鬼滅の刃・外伝 水は流れてまた廻る   作:クリアウォーター

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第陸話

 第陸話 血と潮

 

 

 “海と過ごし、海に生かされ、海で死ぬ”

 それが生まれ育った村の、誰が決めたわけでもない暗黙の信条。俺の生活には、いつも海が傍らにあった。

 自分の将来は漁師一択。町屋の生まれが商人になるように。農村の生まれが百姓になるように。漁村で生まれた俺が漁師になるのは自然な流れで、そこには疑問さえ浮かばない。それに俺は海も漁も好きだった。

 概ね良好だと思える俺の人生で、一つだけ悩みの種があるとするのなら、それは親父との関係だった。

 親父の辰吉(たつきち)は船の繰りから、獲物の位置の見極め、仲間への指示と、どれを取っても村一番の腕前。その腕利きぶりから村長である網元の次女を嫁に貰い、やがて俺が生まれた。

 だが、元々体の弱かった母は産後の肥立ちが悪く、俺を産んでから間もなく亡くなったという。だから俺は母の顔も憶えていない。

 親父は漁の腕以外は不器用な上に基本的に寡黙で、息子の俺にも何を考えているかよく分からない。俺の面倒を見てくれたのは、もっぱら父方の祖父母。それと頻繁に家へ顔を出してくれた、親父の弟である叔父だった。

 そんな祖父母は俺が十歳の頃に流行り病で揃って亡くなり、俺は親父と二人暮らしになった。

 親父と二人きりになると──漁の時は別だが、とにかく間が持たない。ともすれば、他人と二人きりになるより気まずく、息苦しかった。

 俺が十三歳だったある日、親父と喧嘩になった。喧嘩の理由は何だったか、普段なら取るに足らない小さいことだった気がする。

 ただ、その小さな事柄が積もりに積もって爆発した。たまたま虫の居所が悪かったのかもしれない。

 取っ組み合いにまでなったが、同じ年頃の中では一番上背のあった俺でも、長年の漁で鍛えられた親父には敵わない。軽くあしらわれ、最後には散々悪態を吐いた俺は、家どころか村を飛び出した。

 その足で村からずっと離れた大きな町まで行き、家を出た時にかっぱらってきた金で、相撲を特等席で観戦し、寄席の落語に大笑いし、普段より豪勢な飯を腹一杯になるまで食った。

 しばらく遊び歩いたら憂さも晴れ、今度は罪悪感が湧いてくる。これまで飢えることこそなかったが、特別裕福な暮らしをしてきたわけでもない。贅沢には慣れていなかった。

 とりあえず村に帰って、そこから朝まで適当に時間を潰そうと決めた。親父には後で拳骨の一つも貰うだろうが、それは甘んじて受けることにする。

 だからこの時の俺は、帰る場所が無くなっているなんて夢にも思っていなかった。

 

 

 

 玉砂利が敷き詰められ、手入れの行き届いた草花が咲き誇る、美しい庭が見える屋敷の一室に辰綱は通されていた。

 ここは“産屋敷(うぶやしき)邸”。平安より続く歴史を持つ鬼殺隊を代々束ねている、産屋敷家当主とその一家が住まう屋敷。言うなれば鬼殺隊の本部である。

 鬼殺隊は官軍ではない。平たく言えば、幕府にその存在を公にはされていない。鬼殺隊が周知されることは必然、鬼という存在も認めることになるからだ。

 そもそも鬼は死体が残らない以上、その存在を目の当たりにした当事者以外には、認知させること自体難しい。仮に生け捕りの鬼を見せたところで、無用の不安と混乱しか生まないのは(まつりごと)に縁のない辰綱でさえ容易に想像がついた。

 そんな鬼殺隊が人知れず活動できているのは、産屋敷家が隊の活動資金を賄える商才と、裏では幕府にも顔が利くほどの権力を持っている点が大きい。

 日輪刀を自分の横に置き、背筋をぴんと伸ばして正座する辰綱の正面には、白地の下半分に藤色の染模様をあしらった羽織を身に着けた、線の細い男性が座っている。

 この男性こそ、当代の産屋敷家当主、その九十四代目にあたる人物だった。

 

「わざわざ呼び出してすまないね、辰綱」

「滅相もございません、お館様」

 

 辰綱は恭しく頭を下げた。

 一組織の頂点に立つ者の資質なのか、彼の言葉には不思議な心地よさを抱かせる力がある。いつもながらその立ち居振る舞い、今こうして座っているだけでも、辰綱には自分と同じ齢二十三のそれとはとても思えない。

 辰綱が顔を上げてから、両社は見つめ合う形で、しばらくの沈黙。

 気まずさは感じないが、話が進まないので辰綱が口を開こうとした寸前、産屋敷は掛けている丸眼鏡の縁を持ち上げ、くすりと笑った。

 

「頭、随分と思い切ったね」

「んん……」

 

 刀鍛冶の里でうっかり髷を斬り落としてしまった辰綱は、それまでの総髪から側面と後方を刈り上げ、前方と頭頂部をやや残した髪型に変わっていた。

『これがいずれ流行の最先端になる』と熱弁する店主に、『そりゃ何百年後の話だ』と文句を垂れた辰綱だったが、何だかんだ髪型自体はものの数日で気にならなくなっていた。知り合いに会う度に、あまりの変わり様に驚かれるが。

 

「不本意ながら、ですがね。ここに来てから他の何人かにも笑われました」

「いいじゃないか、似合っているよ。さっきはあまり触れられなかったけれど、お陰でほんの少しだけ会議の空気も和んだことだしね」

 

 今回、その場所が刀鍛冶の里以上に、厳重に秘匿されている産屋敷邸へ辰綱が訪れた理由は、半年に一度当主と柱達で行われる“柱合会議(ちゅうごうかいぎ)”に出席するためだった。

 会議内容は半年間における、鬼達の動向や行動範囲の調査報告による情報共有、今後の大まかな方針の決定、その他にも鬼殺隊の運営に大きく関わる幹部集会である。

 当然ながら柱全員が招集される柱合会議だが、今回出席した柱は定員の九名ではなく、八名。前回より一人欠けての会議となった。

 

「……三年振りになりますか。柱が欠けるのは」

「残念なことだ。ここしばらく顔ぶれが変わらなかった分、特にね」

「…………」

 

 産屋敷の沈痛な面持ちを前に、辰綱は両手で袴を掴み、奥歯を強く噛み締めた。

 鬼殺隊の隊員である以上、常に死とは隣り合わせで生きている。

 一般隊士は元より、何体もの鬼を狩り続け、その実力を認められた柱でさえも、それは例外ではない。

 それまで苦楽を共にした仲間が、鬼に殺されるのはよくある話。だが、それを受け入れているのと、心中に波風が立たないかはまた別の話だ。

 

「仇は必ず、我々が取ります。それがあいつへの、それにこれまで命を落としてきた者達への何よりの手向けとなりましょう」

「……そうだね」

 

 産屋敷の歯切れの悪い返事に、辰綱は眉をひそめる。

 

「お館様? 柱合会議の後です。お疲れなら今日はもうお休みになられた方が……」

「いや、大丈夫だよ。ただ、少し前に夢を見てね。今回の件がその一歩なのかと」

「夢……それではまた……?」

 

 辰綱の問いに、産屋敷は首肯した。

 産屋敷一族はしきたりとして、代々神職の家系から妻を娶っている。先代は願掛けも兼ねてか、わざわざ出雲の巫女を妻に選んだそうだ。

 その母親の血が色濃いのか、産屋敷は時折予兆めいたものを夢に見るという。

 

「これまでに比べて鮮明なものだった。光り輝く道を歩いていた。ずっと先の方では、光がより強く輝いている。でもそこへ向かうまでの道は光が段々と減り、暗くなっていくんだ」

「その符丁の意味は?」

「おそらくはこれから先の未来で、屈指の実力を備えた鬼狩り達が集っていく。ただし、そこに行き着くまでに我々の戦力は衰退していくのではないか。私はそう解釈している」

「それは……どれほど先の話になるのですか?」

「私から数えて──およそ三代か四代は先かな」

 

 産屋敷の発言に、辰綱は顔をしかめた。

『良くない』という前置きがあった以上、解釈を確認する前から何となく好ましいものではないと分かってはいたが、仮に産屋敷の予兆が確実だとすれば、要するに自分達の代では鬼の根絶は不可能ということになる。これを喜べと言うのが無理な話であった。

 

「不服そうだね」

「当然でしょう。会議で口にしなかったのも納得です。皆の士気を下げるだけですから」

「辰綱にはむしろ発奮材料になったみたいだね。だから話したんだよ」

 

 産屋敷は辰綱の物言いにも穏やかな表情を崩さず、むしろどこか楽しげだった。

 

「柱は皆、私をとても慕ってくれている。中でも君は私を慕いながらも、必要とあらば異を唱えることを特に躊躇しない。歳も同じで友人と思えるくらいの気安さで接していられるんだ」

「光栄ですが、友人とは畏れ多い。皆の前では絶対に仰らないでくださいよ、武家生まれの連中が刀を抜きそうだ」

「本心なんだけれどね。それに彼らだって隊の御法度は守るよ。仮に荒事になったとしても、今の柱の中で一、二を争う強さを持っている君なら心配はないだろう?」

「煉獄殿との手合わせの通算じゃ、向こうに勝ち越されていますよ。……今のところは」

 

 謙遜しつつも辰綱は内心悪い気はしていない。同時に上手いこと宥められたと感じてもいた。このあたりの人の扱いを心得ているのは、産屋敷が人心を掴むのに慣れている証左である。

 

「つい話が逸れてしまったね。私も根拠のない夢ひとつで、次の世代への繋ぎに徹する気は毛頭ないよ。たとえ、自分がろくに刀も振れずともね」

「あなたは鬼殺隊の総大将。頭脳であり、象徴です。そして我々の役目は鬼殺隊の体、手足です」

 

 最後の一言に、わずかに卑屈さを滲ませる産屋敷に、辰綱は首を横に振って傍らの日輪刀を手に取り、産屋敷の前に鞘を握ったまま突き出してみせた。

 

「俺は貴方に代わり、この刃で鬼を斬る。ですが、それは貴方に命令されたから、任務だから、だけではない。命を張る我々に対して、貴方が負い目を感じる必要は毛ほどもありません」

 

 産屋敷一族が鬼殺隊を創設し、鬼を狩っているのは単なる善意からではない。何をおいても叶えたい悲願があるからだ。

 一方で辰綱が鬼狩りの人生を選んだのは、他ならぬ己自身。一体だけ、絶対に己が狩らねばならない鬼がいる。

 両者の利害は一致していて、それでいて利害だけではない信頼が確かに存在しているのだ。

 産屋敷は一瞬だけ目を見張って辰綱を見たが、すぐに元の柔和な表情に戻り、静かに「ありがとう」と言った。

 

「では、そろそろ本題に入ろうか。“水柱”潤間辰綱。君に指令を与える」

 

 

 

 俺が村に戻った頃にはもう夜中になっていて、半日見ない間に村は滅んでいた。

 家は軒並み壊され、何棟かからは火の手が上がっている。何より、壁に開いた穴から湧き出る強い血の匂いが、いつも海から運ばれてくる潮の香りを塗り潰していた。どの家の中もどこも血塗れで、損壊のない亡骸は一つもない。

 始めはどこぞの盗賊団が村中を襲いでもしたのかと思ったが、すぐに違うと分かった。何故なら程度の差はあれ、亡骸のどれもが獣にでも喰い散らかされたような有様だったから。

 人口が百人にも満たない小さい村落だ、顔の知らない人間は一人もいない。中を確認した三軒目の家で、特に仲が良かった幼馴染の左半身が欠けた姿に、耐え切れなくなって胃袋の中が空になるまで吐いた。

 道端に転がる死体や、水たまりのように広がった血の痕が嫌でも目について。手足の震えは止まらなくて。口は胃の中を戻したせいで酸っぱくて。吐く息は飢えた犬より荒くて。心臓の鼓動がうるさいくらいによく聞こえた。

 生まれてこのかた十三年過ごしてきた漁村の様変わりように、まるで自分が違う世界に迷い込んだとしか思えなかった。

 いま俺は地獄にいるのか、ここが地獄でなくて何なのか。“これ”は一体、何の仕業なのか。

 薄く棚引く煙も手伝って朦朧とする意識の中で、やっとの思いで着いた自分の家は、戸がぶち破られて中が特に荒らされてはいたが、死体も血痕もなかった。

 いるはずの親父は、どこにもいなかった。

 もぬけの空になっていた家を飛び出した。これ以上他の家を確認したところで、村にはもう俺以外に生き残っている者はいないと肌で感じ取れたから。

 一心不乱に浜へ向かって走った。とにかく今はこの充満した煙と血の匂いから逃れたくて、冷たい海水と潮の香りで一時だけでも全てを忘れたかったから。

 黒い夜の海の少し手前で、何か影が動いているのが目に留まった。

 暗い夜道の後ろ姿だけでも誰だか分かる。間違いなく俺の親父だ。何年も見続けた背中に、村一番の漁師だけが着られる、背に金色の龍の刺繍が施されたあの万祝(まいわい)がその証拠。分からないのは、普段着るようなものではないそれをどうして羽織っているのか。

 そして、どうしてその両手の袖口から血が滴っているのか。

 俺は大声で親父を呼び止めたかったが、村の惨状を目にしたせいか、俺の精神はもう限界で声が出なかった。絞り出した掠れ声は風と波にかき消されて、自分自身でさえよく聞き取れない。

 結局、俺に気付かなかった親父は振り返るわけもなく、村に背を向けて夜の闇に消えた。

 同時に親父が振り返らずに去ったことに、命拾いをしたことを理解しつつ、俺は意識を失った。

 その後、鬼殺隊に保護された俺は、意識を取り戻してすぐに鬼という存在を知ることになる。生まれて初めて芽生えた、憎悪という感情と共に。

 

 

 

 夜は鬼の時間。

 太陽は沈み、鬼殺隊のように日輪刀も持たない、ほとんどの人々にとっては、鬼はどうすることもできない災害に等しいものだった。

 そして罪なき人がまた一人、雲に翳る夜の畦道で鬼の餌食となっていた。

 鬼は殺したばかりの人間を貪っている。鬼になると、それまで口にしていた飲食物は受け付けなくなってしまう。獣や鳥の肉ではいくらか気が紛れる程度で、根本的な飢えを満たすにはやはり人間を喰らうしかない。

 それまでとっておいた、柔らかな内臓を口にしようとしたところで、鬼の背後で物音がした。

 

「誰だ!」

 

 鬼はすぐさま振り返って、鋭い声を飛ばす。人間に見られたか。だったら殺して腹に収めるだけだ。

 鬼は新しい食事の登場に卑しげな笑みを浮かべたが、物音は段々と大きくなっていく。人間ならこの光景を目撃すれば遠ざかるだろうに、近付いてくるとなると獣の類か。

 本能的な危険を察してか、大概の獣は鬼に近付きもしないものだが、可能性があるとするなら天敵がほぼいない野犬か熊だろうか。

 答えは人とも獣とも違った。それは伸び放題の草むらから一息で飛び出して、鬼に襲いかかった。

 

「な──ぎゃあああああ!?」

 

 鬼が見たのは、鋭い牙が何重にも生え揃った、巨大な口。鬼は手にしていた人間諸共、一瞬で口の中に詰め込まれていた。

 

「あぎっ、がっ……っ……!!」

 

 鬼は必死で抵抗して逃れようとするも、無数の牙が全身を突き刺し、貫き、引き裂いていく。

 結局何が起きたのか理解できないまま、脳髄まで噛み砕かれた鬼は思考と意識を失い、現れた鬼の喉奥へと運ばれていった。

 そんな鬼が鬼を喰らう、凄惨な“共喰い”の現場に一人の年若い男が現れた。一時、雲の切れ間からかすかな星明かりが差す。

 

「”巨口(おおぐち)”」

 

 優美な松毬(しょうきゅう)模様の黒い着物に、やや癖のある黒髪をした男が鬼に呼びかけた。

 すると暗がりの茂みの中で、肉を無理やり押し潰すかのような、恐ろしげな物音がした後、鬼が姿を現して眼前の男に平伏する。

 

「……お久しゅうございます」

「精が出るな。人間を鬼ごと喰らうとは」

 

 巨口と呼ばれた鬼は額を地面寸前まで下げたまま、びくりと体を震わせた。人間の血の匂いを嗅ぎ付け、本能のまま鬼まで諸共に口にしていたことを、男の指摘で初めて自覚したのだ。

 

「……お見苦しいところをお見せしてまったこと、貴方様の手駒を一つ壊してしまったこと、申し開きのしようもありません。お望みとあらば、この腹を捌きます」

「構わぬ。面を上げよ」

 

 巨口が言われるがままに顔を上げると、男がその猫のような縦長の瞳孔をした紅梅色(こうばいしょく)の瞳で睥睨している。巨口に比べると一回り小さく、肌は血の気のない死体のように青白い男だが、場を支配しているのは明らかに男の方だった。

 

「役立たずの雑魚が何体か消えたところで些末なこと。そのまま取り込むことを許す。その分お前が私のために働けばよい」

「寛大な御心、痛み入ります」

「我らは人間を喰らうことで力が増す。多く喰らえることは良いことだが、殊更に栄養価の高い“稀血(まれち)”の人間や、先天的に優れた肉体を持つ人間を優先して喰らうと尚良い」

「優れた肉体……鬼狩りの柱でございますね。自分は強くなり、貴方様の邪魔者も消せる。まさに一石二鳥というもの」

「よろしい」

 

 男は巨口の答えに満足したように頷くと、不意にべん、とどこからか琵琶の音がした。すると、いつの間にか男の背後に襖が出現しているではないか。

 

「巨口よ。その瞳に刻まれた数字にふさわしい働きをするがいい」

「御意に」

 

 巨口が再び頭を下げると、男が入っていった襖が音を立てて閉じ、虚空に溶けるようにして消えていく。後には巨口だけがその場に残った。

 

「柱……柱を喰えば、あの御方は褒美にその血を与えて下さるだろうか。柱の肉は俺の腹を満たしてくれるだろうか……。あ゛あ……」

 

 立ち上がって一人呟く巨口は、かつて与えられた主の特別な血の味を思い出し、喰ったばかりの人間と鬼の血が混ざった涎を滴らせた。

 

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