「ザンマはもう覚えてないだろうな」
「……」
気賀澤は不意に言った。
志渡澤はだんまりだ。
「目的だけしか。覚えてない。アイツは異能で記憶を食い過ぎた」
かつての決意も、自分が何者であるのかさえも今の彼にとって希薄だ。
脳の要領の問題ではない。
異能の特性の問題だ。
異能が脳へと及ぼせる領域が限定されているために、記憶を上書きするかのようにして元の記憶をおぼろげにしていく。
ザンマが異能を使い始めた当初に異能の扱いを記憶を奪い多く補った事もそれを早める結果になっているのを気賀澤は知らない。
ただ、久しくあった彼は、多くを忘れていた。
桐坂の殺害など気賀澤が効かなければどうでもいいこととし、忘れていたくらいだ。
「ただ、それでも、アイツには最強になってもらわなきゃならない」
忘れていても、それでも至らなくてはならない。
これ以上奪われないために。
何よりも、彼女に誓った最後の約束だから。
「何の話か分かりませんけれど、こちらに回復の時間を与えてくれてるんですか?」
ただ、志渡澤からしてみれば、事情すら知らない話だ。
突然動きを止めてそんな話をされても反応のしようがなかった。
「いいや、ここは神域になった影響で生身の殴り合いになり果てた。俺も久々で疲れてんだよ」
ちょっとした休憩を取ったに過ぎないと彼は言って拳を突き出した。
拳の応酬は、気賀澤に利があった。
理力を封じられた今の志渡澤は彼の攻撃を防ぎきれない。
もうすでに幾度ど攻撃を喰らっている。
志渡澤の防御はついに崩れる。
そこに最後の一撃が繰り出される。
意識を刈り取る一撃だ。
「「──ぐあっ!?」」
ただ、声を洩らしたのは両者だった。
相打ちだ。
最後に志渡澤は掛けに出ていた。
それは理力の使用だ。
神域のなかでは理力は使えない。
そう言われたしかし、使われた理力が結果をもたらせないのであって、理力自体の発動行動が禁止されているわけではないと考えた。
そして行ったのは、一か八か過剰なまでの理力の使用。
通常、体が耐えることの出来ないほどまで出力を上げて攻撃を行った。
無論身体が軋み、それでも最終的に拳を滑り込ませたのだった。
良くて後遺症。
そんなことが傍目に分かるほどの傷を負ったからだがばたりと倒れる。
しかし、彼には異能があった。
◆
「中牧君、今すぐ異能を切る準備をしてくれ」
ザンマはそう声を出した。
事前に異能を終了させるためにかかる時間が数十秒あることは聞いていた。
中牧の異能の解釈は神に呼びかける儀式と言う認識のようで、無理に遮断すると体に無理な負荷がかかると言う。
故に、穏便に儀式の終了をするにはわずかではあるが時間が掛かると言う事だった。
ただ、異能が切れるまでザンマは待つ気はなかった。
即座に、懐に入れていた御霊に相当する墨で文字が書かれた紙を破く。
途端、視界は塗り替わる。
同時に、ルカが見えた。
「───ッ!」
間髪入れずに、異能を放つ。
ザンマの異能は蓄えた能力を指定して使うことはできない。
リボルバーのシリンダーのイメージが強いだろう。
自身の手では回すことは出来ず、これが動くのは異能が発動し終わった後だ。
ただ、自身の異能だ。
次にどの異能が来るかは把握し調整してある。
蓄えた能力ごとに耐久度的な回数制限があるために、あまり取りたくない手法であったが、前回の戦いから一周させている。
故に、ザンマの手から発動するのは炎の龍。
能力の消費可能回数は三度。
すでに昨日一度使っているために、今の発動で一に減少する。
「ちっ」
ただ、その貴重な一回をドブに捨てる。
異能が使用不可能になる神域であるが、それは外部からの異能も通さない。
炎の龍は意図もたやすくかき消される。
読み違えた。
異能の切れるまでにはまだ早い。
しかし、それはルカにも言えること。
やつの発動する異能は神域の中では……。
「化け物め」
青い電流は空気を割くようにザンマへと向けられる。
異能の禁が敷かれたこの空間で奴は異能を発動している。
(神域の効果を削っている!?)
ザンマの細めた目には、じりじりと空間を蝕む青があった。
ザンマの知るところではないが、ルカの異能は異能に対する特攻をもっていた。
あらゆるものに対する「削る」と言う力。
それは、陽炎のボスであるヨストとの戦いの中で、彼の異能を喰らい。
そして、現在、異能を極限にまで減少させるこの空間そのものを喰らっていた。
だが、各自に奴の異能は弱体化している。
領域外のザンマに届く前に回避可能な力にまで落ちる。
「それに」
態々、完全に異能が切れる前に移動をしたのには理由がある。
瞬間移動を疑似的に再現するなら、もう少し待ってからでもよかった。
ただ、すぐに動いたのには、奴の隙をつくため。
今の一連の動作でルカは異能による力はそこまで有用ではないと察するだろう。
そうなれば、理力での対応を取るしかないが、今はルカには神域内でありその手は取れない。
であれば、こちらとの距離を放しつつ、回避に専念することになるだろう。
そうなればこちらのものだ。
すぐに異能を発動すると言う行為に出ないと言う確信があれば、その間にこちらの異能攻撃が奴を仕留める。
奴は、異能をこちらも同条件で使えないと思っているのなら、意識外の攻撃になるだろう。
だから。
「終わりだ」
ザンマの蓄えた炎の龍の次に来る異能。
それは、生身の人間にはとても耐えられるものではない。
ルカに向けられるのは、地面から突き出すように現れる二本の槍。
それは無情にも彼女の身体を引き裂いく。
今度こそ読みはあたり、これ以上ないタイミングで中牧の異能は切れる。
そして力が削られることなく槍はルカへと吸い込まれる。
彼女は両の刃に手の平を充てているも、その柄は止まることなく半ばまで進んでいた。
ただ、それは、ルカに貫通したからではなく。
端から削るかのようにルカの異能で切っ先が消滅していたからであった。
「終わりだ」
次の言葉はルカが放ったものだった。
ザンマが何かを言う前に、ルカの異能は彼を襲った。