっていた勉強よりも、何倍も効率よく知識を吸収できるのであった。
「………それはそれで、なんだか腑に落ちない…頭に入るからいいけど…」
「ん、何か言ったか安斎?」
「…なんでもないっ」
若干の口惜しさと、不思議な多幸感に包まれつつ、安斎千代美と西住まほは勉強を続けるのであった。
※ ※ ※
日も落ちてきて18時を回り、1日目の勉強はお開きとなった。
「何を言っている安斎。当然、寝る前まで勉強するに決まっているだろう。今夜は寝かさんぞ」
などと西住まほが口走るのではないかと安斎千代美は疑っていたが、意外と、というべきなのか、西住まほから普通に勉強を切り上げたのだ。
まぁ一日中、ずっと勉強しているのは間違いなく効率が悪い。徹夜などもってのほかだ。
知識は増えるかもしれないが、疲れやストレスが溜まってしまう。ずっと座りっぱなし、文字を追いっぱなしでは、美容と健康にも悪い。
西住から言われなくても、自分からそろそろ終了を提案しようと考えていた安斎千代美としては、願ったり叶ったりではあった。
だが、それでも疑問は残る。このザ・堅物の友人にしては珍しいな、と思った安斎千代美は、
「てっきり、夜まで勉強するものかと思った」
と素直に疑問を口に出し、問いただしてみることにした。
もしかして、何か裏があるんじゃないだろうな。そんな思いも腹のうちに隠しつつ。
「…なんだ、安斎は夜も勉強したいのか?お前がそういうのならば、私も付き合うが…」
「あーいや、違う違う。私もこのあたりで今日は切り上げたいと思ってたからそれはいいんだよ。ただ、お前の性格だと、普通に夜まで勉強漬けにされそうかなって」
「若干ではない失礼を感じるぞ。私だって一日中勉強するのは疲れるんだ。勉強が特に好きというわけでもないしな…」
「そりゃ失礼」
ふむ、少し読み違えていたようだ。安斎千代美は自分を恥じた。
傍目には完璧超人に見える西住まほだって、立派な女子高生だ。勉強が好きな女子高生など、どこを探してもいるはずがない。闇夜に己の影を探すようなものだ。
それならそれで、自分も明日の活力のために奮ってリラックスさせてもらおう。奮う必要があるのが、西住家に招かれている自分の辛いところだが。
しかし、少し遅れて思いがけない言葉が西住まほからこぼれるとは、この瞬間の安斎千代美は想像もしていなかった。
「…それに、な」
「うん?なんだ?」
「友達を実家に呼んだのは初めてだから…その、少しは楽しんでいってほしい、というか…私も楽しみたい、というべきか…」
「……………Ah, si?」
思わずイタリア語が漏れた。意味は「…あ、マジで?」だ。動揺している。安斎千代美は現在、動揺している。
この堅物な友人が、自分を招いてそんなことを考えてくれているとは。
しかも初めてと来たか。確かにこいつの性格上、友達を実家に呼ぶなんてあんまりないだろうなとは思ったが、初めてか。
…初めてかー。
イタリア語でヴェルジニタかー。
…………いかん。顔が赤い。
別にそっちの気はないのに。アンツィオ高校で2年半過ごしても、そっちの趣味は全然意識したことなかったのに。
なんだこれ。
そんな意味で言ったわけじゃないのは私だってわかってるのに。というか普通に喜べばいいだろう!?
勉強だけじゃなくて、友達なんだから楽しく遊びたいってだけの、普通の台詞じゃないか。嬉しいことじゃないか。
それなのに、なんでこんなに心臓のテンションがペパロニ状態になってるんだ安斎千代美!?
…安斎千代美の動揺が見て取れる。そしてそれを見ている西住まほもまた、動揺が伝播してしまったようだ。
…………私は何を口走っているんだ。
いや、本心からの素直な気持ちを吐露しただけなのだが。
それにしたって、もう少しこう、なんというか。言いようがあっただろう!
なぜこんな思わせぶりな言葉を選んでしまったのだ!?
西住の名を継ぐものとして過去最大の不覚だ。
口走ってから自分の心臓がどんどんやかましくなる…まるでみほを前にしたエリカのようだ!
妙な沈黙が部屋を支配した。
このまま30分は無言の空間が形成されるかというその時、救済の天使が客間の障子の前に現れた。
…まぁ、天使というには、少々年齢に疑義が生まれるが。
「………失礼します。ご夕飯をお持ちいたしました」
「…あ、こりゃどーも!菊代さんの作るごはんはすごく美味しいからレシピとか教えてほしいなー!!ドゥーチェすっごい興味あるなー!!」
「お前は何を学びにここに来たんだ安斎!……まぁ、いいが」
二人の間にほっとした空気が生まれる。
しかし、続けて菊代の口から放たれるのは鋭いボディブローだ。
「あら、嬉しい。帰りに簡単にまとめたものをお土産にお渡しいたしますね。安斎様、これからもお嬢様とよくしてあげてくださいませ」
「へ!?え、ええ、そりゃあもちろん!友達ですから!なぁ西住!!」
「あ、ああ…そうだな、うん」
安斎千代美が昼食の美味しさに感動したことを素直に伝え、菊代が嬉しそうにほんわかと微笑み、その後に続く一言に西住まほが何とも言えない表情を作る。
状況とセリフの内容だけ見れば、普通の光景だ。だが、そこに若干どころではないごまかしの雰囲気がありありと感じられる。
まるで悪戯をごまかす子供のようね、と菊代は思った。そして、そんな態度を見せる西住まほを見るのは、彼女も初めてだった。
しかし、それでも菊代はほんわかとした微笑みを崩さぬまま、私は全部わかってますよ?いいから夕飯食べてくださいね???とでも言うかのように、てきぱきと夕食を二人の前に配膳し始めた。
そのある意味事務的な動きを見て、またぎくしゃくした空気になるのは避けようと判断した2人は、同時に深呼吸して態勢を立て直してから、勉強道具の片付けを始めるのであった。
その後、なんとか共に落ち着いて。夕食に舌鼓を打ちながら……西住まほと安斎千代美は、2年と半年分溜まったお互いの思い出を共有できるように、ゆっくりと語り合っていた。