今は夜だがきっと昼なら、その光を全て呑み込むくらいの漆黒の毛並みをした狼へと姿を変えたウルフ。
リムはその時昔読んだ本の一節を思い出す。
黒い狼は禍いの象徴
それ以外は思い出せないが何故かその一説が頭によぎった。しかしさっきまで戦っていた時に言っていたウルフの言葉には嘘はなく、ただその一説を疑うことしかできなかった。
「ウ、ウルフさん?」
「……」
さっきから一言も発さないウルフ。自身の姿をリムに見せてしまったからだろうか。ウルフはそのままこちらへ歩み寄ってくる。
「リム」
「は、はい……」
「お前……なんかデカくなってねぇか?」
「へ?」
「なんかデカいぞ?まさかさっきの妖魔の術か何かのせいでデカくなったんじゃねぇか?でも安心しろ!師匠に見てもらえばすぐに」
「鏡見ます?」
「え?鏡?」
リムは返事も待たずにカバンから手鏡を出してウルフの今の自身の姿を見せる。
「……?」
「鏡です」
「……じゃあこれは俺か?」
「私もびっくりしました」
少しの静寂の間、ウルフの身体から汗がつたう。そしてその数刻の後に絶叫する。
「なっ!な……!こ、これ俺ぇ⁉︎お、狼になっちまってる!なんで⁉︎何で狼になんてなってんだよ俺は!」
「自分の事なのに気づかなかったんですか⁉︎」
「い、いやいや初めて見たよこんなの!師匠にも一言も言われてなかったし!」
「自分の事ぐらい分かっておきましょうよ⁉︎自分の事ですよ?自分の!」
「う、ぅうるさいなっ!何回も言うな!知らないものは知らなかったんだ!」
「とにかく落ち着いて!落ち着いたら人間に戻れるかも!分かんないけど落ち着いてみないと話進みませんよ!」
「そ、そうか……よし……」
ーーーー
「いやー助かった!一時はどうなるかと思ったけど、何とかなるもんだな!ありがとう!」
「いえいえ、何とか戻って良かったですね!」
あの後平静を保つ事でウルフは人間の姿に戻る事が出来た。どうやら感情がキーになるのだろうか、リムは頭の片隅でそんなことを考えながら亀の妖魔の方を見る。
人間の姿に戻ったウルフは思い出したかのように何か不思議なエネルギーを感じる縄で亀の妖魔から人間体に戻った姿、つまり中年の男の手首と足首を縄で縛っている。
「………」
「ウルフさん」
「ん?」
「この亀の妖魔はどうなったんですか?」
「生きてるよ。例えこんな外道でも生かさなきゃいけない。こうして縛ってやるとその内この縄から発される妖力を探知した警察みたいな奴が来るらしい。これで良し、さ、帰るか」
手際よく縛りつけてウルフはその場所を後にしようとする。しかしリムの中で彼に対して少し引っかかる事があった。
「……教え……ですか?」
「?」
「……初対面で…しかも助けてもらった立場でこんなこと言うのはアレですけど……この妖魔はウルフさんをその…殺す気で襲いかかって来たんですよ?勿論私の命も……それでもそんな殺しちゃいけないなんて……それがもしウルフさんの意思じゃなくて教えなら最悪の事態になった時……死んでも死に切れないじゃないですか!」
リムの中で度々ウルフが話す師匠の存在がずっと引っかかっていたのだ。今目の前で見た亀の妖魔は確実にウルフを殺しにかかっていたはず。それでも尚師匠の教えを守るのか、リムの中でお節介かもしれないが心配だった。
「……なるほど、そうかもな」
「へ?」
「確かにコイツらは殺す気で……自分自身が生きる為に何でもやる奴らだ。実際そこは今までの師匠自身の経験談を聞いただけの身だから俺も確証はなかった。でも実際対峙してさっきリムや師匠が言った通りだった」
「……」
「実はな……俺、この世界に入りたいって言った時、師匠に凄く止められたんだよ。あの人は育ての親だからさ、母さんと呼んでたけどずっと断られ続けて……あまりにしつこいからもしこの世界に入る為に修行をつけてもらいたいなら義理とは言えど母と子の関係にはもうなれないって脅しまでかけられてな」
「そんな……」
「それでも俺はあの人が誰かのために戦ってる背中がカッコよくて……その背中に惹かれて選んだのはまごう事ない俺自身だ。それに……」
「それに……?」
「いずれその一線を越えなきゃいけない時が来たら腹を括るつもりさ」
「……偉そうに言ってごめんなさい…お師匠さんの事も何も知らずに……」
リムは頭を下げる。
「俺は気にしてない。じゃ、気を付けてな」
ウルフはさっきと変わらない笑顔で返事をして回れ右をして歩いていく。
「……」
ウルフの背中を見ながらリムは少し俯く。
(これからあの人……こんな感じでずっと私が知らない間も戦うんだよね……)
帰り道の軒並は光が明々と付いているのに街路樹は所々がチカチカと灯りを切れかけさせている。そんな寂しい道をポツポツと歩いてリムは家へ帰っていく。
(本当にあの人一人に任せていいのかな)
ーーー
街の離れにある一軒の寺、門構えには二頭の狼の石像が建っており、大きな本堂が一つとその隣に一軒の家がある。そこは天狼寺と呼ばれる寺でそこにはロウメイという名の女性の住職がいるという。
「師匠、戻りました」
そして天狼寺はウルフの家でもある。ウルフは幼少の頃、児童施設からロウメイに引き取られてここにいる。ウルフの声を聞きつけ返事をして寺の奥からやってきたのは黒髪の白い肌に白い胴衣、黄色く優しい目をした女性、彼女がロウメイだ。
「うむ、言われなくとも感じているぞ。無事に封魔の縄(じょう)を倒した妖魔に着けられたのだな」
ロウメイはウルフの育ての親でもあり、彼が妖魔と戦う為に稽古を付けた師でもある。
「……はい」
「どうした?浮かない顔をして」
「どうしたって…初めて知りましたよ!お、俺が狼だったの何でもっと早くに言ってくれなかったんですか!おかげで全然助けた人の前で格好つかなかったんですから!」
「ま、待て待て……話しただろう?お前には妖力を抑える妖抑(ようよく)の紋を唱えていたと。それに正体を明かしてしまってはこの術も効力が薄くなる、故に話せていなかった。そして私はずっとお前がこの護拳人(ごけにん)の道を行かせまいと断りを入れていた。もう十年も前の話だが……」
「……」
「複雑なのだ、分かってくれウルフ。私は今二つの心が葛藤している……。一つは育ての親としてお前をこんな争いの道へ歩ませたくない。そしてもう一つも育ての親として子の進む道を親が否定して良いものか、だから私は真摯に向き合うお前を見込んで私の持てる技術の大方を教えた。それなのに方やもう一人の私はこうして初陣を行かせた今でも葛藤している」
「師匠……」
ロウメイはそっとウルフの肩に手を置く。
「しかしな、ただ今この気持ちだけは一つだ。ウルフ、よくぞ無事に帰ってきた」
「……はい!」
「それに……」
ロウメイはウルフの後ろの門をジッと見つめる。
「何者だ?」
天狼寺の門の柱に誰かの気配を感じるロウメイ。しかしそれに敵意は感じられずすぐに歩み寄る。
「いっ……!」
「キミは?」
「リム!」
本人がロウメイの問いに答えるよりも早くウルフがその名を呼ぶ。
「知り合いか?」
「さっき助けた女の子です。帰ったんじゃなかったのか?」
「それが……私、あれからちょっと考えて……助けられたのにそのままありがとうございました、それじゃあ。じゃ嫌で……何か出来ることがあれば……力になりたいって」
「リム……」
「……ウルフ、気持ちだけもらっておけ」
「え?」
リムはロウメイの返事に戸惑う。
「師匠!」
ウルフはロウメイの態度を不満に思い、彼女を引き止めるがロウメイは変わらぬ態度で話を続ける。
「私だったらそうする。正しい行いであるかを自身の背を見て認めてくれる者が一人でもいてくれるならそれで良い。だが仲間を増やすのは違う、増して力を持たぬ少女に出来ることは少ない」
「……」
「それにリムちゃん。この生業は見返りを求める為に助けるにあらず日常を守っているだけだ。日常を守られたのならそれでウルフの役目は終わり。助けられた人間は悪夢から覚め、また日常に戻る。それでいいのだ」
「だから……その日常に戻ろうとしてもその裏でウルフさんが戦ってる事を知ってる以上……私は戻りたくないんですよ!ウルフさんが犠牲になってるのに私だけ日常に戻るなんて……」
「だから気持ちだけもらっておけと私は言った。いざとなれば私がウルフの手助けをする。それに助けられたのなら妖魔をその眼で見たのだろう?その眼にどう映っていた、人間を人質に取らないように見えたか?」
「それは……」
「力になりたいと思うのは素晴らしい事だ、でも命は無駄にするな。ウルフ、送っていってあげなさい」
それだけ言い残してロウメイは天狼寺の本堂へ入っていく。
「リム……」
「……い、いえ、ウルフさんってこんな大きなお寺に住んでたんですね!何だか来られて光栄でした!あ、後つけてたのはごめんなさい、一言挨拶がしたかっただけなんです!送ってもらうのは申し訳ないので一人で帰りますね!今日は本当にありがとうございました!」
「い、いや俺はそんな迷惑なんて……」
リムは誰から見ても分かるような空元気を見せた後逃げるようにして走っていく。その背中を見送ろうにも胸が張り裂けそうになり、ウルフも本堂へそそくさに入っていった。
ーーー
翌日、学校でウルフは昨日のことを引きずっていた。しかしロウメイの言っている事を間違っているとは言えなかった。
現に護拳人である以前に人は救う数は少ないに越した事はない、何故ならそれだけ未然に防げているのだから。人を救う数が多いという事はそれだけ危険に晒されている人が増えているのだ。それに折角助けた人が態々危険に晒されにいく必要はない。
そう言い聞かせてもやはりウルフの中で引っかかる所がある。それが何なのかはウルフ本人はまだ分からずにいる。
「なんだいウルフ。随分と浮かない顔だな」
「ルーヴ……」
銀のサイドテールに青い瞳、色白の肌に凛々しい面持ちの青年。ルーヴはウルフの幼い頃からの親友で彼はいつもウルフの良き相談相手になっている。
「何かあったみたいだけど?」
「実は……なんて言うか…習い事で友達が出来そうなんだけど」
「へぇ?この前言ってたやつか。それは良かったじゃないか」
「その友達は俺にすごく協力的なんだけど……俺としては一緒にいて欲しい気持ちはあるし嬉しいんだけど、あんまりたくさんでやる事じゃなくて……」
「邪魔なのかい?」
「そうじゃないんだ……そうじゃないけど……」
「随分と変わった習い事だね、まぁいいんだけどさ」
ウルフはこの護拳人の事を習い事と偽っている。実際かなり無理があるがルーヴはそれ以上に深く詮索を入れない所がウルフが彼を信頼できる所だった。
「……」
「キミは友達が欲しいけど、この場合は先生かキミの母親がそれをよく思ってないんだね?身分的な理由は流石にキミのお母様の職業からして考え難いから……何かの拍子にその子に迷惑をかける可能性があるわけか」
「そんな所かな……」
「ふんわりとし過ぎて的確な答えは出ないけどさ……ウルフはどうしたいって考えればもう答えは出てるんじゃないかな?」
「俺がどうしたいか……」
「そう。友達になりたいんなら誰の言葉にも耳を傾けちゃいけないよ。ただ直向きにキミ自身の心でその友達と向き合わなきゃ」
「ルーヴ……やっぱりお前に相談して良かった!ありがとう!」
「……」
「ルーヴ……っ⁉︎」
ルーヴからの返事がない事に違和感を覚えたウルフはその正体にすぐに気付いた。
「結界……⁉︎」
ウルフの感じる所、校内一帯にこの前亀の妖魔が張ったものとは違う結界が張り巡らされているのを感じる。
「……何が目的なんだ…学校に態々……」
同時期にその結界の存在に気付いたのがリムだった。リムはそれに気付いた時には既に校内を走っており誰かを探しているようだった。
(昨日の亀がやってたものとはちょっと違う。ん……?)
辺りを見渡すと自然と答えが見えてきた。後は探している人物と会えるかどうかにかかっている。
『人間風情が……その様子だともう気付いたみたいだな……』
「……」
『怖くないのか?この俺が』
「怖くない。アンタなんか怖くないから!」
ーーー
一方で学校の外では一台の自動車が停まっていた。中には二人の男が居り、一人はしわくちゃの白髪にスーツ姿に清潔感があり歳は六十近い男。もう一人はハリのある若々しい肌に肩まで伸びたボサボサの茶髪、鋭い眼光に剃っていない顎髭、こちらはスーツ姿の青年。
「奴さん始めたのか……?」
年老いた男の方がコーヒーを飲み、青年の方をチラッと見る。
「えぇ……行ってきます。おやっさんは車から出ないで下さいね」
髪をくくってドリンクホルダーのミネラルウォーターを飲み干す。
「おーぅ、気を付けてな。バウバウ」
「……その呼び方やめてください」
「ん?あぁ、終わったら飲みにでも行くか」
「無視か……酒もやめた方が奥さん喜ぶんじゃないですか?」
「もうすぐ定年で家にいる時間が多くなるから煙たくしないようにタバコやめたんだぞ?酒ぐらい女房は許してくれるさ」
「まぁ、死なない程度にやってくれりゃ何でもいいっすけど」
車から降りて準備運動をする青年に後ろから声をかける年老いた男。
「相変わらず愛想のねぇヤツだな。後……もし仮にお前のお目当てがいたとしてもやる事は変わらないからな」
「……了解」
昼下がりの太陽が照らす学校はかりそめの姿。ここはこれより想定以上の戦場と化す事は誰も知らない。
お読みいただきありがとうございました!
ちょっと更新空きましたが何とか掲げられました。