非攻略対象は乙ゲーヒロインの夢を見るか? feat.憑依転生失敗ヲタク 作:山石 悠
リリウム・ブライト、という少女がいる。
「どこだろう、ここ……」
ここにいる、迷子のことだ。
背中まで伸びる薄紫色の髪と緑色の瞳に、真新しい制服に身を包んだ少女だ。いつもは明るく笑顔の絶えない彼女も、今ばかりは不安げに周囲を伺っている。
入寮初日から施設を見て回ろうと飛び出したはいいものの、想定外の広さで現在地が分からなくなっていた。
ついでに、寮の門限が近付いているのだが、それに気付く様子もなさそうだった。
「誰かいませんかー?」
ここは、王立第一魔法学院の一角。学院西にある庭園の近く。
西庭園への一般生徒の立ち入りは禁じられている。立ち入ることができるのは、一部の教員、この学院へ通うことになった王家に連なる者。そして、その護衛だけだった。
しかし、道に迷い、学院内の地理に明るくないリリウムにとって、これは学園北側にある学生寮近くの庭園にしか見えないらしい。
人気がないことだけを訝しみながら、リリウムは庭園の入り口から中の様子を覗いていた。
「確か、こっちかな?」
返事はない。
寮を出たタイミングでは多くの生徒がいるのを覚えているだけに、言いようのない不安を覚える。しかし、ここからまた当てもなく歩き回るだけの時間がなさそうなことくらいはリリウムも気付いているようだった。
「すみませーん、開けますねー?」
南京錠自体は開けられたままだった。魔法による物体の固着がなされているわけでもないらしい。
リリウムは、庭園をぐるりと囲うように作られた鉄門のかんぬきに手をかける。
「開いた……寮って、この中だよね……?」
門はすんなり開いた。幽鬼のような悲鳴に少しだけ背筋を震わせながら、さらに中の様子を伺う。
入り組んだ迷路のような庭園の中はあまり中の様子を伺うことはできない。物音もなく、聞こえるのは風に揺れる葉の音がせいぜいだった。
「お邪魔しまーす……」
リリウム・ブライトが、門を開け放って足を動かした。
「
「ひゃいっ!」
唐突に人の声が聞こえて、リリウムは勢いよく飛び上がった。
慌てて後ろを振り返ると、声の主が「すまない、驚かせたようだな」と僅かな驚きを滲ませて返事をした。
「新入生だな?」
庭園に足を踏み入れようとするリリウムの背後に立っていたのは、長身の青年だった。
整えられた鳶色の前髪から覗く鋭い瞳は、リリウムを責め立てるように細められている。折り目正しい制服には、第二学年を表す紋章が付いていた。
リリウムは青年の存在を理解すると、姿勢を正して軽く頭を下げた。
「はい! 一年のリリウム・ブライトです!」
「…………リリウム・ブライトだな。俺はセプトラム・ローダー。よろしく頼む」
「は、はい。よろしくお願いします」
青年──セプトラム──はリリウムの姿を確認し、そちらへと歩み寄っていく。
今日は何人かの生徒と出会って話をしたが、その中で一番真面目なのはこの人だろうなとリリウムは思った。
「リリウム・ブライト。おそらくここを学生寮と間違えたと見えるが、ここは西庭園だ。一般生徒の立ち入りは禁じられている」
「そうなんですか!? すみません、私気が付かなくて……」
校則違反を指摘されてリリウムは慌てて謝ろうとするが、セプトラムがそれを制する。
「いや、お前はまだ入っていない。責めを受ける理由はない」
「でも……」
「建造物侵入の未遂にも法は適用されているが、西庭園の侵入禁止は校則だ。校則に未遂の規定はない」
「え、えっと……?」
「……君はまだ何も悪いことをしていない、ということだ」
意図が分かっていなさそうな、恐縮した様子のリリウムを安心させるように、セプトラムはあまり上手くもない笑みを浮かべた。
どうやら、この上級生は自分が気に病まないようフォローしてくれているらしい。
「とにかく。次からは気を付けるように」
「は、はい! すみません、ありがとうございます!」
初対面だったが、リリウムはこの厳しそうな上級生が、厳しいだけの人物ではないのだと理解し始めていた。
「リリウム・ブライト。この道をまっすぐに行けば学生寮だ。方角に迷ったときは中央の校舎にある時計塔を目印にするといい、方角が刻まれている」
指さされた方角に目を向ければ、中央の校舎に設けられた時計塔の文字が目に入る。遠くでわざわざ気にしていなかったが、大きくWの文字が刻まれているのが見える。
「……本当だ! ここ、西側なんですね」
「西庭園の前だな。ここからなら間に合うだろうが、学生寮の門限も近い。今日は早めに戻れ」
「はい! ローダー先輩、ありがとうございます!」
リリウムは大きく頭を下げて、速足気味に学生寮の方へと何歩か足を動かしたところで、チラリと振り返る。
「えっと、あの……」
「どうした? まだ何かあるか?」
「いえ、そういうわけではないんですけど……」
リリウム自身もなぜ自分が足を止めたのか分からない。ここで何も言わずに帰ってしまうと、何かが終わってしまうような予感があった。
「私、この学校に来たばっかりで、まだ分かんないことも多くて、その……」
何を言っていいのか分からず、勢い任せに口を動かすが、自分の意見が上手くまとまらない。
その様子を見てセプトラムは小さく笑った。
「俺も去年は右も左も分からず、上級生に助けられた身だ。困ったことがあればいつでも力になろう」
「……はいっ!」
リリウムは満面の笑みを浮かべて「失礼します!」と、軽い足取りで寮の方へと帰っていった。
規則に忠実で優しい先輩と、知り合えたことを喜びながら。
「……行ったか」
リリウムの背中が見えなくなるのを確認して、セプトラムは庭園の門を閉めて鍵をかける。
そして、取り出した手帳のページをめくって目的のページを開くと、リスト化された項目の一つにチェックを入れた。
「殿下のルート発生を阻止。完了」
リリウム・ブライトという少女がいる。
「あれが主人公、か……」
リリウム・ブライトは、異世界ファンタジー系乙女ゲーム【光変ステラロア】の主人公である。
総勢六名の攻略対象となるイケメン達と出会い、学校生活を過ごし、その先に恋に落ちていく。
「正直なところ、完全に信じているわけではなかったが、こう同じ場面に出くわすと、嫌でも信じざるを得ないな」
リリウム・ブライトは、その類稀なる魔力量と適性の広さ故に、学園への入学を許可された才媛の一人ある。
今日は、継承兼第一位であるステラ王国の王子“ロフィラックス・グリップリン・ステラ”が、目の前の庭園にある屋敷へと移っている。
偶然警備のローテーションがおかしくなり、誰もこの場を見ていなかった。道に迷った彼女は、この偶然生まれてしまった警備の隙間を縫って攻略対象の一人である王子と出会う未来が待っていた。
これは
「でも、俺が壊した」
物語はもう始まっている。
投げた石が落ちていくように未来は決まっていたが、それを知る者によって石は横から掴まれてしまった。もうそのまま地に落ちることはない。
「……ふぅ」
リリウム・ブライトは、もう王子と恋に落ちないだろう。学園内で出会ったところで、二人はもう“あの時の彼/彼女”ではないのだから。
起こるはずだった未来を変えたという事実を受け止めながら、セプトラムは大きく息を吐いた。
「なあ」
小さな声で、誰かへと呼びかける。
周囲には誰もおらず、それは独り言のように空気の中に溶けていった。
「……おい」
再び誰かを呼ぶ声に、苛立たし気な色が混じる。
不機嫌そうに見える態度だったが、これが彼の平常運転だった。
「…………呼んでいるんだが?」
周囲に聞こえるほどの声で、三度誰かを呼ぶ。
しかし、ここには誰もいな──
「うるさいぞ。優先事項があったからいちいち指摘していなかったが、さっきから何を喋ってるんだ」
──あ、俺?
「そうに決まってるだろ」
なーんだ、俺のことを呼んでたのね。
それならそうと早く言ってくれればいいじゃんか。
「他に誰もいないと分かってただろ……」
それもそうでした。これは失敬。
「というか、さっきから誰に向かって喋ってるんだ? お前は」
さっきからって、もしかしてこの地の文のこと?*1
「頭の中でずっと喋られていると、さすがに喧しいんだが」
いや、そうは言いますけどね? 物語が始まった以上は、こういう文章大事よ?
地の文のない物語なんて、主食のない飯と変わらないんだから。
「物語が始まったところで特にそれを見る相手もいないだろ。ここに俺とお前がいる時点で、既に変光ステラロアは、既定の道から外れている」
とすると、俺達のこれからの頑張りっていうのは、つまり二次創作になるってわけなんですよ。なら、この頑張りにも読者がちゃんといるわけでして、俺も有名児童文学の妖霊よろしく地の文で喋っていきたいわけなんですよ*2。
「はぁ、訳が分からん……」
セプトラム坊ちゃんが頭を抱えているのを見て*3、俺は苦笑した*4。
何言ってんの、セプトラムのお坊ちゃんはさー。
齢十歳にして憑依転生しようとした俺を、精神世界で叩きのめしてただの守護霊*5にしたのは誰ですか? 俺の記憶なんて、とっくに全部閲覧済みでしょうが*6。
「分からないものは分からん。…………しかし、本当にこれで大丈夫なのか?」
今の原作ブレイクのこと?
「ああ。これで本当に意図した方向に進むのか?」
それは自信を持っていい。
少なくとも、お坊ちゃんが通ってほしくなかった王子ルートを止めるには、ここしかなかった。まあ、この後のリリウムの成長についてはちょっとチャートをオリジナルで組む必要があるけれど、大した問題じゃない*7。
「お前が言うなら……うん、信じよう」
それなら良かった。
特典CDと幽霊のお告げは聞いとけって古事記にもあるし。
「…………リリウム・ブライトを罪人扱いするのは俺の主義に反する。とはいえ、傾国になりうるのであれば、ポロフィラックス殿下と添い遂げる未来を選ばせるわけにはいかない」
リリウム・ブライトは、主人公だ。
彼女は恵まれた魔法の才能を持つが、その本当の実力は未だに発見されていない第五の属性“幻属性”の発覚により発揮される。
幻属性は、主に人の感情や認知に作用する属性だ*8。
リリウムの場合は愛情に干渉しやすい特性があり、幼子のように幻属性の力が垂れ流しになっているため、彼女は人に愛されやすい。
TRUEエンドに行くのであればただ周囲に愛を伝え、周囲から愛される。みんなの優しい感情に満ちるだけの幸せな未来が待っている。
しかし、BADエンドを迎えれば、行き過ぎた愛情が周囲を狂わせ、やがてこの国を亡ぼす
白百合にも黒百合にもなりうる少女、それがリリウム・ブライトである。
このセプトラムのお坊ちゃんが十歳になる日、俺は憑依転生者として攻略対象の親友ポジである彼に憑依するはずだった。
しかし、貴族の嫡男として覚悟がガン決まっていた坊ちゃんに、精神世界でボコボコにのされ、俺はこうして哀れな守護霊として存在することになってしまったというわけだ*9。
「物語はこの一年だ。この一年で幻属性の存在を証明し、リリウム・ブライトには王子以外の攻略対象のTRUEエンドに入ってもらう*10」
エンドはTRUE確定なんだ? 別にNORMALで結ばれたり、独り身で普通に卒業するエンドだって確実に事故らないし、ありだと思うけど?
俺が尋ねると、坊ちゃんは不満気な顔をした。
「彼女は真面目で優秀な学生だ。魔力の暴走がなければ、人を思いやり、想いを通わせることができる人物なのは分かっている。誰かと添い遂げる幸福があるのなら、俺はその最善を目指していきたい」
はいはい、了解*11。
じゃあ俺の仕事は、事前に伝えたリリウムの攻略チャートを適宜修正しながら坊ちゃんのサポートってわけだ*12。
「本来お前がやる必要のある仕事ではないが、お前の協力は不可欠だ。力を貸してもらう」
俺だってお坊ちゃんの精神の片隅を借りてる身だし、家賃程度の仕事はしますよって。
それに、俺だってヲタクの端くれ。原作介入は願ったり叶ったりだしな。
「感謝する」
そこは気にしないでもろて。
ほら、早くしないと坊ちゃんの方が門限に送れちゃうぜ?
「そうだったな。早く戻るか」
坊ちゃんが寮へ足を向ける。
こうして、物語は始まった。
非攻略対象のお坊ちゃんと原作ヒロイン、そして憑依転生に失敗した俺の三人でお送りする、楽しい学園生活がな。
「おい、言った傍からうるさいぞ」
はーい、さーせん。