そこが、楽園ではないとしても 作:テクニカル古則おじさん
エデン条約の調印式は、かつて、その第一回公会議の場としても用いられたトリニティ自治区に存在する通功の古聖堂を改修して執り行われていた。
験担ぎにしても、トリニティを目の敵にしているゲヘナの万魔殿の議長が場所の指定と改修の指示を出していることに疑問を持てなかったほど、余裕が無い自分の浅ましさをナギサは呪う。
「かふっ……」
結果として、古聖堂は火の海に囲まれ、トリニティの首脳陣と一部のゲヘナの生徒は重傷を負っていた。
ナギサもその中の一人として、瓦礫の下敷きになり血を流していた。
(ミサイルが着弾して……それから……)
意識が朦朧とする中、何とか一瞬で起きたことを知覚し始める。
突如として飛来してきたミサイルのせいで調印式は地獄絵図と化していた。
「──」
空に浮かぶゲヘナの飛行船を見た。
その中に誰が乗っているのかは、マーキングされた万魔殿の紋章を見れば一目瞭然だった。
この状況で、一目散に逃げる算段をつけられるとすれば、今日、この場で何が起きるかわかっている動きだと推測できた自分の頭を呪う。
(……私が……ヒフミさんを信じなかったから。私が、ミカさんを……拒絶して、私が……アルマを裏切ったから……)
だが、すぐにその飛行船も爆発を起こして墜落し始めた。
起きたことはもう変えられない。
どんな形であれ、楽園を実現するために、あの日から文字通り人生を賭けて走り続けた結果がこれだ。
誰も救われない。救ってくれもしない。
どうして? という問いの答えはあらかじめ用意していたかのように思い浮かぶ。
「──」
それから程なく幽霊のようでその身には感情が一切乗っていない武装集団とそれを従える生徒と交戦するゲヘナの風紀委員会のヒナの姿が目に写る。
(……もう、どうでもいい)
これ以上瓦礫の下からできることなんてない。ナギサ個人にはどうにかできる状況ではない。
血と煤にまみれながらナギサは意識を手放す。
「──れたことを──今度こそ──」
その瞬間に懐かしい声が聞こえた気がした。
「……え」
次にナギサが目を覚ますと、目の前には見覚えのある景色が広がっていた。
背もたれしている大きな一本の木も、あの頃より身体が大きくなったせいか収まりきらない木陰も、そこから見える青空も、全部、記憶の中にある。
「ここは……アルマの……」
忘れる筈がない。
この場所を、この場で作った思い出を、忘れる筈がない。
忘れてしまったとしたら、この場で貰った筈の胸に灯っていた温かさだろうか。
「ナギサ。久しぶり」
「──っ」
耳に残響のように、ずっと忘れることができなかった声が聞こえる。
繰り返し、繰り返し、思い出しては苦しんで、でも、それ以外に縋るものは無くて、会いたくても会えなかった人の声だった。
「あ、ア、ルマ……?」
「……うん」
この主が本当にアルマであるのなら、今すぐにでも飛びついて抱き締めたい筈なのに、身体は言うことを聞かなかった。
もし、今の自分を受け入れてもらえなかったら。
あの悪夢のように裏切り者と罵られたら。
嫌な想像ばかりが浮かんできて、動くことができなかった。
「ごめんなさい……私はアルマの夢を守れなかった……ごめんなさい」
これが夢ならそれでも良い。
勝手に楽になって、罪から逃げているだけだという自覚もある。
それでも彼の声を聞いてしまうと涙が自然と流れてしまう。
「良いんだよ。私の方こそナギサに謝らないといけないことがある」
「そんなこと……!」
ナギサの中では自身が一番の大罪人で、裁かれるべき存在でしかない。
「私はね、常に未来を見続けてた。次に取る行動で未来がどうなるか知りながら選択し続けてた」
「日記にはそんなこと、それに私のことは神秘では見なかったと……」
「え、日記読んだの?」
「はい……駄目でした?」
すーっと深呼吸をする音が聞こえてくる。
死人の日記なのだから、誰が読んだところで文句は言えないし、読まれたくないのなら厳重に保管しておかなかった自分の落ち度とはいえ、結構恥ずかしいことを書いていた記憶もある。
それをナギサに読まれたとなると今すぐにでも叫んでしまいそうだったが、何とか深呼吸で気持ちを落ち着ける。
「そっ、かー……」
妙な間が生まれてしまったが話を仕切り直すためにアルマがこほんと咳払いをした。
「……いや、でも、神秘なんて言い訳だね。
ごめんね。辛いことを押し付けてしまって。だけど、諦めないで……楽園がどうなったって良い。諦めてしまった私の代わりに何度でも選び続けてほしい」
何もかも滅茶苦茶にはなってしまったけど、それでもナギサはまだ生きている。
生きているなら、ナギサに未来があるのなら、閉ざすことしかできなかった自分より良い未来が訪れると信じている。
「……そんな期待、今の私には重たすぎます」
「だよね……だけど、もう少し、頑張って。ミカを止められるのは……きっとナギサだけだから」
それだけ言うと、空が崩れていく。思わず後ろを振り返って見ても、アルマの姿はそこになく。また別れの言葉もなく消えてしまった。
あのアルマが自分の夢の中で出てきた存在だとしても二度も別れを言う機会を与えてくれなかった。
「アルマのバカ……」
思わず彼に対する文句が漏れ出た。
●
「──、──!」
アズサは崩壊したトリニティの街中を駆けていた。
さっきまで補習授業部の皆と調印式の中継を見ながらファミレスでお茶をしていたのに、古聖堂に放たれたミサイルとは他に放たれたミサイルのせいで、果たすべきを果たさなかったせいで、白洲アズサという人間はここに居てはいけないと再認識して、果たすべきことのために古聖堂に向けて足を探している。
(こんなことをできるのはサオリ達しかいない)
ショッピングモール、皆と買い食いをしたコンビニ、夏に海に行くためにこっそり泳ぎの練習に使っていたプール。
知りもしない誰かに対するどうでも良い憎しみと、ただ戦う術しか知らなかったアズサを少しは人間らしくしてくれていた街が、日常が壊れていく。
「ちっ……」
「──」
古聖堂にミサイルが落ちてから混乱に乗じて出てきたアリウスの生徒に襲われているトリニティの生徒を見過ごすこともできず、舌打ちをしながら手持ちのグレネードを投げつけてアリウスの生徒だけを制圧する。
正義実現委員会や救護騎士団の指揮系統も混乱している中では一般生徒の身も危ない。
より一層アズサは古聖堂に居るであろうアリウススクワッドを止めに行かなければならないと決意を固める。
(ミレニアムの……仕方ない借りるか)
乗り捨てられたミレニアム製の車が目に入る。
きっと、調印式でお祭りムードになったトリニティに遊びにでも来ていた生徒の物だろう。
最近ニュースで全自動運転の車がミレニアムで開発されたと聞いていたアズサはそれを利用させてもらうことにしてガラスに数発打ち込んで叩き割って車内に入り込んだ。
「……エンジンは、掛かってるな。目的地を設定して後は自動で……なるほど、便利だ」
こんなことになってなければ補習授業部の皆と他の自治区に遊びに行くこともあったのかもしれない。
そんな無くなった未来の可能性に思考のリソースを割いている暇はなく、すぐに手持ちの武器でアリウススクワッドを倒すための算段を考えなければならない。
(銃弾や火薬の量に問題はない。だけど、正面から勝てる訳もないな……サオリの虚を突くとしたら……)
鞄の中に入っていたペロロ博士の人形が目に入る。
咄嗟に動いてしまったせいでヒフミ達を置いてきてしまった。
「……きっと、ヒフミは怒るだろうな。ごめん、ヒフミ」
思い付いた作戦は確実にヒフミを怒らせるだろうが、それも問題はない。
きっと、もう皆の中には帰れないのだから、その心配も意味はないが、謝りながら人形の腹を裂いた。