鬼滅の刃・外伝 水は流れてまた廻る   作:クリアウォーター

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第肆話

 第肆話 火に油

 

 

 人が前触れなく行方知れずになることを、この国では古来より“神隠し”と呼ぶ。

 実際の真相は様々な理由があるのだろうが、ともかくこの手の人が失踪する、あるいは変死体が発見される事件には、鬼が絡んでいることがある。

 それらの情報を鬼殺隊は収集し精査、最終的には隊士らに任務として振り分けられていく。

 そして今日もまた、伝令役の鎹鴉を通じて、辰綱に一つの任務が舞い込んできた。

 鎹鴉曰く、『某地域の村々で無差別に人が失踪している』という。それに『調査に向かった隊士数名の音沙汰もない』とも。

 

 

 

 任務を受けた辰綱が、昨晩に人が消えたというその村に着いたのは、その翌日の昼過ぎだった。

 娘が失踪したという、村で一番立派な造りをした屋敷に赴くと、屋敷の当主夫婦から話が聞けた。

 二日前、家族全員揃って夕飯を食べ終え、その後しばらくして娘を呼んでも返事がない。部屋はもぬけの殻、家のどこを探しても見つからない。人を呼んで、村とその近辺を夜通し探しても成果はなかったという。

 夫婦は憔悴した面持ちで、辰綱に事細かに事情を説明した上で、手がかりになればと屋敷のあちこちを見せてくれた。よそ者の辰綱にここまで協力するのは、もう藁にも縋る思いなのだろう。

 ──家の裏口か庭で、家事なり作業なりをしていた時を見計らって攫われた……ってところか。

 辰綱は屋敷を後にし、村を見て回りながら推測を立てていく。

 すでに人間関係のいざこざで起きた事件ではないことは確定している。先に任務に当たった隊士らまで失踪している以上は十中八九、鬼が関わっているのは間違いない。だからこそ柱の辰綱にまでお鉢が回ってきたのだ。

 問題なのは、攫った痕跡が一切残っていないこと。力ずくで攫ったのなら、少なからず荒らした形跡が残るはずだし、そこらの鬼がせこせこと隠蔽処理をするとは思えない。

 つまりは腕っぷしに任せて、好き勝手に人を喰うだけの雑魚ではない。何らかの特殊な能力を持った、異能の鬼の仕業と見るべきだ。

 ──搦め手が得意なだけか。それとも……。

 見知らぬ浪人(少なくとも大概の人間は、勝手にそう判断する)に警戒と奇異の目を向ける村人らに構うことなく、辰綱は頭の中で次にすべき行動を組み立て、鬼を狩る算段を立てていった。

 

 

 

 太陽が地平の向こうに姿を消し、入れ替わるようにして月と星が夜空に輝く。

 昼間に着いた村から四里ほど離れた場所に位置する森。月と星の明かりをほとんど遮る木々の中を、辰綱は提灯も持たずに歩き回っていた。任務をこなしていく内に、自ずと夜目が利くようなっているので、手持ちの明かりはむしろ片手が塞がって邪魔になる。

 ──村の役場で確認した地図からして、おそらくはここなんだが……。

 この地域で起きた一連の失踪事件は起きた順番から、発生現場が一定の方角に移動しているわけではない。南西の村の次は東の集落、その次は西、北東、南と方角がてんでばらばらだった。

 距離はまばらだが、これら周辺地域のおおよそ中心に位置するのが、この森である。

 そういった縄張りを決めて狩場にするのも、鬼の特徴の一つで──故に自分の縄張りに侵入者が入ったことを、すぐに察知する鬼も多い。

 

「ヒャアッ!」

 

 奇声とともに背後から迫る一撃に、すでに気付いていた辰綱は振り向きざまに刀を抜いて迎え撃った。

 スカァン! と小気味のいい音。それを追うようにして地面に落ちたのは、柄杓の先端だった。

 背後から辰綱を襲ったのは、頭に手拭いを巻き、大きな桶を背負った油売りのような格好をした男だった。その手には、辰綱に斬られて柄しか残っていない柄杓を握りしめている。

 腐った藻の色をした肌、尖った耳と爪、それと縦長の瞳孔は鬼であることは疑いようもない。

 何もさせない内に始末しようと辰綱は動き──。

 

「お、お、お、お見逸れしやしたー!」

 

 鬼は斬られた柄杓を放り捨て、なんと土下座を決め込んだ。これまでも戦闘が始まってから力の差を理解し、命乞いをする鬼も中にはいたが、奇襲失敗から即土下座をする鬼に遭うのは初めてだった。

 

「いやぁーお強いっ! 不意打ちを対処する冷静さといい、即座に戦闘を始められる対応力といい、相当に場数を踏んでいるものとお見受けしやした! 鬼狩りの旦那、お名前を聞いても?」

 

 揉み手をしながら自分を持ち上げて誉めそやしてくる鬼に、辰綱は取り合う気はなかった。

 

「鬼に名乗る名はねえよ。どうせ斬るしな」

「わー!? 待った待った! これまで捕らえた人間も返しやす! 居場所教えやす!」

 

 構わず斬り捨てようとしていた辰綱は、その鬼の一言に手を止めた。人間を一度に喰うのではなく、食糧として確保しているらしい。

 

「……生き残りがいるのか」

「へい! どうでやしょ? かーなり分かりにくいでしょうから、水先案内人がいた方が便利かと。へへ……」

「どの口で言ってんだ」

 

 元凶である鬼は迅速に狩るべきだが、その後の救出に時間をかければ、攫われた人々の命を脅かす恐れがある。二つを天秤にかけた辰綱は、やむなく人命を優先した。

 

「……案内しろ。妙な動きしたり罠と判断すりゃ、その場で頚を斬るからな」

「も、もちろんで。罠だなんて滅相もない……ささ、どうぞこちらでさぁ」

 

 平身低頭な態度を崩さない鬼に、辰綱は日輪刀を鞘に収め、渋々付いていく。

 しばらく歩いて着いた先にあったのは、一軒の廃寺だった。原型をどうにか留めているが、少し地震が起こればそのまま倒壊しそうなほどに荒れ果てている。

 ──村の地図には記載がなかった。何十年も昔に打ち捨てられて抹消されたか。

 これは確かに、知らずに見つけるのは難しかったかもしれないと辰綱が思っていると、鬼が「こちらでさ」と手招きをして外壁に開いた穴に入っていく。

 辰綱が後に続くと、そこはある程度の広さをした大部屋だった。おそらくはこの寺の本堂に当たる場所だったのだろう。

 

「いやはや、あっしは昔から『痛み』ちゅうもんが苦手でしてねぇ。自分が怪我するのはもちろん、他人が痛がったり苦しんだりするのでも、どーにも駄目でして。特に悲鳴なんて聞いた日にゃもう……」

 

 ぶるぶるっと頭を振りながら、鬼は部屋の隅の特に暗がりの方へ歩いていく。

 

「あっしも生きるためにゃあ、人を喰らわずにゃいられやせんが、なるだけ痛みも苦しみもなく、安らかにあの世に逝ってもらうんでさぁ。さて、明かりつけやしょう」

 ぱちん、と鬼が指を鳴らす。すると、部屋の八方で同時に蝋燭の火が灯った。

 それでも薄暗い部屋の一隅には、鬼が背負っているものと同じ大きさの桶が十個近く置いてあった。蓋をしていても、そこから嗅ぎ覚えのある匂いが辰綱の鼻孔を突く。

 

「……あっしの油は特別でしてねぇ。肺を満たしても呼吸ができるんでさぁ。吸い込めば段々と意識がぼやけて眠くなっていく」

 

 鬼は淡々と話しながら背負っていた桶を板張りの床に下ろし、重ねて置いてあった桶の一つを持ち上げて辰綱に向けて置く。

 

「油は数日かけて体の中にゆぅっくり沁み込んでいって、最後には蒸発する。そしてぇ──」

 

 大人一人を詰め込めそうな桶の蓋を鬼がこじ開けると、むせ返りそうなほどの血の匂いが部屋を満たした。

 

「内側から溶けて肉も髪も血も骨も、それに汗の沁み込んだ着物も、全部が絶妙な塩梅で混ざり合った、極上の逸品が出来上がるんでさぁ。そうなった本人は、気付きもせずにお迎えが来るって寸法でねぇ」

 

 鬼は左の手のひらから柄杓を生み出し、右手でそれを引き抜くと、その柄杓で桶の中身を掬い取った。

 

「んん、上出来。旦那も一杯どうです? ほら」

 

 柄杓の中身をすすった鬼はさも美味そうに舌鼓を打つと、辰綱に柄杓を向ける。

 その赤黒い液体はかつて人間だったもの、この鬼に攫われた者の末路だった。

 

「……俺みたいに刀を持った奴らはどうした?」

「刀? あぁ! いやしたね、そんなのも。瑞々しい若い肉はいいもんだ、味の深みが違う! 逆に年寄りはいまいち、出涸らしとまでは言いやしませんがね。金物は油への溶けが悪いんで、刀はここの裏に捨ててやすが」

 

 任務に派遣された隊士達が戻ってこない以上、結果は半ば分かっていた。

 隊士達から姿を隠してやり過ごすこともできただろうに、この鬼は誰一人として逃がさなかったのだ。己の腹を満たす食糧の方から出向いてくるなど、願ったり叶ったりだったろう。

 

「…………そうか」

 

 辰綱は返事と同時に、一息で鬼との距離を詰めた。振るった刃は、桶を挟んで向こうにいた鬼が持つ柄杓をまたも斬り、器部分と共に落ちた中身が床に零れ落ちる。しかし肝心の鬼には、横っ飛びで避けられていた。

 

「生き残りがいるってのは嘘か?」

「嘘? 滅相もない! あっしは生まれてからこっち、正直者で通ってきた男。何人かは眠ってるだけ、まだ生きてやすよ。今日中に処置をすりゃあ、助かる者もいるでしょう。それに約束通りこの場所に旦那を案内もした。捕まえた人間を返す、ってえのも何も噓じゃあない。ただ……」

 

 下手に出る話し方は変わらないが、どこか小馬鹿にした調子でいけしゃあしゃあと反論する鬼は口元を歪めた。

 

「返そうにも受け取る相手がいないんじゃあ、返しようがありやせんでしょう?」

 

 そうして鬼は肩を震わせ、とうとう堪えきれないとばかりに耳障りな声で笑い出した。

 これ以上の会話は無駄と、辰綱は床を踏み込み、両腕を交差させて鬼に迫る。

 

「壱ノ型“水面斬り”」

「うおっと!」

 

 鬼の頚に水平斬りが決まる直前、鬼の頚筋から液体がどろりと噴き出した。刀が液体に接触すると、強い抵抗感が発生する。そして、鬼が液体に覆われた頚を傾けると、辰綱の技は鬼の体を滑るだけに終わった。

 ──粘っこい油みたいだな。こっちの斬撃を一瞬だけだが受け止めた上に、上手く逸らしやがった。

 

「危ねえ危ねえ。これがほんとの脂汗ってね」

 

 汗のように肌から油を滴らせた鬼は、大部屋を飛び出して外へと出て行く。

 すぐさま後を追うと、鬼は柄杓を片手に辰綱を待ち構えていた。柄杓にはその器に収まらないほどの液体が球状になって揺れている。

 

「そぅら!」

 

 鬼が柄杓を振るうと、柄杓からゆうに五升分はある油の球が飛び出して、辰綱の顔面に直撃した。鬼の油は弾けて飛び散ることなく、そのまま辰綱の頭部を呑み込む。

 

「これがあっしの“血鬼術(けっきじゅつ)”。そいつは並みの力や刃物じゃあ、突き破れやせんぜ」

 

 人を喰らい続けた鬼はやがて、人知を超えた絵物語のような能力を発現させる。

 それが血鬼術。鬼の個体ごとに能力は異なり、鬼の頚を斬る上で最も障害になる要素の一つと言っても過言ではない。

 

「怒りに駆られた人間ってのは分かりやすいねぇ。ほとんど表情が変わらない鉄面皮でも、あっしにゃあ分かる。考えなしに頚を狙ってくるんだもの。そりゃ対策もしますわな」

 

 先刻の説明通り、空気を通すという油に頭が覆われていても、辰綱には鬼の嘲笑がよく聞こえてきた。

 

「無駄な抵抗せずに、そのままあっしの術を吸い込んで眠ったってくだせえ。そうすりゃあ、最期は苦しまずに逝けまさぁ」

 

 傍から聞けば、まるでこちらを気遣うような口振りだが、この鬼の本性を辰綱はもう理解している。

 ──鬼ってのはつくづく……。

 辰綱は溜め息を吐く──のではなく息を吸い始めた。空気と共に入り込んでくる油の異物感に構わず、限界まで息を吸い続ける。そして──。

 

「…………ヒュオアッ!」

 

 ッパァン! 

 

 今度は一気に息を吐き出した。油の球が数十倍にまで急速に膨れ上がり、弾け飛ぶ。

 全集中の呼吸を扱う鬼殺隊士の心肺機能は並みではない。それが全集中・常中を扱い、柱ともなれば、鉄に近い強度の容器をも破裂させられる。

 その光景に鬼は目を剥いたが、今度は自身の真上に柄杓で弧を描く。すると、先ほどの油の球と同様のものがいくつも発生した。

 

「こりゃあ、たまげた。まさか息だけで術を吹き飛ばすたぁ。こうなりゃ少し痛い目みてもらいましょ。血鬼術“油塊(ゆかい)つるべ打ち”!」

 

 鬼が柄杓を突きつけると、浮かんでいた油の球が辰綱へと殺到する。

 液体とはいえ、あれだけの質量が高速でぶつかれば、骨が折れてもおかしくはない。

 

「漆ノ型──」

 

 それでも辰綱は焦ることなく、日輪刀の切っ先を正面に向けて構えていた。

 

「“(しずく)波紋(はもん)()き・村雨(むらさめ)”」

 

 辰綱は腕が増えて見えるほどの速度で連続の突きを繰り出す。その全てが油の球の中心を打ち抜き、残らず破裂させた。

 

「……鬼ってのは軒並み碌でもない存在だが、その中でも偶にいるんだ。お前みたいなに輪をかけて性根の腐った塵屑(ごみくず)がよ」

 

 辰綱は吐き捨てるようにそう言って、鬼に向かって歩き出す。

 それまで薄笑いを浮かべていた鬼は、とうとう真顔になって柄杓で小さく円を描いた。すると、辰綱の足元の地面から油が湧き上がり、辰綱の体に纏わり付いてくる。更には先の攻防で周囲に散った油までもが寄り集まり、辰綱をすっぽりと包み込んでしまった。

 

「血鬼術“人灯籠(じんとうろう)”」

 

 鬼がぱちんと指を鳴らすと、辰綱を包む油の塊が一気に炎上する。

 先のひとりでに灯った蝋燭といい、どうやらこの鬼は血鬼術で生み出した油を、遠隔で燃やすことができるらしい。

 そう判断しながら、辰綱は即座に上半身と下半身を反対方向にねじっていた。水の呼吸には、こうした空間でこそ本領を発揮できる技もある。

 

「残念だが、あんたを喰うのは諦めやすよ。骨も残らず焼け死に──」

 

 ──陸ノ型“ねじれ(うず)”。

 鬼が言い終える前に、燃える油が渦巻いて全周囲に刃となって拡散した。

 

「は? っぎゃあああ!!」

 

 術を破られた鬼は、炎の刃に刻まれ悲鳴を上げた。我が身を焼く火を消そうと、必死になって地面を転げ回る。

 ようやく体の火が消えた鬼を、辰綱は体の端々に煙を燻らせながら冷然と見下ろしていた。

 

「一つだけ教えといてやる。俺は別段、お前のやり口に怒ったわけじゃない。常日頃から(おまえら)に対して怒ってんだよ。ずぅっと昔からな」

「ひ、ひぃっ……!」

 

 鬼は飛び起き、全身から油を滴らせて逃げ出した。

 もちろん辰綱は見逃す気はない。逃げに徹する相手は討ち漏らすことがないよう、一撃で頚を断つのが吉。

 

「壱ノ型──」

 

 やり方は他にもあるが、やり過ごされたまま終わるのは癪だった。だから壱ノ型で決める。ただし、通常とは少し異なる形で。

 鬼を追う辰綱は、通常の腕を交差させる構えではなく、両手で刀を握る。

 

「“水面斬り・(なぎ)”」

 

 両手で刀を握って放たれた水平斬りは、通常の壱ノ型よりも速度を増し、細波一つ立っていない凪いだ水面の如き切り口で、鬼の油など意にも介さずその首を断った。

 

「地獄の閻魔に減刑でも乞いな。そのよく回る口でよ」

 

 

 

 辰綱が放った技により、飛散した油の火が移った廃寺は、今や景気よく燃え盛っている。

 鬼の消滅を見届けた辰綱は、すぐに大部屋で油の桶に入っていた人々の救出を開始した。

 最終的に救助が間に合ったのは、辰綱より前に任務を受けていた隊士一人を含めた、四人だけ。

 鬼が死んだ時点で、血鬼術で生み出されていた油はひとりでに蒸発していったが、血鬼術により発生した事象そのものが消えるわけではない。他の桶の中にいた者達は、人の形を保っていないか、すでに事切れていた。

 そこで、まだ着物の切れ端や装飾品が残っていた者は形見として回収し、後はそのまま火葬することにした。原型もない痛ましい遺体を家族の元に持ち帰るよりも、ここで眠らせた方がいいだろう。

 炎の煙は狼煙の役割も果たし、今は到着した隠の部隊が被害者達の手当をしている。

 

「おー、痛てて……」

 

 ごくわずかな時間であっても、全身を発火した油に炙られたせいで、辰綱は体のあちこちに火傷ができていた。

 ──結局は一介の鬼だったか。とはいえ……。

 

「こりゃ後で全身水ぶくれだな……う~……」

「もし、そこの御方」

 

 火傷に着物が擦れる痛みに辰綱が呻いていると、後ろから声をかけられた。

 振り返ると立っていたのは、小柄な体格をした糸目の女性だった。若いが見た目から年齢の判断が難しい。

 

「この度は命を救っていただき、感謝の申し上げようもございません」

「なぁに、これが仕事だ。ところであんた、二日前に攫われた娘さんだね? 昼間にあんたの村に調査に行ったよ」

「そうでございましたか。あれから二日も経っていたのですね……」

 

 まだほとんど損傷のない着物や見た目から、昼に村の屋敷の主から教えられた特徴と一致する娘は、辰綱に深々と頭を下げた。

 

「体に異常は?」

「特に不調は感じておりません。おそらくは(わたくし)が一番後に捕らえられたからでしょう。それよりも貴方様はお怪我を……」

「これくらい日常茶飯事。あんたが気にする必要はないさ。それじゃ……」

「お待ちくださいませ」

 

 後は隠に任せて去ろうとすると、娘は辰綱を呼び止めて正面に回り込んだ。

 

「是非とも此度のお礼をさせてくださいませ。きっと父も母も、喜んで賛成してくれることでしょう。それに家には、火傷によく効く薬もございます」

「いや、俺は……」

 

 娘の誘いを断ろうとする辰綱だったが、丁度その時、辰綱の腹の虫がぐううと鳴いた。

 

「もちろんお食事もご用意致します。私、料理の腕には自信がございますの。天麩羅(てんぷら)などいかがでしょう? 攫われた日に良い材料が手に入りまして。まだ残っているといいのですが……」

「天麩羅って……あんた大丈夫なのか? さっきまで油ん中に閉じ込められてたってのに」

「どんなに大変な状況でも、人はお腹が空くもの。それに私は気に致しません。もう貴方様に助けていただいたのですから。もちろん他のお食事をご所望でしたら品を変えますが」

 

 一日以上も鬼に囚われていたというのに、穏やかな表情で娘はそう言ってのけた。

 その肝の据わりぶりに、中々の芯の強さを感じた辰綱は、毒気が抜かれた気持ちになって頭を掻く。

 

「まあ……そこまで勧められたら断るのも失礼か。あんたの両親にも、あんたを連れ帰ってくれと頼まれたし。送り届ける義理がなくもない」

「ありがとうございます。ささ、善は急げと申します」

「お、おう。時にあんた──ずっとあんた呼ばわりは失礼か。名前は確か……」

「ひさと申します。どうぞお見知りおきを」

 

 外見に似合わず、ちょくちょく物音を立てず素早い動きをするひさに連れられ、辰綱は戻った村の屋敷からもてなしを受けた。ちなみに言うだけあって、ひさの作った天麩羅料理は大層美味かった。

 結局辰綱は一晩泊まるよう引き留められ、去る時にはひさに火打ち石を使った切り火で送り出された。

 余談になるが、娘を救われたことに恩義を感じた屋敷の主人は、感謝の意を表すために鬼殺隊の活動に対して支援者の一人となった。証として、屋敷の門に藤の花の紋を刻んで。

 後に多くの鬼殺隊員が、ひさを始めとするこの屋敷の者達の世話になるのは、また別の話である。

 

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