そこが、楽園ではないとしても   作:テクニカル古則おじさん

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手放すモノは

(……予定より遅れてこんな時間になってしまったな)

 

 日が完全に落ちた頃、アズサは道中で脱獄したアリウスの生徒を見るとそれを放っておけず、鎮圧しながら移動している最中に車が大破したせいで、結局は徒歩での移動を強いられていた。

 

「アズサちゃん!!」

 

 ようやく古聖堂へと続く橋にアズサが辿り着くと、背後から予想もしてなかった人物の声が聞こえて、思わず振り返る。

 

「ヒフミ? どうしてここに……?」

 

 アズサの視線の先には肩で息をするほど消耗したヒフミが居て、駆けよって背中をさする。

 

「アズサちゃん……ぜぇ、ならここを通るかもって、ハナコちゃん、から教えてもらったんです」

「そうか……なら、最後かもしれない」

 

 へたり込みながらも息を整えて何とか喋れるようになったヒフミにアズサを目を伏せながら別れの言葉を告げる。

 

「最後……?」

「私は……人を殺しに行く」

 

 アズサの手が添えられたヒフミの背に悪寒が走る。

 彼女は笑顔なのに、どうしようもなく何かを諦めていて、それが当たり前のことだと言いたげな表情に本気で人を殺しに行こうとしていることを感じ取った。

 

「同じくらいの歳の子供が次の日には、おかしくなるか動かなくなるか……そんな事が当たり前で、そうならないために、生きるために殺す術を学んだ。それが私という存在なんだ」

 

 生き残った子供だけが明日を手に入れられて、手に入れても教えられることはヘイローを壊すこと、それを効率良く行うための術、行き着く先は全てが虚しいことであることを教えられた。

 

「トリニティに来てから、私は色んなことを知って学んだ。放課後に皆とお茶することも、ショッピングモールに行くことも……特に、ヒフミからはモモフレンズのことも教えてもらったな。勉強は大変だったけど……それでも、私に取っては全部が新鮮で綺麗で……楽しかったんだ」

 

 補習授業部と共に過ごす日々が日常に変わって、それがアズサの中で大きくなっていく度に感じる痛みがあった。

 辛いことがあっても、慰めて支えてくれる友達が居て、困ったことがあれば導いてくれる先生という存在が居る。

 そんな優しい世界に自分が居て良いのかという疑問が胸の奥の方をちくりと刺す感触があった。

 

「私に沢山の友達をくれて……海に連れていってくれて……楽しい思い出を一緒に作ってくれて──」

「待って、待ってくださいアズサちゃん!」

 

 アズサが戻ってくるつもりがないことを理解したヒフミの懇願は受け入れられなかった。

 そうしなければならない。そうするのが自分の役割だとアズサの決めた覚悟は揺るがない。

 

「ありがとう。

 これ以上私に望むことなんてない。灰色の、教えられた言葉の通りに世界が虚しいものだと思っていた私に、色彩をくれて、ありがとう、ヒフミ。さよなら」

「私は……! まだアズサちゃんとやりたいことが、あるんです! アズサちゃん……」

 

 夜の闇に消えていくアズサを、今すぐにでも立ち上がって追いかけたい筈なのに、ヒフミの身体は言うことを聞いてくれなかった。

 友達が暗い過去に決着を着けるために見せた人殺しの顔ごときで恐怖に竦み動けなくなってしまう自分が嫌で踞って涙を流す。

 

「アズサちゃん……まって、ください……」

 

 アズサにはまだ教えられていない色がある。

 ヒフミにもまだ知らない世界の色があった。

 それを皆で一緒に見に行きたいと伝えることができないまま、アズサは行ってしまった。

 彼女を止められなかった後悔と、もう彼女が帰ってこないことによる絶望を抱えながらヒフミは、ここまでの疲労の蓄積と精神の限界を迎えて意識を手放した。

 

 

 ●

 

 

(また、死ねなかったのですね。私は……)

 

 薬品の臭いでナギサは気を失っている間に、古聖堂から回収されて、何処かの施設で治療を受けているという状況を把握した。

 生きていることの安堵より、死によって解放されなかった苦しみを先に感じてしまう。

 

(私に楽園は作れなかった……もう、終わりたい……終わりになる筈だったのに、どうして生きて……)

 

 包帯を頭に巻かれて片目だけの視界のまま、身体の傷口が開くのを無視して懐のホルスターに手を触れると、そこに彼の遺した銃に触れる感触がない。

 

「あ、あ……ぁっ……ぁ……!」

 

 普段の冷静さを保てていれば、治療行為の邪魔になるため、一時的に外してサイドテーブルにでも置いてあるのだろうと気付けたが、包帯で片目を塞がれた上に涙で滲む瞳では気付けなかった。

 

「ナギサさん……!」

 

 空のホルスターと未だに動いてしまっている心臓の鼓動に触れる手に人の手が触れて、ナギサの手の中に彼の銃が握られる。

 手が伸ばされた方向に首を曲げると、そこにはナギサを少しでも安心させようと微笑むハナコの顔があった。

 どうやら彼女がサイドテーブルに置いてあった銃を握らせてくれたらしい。

 

「……どうして、貴女が」

「今は誰もが自分の役割に手一杯になっています。私も今はほんの少しの隙を見つけて、どうしても直接お伝えしたいことがあって貴女の前に出て来ました」

 

 ハナコと最後に会ったのはセーフハウスで、その時のことを思い出すと、この状況もあってナギサの胸が締め付けられる。

 

「一つは、謝罪を。以前、必要があったこととはいえ、貴女の心を蔑ろにした発言をしたこと、大変申し訳ありませんでした」

 

 この謝罪も必要であることと同時に謝罪をしたところで発言が消える訳でもないことはハナコにもわかっている。

 だけど、今はそれ以上に伝えたい言葉があった。

 

「もう一つは──」

 

 ハナコの口からは現状の報告を受けて、やはり外は地獄の釜をひっくり返したような事態になっていて、暴走した生徒の対処や突然の事に困惑している生徒の避難、それに負傷者の対処に追われていて、シャーレの先生も意識不明の重傷であることを知る。

 

「……こうなってしまった以上、あの方がかつて語った楽園も、貴女が作ろうとした楽園もこの世にはないのかもしれません。誰の想いも届かない。そんな世界かもしれません」

 

 実際に楽園があるとするなら、古則になぞらえるように、そこから出て伝える者が居た場合、そこは楽園でないとされる。

 伝えられず、見ることもできない。そんな場所を証明することは彼にもナギサにもできなかった。

 

「ですが、だからと言ってやめることはできますか?」

 

 だとしても、そうしない理由にはならない。

 ハナコが補習授業部という繋がりで出来た友人の言葉を想起しながら、ナギサに問い掛ける。

 

「私は……」

 

 昔、楽園の話を初めて聞いた時。彼の考えを理解できていなかった。

 彼の全てを理解したとは言えないが、彼の理想を呪いのように抱え込んで、ここまで駆け抜けた自身も、駆け出す前の悲しみに座り込んでしまった自身も、無駄になるようなことはしたくない。

 

「私は……きっと、この夢の残骸を抱えたまま生きることをやめられないと思います」

 

 もう一度が、許されるのであれば、最後まで手を伸ばし続けていたい。

 あの日、自分を連れ出してくれた彼が夢見たモノに指先だけでも届くまで。

 

「……私はそろそろ戻らなければなりません。その答えが聞けたのなら私はもう逃げないと決めました。貴女の愛の行く先を見たくなってしまったことですしね」

 

 ナギサの答えを聞いたハナコは覚悟を決めて、病室を出ていった。

 まだ、ナギサに伝えていない、伝えてはいけないことがあって、それが知られる前に事態を収める必要があった。

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