安斎千代美は、親友である西住まほとの約束、同じ大学への進学のため、日々勉強を重ねていた。
後輩たちの戦車道のレクチャーもあり、そちらをおろそかにすることはできなかったが、それでも余裕のある時間をほとんどすべて勉強に費やし、知識を貪欲に吸収せんとす。
その様子を見た後輩たちからは、「姉さん大丈夫ッスか!?変な薬とかやってません!?」と心配されたりもしたが、安斎千代美はむしろ、日々確かに感じる学力の向上を楽しんですらいた。
なおその発言をした後輩にはドゥーチェ・ショート・ウィップ(DSW)が気持ちよく飛んだ。
…安斎千代美は、自分自身がこんなにも勉強に熱心に取り組める人間だとは思っていなかった。
なにせ、家に帰ってから勉強のために参考書を開くのが、むしろ楽しく感じてしまっているのである。
その参考書は、西住流本家にて先日行われた西住まほとの勉強会で、安斎千代美が借り受けたものだった。
使い終わったらその次に渡す人間がいるため過度な書き込みはできないが、ノートや付箋をうまく使いながら、一日30ページ、休日は100ページ以上、問題をもくもくと解き、そして理解することができた。
「……しっかし、なんだろうな、これは」
本日のノルマであるページまで解き終えて、安斎千代美は軽く背伸びをしながら自室でひとり呟く。
国公立大学用の難易度の高い参考書であるが、かなり理解できた実感がある。ぱらぱらとページを前に戻し、今日やったところや今までにやったところの問題文を目で追うと…しっかりと、答えへの解法が頭に浮かぶのだ。
これは今までの自分になかったことだ。西住まほと一緒にやった勉強会が、それほど効果的だったということだろうか?
「…や、とゆーか…」
安斎千代美は自分の、勉強へのモチベーションの根源は何か、という方向へ思考を移す。
もちろん、最大の目標は大学合格のためだ。しかし、そこに『友と同じ大学を目指している』というスパイスが混ざる。
さらに、その友人は頭の悪い自分のために、勉強会を開いたり参考書を準備してくれており、心配してくれているのがありありと感じられる。
ならば自分は、その友人の気持ちに応えなければなるまい。この西住まほから借りた参考書だって、次に勉強会に臨むときにはすべて解き終えて、あいつを驚かせてやるのだ。
…そんな、自分のためというよりも友達の想いにこたえるため、という妙な目的意識が、しかして安斎千代美のモチベーションをかなり高いレベルで維持させているのだ。
「…でもなんか、これっていいとこ見せたがりなだけのような…」
ふとそんなことを安斎千代美は思った。
西住まほから借りた参考書だからこそ、ここまでやる気を出して集中して取り組めている。そこは自覚した。
しかし、自覚して改めて考えてみると、それってだいぶ恥ずかしくないか?
私はお前のためにこんなに頑張ってる!と西住まほに感じさせて、褒めてもらいたいとでも思っているのか?
それとも、西住まほが私のためにやってくれていることに対して、自分も成果を残し、彼女の気持ちを無駄にしたくないのだろうか?
もしこの参考書を貸してくれたのが同級生とかだったら…それでも、もちろんやるだろうが、ここまでやる気をもってやれただろうか?
…なんだろう。釈然としない。
というか、なんだか西住まほの手のひらの上で踊っているような気分もして、こっぱずかしい。
これではまるで…彼氏と一緒の大学に入るために、頑張る女子のような…
「…ってだからなんでそんなこと考えるんだ!アホか私は!」
安斎千代美は軽く叫び、バシバシ!と気の緩んだ頬を両手で張り、妙な思考を頭から飛ばした。
だいたいが、西住まほのせいだ。
私がこんなにも勉強したり、なぜか困っているのも、だいたいあいつが悪い。
そう考えて、安斎千代美はやっと冷静を取り戻すことができた。
馬鹿だな、と小さくこぼす。それは西住まほに当てた言葉か、自分に当てた言葉か。
とにかく、西住まほをさらに見返してやりたくなって、追加で10ページ、今日は解き進めることにした。
※ ※ ※
それから、およそ二か月が経過し、11月も中旬を過ぎて冬の訪れを感じる季節となった。
安斎千代美は、相変わらず勉強に熱中していた。最近は後輩たちの戦車へのやる気も高まり、あまり目をかけなくてもしっかりと練習するようになった。
おかげで空き時間がさらに増え、参考書も最初に借りた10冊はほとんど解き終えてしまっていた。
また、西住まほとの勉強合宿も、その間に何回か行われていた。
前よりも漢字変換が上手になった西住まほは、安斎千代美へのメールを頻繁に行うようになった。
内容はだいたいが勉強の進捗確認や相談と、合宿の日程を取り交わすだけのそれであり、女子高生のするメールらしい雰囲気は欠片も見当たらないものではあるが。
それでも、前よりも西住まほと語り合う機会が増えた。
特に、勉強会が開かれる週末は、時々安斎千代美がお菓子を作って持参したり、勉強が終わって夜に開かれる戦車道戦術議論など、お互いが楽しめる時間も増えてきた。
お互い、相手との距離感をさらに掴んだのか、前のようにふとした拍子にぎくしゃくすることもなく、一緒にいる時間を楽しむことができていた。
勉強会のたびに参考書を借り、次回の勉強会までに参考書を解き終えて、また新しいものを借りる。
参考書でどうしてもわからないところがあったら、勉強会で西住まほに聞く。
この勉強のリズムを継続し、安斎千代美の学力は見る見るうちに向上した。
そして、11月中旬に行われたアンツィオ高校の中間試験。
試験の結果発表の日、廊下に張り出された学年別の順位表の前には、一番成績を気にする時期ということもあり、特に三年生が群れを成して集まっていた。
身長がそこまで高くもない安斎千代美は、人の波に押されつつも、なんとか3年生の順位表が見える位置をキープする。
前回の順位は、全体からみて上位2割に食い込むかどうか、というところだった。
さて、では今回はどうであっただろうか。
正直なところ、安斎千代美は自信があった。
何せこの二か月、自分の人生の中で最高に密度の高い勉強をしてきたのだ。
西住まほから借りた参考書も、今ではほとんど苦労せず解くことができる状態である。
もちろん、他のみんなも同じように勉強はしていると思う。それでも、前回より悪くなることは…ないはずだ。
安斎千代美は自分の努力の結果を目にしようと、わくわくしながら自分の名前を探し始めた。
…だが。
「………あれ?」
まず、前に自分がいた辺りの順位を見る。名前がない。
あれ?やっぱり上がったかな?と、思い、今度は10番くらい、かなり上位のほうからたどって名前を探してみる。名前がない。
そのうち、最初に見た辺りまで戻ってきてしまっていた。やはり自分の名前は見当たらない。
「んんん?……無いぞ、あれ?」
結構手応えあったのに。もしかして、簡単な試験だったのか?
私のノビよりも、みんなの成績が上がったということだろうか。仕方なく前回の自分の順位よりも下を探し始める。
上位3割を超え、さらに追い、順位が半分を超えたところまで追ってみたが…無い。
安斎千代美の名前がない。
えっ。
嘘だ。
そんなにひどい成績だったのか?
毎日あんなに努力して、西住まほにも尽力してもらっていたのに、前より成績が下がってしまったのか?
……今までの勉強は、無駄だったということなのか?
思わず……涙がこぼれてしまいそうになった。いや、すでに少し目が滲んでいる。
しかしそこで、思わぬ声が、安斎千代美の後ろからかけられた。
それも強烈なバックハグと共に。
どーん、という効果音が見えそうなほどに強い抱擁だった。
「……すごいじゃないですかドゥーチェ!流石はアンツィオのリーダーですっ!」
「んげほぉっ!?な、なんだぁ急に!?」
と背中をたたいてきたその声は、カルパッチョのものだ。安斎千代美は後ろを振り向かねど、声でそう推理した。
自分よりも身長の高い後輩にそこそこ強く押され、安斎千代美は軽くむせる。気管に入った。
ついでに若干涙がこぼれたが…むしろ勢いでごまかせたので、そちらは良しとしよう。
むせつつも、ごしごしと目をこすり……振り返る。よし、多分泣きそうだったのはばれてない。
呼吸を整えて…ふと、安斎千代美は疑問が浮かぶ。
今、こいつはなんて言った?
「カルパッチョ、お前なぁー…あともうドゥーチェじゃないし。んで、今なんて言った?私がなんだって…?」
「何って、すごいですよ!ドゥーチェってやっぱり頭よかったんですね!」
なんだかとても喜ばれているようだが…意味が分からない。私が頭がいいって?
どうやらカルパッチョは、私よりも先に安斎千代美の名前を順位表から見つけたようだ。
だが、上位半分を眺めても自分の名前を未だ発見できていない安斎千代美は、少々気が重くなった。
カルパッチョの言う「頭がいい」とは、恐らく戦車道を履修している生徒の中で、という意味であろう。
確かに…戦車道履修生徒の学年別平均順位は、ひどい。
戦車道に熱を上げてくれているので強くは言えないが、他の教科がボロボロのため、後輩たちは常に学園下位を争っていた。
2年生の順位表の最後尾に輝く、戦車道履修しているもう一人の2年生の名前が切ない。頑張れよ。
だから、確かに中盤付近にいれば成績は高いほうかもしれない。しかしだ。
「…いやカルパッチョ、確かに戦車道履修者の中では高いほうかもしれないけどさ…前回はもっとよかったんだよ私は。半分以下まで落ちてるとは思わなくて…」
「??何を言ってるんです?ドゥーチェ、一番じゃないですか!」
一番と来た。そんなに戦車道履修生の成績はひどかったのか。まさか半分以下の私が一番だとは。
今度、学内でも勉強会を開催するべきだろうか…。戦車道も頑張ってほしいが普段の勉強も頑張ってほしい…。
と、現実逃避に走りかけた安斎千代美の思考が、はたと正常な思考へと戻る。
一番?
今一番って言ったか?私が?
一番って…一番?
………三年生の中で???
…いやまさか。
でも確かに、さっき私は10位くらいから下に向かって順位表を目で追って――――
「ほら、ドゥーチェ、あれ!記念に写メ取りましょうよ!」
カルパッチョが嬉しそうに指さす、三年生の学園順位表の一番上。
それにつられて安斎千代美が顔をあげると、自分の名前がそこにあった。
横に記された順位の番号は、1。
「…………うわぁぁ…」
安斎千代美は、また涙を零しそうになってしまった。
※ ※ ※
その後、戦車道を履修している後輩たちからの人迷惑なドゥーチェコールが廊下に鳴り響いたりもしたが…完璧な結果に、安斎千代美は嬉しさを隠しきれないでいた。
ふーんふん、ふーんふん、ふっふふっふふーんとフニクリフニクラを鼻歌で歌いつつ、片手でスマホを操作しメールを打ち込む。相手は西住まほだ。
学年で一位になったぞ!という報告と共に…もう一つ、追加で報告することがあった。
アンツィオ高校の中間試験の少し前に行われた、第2回全国共通模試。
そちらの成績は、全国共通ということもあり、中間試験の少し後に結果発表となったが…こちらでも、なんと前回の自分の順位を大きく上回り、全国20万人以上の高校3年生の中で、上位10000位以内に名前を刻むことができた。大学合格判定も、堂々のA-を記録。
二か月前にやった前回の全国模試では順位は9万台、C-の大学判定だったことを考えると、もはや快挙と言ってもいいレベルだろう。
もちろん気は抜けない。戦車道でも人生でも油断こそが最大の命取りである。これからも今まで以上に勉強をしていくつもりではあるが。
それはそれとして、親友にこのことは報告しなければなるまい。
高揚するテンションを抑えつつも、さっそくメールの文面が完成。内容は、
『第1問、私は学内中間試験、果たして何位だったでしょう。第2問、全国模試はどれくらい?なお紙資源の無駄なのでネットでチェックは禁止!』
…だ。特に最後の一文が重要だ。明日にもネットで全国模試の結果が公表されるころだろうが、黒森峰の現隊長にこれ以上負担をかけるのは大変に忍びない。
まぁ、今日くらいはこんな浮かれたメールを送ってもいいだろ、と送信ボタンを押すために指を動かし…
…ちょうど今受信したメールの受信ボタンを押すことに、またしても成功してしまうのであった。
遅れてくる、スマホのバイブレーション。
「うわぁ!…畜生西住の奴、どこかで私を見てるんじゃないだろうな…!?」
前にもこんなことがあったぞ!と憤慨しながら、メールを送信する前に受信ボックスを開く。
あとで私室の中にカメラとかないか確認しておこう。
さて、受信したメールを見てみると、やはり想像通り、西住からのメールであった。
…が、それは確かに西住から送られてきたが、安斎千代美が想像していた相手とは違っていて。
差出人のところには、
『西住みほ』
と書かれていた。
「あれ、妹さんのほう?…珍しいなぁ」
西住みほは西住まほの妹であり、大洗学園艦の二年生である。
今や戦車道に携わる人間で知らぬものはいないだろう。大洗学園を奇跡の優勝に導き、また、大学選抜戦の際に隊長を務めた時の人。軍神、という評価すら聞こえてくるほどだ。
…とはまぁ、周囲の評価であり、本人は戦車が絡まなければ、あまりさえない普通の女子高生ではあるが。
そして、安斎千代美は西住みほとは、それなりの交流を持っていた。
まず、今年の戦車道大会の二回戦で戦い、お互いの戦車道をぶつけ合った。
結果はアンツィオの敗北に終わったが、それでもいい試合だったと胸を張って言える。
西住みほの戦車道は、西住まほの西住流とはまた違った、敵すらも味方につける何かがあった。
自分もだが、ダージリンやケイさん、カチューシャなども気に入らせる魅力。口では説明できないが、彼女は人を惹きつける。強烈に。
…そしてその結果、大学選抜戦でも安斎千代美を含めた各学園が応援に駆け付け、件の結果となったわけだ。
自分で言うのもなんだが、大学選抜戦ではそこそこ力になれた…と、思う。
もちろん、彼女とはアドレス交換もしている。交流は大切だ。
だが、実際にメールのやり取りをしたのは、大学選抜戦のお礼を受けた時くらいだ。
別に嫌いとかそういうものではないが、とはいえアドレスを知ってはいても普段からメールのやり取りをするほどの仲ではない。時々会えば楽しく会話できる友、という感じだ。
大洗の情報自体はカルパッチョから流れてくるし、必要に迫られることがないと連絡を取り合うことはなかったのである。
さて、そんな西住みほからメールが来たわけだが。
多分向こうも、何か用があってメールをしてきたのだろう。いきなり与太話を送ってくるような性格でないことくらいは把握している。
「なんだなんだ…?えっと…」
受信メールを開き、内容を確認する。
そこには、簡単に整理すると、このように書かれていた。
「お久しぶりです。急なメールですみません。
お姉ちゃんが大変お世話になっております。(←ここでまず安斎千代美はむせた)
実は今、角谷会長と相談して、他の戦車道でお世話になっている学園艦の皆様に、何かできないかと考えています。
前の大洗騒動の時には、皆様のおかげで本当に、助かりましたので。
そこで、特にお世話になった方々は今年卒業する3年生が多いので、卒業の時期に、学園艦の皆様で追い出し試合をやれないかという話が進んでいます。
3年生を主体としたチームで、前のエキシビジョンのようにいくつかの学園でチームを組んで。
もちろん、忙しい時期でもあると思いますので、参加不参加は自由と考えていますが。
ただ、今は受験勉強などもありお忙しいでしょうから、こういう話が動いている、と覚えていただけたらなと思います。
各学園の現二年生同士で相談して調整していこうと考えています。
何かご意見などありましたら、私かもしくは角谷会長までお気軽にお願いします。
追伸
お姉ちゃんが、最近よく安斎さんのことをメールで私に伝えてきます。(←ここで安斎千代美はもう一回むせた)
とても楽しそうな様子が伝わってくるので、ちょっと羨ましいなと思ったり。
これからも、お姉ちゃんをよろしくお願いします。(←ここで安斎千代美は炎のにおいしみついてむせた)
受験勉強、頑張ってください。応援しています」
メールを読み終えた安斎千代美は、特に最後、怒涛のむせポイントにアンブッシュされ、激しくせき込んだ。
呼吸を落ち着けて、水分を取り喉を癒して。ふぅ、と一息ついてから。
「……西住の奴、妹に何を吹き込んでるんだ…!!どこまで伝えたぁ!!」
まさか同じ大学を目指して頑張っている、というところまで伝えてないだろうな。
いや伝えるなという話ではないが。あんまり二人の関係が周りに広まっても、困る。
もし万一、母親の西住しほにでも伝わったらどうするつもりなのか。
やはり自分の親友である西住まほは、戦車道以外は深く考えるのが苦手なようだ。
安斎千代美は、はぁ、とため息をつき…とはいえ、メールの内容自体はとても面白く、ありがたい誘いでもあった。
確かに、去年や一昨年と比べると、今年は特に学園艦同士の絆が深まったと思う。
戦車道で競い合う中で、大洗学園という潤滑油によってそれぞれの学園の交流も生まれたし、大学選抜の時には隊長格の面々は一通り顔合わせをしている。
基本的に皆戦車キチなわけだから、この誘いには進んで乗るだろう。もちろん自分もそうだ。
そして何よりも。
もしかしたら、もしかしてだが。
もしあの学校も参加して、もし自分とは違う側のチームになり、もし……もし、お互いが隊長になれば。
「…西住と、戦えるチャンスかもしれないしな」
叶わなかった、高校生活の中での西住まほとの試合。
それぞれの学園を背負ったそれではないが、それでも。
可能性があるのなら、それは安斎千代美にとって、とても喜ばしいことだった。
「……ふっふっふ、素晴らしい提案だぞ西住みほ!全力で乗っかってやるからな!」
ドゥーチェ時代のテンションに戻りつつ、素早くメールを打ち込み、「よくぞ提案してくれた!めっちゃ参加させてもらう!あと来年は参考書いっぱいあげるから覚悟しておけ!」といったニュアンスの内容を返信した。
続いて西住まほにも、先ほど作成していたメールを送信。末尾に「あんまり妹さんにばらすなよ!お母さんに伝わったらどうする!」と追加するのも忘れずに。
メールのやり取りを終えて、なんだかどうしようもなくおかしい気持ちになった安斎千代美は、自然と笑みをこぼしながら、今日も勉強だ、と参考書を取り出していく。
今日は、いつにもまして勉強がはかどったような感じがした。
※ ※ ※
しかし、人生とは順調に行かないもの。
翌週、大変な試練が待ち受けているとは、この時の安斎千代美は考えてもいなかった。
※ ※ ※
「あーそういや姐さん、明日の休日練習、なんか連盟のお偉いさんが見に来るらしいッスよー?なんだか若手の戦車道育成とかどーとか…」
「…はぁ!?なんだその話、私は聞いていないぞ!?」
「えっ!?言ってなかったのペパロニ!?」
次の週の金曜日、ペパロニとカルパッチョと一緒にランチを取っていた安斎千代美(ツインテール)は、後輩が零した言葉に驚きを隠せなかった。
安斎千代美は三年生であり、戦車道の履修は終えている。だが、学校に戦車道復興のために呼ばれていたこともあり、卒業までは後見人のような立場で、後輩たちの指導を続けていた。
実際には今の隊長はペパロニであるし、副隊長はカルパッチョだ。実務系はすでに彼女らに任せており、そういった戦車道連盟とのやりとりもその中に含まれていた。
だが、基本的に連盟とのやりとりなど、戦車道大会へ参加するときくらいしかないし、安斎千代美は特にそちらへ注意を払っていなかったのである。
「あーそういや先週の時点で伝えてなかったッスねー、ごめんね姐さん!」
「もう…ペパロニに任せた私が馬鹿だったわ…すみませんドゥーチェ、私のミスです」
「いや…えっ?開いた口が若干塞がらないんだけど…」
「えぇー?食事中に行儀悪いッスよー姐さんー!」
「慣用句だよ!というか原因お前だろー!!報連相は徹底しろっていつも言ってるだろーがー!」
来年大丈夫かな…と一抹の不安を感じつつも、しかし決まっていることは仕方ない。
詳しく話を聞くと、戦車道連盟から何人か視察に来て、戦車道の練習内容や練度などを確認しに来るものらしい。
となると、明日の練習は普段とは違った趣を取らねばなるまい。安斎千代美は思案する。
「…ってことは、明日の練習は私はあんまり口出ししないほうがよさそうだな…」
「えぇっ!?姐さん来てくれないんスか!?姐さんが教えてくれなきゃ誰が教えてくれるんスかー!?」
「ペパロニ、普通は私たちが頑張らなきゃいけないところよ?それは」
ペパロニは相変わらず能天気だが、カルパッチョは正しく安斎千代美の意図を汲んでくれたようだ。
そう、戦車道の練習を見に来るというのなら…現時点での、部隊の実力を評価してもらう必要がある。
それは来年度の戦車道大会につながるものでもあり、そして、そこには現三年生の安斎千代美がいないものだ。
すでに戦車道の履修を終えた、ある意味OGの人間が練習にばりばり口出ししている姿は…戦車道連盟から見れば、決してよい評価を下せるものではないだろう。
「大丈夫だ、もちろん顔は出す。だけど明日は私は見てるだけだ。お前ら二人で、一年を指導するんだ」
「マジっスかー!?うっわー、できるかなぁ私たちに!カルパッチョ、なんか練習の案考えてるー?」
「前からその事でいろいろ相談してたと思うんだけど…?ペパロニ、この事と話が繋がってなかったのね…?」
うわははーどーしよー!と今から焦りだすペパロニと、落胆のため息をつくカルパッチョ。
何とも不安が残る会話の内容だが、それでも安斎千代美は大丈夫だろう、と感じた。
カルパッチョは副官として優秀だ。自分も現役時代はいろいろと助けられたし、さっき本人も言っていたように、ちゃんと事前から準備をしているようだ。
ペパロニは、あれはあれで指揮能力は高い。物怖じしない、男勝りな性格がいい方向に作用しており、一年生からの信頼も厚い。
最近はそうでなくても、自分だけが後輩たちに指示を飛ばすことは少なくしていたし、自分がいなくてもちゃんと練習できるように下地は作ってある。
…この二人に任せておけば、いける。
……たぶん。
………いや、絶対。たぶん絶対。
安斎千代美は、若干心の中の天秤を揺らしつつも、最後は自分についてきてくれた二人を信じることにした。
「大丈夫だ、お前たちならできる!なにせ……この私の自慢の後輩なんだからな!」
「…姐さんにそう言われちゃあ、しっかりしなきゃ女が廃るってもんっスね!よっしゃあやる気出てきたー!」
「任せてください!…あ、でも今日の放課後に時間が取れたら、明日の練習内容の確認をお願いしてもいいですか?」
「勿論だ!ペパロニのノリと勢い、そしてカルパッチョの冷静な分析が組み合わさればアンツィオに敗北の二文字はないっ!」
安斎千代美は、その日の放課後、自分の勉強時間を削り、ペパロニとカルパッチョの力となるため助言をした。
勉強も大切だが、困っている後輩がいれば絶対に放っておかない。少しでも助けになってやりたい。
……西住みほのそれにも通じる、安斎千代美の戦車道がそこにはあった。
※ ※ ※
そして翌日。
安斎千代美は、朝から冷汗が止まらなかった。
「我が校では2年前から戦車道復興に力を入れておりまして…こちらの安斎千代美さん、皆様からは敬意をこめてドゥーチェと呼ばれていましたが…彼女の尽力のおかげで、今年は戦車道大会も一回戦を…」
名前だけの顧問の教師が、連盟の人に簡単にアンツィオの戦車道の紹介をしている。
それを聞く戦車道連盟の方と、私。高台となっている丘の上にある石造りの小屋から、見下ろす形で戦車道の練習を眺めている。
ペパロニとカルパッチョ率いる新アンツィオ戦車道チームは、大きく声をだしながら練習を行っていた。
針の筵のような心持で紹介を聞く。ちなみにこの教師は普段はあまりやる気がなく、ほとんど実務的なことは私がやっていた。
悪い人ではないが…それでも、それでももう少しなんというか、私を思いやる行動がほしい。特に今は。切実に。
というのも、説明が悪いわけではないのだ。内容は正しいし、私を褒めてくれている。
しかし、それを説明している戦車道連盟のお偉いさんというのが。
その、なんだ。
「……そうですか。ご説明有難うございます」
「いいえ、とんでもございません。では何かご不明な点があれば、あとは彼女に聞いてください。先生は戻るから、頼んだぞ、安斎」
「……は、はい…」
そう、私の冷汗の原因。隣に座る、黒いパンツルックのスーツが死ぬほど似合う女性は。
西住流家元、西住しほ。
自分の親友の母親であった。
……少し早めに学校に集まり、ドゥーチェとしての自分の恰好を作って後輩たちに一言激励をした後、顧問の教師と共に戦車道連盟の方の到着を待った。
しばらくして、空からヘリコプターがやってきて、グラウンドに到着した。そのとき安斎千代美は、
(……なぜだろう。すごい見たことある気がする、あのヘリ)
と、嫌な予感でいっぱいであった。
そしてやはり降りてきたのは西住しほ。
西住まほの母親でもあり、最近はその御家に何度も宿泊したりしている、その人。
戦車道連盟の中でも高名であり、またプロリーグの監督を務めるという噂もある、西住流の家元であった。
安斎千代美は、顧問の教師が面倒そうに職員室に戻った後、西住しほと二人きりにされた。
気分は最高にハイってやつである。主に死にたい方向で。
そもそもが、西住まほのインタビューの件で、西住しほにはいい印象を持たれていないはずである。
10秒ごとに胃のphが濃くなる錯覚を覚えるくらいに胃が痛い。
10分くらい経ったかな?と時計を見ると30秒も進んでいない。そんな辛い体感時間が安斎千代美を襲った。
背筋を伸ばして礼儀正しく並んで座りながら、安斎千代美はちら、と横目に西住しほの顔を盗み見る。
視線は戦車の練習風景に。鋭いまなざしで、真剣に見てくれているのはわかった。
…それはそれで、うれしいことではあるが。
西住流家元に練習を見られることは、恥ずかしいことでもあるが光栄なことでもある。
ぜひ、練習内容について一言二言コメントでも貰い、今後の練習にも活かしていきたいところである。
…厳しい一言でなければよいのだが。
だがそれはそれとして。
やはり居心地が悪い。
というか、何より心配なのは、西住しほに自分と西住まほとの関係が感づかれていないかどうかである。
少なくともインタビューで私の名前が出たのは彼女も知っているところであろう。
だが、流石に同じ大学を目指すことや、一緒に勉強していることはばれていない…はずだ。
そのように、西住まほが尽力してくれているはずだ。
実際、今まで西住まほの実家で勉強合宿をしたときは、いつも西住しほが家を空けている時を狙って開催されていた。
大丈夫なはずだ。たぶん。
「安斎さん」
「…ぅわっはぃ!?は、はい!!なんでしょう!?」
こちらに顔も向けずにいきなり名前を呼ばれて、安斎千代美は思いっきり噛んだ。
完全に舞い上がっている。顔を赤くしつつも、何とか返事をすることができた。
…急になんだ!?なぜ私は名前を呼ばれた!?
安斎千代美は急速に頭が回りだすのを自覚した。
何か私に聞きたいことでもあるのだろうか?
戦車道の練習については言っておくが私独自の練習方法なのでケチをつけられても困る。西住流とは似ても似つかぬ練習内容だからだ。
もしくは何か、前のインタビューのことで責められるのか?
言っておくがあれは私は何も悪くないぞ?だいたい西住まほが悪いと思うぞ?
と、安斎千代美は果たして何を聞かれるのかと身を縮めながら恐縮しつつ待った。
そして数秒後。西住しほの口から放たれた言葉は、安斎千代美の顎を綺麗にとらえるフックブローであった。。
「…勉強ははかどっているかしら」
「ぶほはぁっ!!!…し、失礼、なな、なぜそれを!?」
ダメだった。
ノリと勢いの学校、アンツィオで3年を過ごした安斎千代美は、この問いに噴出さざるを得なかった。
『勉強ははかどっているかしら』って。
なんだそれ。そんな質問ありか。
……完全に親バレしてるじゃないか西住ぃぃぃぃーーーーー!!!!
安斎千代美は心の中で叫んだ。
頭の中で、仏頂面の親友が乗るティーガーⅠにP40の砲弾を浴びせることで、なんとか冷静を保った。
そして、完全にまいった、と逆に腹を決める。
もうたぶん、色々全部バレてる気がする。
しょうがない。腹を割って話そう。
「…その節は、その、本当にお世話になっていると言いますか。…えーと、どこから御知りで…?」
「菊代はまほの女中ではなく西住家の女中です。すべて筒抜けよ」
「…Ahー……そりゃそうですよねー…」
うん、言われればこれほど納得できる理由はなかった。
そりゃ菊代さんにもお世話になっているし、菊代さんが西住しほに特に漏らさぬ理由もない。
…いや、西住まほは口止めしたんだと思うけど、なんか菊代さんの判断で漏らしたような気もする。面白そうだから。
おのれ菊代さん!今度泊りに行くときは料理の腕を盗ませてもらうからな!と安斎千代美は決意した。
…とはいえ、その勉強合宿も、どうやら次はないだろう。決意は無駄になりそうだ。
なにせ西住しほに知られてしまっているのだ。
私のことをよく思っていないのだから、すぐに次の言葉がこぼれるさ。
…『西住家の門をまたぐことは許しません』とかなんとかそういうセリフが。
西住みほの気分を私も味わってしまうのかー、と安斎千代美はかなりの落胆を覚えた。
楽しかったんだけどな、勉強会。でも、仕方ないと言えば仕方ない。
流石に私が西住まほと同じ大学を目指すことまでは干渉してこないだろうし、できないだろう。
西住まほとの勉強の時間は失われるが、これからは自分一人でも頑張れるさ。頑張ろう。
なぁに、大学に合格するまでの辛抱だ。
そんな、どこか開き直りのような心情も生まれて、西住しほの次の言葉を待つことができた。
しかし、西住しほが次に紡いだ言葉は、安斎千代美の想像とは全く違う言葉であった。
「……最近よく、まほが笑顔を見せるの」
「…は?」
なんだって?
今、この娘と同じように仏頂面をキープし続ける西住流家元は、何て言った?
「戦車道をやっていたときは…全然笑わなかったのだけれど。部屋で携帯電話を弄っているときとか、勉強をしているときにね。笑うのよ、あの子」
「………」
安斎千代美は、西住しほの言いたいことを図りかねていた。
いや、薄々感づいてはいるが、まさか、と思った。
まさか、この人は。
「前までの…みほに神経質に当たっていた頃の私では、その笑顔に対してもいちいち小言を言っていたのでしょうけれど」
「………」
「少し前から、心に余裕ができたとでもいうのかしら。娘たちの…自立した姿を見ていると、少しね」
「…………」
安斎千代美は、何か言葉を返そうとして何度か口を開こうとするも、それは言葉とはならなかった。
今、私はこの人の言葉を静かに傾聴するべきだ。独白を、聞くべきだ。
なぜかそんな気がした。
「菊代から聞いたわ。貴女と一緒の大学に行くために、あの子は貴女に勉強を教えたりしていたのですってね。戦車道のこと以外では、誰とも打ち解けなかったあの子が」
「………」
「みほもだけれど、まほも今年は大きく変わったように感じる。それは成長というもので、親離れというものかもしれない…少し寂しいと思うこともあるわ。でも…」
「………」
ここで、初めて西住しほは、安斎千代美に向き直る。
安斎千代美の瞳には、西住流を襲名した家元の、毅然たる態度をしたそれではなく。
一人の母親の、柔らかい表情が写った。
「…嬉しくも感じるものなのね、親の手から子供が巣立つ感覚というのは。安斎さん、あなたのおかげだと、最近の私は思うようになりました」
「……西住、さん…」
「まほは…私のせいでもありますが、中々に難しい子だと思うけれど。これからもあの子と、仲良くしてあげてね」
ああ、そうか。
安斎千代美は、そこですべて呑み込んだ。
変わったのだ。この人も。
西住みほが、西住まほが変わったように。
娘二人の成長を見て…この人も、きっと変わったのだ。
そして、その変化はきっと…西住家にとって、いいものなのだと。
安斎千代美は直観的に理解した。
そして、一気に肩の力が抜けて緊張がほぐれるのがわかった。
…応えなければなるまい。娘を思う母の想いに。
「…はい!もちろんです。西住は…失礼、まほさんは、私の一番の親友ですから!肩を並べて恥ずかしくないように…私も頑張るので!」
「…ありがとう、安斎さん。またいつでも、私の家にいらっしゃい。私がいないときばかりではなく、ね」
ぐっ、と握りこぶしを見せて、できる限り笑顔を作り、安斎千代美は胸を張って答えた。
その答えに、西住しほもまた、慣れない笑顔を作って答えるのであった。
その後は、二人ともひどく打ち解けた様子で、いろいろなことを離した。
なにせ片方がコミュニケーションの鬼、安斎千代美である。二年で戦車道隊長として学園中から崇拝されるほどのカリスマスキル持ちである。
気を許してしまえば、相手に失礼にならない程度に、しかし話題の提供は絶えず行えるのが彼女の強みであった。
「…ウチの戦車は他の学校に比べて機動力重視、というか今のところそれしか取り柄がないので…そこを如何にして活かすか、を主眼においた練習を…」
「…面白い発想ではありますが、まだ練度が足りません。…そうね、こういった練習を取り入れてみては…」
「…ああ、なるほど!それなら機動力とチームワーク、両方の練習になりますね!早速取り入れて…」
安斎千代美は大学の事、西住まほのことなども話しつつ、併せて戦車道についても西住家元の知識と経験を聞き出し、吸収していく。
西住しほは娘の事を楽しそうに聞きながらも、時折どきりとさせられる安斎千代美の着眼点と、戦車道への情熱により好感を持つようになった。
こうして、安斎千代美の西住家へのご挨拶は、かなりの好印象を持って決着となったのである。
その日の夜。
西住まほに安斎千代美から一通のメールが送られてきた。
「今日お前のおかーさんに会ったぞ!いやーすごいいい人だな!今度お前んちに行くとき、またご挨拶するからな!!」
西住まほは、自分の母親がいつの間にか別人にすり替わっていたと判断し、警察に通報するべきか小一時間ほど真剣に悩んだという。
これ書いてた頃はまだ淫乱ババァではなかった西住流家元に淫らな未来……
いや当時もそんな扱いだったか。