鬼滅の刃・外伝 水は流れてまた廻る   作:クリアウォーター

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第弐話

 第弐話 腹を満たし、心を潤す

 

 

 この世には鬼がいる。

 鬼は曖昧な御伽噺(おとぎばなし)だけの存在ではなく、現実に確固として存在する。

 鬼は夜の闇に紛れて人を喰らう。

 肉体は人間よりも遥かに強靭で、傷を受けようがたちどころに再生し、病になど罹らず、寿命は無きに等しく──そして元は人間だった。

 そんな無敵に思える鬼にも致命的な弱点はある。

 一つは陽光。鬼が太陽の光を浴びれば、その肉体は燃え尽きるように崩れ、骨も残らない。全ての鬼は、誰に教わらずともこれを本能的に知っている。

 もう一つは──。

 

 

 

 ギャリンッ!! 

 

 雑木林の中で金属と金属がぶつかり、擦れ合うような音が響く。

 青海波模様の着物の男が、手にした刀で鬼の一撃を防いだのだ。

 男を襲う猫背の鬼は、四肢の爪が全て小刀のように長く鋭い。

 人間など簡単に切り刻める。実際にこれまで何人もの人間を襲っては切り裂き、喰らってきた。

 

「くそっ、くそが……!」

 

 そんな鬼は木の上で、息を荒げて悪態を吐く。

 鬼はこれまでも、鬼狩りを相手にしたことがあった。

 鬼狩りは色のついた刀身の打ち刀を持っている。まだ鬼になったばかりの頃、鬼狩りの持つ刀で頚を斬られかけた時、あれで完全に頚を断たれたら死ぬと、直感で体が理解した。

 そんな鬼狩り達も、鬼は返り討ちにしては喰ってきた。人を喰ったばかりで腹が膨れていた時は、じわじわと甚振(いたぶ)りながら肉片になるまで八つ裂きにしてやったこともある。

 ──こいつ……こいつ! 今までの鬼狩りと違う! 

 普通ならとっくに肉片の山にできるくらいの時間が経過しているのに、鬼狩りはまだ生きていた。

 ──おかしいだろ。どうして刀一本で俺の爪が全部防がれてんだ……!? 

 戦闘が始まってから、鬼の爪は着物の端々をわずかに掠めるだけで、肝心の鬼狩りの体には一切届いていない。全て捌かれている、見切られている。これまでそんなことができる鬼狩りに、鬼は遭ったことがなかった。

 

 ヒュゥゥゥゥゥ──

 

 風鳴りに似た音がした。音はこちらを見上げる鬼狩りから聞こえてくる。

 鬼はこの耳障りな音が何か知っている。鬼に及ぶべくもない人間が、自らの身体能力を引き上げる、特殊な呼吸法により発せられる呼吸音だ。

 

「水の呼吸 弐ノ型──」

 

 ここまで鬼の攻撃を捌くだけだった鬼狩りが動いた。一息で大人三人を縦に並べても届かない高さを跳躍し、木の上の鬼に迫る。

 

「“水車(みずぐるま)”」

 

 肌が粟立つのを感じる前に、鬼は回避に動いた。

 鬼狩りは体ごと一回転し、縦に円を描いた一太刀で、それまで鬼が足場にしていた太い枝と左腕を斬る。

 切断面から血飛沫を辺りに撒き散らしながらも、鬼は片腕を失った痛みを無視し、地面に着地してすぐに振り返る。腕などどうでもいい。どうせまたすぐに生えてくる。

 それよりも今は鬼狩りを殺すことが先決だった。

 ──馬鹿が、仕留め損ねたのが運の尽きだ! 

 鬼に少し遅れて着地した鬼狩りは背を向けている。この好機を逃す手はない。

 鬼は得物を狙う山猫さながらに駆け出した。両足の爪を程よい長さに調節して、地面を掴んでより速度を上げる。

 

「シャアアアアア!!」

 

 鬼が右手の五指を伸ばし、加えて爪をもう一尺分伸ばし、一直線に鬼狩りへと突き出した。もう振り向く間も与えない。背後からその心臓を貫けると確信した瞬間──。

 

「え?」

「──参ノ型」

 

 鬼の爪は空を切るだけで終わり、呆けた声が口から漏れた。

 背を向けたままの鬼狩りが、何故か体一つ分だけ横に移動していた。それまで狙いを定め、しっかりと見据えていたはずなのに、攻撃が躱されている。

 ──いつ移動した? 意味が分からない。これが人間の動きか? これが──。

 

「“流流(りゅうりゅう)()い”」

 

 鬼の疑問に答える者はいない。その代わりとばかりに、生え始めていた左腕を含めた四肢、そして頚が、多方向から一息で斬り落とされた。

 

 

 

 流れる水のような動きで一撃を避け、頚と四肢を斬った鬼が跡形もなく崩れ去るのを見届けると、鬼狩り──潤間辰綱は刀を鞘に収めた。

 鬼狩りの組織、鬼殺隊の隊士が持つ刀“日輪刀”。日光を吸収する性質を持つ、特殊な鉱石から作り出されたこの刀は、鬼の頚を斬ることで太陽の光以外で鬼を殺せるほぼ唯一の武器である。

 その(はなだ)色をした刀身の鍔元には、『悪鬼滅殺』の四文字が彫られていた。

 

「潤間殿!」

 

 自分を呼ぶ声に辰綱は振り返る。

 辰綱の名を呼んだのは、黒子に似た装束を纏った男だった。顔も目元以外は帽子と布で隠されている。

 彼は鬼殺隊に所属する事後処理部隊、“(カクシ)”の一員である。先刻、辰綱が斬った鬼に襲われていた一般人を、戦いに巻き込まない場所まで移動させていたのだ。

 

「負傷者の手当は完了。命に別状はありません。今は安全圏でもう一人がついています」

「そうか。丁度こっちも片付いた」

「お見事です。あ、着物が……」

「やたらめったら、無駄に動き回る鬼だったんでな。下手に手負いにしてそっちを追いかけられても困るから、確実に仕留められるまで動きを把握する必要があった。それよか……」

 

 辰綱は自身の破れた着物の端を摘まみ、溜め息を吐く。

 

「雑魚とまでは言わんが……特別強いわけでもない鬼に、こうもいちいち破られてちゃあ敵わんな」

「うちの縫製係も強い繊維の開発に試行錯誤しているのですが、中々難しいようでして……」

「まぁ、犠牲がなかっただけよしとするさ。ここは任せていいか? 今夜はまだ他の区画も見廻らにゃならん」

「御意に。どうかお気を付けて」

「気を付けて?」

 

 隠の労いの言葉に、辰綱は喉を鳴らして口角を上げる。

 

「気を付けるのは俺じゃなく、鬼共の方さ」

 

 そう言って、鬼殺隊最高位である九名の隊士、“柱”の一角である“水柱(みずばしら)”はその場を後にした。

 

 

 

 翌日の昼。

 客で賑わう一軒の料理茶屋で、辰綱は昼飯をとっていた。

 畳に胡坐で座る辰綱の前に置かれたいくつもの膳には漬物、野菜の煮しめ、煮豆、煮魚、焼き魚、刺身、吸い物。しまいには白米の入った丼だけでなく、傍らに大きな飯櫃(めしびつ)まで置いてある。それらの内の半分をすでに辰綱が平らげていた。

 夜に鬼を狩る鬼殺隊だが、昼日中なら暇というわけではない。特に多忙極める柱の辰綱にとっては、こうして落ち着いて昼食をとるのも久々のことだった。

 

「さあさ食え食え。お代は俺が持つんだ、遠慮すんなよ。もっと頼むか?」

 

 辰綱の向かいに座る総髪の青年は、そう促されるも表情はやや苦しげだった。

 

「もう充分……。兄者みたいに関取より入る胃袋していないんだ」

「何言ってんだ左近次(さこんじ)、飯で体ができるんだ。食わずに力が出るかよ。弟弟子が空腹で鬼にやられた日にゃあ、俺ぁ泣くに泣けねえよ」

「だから充分食べたって……うぷ」

 

 青年の名は鱗滝(うろこだき)左近次。辰綱の扱う剣術流派、“水の呼吸”を共に学んだ同門である。

 そんな左近次が呻くのもむべなるかな、置かれている食事は一度同じものを食べ終えてから再び注文したものである。

 流れる水と雲の柄をした着物の帯を緩め、膨れた腹をさする左近次。

 その左近次の分まで、辰綱は箸を伸ばしながら口を開いた。

 

「それで? 分かってたろうに、しこたま飯を食わそうとする兄弟子の誘いに付き合ってくれたのはどうしてだ?」

 

 そう訊ねてから、新香を一度に数切れつまみ、白米を掻っ込む辰綱。

 

「実はその……前に任務に出た時、また馬鹿にされて……」

「お前の力量も分からん、ましてや鬼共の言うことなんぞ、気にしなくていいと思うがな」

「それでもこう何度も言われたら、流石に悩む。鬱憤が溜まって仕方ない」

 

 左近次はうなだれ、辰綱から結った髷がよく見えた。

 確かに左近次の顔立ちは、非常に柔和だ。垂れ目垂れ眉も相まって、虫も殺せなさそうである。日輪刀を腰に差していなければ、とてもじゃないが剣士とは思えない。

 

「それで何日か前に任務を共にした、桑島(くわじま)殿にも同じ相談をした」

「あぁ、あの“雷の呼吸”の……。それで何て言われた?」

「いっそのこと、面でも着けたらどうかと」

「んむっ!?」

 

 予想だにしなかった答えに、口の中の飯を吹き出すまいと、辰綱は自分の口を手で塞いだ。

 

「んぐ……面ときたか。面白いこと言う奴だな」

「兄者はどう思う?」

「そうさなぁ……俺はお前とは逆に怖がられるからよ、その顔立ちが少しばかり羨ましくはあるな」

 

 鬼相手はともかくとして、帯刀していることを差し引いても、助けた人々に怖がられることは辰綱にとって珍しくない。大柄な上に目つきは鋭い三白眼なので尚更だ。それを何も思わないわけでもない。

 

「……ま、いい加減うんざりしてるってんなら、それもいいんじゃないか? 多少の防具にもなるだろう。それに左近次なら鼻が利くから、面でいくらか視界が狭まったところで問題なかろうし。ゆっくり考えな」

「…………」

 

 考え込むような様子の左近次をよそに、店の給仕が注文していた徳利と杯を運んできた。

 

「……兄者」

「ん? どうした?」

「一杯付き合っても?」

「そりゃ構わんが……お前さん下戸だろう」

「たまにはいいかと」

「ふぅん、珍しい……」

 

 どういう風の吹き回しか、苦手な酒に挑戦しようとする左近次に杯を渡し、徳利の中身を注いでやる。

 

「鬼殺隊に」

 

 もう一つ頼んだ杯を掲げ、辰綱は左近次と乾杯した。

 案の定、左近次は一杯で顔を真っ赤にして、すぐに大の字になって眠ってしまった。わざわざ酒に付き合ったのは、相談に乗ってくれた礼のつもりだったのかもしれない。悩みを打ち明けた分、肩の荷がいくらか降りたのならいいのだが。

 辰綱は残っていた料理は全て平らげ、一食としては安くない(頼んだ量相応だが)勘定を済ませてから、つぶれた左近次を担いで店を出る。

 弟弟子との久々の食事と会話で、十二分に英気は養えた。

 そしてまた、夜に辰綱は刃を振るう。人を仇なす鬼を滅するために。

 

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