そこが、楽園ではないとしても 作:テクニカル古則おじさん
正直なことを言えば、楽園なんてものは最初から信じてすらいない。
この世に生まれた時から、周りの大人は生き方を決めつけてきて、知りもしない人間の悪いところばかりを刷り込んでくる。
慎ましくありなさい。淑やかでありなさい。美しくありなさい。品位ある行動をとりなさい。
どれも窮屈なだけで面白くもない。
楽しいことだけをしたい。とは言わない。だけど、楽しくもないことを強制されることは嫌いだった。
「基督の子と仲良くなっておきなさい」
極めつけにはこうだ。
自分と同い年の遠い親戚筋の良家の男の子を紹介された時に母がそう耳打ちした。
この時、その言葉の意味の全てを理解できていたわけではないけど、漠然と大人の理由があるのは子供ながらに察することはできた。
「君、あまりそういうタイプじゃないだろ。君らしくない君とは私は仲良くしたくないかな」
「それ、どういう意味?」
「うわべだけの関係を築くより、ありのままの君が知りたい。と言えば通じるかな?」
初対面の彼の第一声がこれだった。
思わず聞き返してみれば、シンプルな話で要するに嘘をつきながら相手に合わせるのは面倒くさいという話で、良家の家の嫡男らしくない発言である。
「変なの」
「変でも良いよ。これからよろしくね。ミカ」
それから毎日のように顔を合わせるようになったが、彼とは共通の趣味があるわけでもないのに、不思議と仲良くはなっていた。
ミカが気に入った点としては、取り巻きと違ってお世辞を言うことがなく、彼が可愛いと褒めてくれた時は素直に喜べるということで、互いに気兼ねなく話せる友人としての関係が心地良い。
「はじめまして、聖園ミカさん。桐藤ナギサと申します」
少しずつ互いを理解して仲を深める日々の中で、彼に急に婚約の話が舞い込む。
今だからこそ言えることではあるが、彼のことは自身が先に好きになっていたのに、何処の誰とも知らない女の子に奪われたことに無性に腹が立っていた。
「じゃあナギちゃんでいいね。よろしく」
ナギサに対する第一印象は『お姫様』だった。
慎ましくて、淑やかで、美しくて、品位のあるミカがなれなかった。そんな存在が彼を奪った。
妬ましく思ったとしても、羨ましいとは思わない。そうなりたくてなったのは自分で、それに文句を言うのも違う。
運命の人じゃなかっただけなのだと、彼のお姫様は自分じゃなかっただけだと言い聞かせた。
それでもなんだかんだでナギサとも仲良くやれていて、彼との日々に彼女が溶け込むのもそう時間は掛からなかった。
「ミカ、ちょっと悪いんだけどさ。甘いもの好きだったよね……?」
「またぁ?」
三人で囲むティーテーブルでは毎日のようにナギサが手作りのロールケーキが置かれていた。美味しいと褒めてしまった手前断りにくくなった彼は、週二回くらいはミカに押し付けていた。
自分と初めて会った時にあんなこと言ってたくせに。と思いつつも、どんな形であれ頼られているというのは嬉しかった。
それで良かった。
幼馴染の二人と毎日のようにお茶をしているだけで毎日が楽しかった。ナギサと喧嘩することもあったが、半分くらい二人で彼を困らせたいだけの悪戯みたいなもので、本気の喧嘩ではない。
だから、彼が亡くなったあの日からミカはナギサと喧嘩をしなくなった。
困らせたい彼はもう居なくて、何よりナギサが荒れていて、それどころではなかった。
「……ナギちゃん」
何日も部屋に籠りきりで出てこないと聞いてミカが桐藤邸のナギサの部屋を訪れると、部屋の灯りは落とされていてよく見えなかったが、モノに当たろうとして、置かれている小物は彼と一緒に選んだ思い出があって、それを壊せないせいで当たれなかったようで、部屋は荒れてはいなかった。
「……放っておいてください……今は、誰とも会いたくありません」
制服には着替えているものの、床にへたり込んで窓の外に顔を向けてはいるものの、外の風景ではない何処かを見ているような。
そんな状態のナギサを放っておける訳もなく、ミカはずかずかと部屋の中に入っていく。
「皆、心配は……してないか。どうせ、大人の皆はナギちゃんの気持ちなんて気にしてないか……。
少なくとも私が心配してるのは本当だよ」
二人の婚約は政略結婚で、フィリウス派筆頭の桐藤の血が欲しい基督家と、トリニティの中でも最高位に近い神秘を持つ彼が欲しい桐藤家の、そういう汚い思惑が絡んだ婚約で、それが彼の死という形で御破算になった。
次期当主を失って、『その次』を用意するのに奔走している基督家にも、一度未亡人となってしまったナギサを今後どう扱うか練る必要がある桐藤家にも彼女をケアする余裕は無かった。
(だから、大人は嫌いだ。自分の都合ばっかりで、それに振り回される子供のことなんて考えやしないんだ)
反吐が出る。
血と神秘しか見ないで、二人の関係そのものにまるで目を向けない大人達に対する負の感情が積もっていく。
下手に触れるよりは時間が解決するのを待つということも理解できなくはない。が、そうではないことだけは理解できる。
だからと言ってナギサに掛けるべき適切な言葉を持ち合わせてもいないミカのできることは限られていた。
「大丈夫。今はそばにいてあげるから」
●
ミカはエデン条約の調印式を牢獄の中でスマホ越しに見守っていた。
調印式の中継で融和のための条約なのにトリニティとゲヘナが綺麗に二分割されて整列している様が皮肉に思える。
(三人の生徒会長。のはずなのに一人しか出席してないのも……まぁ、無事に終われば何でも……)
個人的な感想はともかくとして、幼馴染の念願が叶う瞬間が来ること自体は喜ばしいことだ。
調印式が始まろうとした瞬間に映像がホワイトアウトして、中継が中断された。
「は? ──っ!?」
あまりの突拍子の無さに驚いていると牢獄にも伝わる程の衝撃に襲われる。
遅れてベッドにしがみついてやり過ごしていると、
「……これってそういうことだよね?」
牢獄に入れられてから毎日夢を見る。
地獄のように変貌したトリニティのティーテーブルに座る彼の姿。何故そうなったのか示すかのように戦場になった調印式。腹部から血を流して冷たくなる自分の姿。その骸に上に積みあがり続けるトリニティ、ゲヘナ、アリウスの生徒の骸。
何かから夢の中で囁かれている奇妙な夢の答え合わせのような状況だった。
「……どこまで、踏み躙れば気が済むのさ」
楽園はまた理不尽に、悪意の第三者によって踏み躙られた。