鬼滅の刃・外伝 水は流れてまた廻る   作:クリアウォーター

1 / 10
第壱話

 第壱話 水が(はし)

 

 

 とうに日は暮れ、すっかり夜の(とばり)が降りたある晩のこと。

 山の夜道を一つの小さな影が駆け抜けていく。

 

「はっ、はっ、はっ、はっ……!」

 

 その正体は、年端もいかぬ少女を抱きかかえて走る少年だった。

 荒い息を吐きながら、額に玉の汗を浮かべ、少年は力の限り両の足を動かしていた。さもなければ──。

 

「にいちゃん……にいちゃん……」

「大じょっ、大丈夫だ! 兄ちゃんがっ、ついてる!」

 

 少し前まで、喉が潰れんばかりに甲高い叫び声を上げていた妹は、もう涙と鼻水でぐしゃぐしゃの顔で、弱々しく自分を呼ぶことしかできない。

 そんな妹を、言葉をつかえながら励ます少年の背後からは、雑草を踏み鳴らし、細枝をへし折り、地面を揺らす、数々の物音が影法師のようにぴったりと追従していた。

 るるるる、と低い唸り声が物音に交じって聞こえてくる。音に追いつかれることは死を意味すると、少年にも妹にも分かっていた。

 今夜は雲がなく、とりわけ明るい満月なのが、兄妹にとって唯一の救いだった。そうでなければ明かりも持たずにこんな山道を走ることなど到底できなかっただろう。まだ一度も躓いていないのは奇跡と呼んでいい。

 ──なんで、なんでこんなことに……。

 自分達の身に降りかかる災難に、少年は頭の中で疑問を唱える。

 朝早くに家を出て、たどり着いた大きな町で用事を済ませて、家に帰る。一緒に行くと言って聞かない妹を連れて行かざるを得なかったので、帰り道が夜になってしまったが、目的は達成して問題はなかった。そう思っていたのに。

 少年は横目に捉えた崖に、裂け目があるのを見つけた。草履を地面に擦らせながら、ほぼ直角に曲がり、子供がどうにか入れる程度しかない幅の裂け目の前に到着する。

 

「奥に入れ! 早く──」

 

 抱えていた妹を裂け目に押し込んで、自分も続こうとしたその時、少年はいきなり着物の襟をぐいと引っ張られた。両足が地面から離れる。

 少年の襟首を引っ掴んで宙吊り状態にしているのは、熊のような図体をした、七尺を優に超える大男だった。しかも全身の肌が死体のように青白く、目は黄色で瞳孔が縦に長い。極め付きは額に生えた二本の角。

 人間離れしたその姿は、”鬼”としか言い表せないものだった。

 

「ちょこまかとよぉ、よく逃げてくれやがって」

 

 鬼は掴んだままの少年を、ずいと顔まで近付けた。にたりと口元を歪めると、鋭い犬歯が覗き、粘っこい涎を垂らす。

 

「まぁ、良しとするさ。餓鬼は食いでがねえが、肉が柔らかくていい。しかも今日は二つもある」

 

 二つ。自分だけでなく妹までも頭数に入れている鬼に、少年の心のほとんどを占めている恐怖を、別の感情が一瞬だけ上回った。

 

「わ、わああああ!!」

「ぎゃっ!?」

 

 掴まれた際にとっさに握っていた尖った石を、少年は鬼の黄色い目玉に押し込んだ。

 鬼がたまらず手放したところで、今の内に妹を連れて逃げ出そうする少年だったが、気付けば地面を転げていた。鬼が腕を払った拍子に、その爪が着物の端に引っ掛かり、そのまま薙ぎ払われたのだ。

 

「やってくれたな糞餓鬼ぃ!」

 

 鬼は憎々しげに呻きながら、右眼に刺さった石を抜き取った。すると、その傷口から肉がせり上がり、みるみる内に治っていくではないか。目元を手で拭うと、もう出血さえしていない。

 

「よし決めたぞ。お前は最初に目玉を一つずつほじくり出してから喰ってやろう。そしたら次はそこの奥に入ったちびだ。引きずり出したら、またさっきみたいに喚いたりできないように、始めに喉を掻っ切ってやる」

「あ……うあ……」

 

 今度こそ少年は、恐怖と絶望で完全に動けなくなった。せめて妹だけでも逃がしたかったが、もう起き上がることもできない。こんな最期を迎えるなんて、本当に夢にも思っていなかった。むしろこれは現実でなく、悪夢の中なのかもしれない。

 鬼の右手がどんどん近付いてきて──その手が地面にぼとりと落ちた。

 

「……え?」

 

 またも理解できない事態が起きた少年の前に、いつの間にか一人の男が立っていた。

 海のように深い青色で描かれた青海波(せいがいは)模様の着物。手にはうねる波のような刃文の打ち刀。刃の鍔元には何やら文字が刻印されているようだが、よく見えない。その刀身は月明りのせいなのか、妙に青く輝いている。

 ──誰……? お侍……? 

 その瞬間を見ていなかったが、その手に持った刀で鬼の手首を斬り落としたであろう、短く髷を結った総髪の男は、少年の方を振り向くことなく、目の前の鬼を見据えている。

 

「お……おおおお!? 誰だてめえ!」

 

 血を噴く手首の断面を抑え、鬼が後ずさりしながら叫んだ。

 

「なんだ、鬼狩りとやり合ったこともないのか。何も知らん雑魚鬼だな」

 

 低く冷たい声で男が呟く。

 一方の鬼は雑魚と呼ばれたことで、顔中に青筋を立てて、歯をむき出しにした。

 

「殺す!! 芋侍(いもざむらい)、てめえは肉の塊にしてから喰ってやるぁ!!」

 

 怒り心頭の鬼はすぐ近くにあった木を左手で鷲掴みにすると、根元を蹴りつけた。その力は凄まじく、木は痛ましい音を立てて簡単にへし折れる。

 自らの上背よりも長い木を肩に担いだ鬼に対し、男は何も言わず刀を両手で構えた。得物の長さの優劣は言うまでもない。それに木は大人の胴回りよりも遥かに太く、打ち刀で斬れるものではないのは少年でも分かる。

 しかし、男はまるで動じた様子がない。鬼に新しい右手が生えてきても、その態度は変わらなかった。

 

 ヒュゥゥゥゥゥ――

 

 ふと、風も吹いていないのに、かすかにそんな音がした。音は男の方から聞こえてくる。

 その時、少年の前から男が消えた。次に少年が姿を捉えた時には、男は鬼の腿を斬り付けた後だった。

 

「いくら斬ろうが無駄だ! すぐ治るし、また生える! 刀なんぞで俺は死なねえぞ!!」

 

 鬼は怒声を上げながら木を振り回す。

 当たれば骨が砕け、肉が押し潰される勢いで迫る木に対し、男が刀を向けた。

 弾き飛ばされるか、へし折れるか。二つに一つしかないと少年が思っていると、男が振るった刀は木を両断した。まるで大根でも切るかのような呆気なさだった。

 両腕を交差させ刀を構える男が、更に鬼との間合いを詰める。

 ここで初めて、死なないと豪語していた鬼が、恐怖の表情を浮かべた。中ほどまで斬られた木を放り捨て、刀が振るわれる軌道上に、両腕を重ねて防御を図る。だが──。

 

「水の呼吸 壱ノ型“水面(みなも)()り”」

 

 ザン! 

 

 男の一刀が、受け止めようとした両腕諸共に鬼の太い頚を斬っていた。

 見間違いか、少年はその水平斬りの太刀筋に、宙を奔る青い水流を見た気がした。

 

 

 

 鬼の頭と両腕が、鈍い音を立てて地面に落ちる。

 恐怖と驚愕の表情を浮かべた鬼が、声も出さずにぱくぱくと口を動かす。先ほど斬り落とした右手とは異なり、再生が始まらない。それどころか、頭も両腕も残った体も、その全てが崩れていく。遂には全身が崩れ去り、鬼の体は塵も残さずに消滅した。

 そこまで見届けて、男は刀を鞘に収める。

 

「さて……」

 

 男が少年の方へ首を向けると、倒れ伏していた少年はすでに立ち上がっており、崖の裂け目に向かって走り出していた。鬼に地面を転がされた拍子にできた擦り傷など、気にも留めていない。

 

「大丈夫か? 怪我は?」

「にいちゃぁん……」

 

 裂け目から出てきた妹の両肩に手を置き、妹の状態を確認する少年。

 それまでずっと押し黙っていた妹は緊張の糸が切れたのか、少年の着物に顔をうずめて泣き出した。

 しゃくり上げる妹の背中を優しく叩く少年だったが、その顔は沈んだ表情をしている。

 それでも男が近付くと、ぺこりと頭を下げた。

 

「あ、あの、ありがとうございました。お侍様」

「いやいや、俺ぁ侍じゃない。“鬼殺隊”の鬼狩りさ」

「きさつ? 鬼狩り?」

「そうとも。さっきみたいな鬼を斬るのが俺の仕事でな」

 

 六尺近い自分の上背では、面識のない相手──特に(わらべ)には威圧感を与えてしまうので、男は片膝を着いて少年の目線に合わせてやる。

 

「俺の名は潤間(うるま)辰綱(たつつな)。ところで、えらく浮かない顔してどうした? そもそもこんな夜中に童が二人でどうして山に?」

 

 辰綱の問いかけに、少年は少し迷うような素振りをしてから、ぽつぽつと事情を話し始めた。

 要約すると、この山を下りてしばらく先に行った所にある村に住むこの兄妹は、病に罹った母の為に薬を買いに町まで一日がかりで出かけていた。その帰り道で鬼に出遭ってしまい、逃げ出した拍子に薬は落とし、鬼に踏み潰されてしまったそうだ。

 

「おっ父が死んじまったばかりなのに、おっ母まで死んじまったら……。それに薬代だってほとんど村の皆から借りたもんだったのに、肝心の薬は失くしちまって……。もうどうしたらいいか……」

 

 少年は唇を真一文字に引き結んだ。これ以上喋っていると悲しみと後悔で、言葉と一緒に涙まで零れてしまうのだろう。

 そのいじらしさを前に、辰綱はある考えが浮かび、立ち上がってから顔を上げて口笛を吹いた。ひょろろろ~、と気の抜けた、それでいてよく通る音が辺りに響く。

 すると一羽の鴉がどこからともなく現れ、口笛に応えるようにひと鳴きしてから辰綱の肩に停まった。兄妹は揃って目を丸くしている。

 

「この子らが買った薬を、鬼が駄目にしたそうでな。誰かここから一番近い大きな町にいる医者の所に行かせて、同じ薬の用意を。場所は後で教えるから、この子らの所まで届けてやってくれ。頼んだぞ」

 

 鴉は辰綱の指示をじっと聞いてから、またひと鳴きして飛び立っていった。

 

「カラスとしゃべれるの?」

 

 辰綱と鴉のやり取りを、少年の後ろに隠れて見ていた少女が不思議そうに訊ねた。

 

「鴉とと言うか、鴉がと言うか……今のは“鎹鴉(カスガイガラス)”って特別に利口な鴉なんだよ。お前達のおっ母の薬を持ってくるように頼んどいた」

「ほんと!? おっかあ元気になる?」

「薬飲んでしっかり休めば、多分な」

「あ、あの!」

 

 母親が元気になると知らされ、目を輝かせる少女とは対象に、会話に割って入った少年の方は、ひどく不安げな顔をしていた。

 

「あぁ、明日の昼にはさっきの鴉が届けに行くだろうから、目印に家の前で待っててやってくれな」

「そ、そうじゃなくって、どうしてそこまでしてくれるんですか? 会ったばかり俺達なんかに……」

「そりゃ決まってる」

 

 不可解そうな少年に、辰綱はあっけらかんとして答えた。

 

「お前の妹が三里先まで聞こえそうなくらい叫んでくれたから、鬼の居場所がすぐ分かった。それに俺が到着するまで、お前が俺の代わりをしてくれた」

「代わり? 俺は何も……」

「あの鬼の片眼に血の痕があった。抵抗して妹を守ったんだろ? さすが兄貴だ。鬼を狩り、人を守る俺の仕事をお前達が手伝ってくれた。こりゃ礼の一つもしなけりゃ、罰が当たるってもんだ」

 

 辰綱がそう言うと、妹の手前堪えていた少年が、安堵からとうとう泣き出した。

 

「おいおい、ここは喜ぶところだぞ?」

「だっ、だっで……」

「にいちゃん、平気? お顔に血のついてるところ、痛い?」

 

 すすり泣きながらも、自分を心配する妹の頭を撫でる少年を前に、辰綱は再び膝を落として目線を合わせた。

 

「でもな坊主。俺ができるのはここまで。これから先、家族はお前が支えてやるんだ。それと夜は出歩かないこと。これだけ月の明るい日でも、月明りも届かない暗い場所は尚更。誰かが夜に出かけようとするなら引き留めてやれ。できるか?」

 

 辰綱の問いかけに、少年は涙と鼻水を拭ってから、こくこくと何度も頷いた。

 

 

「よぉーし……よっ!」

「ひゃっ!」

「わ、わ……!」

 

 そんな真剣な面持ちの少年に、辰綱はほんの少しだけ笑みを浮かべてから、兄妹を左右それぞれの肩に乗せて立ち上がった。

 

「村まで送ろう。なぁに、あとは大船に乗ったつもりでいろ」

 

 

 

 翌日。朝早くから家の前で待っていた兄妹の下に、昼前には鴉から袋一杯に詰まった薬が届けられ、母親の病状も快方に向かっていく。

 そして少年はこの夜の出来事を決して忘れはしなかった。何十年もの時が過ぎようが、周りに鬼の存在を信じてもらえなかろうが、鬼狩りの辰綱と交わした約束をひたすらに守り続けるのだった。

 

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。