やはり俺たちの本気は間違っていない   作:健康啓涼

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この度は当作品をお読みいただきまして、ありがとうございます。

前回のあらすじですが、
・小町さんがせつ菜さんと急接近しました
・小町さんによる「八幡取扱説明書」の概要にはせつ菜さんが驚くばかりでした
・八幡さんはバイトを無事に完走し、バイト代+お菓子を貰いました。

今回は小町さんが躍動する回となっております。

今後も細々と執筆してまいりますので、引き続き、私の妄想ごとにお付き合いいただければ幸いです。


メガネを外したらアイドルだった件(10)

「ありがとうございましたー!」

 

大きな歓声。たくさんの笑顔。この一瞬があるからこそ、

ステージの照明が落ち、歓声が一段落した瞬間、

 

(……これで、終わりましたね)

 

それが、まず最初に浮かんだ感想でした。達成感よりも先に、肩から力が抜ける感覚が来て、最後まで走り切った後の、どこか現実味のない静けさが胸の中を駆け巡りました。

 

皆さんの声援に手を振ってステージを後にしたところで、煌びやかな景色から急に暗い舞台袖にもどると、比企谷くんの姿はなく、タオルを持った戸塚さんの姿がありました。

 

「優木さん。お疲れ様。いいライブだったよ。本当に」

「戸塚さん。ありがとうございます」

 

渡されたタオルで汗をぬぐいながら、案内に従って控室へ移動する廊下は出番待ちの方々が最後の打ち合わせを行っていて……

 

「ごめんね。比企谷君を借りちゃって。彼、こっちに来る予定だったんだけど、控室の方がね……」

「本当に大変そうですね」

「そうだね。でも、凄く助かっているんだ。平塚先生が推薦するだけあるよ」

「そうでしたか」

 

そんな他愛のない会話をしていると、あっという間に控室へ到着し、戸塚さんと別れて指定場所で着替えを済ませると――

 

「……」

 

目に入ったのは衣装でした。持ち歌が1曲しかない私にはたった1種類の衣装。とはいえ、この衣装を着たのも片手で数えられる程度。

 

「次の組の方、移動をお願いします。あと、コレ。飲み物の補充です」

 

ここ数週間ですが、一番よく聞いた男の子の声を耳にしたところで、思わず視線が向く。ドア口を見ると、頭にタオルを巻くだけではなく、首にもタオルをかけて、私以上に汗だらけの比企谷くんの姿でした。

 

(本当に仕事熱心ですね)

 

彼は荷台から段ボールを下ろすと、直ぐに部屋を出て行きました。本当に忙しそうですね。

 

次の人を待たせるわけにもいかず、直ぐに我に返り、様々な思いと共に鞄に詰め込み、控室を出たところで、大きく息を吐く。

 

今の私は――

 

この会場を出たら『中川菜々』になって、生徒会副会長として皆の模範となる学生に戻るだけ。ただただ「いつもの生活に戻る」だけですから。

 

「せつ菜さん!」

 

不意に名前を呼ばれ、振り向く。そこにいたのは、小さく手を振る比企谷小町さんでした。

 

「あ……小町さん」

「はい! 凄かったですね! ステージ」

 

弾む声。その無邪気さに、張り詰めていた何かが、少しだけ緩んでしまいました。

 

「ありがとうございます。ところで、どうしてここに?」

「ちょうどお昼の時間帯なので。それで、お兄ちゃんとせつ菜と一緒に食べたいなぁ~って」

 

本日2度目の上目遣いですか。……コレはずるいです。断ることできないですよ。

 

「ところで、うちの愚兄は何かやらかしたのでしょうか?」

「いえ。むしろ大活躍ですよ? どうかしましたか?」

「あ。いえ。仕事が終わったらさっさと出てくると思ったのですが……。アレがここにいないもので」

 

小町さんはどうやら比企谷くんを探しているようで、きょろきょろとあたりをさがしているようですね。それに、小町さんはお兄さんを「アレ」呼ばわりするほど、仲がよろしいのですね。

 

「比企谷くんですが――」

 

小町さんに比企谷くんの現状を説明すると、最初は「あのお兄ちゃんが!?」と驚いた様子を見せるものの、徐々に表情は苦笑いへと変わり、最後は嬉しそうな表情へ。本当に表情が豊かな人ですね。

 

「そうでしたか……。しかし、あの『働いたら負け』と豪語する兄も成長したのですね。……あれ? おかしいな? なんかお兄ちゃんが遠くに行ってしまった気がします」

「そんなことないですよ? 少なくとも私は比企谷くんが立派な人で、彼ほど仕事を任せられる人はいませんから」

 

先ほど言えなかった「私が今思っていること」を伝えると、小町さんは目をパチパチとさせて、ぽかんと口を空けてこちらを見つめてきます。

 

「だからかぁー。納得です」

 

小町さんは突然スマホを出して、指を素早く動かしては「よし」と一言、言うとスマホをポーチにしまいます。どうやら、誰かに連絡を取っているようですが、恐らくは比企谷くんでしょう。先ほどまで探していらっしゃいましたからね。

 

「せつ菜さん。良かったら、このあと2人で遊びませんか?」

「ええ。私でよければ、喜んで」

 

そう答えると、小町さんは嬉しそうにニコニコ顔に変わります。

 

「じゃあ、お昼の時間帯ですから、ご飯に行きませんか?」

「はい。いいですよ。何か食べたいものはありますか?」

「そうですねー。せつ菜さんとなら、何を食べてもより美味しくなると思うので、できるならゆっくり座ってお話しながら食べられるところがいいですね」

「……ありがとうございます」

 

……比企谷くん。貴方の妹さんは恐らく悪の組織の裏ボスでさえ手玉に取れると思いますよ?

 

***

 

「ふぅー。やっぱりお昼時と言う事もあって、混んでますねー」

「そうですね。でも、席が空いていたのは幸運ですね」

 

お昼の時間帯ともあり、人であふれかえる飲食スポット。2人でトレイを持ち、運よく空いていた席に座ると、少しだけ忘れていた疲労感が身体をめぐります。

 

「いただきます」

 

小町さんは両手を合わせて挨拶をすると、美味しそうな表情で買ってきたものを頬張ります。この無邪気さも彼女の魅力ですね。

 

……本当に可愛すぎます!

 

「これ、美味しいですねー」

「そうですね。1つ1つが手作りなのでお店の人の創意工夫が伝わってきます」

「へぇ~。せつ菜さんって、そういうところも注目してくれるんですね。料理する人からしたら、凄く嬉しいですね」

「小町さんは料理されるんですか?」

「はい。両親が忙しいので、だいたい夕食は小町が作ってますよ」

「そうなんですね」

 

話を聞くにご両親が凄く忙しいのでしょう。兄妹2人で助け合って家事をされている中、書類仕事をしていてくれたのですね。かなり負担をかけてしまいましたね……

 

「あ。気にしちゃいましたか? それなら大丈夫ですよ。私が好きでやっていることなので」

 

どうやら私の表情を見て、小町さんは気を遣わせてしまったと思ったのでしょう。気まずそうな表情で、申し訳なさそうに私を見ています。

 

「それに、先ほども言いましたが、お兄ちゃんが頑張ってくれるならそっちの方が嬉しいんですよね」

 

小町さんは、どこか誇らしげに笑いました。

 

「それに、お兄ちゃんがいるなら、次のライブも大丈夫ですね」

「……え?」

「だって、そんなに頼れる人がいるんですよ? 楽しみにしてます」

 

その一言で、胸が小さく跳ねました。

 

次のライブ。

 

当たり前のように、そう言われた。

 

「……いえ」

 

私は、少し視線を落とします。

 

「比企谷くんは、仮入部なんです」

「え?」

「手伝ってくれたのは、あくまで今回までで……」

 

言いながら、喉がわずかに乾きます。

 

「本来なら、今日で一区切りです」

 

小町さんは、数秒黙りました。それから、あっさりと言います。

 

「なら、正式に誘ってみてはどうでしょう? ああ見えて、意外に押しに弱いので、せつ菜さんが誘ったら、案外、入部してくれると思いますよ?」

 

小町さんのアドバイスはあまりにも簡単な提案でした。

けれど。

 

「……それは」

 

言葉が、続きません。

 

誘う。正式に。

 

踏み込む、ということ。

 

「難しいですか? それなら小町もお手伝いしますよ?」

 

小町さんの声は、優しいのに、どこか鋭い。

 

「その、先ほどのお話では比企谷くんはあまり人と深く関わるタイプと仰っていましたので……」

 

……とても苦しい言い訳です。「物理的に時間が取れないから辞める」と私が判断したから、無理やり付き合わせてしまったようなものです。「期間限定」だからと、私のワガママに付き合ってもらったのに、気が変わって続けたいというのはあまりにも自分勝手な言い分です。

 

「うーん」

 

情けない私に対して小町さんは首を傾げました。

 

「攻略法、教えましょうか?」

 

思わず顔を上げます。

 

「攻略法?」

「はい」

 

彼女は悪戯っぽく笑いました。

 

「お兄ちゃん、理屈っぽいですけど、本質は単純なんです」

 

単純。

 

「逃げ道を用意すると、絶対に逃げます。でも」

 

そこで、少しだけ真顔になります。

 

「真正面から本気でぶつかると、逃げないんです」

 

胸の奥が、どくん、と鳴りました。

 

「中途半端な頼み方とか、遠慮とか、気遣いとか。ああいうのは全部『断っていい理由』になるんです」

 

断っていい理由。

 

「でも、『必要だ』って言われたら」

 

小町さんは、にっと笑います。

 

「弱いですよ。ああ見えて、優しい人なので」

 

必要だ、と。

 

その言葉が、胸に真っ直ぐ刺さりました。その通りです。比企谷くんの実力は裏方、それこそ、マネージャー業やプロデュース業だって任せられるかもしれません。自分のやるべきことを、優先順位を決めて動くことができています。それに、気遣いもしてくれます。あの2通のメールがまさにそれです……。

 

「そうですか……」

 

大きく息を吸うと、少しだけ過去を思い出してしまいます。自分の気持ちを押し付けてしまったために、離れてしまったかつての仲間たち。

 

また、ああなってしまうかもしれない。それが怖い。

 

「少し――」

「大丈夫ですよ」

 

そう言いかけた時、次に出てくる言葉に詰まりかけた瞬間、小町さんが私の言葉を遮るように話しかける。

 

「ここまでお兄ちゃんのこと、本気で考えてくれるせつ菜さんなら、ちゃんと話をすれば、伝わりますよ」

「えっ……」

 

ふと見た小町さんの表情は誇らしくて、そして、とても嬉しくて仕方ないものでした。

 

***

 

「ふぅ……」

 

労働によって疲労困憊の重たい体を引きずって、何とか家に到着する。

本当にバスは良い乗り物だ。労働で疲れ切った身体を家の近くまで運んでくれるのだ。普段はただの移動手段だと思っていたが、存外、バカにできない。文明の進化とはかくもこうして我々に豊かな暮らしを提供してくれるのか。バスを発明したガーニーさんと日本にバスを広めてくれた二井商会には感謝だ。

 

重い鞄から鍵を取り出し、家の玄関を開けた瞬間、外の騒がしさが嘘みたいに消えた。

 

「おかえりー。ご飯、まだちょっとかかるよー」

 

リビングの戸を開けると、キッチンの方から小町の声が飛んでくる。その間延びした調子に、今日一日張り付いていた緊張が、少しだけ剥がれ落ちた気がした。

 

「了解。先に風呂入る」

「どうぞー。汗くさいしちょうど良かったねー」

 

……余計なお世話だ。

 

着替えを取りに一旦部屋へ戻り、荷物を片付けると「ドスン」と音がする。どうやらポケットに財布を入れっぱなしにしていたようでそれが落ちた。財布を拾い上げると、財布に挟み込んだ「ありがとう」と書かれた封筒が目に入る。中身を確認するまでもなく、ずしりとした重みが伝わってくる。

 

初めて手にした「労働の対価」をなぜだかじっと見つめた。当たり前のことなのに、その事実が妙に新鮮だった。

 

……いかんいかん。お風呂に入るんだった。

 

着替えを持って脱衣所へ移動し、服を脱いで洗濯機に放り込み、風呂場へ向かう。鏡に映った自分は、思っていた以上に疲れた顔をしていた。目の下に薄く影ができている。

 

……そりゃそうか。かなり、今日だけじゃなく「今日まで」無理したもんな。

 

「ふぅ……」

 

脱衣後、すぐに身体を綺麗にし、ため息をつく。乱れた自律神経を整えると、少しだけ身体が軽くなった気がした。

 

湯舟に沈むと、耳鳴りのような静寂が広がり、身体の芯から力が抜けた。

今日一日、何度も往復した通路。

無線のざらついた音。

台車の重さで軋む音。

短すぎる休憩。

 

正直に言えば、楽ではなかった。むしろ、かなりしんどかった。

だが、不思議と「無意味だった」とは思えない。

 

財布に入れた封筒の重み。あれは紙幣の重さではない。

時間の重さだ。

 

俺はこれまで、努力だの青春だのをどこか他人事のように眺めてきた。

だが今日だけは、少なくとも『傍観者』ではなかった。

 

……だからといって、人生観が劇的に変わるわけではない。

俺は俺だし、社畜体質が開花したわけでもない。

「働かざる者食うべからず」なんて説教臭い言葉を、今さら肯定する気はない。

ただ、1つ言えるのは――

「働いたら負け」というスローガンは、思ったよりも現実に弱い。

湯気の向こうで、自分の顔が少しだけ大人びて見えた気がした。

 

……気のせいだな。疲れているだけだ。疲れていると判断力や注意力が鈍くというが、今まさにそれだな。

 

「あぁー……」

 

我ながらジジくさい声だった。肩までお湯に浸かると、自然と漏れる声と何か言い表せない感情。

たった三週間だった。されど、その三週間はやけに濃密だった。

スクールアイドル。ステージの裏側。

光の当たらない場所で、時間と段取りに追われる人間たち。俺が関わったのは、ほんの一部だ。

書類仕事、誘導員、現場スタッフ。あの現場で汗をかいた事実だけは、確かに残っている。

 

今回の経験を経て少しだけ平塚先生の言った言葉の意味が理解できた。

 

「もう少し実体験から得られた『語彙力』を見つける必要がある」

 

その通りだ。物語の読み、多くの文学に触れたといっても、どれだけ疑似体験をしたとしても、それはあくまで「うわべだけの言葉」でしかない。ただ、知るきっかけが「シャチクジン」へと進化する過程なのが、アレだよな……。

 

 

思考がいつものように回り始めたところで、湯船から出てはタオルで身体を拭いて、部屋着に着替えて脱衣所を出ると、妙に鼻腔をくすぐる香りが漂う。

 

「あ。お兄ちゃん。ちょうどできたよー」

「おう。いつもありがとな」

「もぅー。それは言わない約束だよ」

 

香りのする方へ視線を向けると、食卓に並んだ食事はどれも俺の好みばかり。恐らくは、今日のフェスで席を取ったお礼も兼ねているのだろう。本当によくできた妹だ。

 

小町も席に座ったところで「いただきます」と挨拶をして、食事を始めた時だった。

 

「う……うめぇ……」

「えぇ……。急に何言いだすの? キモいよ?」

 

思わず目を見開いた。普段、何気なく口にしている味噌汁だが、今まで食べたことないほどのうま味が口いっぱいに広がると、思ったことが自然と口から漏れる。

小町からのいつもの罵倒が耳に入らないほど、目の前の食事に夢中になり、行儀悪くも「がつがつ」と夢中になって口へとかきこむ。

 

「お兄ちゃんもそんな表情するんだねー」

「……なんだよ。急に」

「いや。だってさー、そんな美味しそうな表情で夢中になって食べてくれたの、初めてだよ?」

「……そうか?」

「うん。だから、ちょっと嬉しくなっちゃったかな」

 

いつもの腹黒く、何か小賢しいことを考えている時に見せる表情とは全く違う「自然と漏れ出た」優しい笑顔の小町は、手を止めてじっと俺を見ていた。

 

……なんか恥ずかしいな。

 

「お兄ちゃん。今日は本当にお疲れ様。頑張ったんだね」

「……おぅ」

 

純粋な表情を見せる小町がかけてくれる言葉の1つ1つがなぜか、嬉しくて、ついつい視線を下に向ける。

 

「お兄ちゃん、優木さんのために頑張ってたよね。この数週間」

「……仕事だからな」

 

いつもなら「照れてるー」などと、揶揄うはずの小町から想像できない言葉に不意を突かれて、一瞬言葉に詰まる。

 

「そうだねー。でも、今のお兄ちゃん、すっごくカッコイイし、自慢できるよ」

「……お前なぁ」

 

……なんともこそばゆい。長年連れ添っている妹だから、今の言葉が「本音」だということが分かってしまう。

 

「ねぇ。お兄ちゃん。詳しいことは分からないけどさ――」

 

小町がじっとこちらを見つめてくる。

 

「優木さんと一緒に頑張ってね」

 

そういうと、小町は止めていた手を動かしては食事を再開する。

するとすぐに戻る日常の空気。その中で、俺だけが少し遅れて帰ってきたような感覚があった。フェスは終わった。役目も、ひとまず終わったはずだ。

それなのに。

 

胸の奥に、まだ片付いていない何かが残っている気がしてならなかった。

 

***

 

フェスが終わり、GWが開けて、ようやく平穏な生活が戻った。と思った矢先、なぜだろう?今日も今日とて、当たり前のように残業をしているのは……

 

「比企谷。すまないな」

「いえ。仕方ないですよ」

 

今日の残業は仕方ない。先日の給料の必要経費と割り切ることができる。

18歳未満がアルバイトには、当然だが、両親の承諾が必要だ。本来なら承諾は事前にもらうのだが、今回は特別に事後で良いということ。

それこそ、親には事情を説明してアルバイトしたことを報告したら「あっそ。で、どこに印を押せばいいの?」とたった2文で片付けられてしまう。……まぁ、理解あると言えば聞こえはいい。一応、貢物として、もらったお菓子を親に渡したのだが、そのほとんどは小町の胃袋に納税。

 

……少しぐらい分けてくれても良くないか?

 

「ところで、次のフェスでも働き手が足りないのだが――」

「勘弁してください」

 

先生の言葉を遮るように即答すると、なぜだかくつくつと笑いながら「そうか。そうか」と納得された。……解せぬ。

 

「じゃあ、いっそのこと、同好会を続けるか?」

「……」

 

……おかしい。「労働なんてくそくらえ」が信条の俺ならば、すぐに断るはずなのに、言葉に詰まってしまう。

 

「ははは。やるな。戸塚と優木のヤツ」

「……2人とも関係あります?」

 

急に登場した我が校のスクールアイドルの名と年上の女子大生に対し、疑問が残る。それもそのはずで、俺が言葉に詰まったことと彼女達の存在は全く持って関係ない。

そもそも俺が言葉に詰まったのも、無理に断る理由がないからだ。なぜなら、同好会は優木の意向で、この前のフェスをひと区切りに活動休止のはずだ。だから、俺が入ったところで何も起こらない。中川と同じように「名前貸し」ぐらいの役目しかない。

 

「まぁいい。それよりも、報告書がまだだが?」

「いや。それは優木の担当であって――」

「何を言うかね? 最後まで自分の仕事は全うしたまえ。君もいち参加者なのだぞ」

「うそぉ……」

 

平塚先生から渡された用紙は「スタッフ用 GWフェス報告書兼アンケート」と書かれており、宛名の部分には「比企谷八幡様」と記載がされている。

 

……最初から渡してくれれば事前に書いておいたのに

 

「というわけだ。そういえば、そのアンケートの件で中川が君に聞きたいことがあるそうだ。同好会室で待っているそうだぞ」

「……はい。分かりました」

 

戦略的撤退だ。言い訳すればするだけ、残業が延びる。さっさと終わらせるか。

 

 

***

 

 

もう来ることはないと思っていた同好会室。とはいえ、中川に呼ばれ、あまつさえ先生には「書類仕事が残っているだろ」と正論を言われてしまった以上は行かないわけにはいかない。

 

それにおかしい。中川に関しては、その優秀さを見越して、事前準備を終わらせて、しっかり引継ぎはしたはずなのだが。

 

階段をスタスタと上がると、いつのまにか「見慣れた」廊下が視界に入る。この廊下を使う人間は果たしてどれほどなのだろうか?と思わず考えてしまうほど、蓄積された汚れが目に入らない床を見ながら歩いて行くと「いつものように」という言葉が当てはまるように自然とドアをノックする。

 

……常連客かよ?

 

「はい。どうぞ」

「……おう。失礼する」

 

中にいる人間が返答するのを聞いてからドアを開けると、風が勢いよく吹き抜けると、かすかにだが少し甘くて少しパチパチと弾けるような香りがする。

 

「すいません。比企谷くん。お呼びたてしてしまい」

 

視線が自然と声のする方に向くと、その先には中川が畏まった姿勢で出迎えた。

少しだけ違和感がしたので、その理由を考えると答えは直ぐに見つかった。放課後に同好会室にいたのはここを初めて訪れた時を除いて、いつも優木がいた。中川は放課後になると生徒会活動の為、ここで会うのは昼休みばかりだった。これまた今更ながら。だな。

 

「……」

 

そして、今日の中川は少し違った様子で、彼女から溢れんばかりの覇気が感じられ、緊迫した空気が漂う。

 

……なんか委縮しちゃうよ?ボッチをいじめるのは良くないよ?まぁ、そんな気はないんだろうけど。

 

「まぁ、あれだ。俺もあれで終わったとは思ってない。色々、後仕事もあるんだろう」

「まぁ……事前に準備をしてくださったので、そこまで残ってはいないのですが……。平塚先生からの書類については、ご愁傷様です」

「……マジでそれな」

 

中川は苦笑いを浮かべては「アハハ……」と心の声が出ていた。どうやら、彼女も平塚先生の傍若無人ぶりには思うところがあるようで、相変わらずの気遣いを見せる。

 

「はい。ですが、実は書類以外にも要件がありまして……」

「……?」

 

中川は珍しく下を向きながら言いよどむと、視線を外す。

 

んー。何かおかしい。付き合いは短いためか「いつもはこうではない」とは言い切れるほど、中川とは関わってはいないが、今日はなにやら凄いオーラを感じるのだが、話す言葉はどこか歯切れが悪い。

 

少し伏し目がちで、なにか緊張している様子なのはわかるが、今更何を緊張することがある?

 

と、ここにきて少しだけ頭の中をよぎる「昔の記憶」が、俺の身体を強張らせた。

こういう雰囲気の場に男女二人。中学時代に良く経験したものが。ここから起こることは女側から「好きです。付き合ってください」と言われる。思春期ど真ん中の男ならば、自分が好きな人は「自分の事を好きになってくれる人」という人間は多くいるはずだ。当時の俺もその一人で、二つ返事で快諾をすれば……

 

どこからともなく笑い声が聞こえてくる。それは人を小馬鹿にした笑い声。

これは相手の男をからかうための壮大な罰ゲーム。

 

だが、それはあり得ない。中川のような生徒会メンバーがこのような人を見下すような行為をするだろうか?

だが「いや。するわけない」と言い切れるだけの関係は当然ながらない。もちろん、告白というのは例えであって、本当にそんなことをする人間がとは思えない。

 

 

……なのだが、「俺には都合の悪いことが起こる」と第六感が告げてくる。

 

「あの……驚かないでくださいね?」

「お……おぅ」

 

肩をすくめては恥じらいながら少し上目遣いでこちらを見てくる中川。

そう前置きする人間は、だいたい驚かせるのが相場だ。

 

中川はゆっくりと眼鏡に手をかけた。

外す、という単純な動作のはずなのに、やけに時間が長い。

レンズ越しに見えていた輪郭が、外れた瞬間、鮮明になる。

 

何やら見てはいけないものを見ている気がして、唾を飲み込む。徐々に口の中が渇いていくのが分かる。それほどに緊迫していく。

 

そんな空気を嫌ったのか、中川は「こほん」と咳ばらいをしてから改めて下を向くとゆっくりと、綺麗に編み込んだ髪を手櫛で伸ばしていく。

 

「は……?」

 

思わず素っ頓狂な声が出てしまった。目の前に起こったことを全く理解ができない。彼女の髪は肩先でふわりと舞いながら揺れると、何かから解き放たれたように跳ねながら外へと流れていく。

髪の動きに合わせるように腕が動く様はどこか幻想的でそれこそ「アイドルが魅せるパフォーマンス」のようで、前髪を軽く斜めに流すように額を軽く覆うとそれをしっかりと「見慣れた髪留め」で留めた。

 

それは変身でも軌跡でもない。ただ、隠していたものを外しただけだ。

 

だが――

 

「改めまして。私がこのスクールアイドル同好会でアイドル活動をする『優木せつ菜』です」

「……まじか」

 

幾度となく疑問に思ってはその都度、否定をしてきた説が今目の前で当の本人によって証明される。それはあれやこれやと言葉を連ね、立てた仮説の裏付けを示すのではなく、単純明快な『答え合わせ』だった。数式による過程も、長い文章の中で丁寧に説明するわけでもなく、ただただ「実演」しただけ。

人間は、たった1つの小道具でこれほど印象を変える生き物らしい。

 

いや違う。

 

変わったのは彼女ではなく、俺の認識だ。

 

「すいません。色々と訳があって、本名で活動することができず、偽名を使っていました。この場合は『芸名』といえばいいのでしょうかね」

「……なるほど」

「実は、今日ここにお呼びしたのは、正体を明かすわけではないのです。ご覧のように、この同好会は私一人で活動しています。また、ご存じのように私は生徒会副会長ですので、生徒会業務もあります。ですので、物理的に時間が足りないのです」

「おぉ……。まぁ、その辺りは、手伝ってきたからなんとなくわかる」

「ご理解いただきありがとうございます。ですから、今回は本当に比企谷くんがいてくれたので凄く助かりました。もし、比企谷くんがいなければ、どちらかのフェスは辞退していたはずです」

 

彼女はゆっくりと、胸に手を当てながら自分の思いを言葉にする。聞きやすい声量とトーンで説明をするためか、詰まることなくスムーズに俺の中へとしみ込んでいく。

 

「あぁ。だろうな」

「それでですね、その嫌でなければ、ぜひ比企谷くんには入部して頂きたいのです。とはいえ、比企谷くんにとって、入部することに何もメリットはありません。その代わりに私が差し出せるものなんて2つしかありません」

「2つあるのかよ……」

 

てっきり1つしかないと思ったよ?話の流れ的に。思わず、突っ込んじゃったからね?

「ええ。1つはグッズを作れるほど人気になった場合、直筆サインを入れます。それを小町さんにお渡しください」

「お……おぅ。それは魅力的だな」

 

優木のグッツとか、小町喜ぶだろうなー。この前なんていつも以上にはしゃいでたからね。確かに、これは非常に大きなメリットだ。

 

「2つ目は、私をプロデュースする権利です。今後の活動において、比企谷くんに方針における決定権は全て預けます」

「……なるほど」

「ですので、一緒に同好会活動をしてくれませんか?」

 

優木はそっと手を差し出した。表向きは自信に満ちた表情なのだが、その瞳には少しばかりの不安が覗かせる。

 

おそらく、並の男子生徒なら何も考えずに手を取る場面だろう。一瞬そうなりかけたが、寸前のところで手が止まる。ここまま流されるわけにはいかない。物凄い圧に逆らい、必死に平然を保つ。そして、思考回路を巡らせる。

 

1つ目の提案は確かにメリットだ。確か制作すると試供品がもらえるわけで、それにサインをしてもらえば、俺の財布は痛くもない。こちらにデメリットはない。

 

ただ、1つ目に比べれば、2つ目はメリットらしいメリットではない……と思う。というか、デメリットでしかない。活動方針を全て俺に預けるということは、俺が動かなければ何も始まらないということだ。

 

……これはむしろ脅迫じゃないか?「お前が働かないと何も始まらないんですけど?」って圧力がかかるじゃんか。そもそも、優木はどうして今回の様に書類作成や雑用を手伝う程度の内容を提案しなかった?

 

 

「なぁ……。1つ聞いてもいいか?」

「はい。どうぞ」

「俺にここまでのことを任せる理由は何だ?」

「比企谷くんの一生懸命さです」

 

 

……即答かよ。

そんな彼女の言葉にはっとさせられる。「断られるかもしれない」と不安そうなところは変わらないが、その中でも「迷いのない言葉」が真っ直ぐと飛んでくる。

 

 

「小町さんにも色々とお伺いしました。そのお話を聞いて、そして、この数週間の比企谷くんの頑張りを見ていて、貴方と一緒に『ラブライブ』の優勝を目指したい。そう思いました」

 

 

大きく出たな、とは思う。だが、その言葉に軽さはなかった。

 

 

優木は理想を語っているのではない。『覚悟』を提示している。

 

 

ラブライブ優勝に必要なのはパフォーマンス力もそうだが、それを引き出すための演出が必要だ。自分の魅力を引き出せる曲と衣装。そして、引き立てるためのダンスやメイクも必要になる。

 

 

そして何よりも人気が重要だ。人気があれば、色々なフェスに呼ばれる。フェスに呼ばれるということは運動部で言うなら「練習試合」開催に近い。良い曲ができたと思っても、いくら練習をしてみても、実践の場で披露して様子をみないとわからないものだ。それもあって、優木の持ち歌は極めて少ない。それほど、優木の人気は現状、かなり低い位置にいる。

 

確かにこれらを1人でやっていくのは大変だ。他のスクールアイドルはメンバーも複数いるので、それぞれが担当をしているのだと言っていた。

 

はぁ……。と大きいため息をつく。震えた拳を少し強く握り、改めて優木を見ると、強い眼差しを俺に向けてくる。出していた手を一度、ひっこめると、今度は胸に手を当てなおし、強く握っているが、心なしか震えているようにも見えた。

 

「1人では、どうしても限界があります。ですが、比企谷くんが一生懸命に事に当たっていたこと、それこそ、家にまで仕事を持ち帰って対応していてくれたことを小町さんからも伺いました。そこまで『本気』になってくれたことが素直に嬉しかったです。それに--」

 

優木が言葉を重ねるたびに、その言葉は強さが増し「ステージにいる」ような熱が込もり始める。

 

「見ていました。授業中も上手い事やりくりして、書類作業をされていたこと。時々、心配でこの部屋に来たときも、一生懸命に取り組まれていたところも。それがとても嬉しかったんです」

「……いつの間に来てたんだよ」

「それはすいません。迷惑をかけたようで」

 

彼女の真っ直ぐな言葉と真っ直ぐな視線に真っ直ぐな思いにどこか恥ずかしさを覚える。余計なものがないためか、裏がないことがはっきりと分かる。

つーか、授業中に感じた視線って優木……いや、中川だったのか。じゃあ、後1人は誰だ?って今はそんなことはどうでもいい。

 

「いや。別に責めてるわけじゃねーよ」

「そうでしたか」

「ああ。……はっきり言っておく。この部活はある意味、実社会の縮図だ。それこそ、芸能関係なんて人脈がものを言うってことは俺も知っている。生憎と俺は『ボッチ道を究めし者』だから、人付き合いを全くしてこなかった。その部分ははっきり言って戦力外で、あまり言いたくないが中学時代に黒歴史ばかり作ってきたので、むしろマイナスでしかない」

「それは関係ありません」

「いや。あるだろ。SNSか? ああいうのも、中学時代の友人と繋がってだな……」

「大丈夫です! 残念ですが、優木せつ菜である以上、今は『ボッチ』ですから」

「……余計ダメじゃねーか」

「そうでもありませんよ? 初めてのことなのに卒なくこなしていました。それを見ていましたから。だから、これから考えていきましょう!」

「……そのためのプロデュース権ということか」

「はいっ!」

 

プロデュース権。

 

それは権利と言う名の責任だ。俺が動かなければ止まる。俺が間違えれば沈む。

 

……重い。重すぎる。可能ならば、関わりたくない案件だ。

 

だが、優木の言葉には遠慮も打算もない。ただ真正面から「必要だ」と言われた。

 

俺はこれまで、誰かの『必須条件』になったことがあっただろうか。

 

多分、ない。

 

 

だからこそ、少しだけ。

 

 

ほんの少しだけ、悪くないと思ってしまった。

 

 

にやりと笑う優木の姿が視界に入る。

 

優木はいつの間にか拳を突き出して、曇りない瞳でこちらを真っ直ぐ見つめていた。

 

少し冷静になって考えると今の優木は「ボッチアイドル」で「カースト最底辺」と言ったところか。……なんだか、良く聞く言葉じゃねーか。

 

それに、最初にあった時にどういう訳か共通の趣味があって、そして今この状況はあの胸アツ展開に似てるじゃねーか。……おい。俺の中二病が復活しそうな決め台詞じゃねーか。

 

「はぁ……。分かったよ。どこへでも連れていけ」

「はいっ。ありがとうございます」

 

ポケットから出した手は柄にもなく自然と強く握り、いつの間にか優木の拳と「ゴツン」とぶつかる。

 

「始まったのなら貫くのみです!!」

「……そうだな」

 

幼稚だ。青臭い。

……だが嫌いじゃないぞ?こういうの。

 

 

青春とは、たぶんこういう非効率な契約の事を言うのだろう。

 

 

こうしてこの日、メガネを外したらアイドルだった人間とスクールアイドルの頂点「ラブライブ優勝」を目指すことになった。

 

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