帝国遭遇狂騒曲 異説・ダゴン星域会戦成らず 作:narrowalley
タナトス星域の行政上の中心地-行政庁が置かれた-であり、タナトス星系の中心も兼ねる惑星マスジッドには、サジタリウス腕で最初の実用軌道エレベーターが屹立していた。タナトス星系の住民達にとって、それは誇りであり、
ハイネセンにだってサジタリウス腕で二番目にして最大規模の軌道エレベーターが建設されたのだから文句を言う筋合いはない、と返されるのが落ちであったので。
周辺の辺境星域を結ぶ、「同盟の連星」*1の”重心の一つ”(どこが重心だとか頭だとかいう話は連携を壊すとして、配慮した表現をする)として物流の結節点-ハブ-となることを期待された惑星マスジッドに軌道エレベーターの建設が決定すると、激しい招致運動の結果、軍需投資の誘致先として近隣のマーロヴィア星系が選ばれた。自由惑星同盟の兵器廠の両輪の一つとなることを期待され、ますますタナトス星系の経済的価値が高まると見込まれていた。軍需に引きずられるように、また元々人口拡大による民需の拡大も後押しして、物流は年々膨れ上がり、軌道エレベーターの利点である、貨物処理能力の高経済性を存分に発揮していた。
タナトス星系もそこは慎重-狡猾-であり、享受した利益の多くを連帯の維持を目的に周辺星系への投資に廻す事で拡大基調の強化や加速を進めていた。
惑星マスジッドの象徴となった、軌道エレベーターを肉眼で見える距離で宇宙船から眺めるのは久し振りである事にボリスは感慨深いものを感じた。
「いやぁ、見事なものです。これは観光名所と言われるのも納得です。ハイネセンのモノとはまた違う、機能美のようなものがありますな」
「お体は大丈夫ですか?首都星に呼び出されて一息ついたと思ったら、すぐにこの旅路でしたので」
ボリスは旅の同行者にしてゲストである、老人の存在を思い出して気遣うが、老人らしさが白髪くらいしかない元気な同行者は人懐っこい笑顔で不要と答える。
「一応、40年以上職業軍人をやってきました。それも宇宙軍で、ですぞ。宇宙旅行は飽きるを通り越して日常でしたよ、委員長閣下。
しかし、半世紀足らずでここまでとは…疎開作戦の折に短時間ではありましたが、視察に付いて回った時の記憶にある光景からは信じられませんな」
宇宙港への接舷待ちの間、開放された展望スペースで窓越しに、中軌道高度まで伸びる軌道エレベーターを我が子のように目を細めながら眺めるオルトリッチ退役大将。
疎開作戦時の開発投資と避難民の受け入れにより、一気にテラフォーミングが進み、緑と青-内海-の斑模様が惑星マスジッドの表面の多くを覆うに至っていた。そして、辺境域の物流ハブとして、成長というよりも飛躍と称すべき速度で変化を続けていた。貨物、貨客、旅客と様々な用途、サイズの宇宙船が犇めくように、宇宙港を出入りしている。宇宙港から軌道エレベーター間を専用のクレーンボットがコンテナを牽引し、貨物の搬入搬出を切れ間なく休みなく続ける。惑星マスジッドの天空を支配し、マスジッドの主役と言われる光景がオルトリッチの視界に広がっていた。同時に惑星マスジッドは避難星域の政治的牙城であり、マスジッドを含むタナトス星域は半世紀近く中枢星域と対峙し続け、直近十年は対立する地方の雄の一角でもあった。
国防委員会での密談の後、ヤングブラッド老からお国帰りを強く奨められて、多忙の中どうにかやり繰りして時間を捻りだし、タナトス星系への帰還を果たしたボリス国防委員長は自身の秘書以外にそこそこの団体客を引き連れていた。
専門とする分野の大先輩にあたるヤングブラッドの好意により、オルトリッチ退役大将をアドバイザーの一員として同行できるように手を回してくれた。
これから地元の旧避難星域の支持者達に国政の重大な変更-疎開解除の実質的な無期限延期-を説明し、了承を得るという辛い仕事が待っているボリスにとって、かつて名物本部長と謳われた、軍トップ経験者のアドバイザーとしての同行は、専門分野での助力と権威が期待出来ることを意味し、大いに有難いことであった。
勿論、異論・反論が無かった訳ではなかった。
経済性の観点から疑問視する勢力が常に一定数居た。
せめて、増員は(徴兵枠の)自然増で押さえたい。
いや、調達費の抑制(大量生産による建造費低減)は数の確保からも重視すべき。
揃えても動かせない軍艦に価値など、少なくとも同盟軍には無いのだから、ランニングコスト(運用・維持)の低減こそが最優先である。
経済性の視点からの反論は集約するとこの3点となり、このうちのどれか、もしくは複数を含む、で論争されていた。
ただ、この勢力ですら、宇宙艦隊の戦略を阻害する気はなく、要はどれだけの負担を国家と国民に求めるのか、という程度に終始していた。
長駆攻撃が出来るようになるのであれば、そもそも前線を押し上げる事で、避難星域の一部でも避難解除できるのではないのか?
元避難星域住民に根強くある論調である。
ここに、新たに引かれた防御ライン(後退した結果)によって新たな前線星域とされた、有人星系の言い分が加わる。
自分たちの眼前(と言うには光年単位の距離はあるのだが)までが距離の防壁(無人領域)とされ、同盟軍の狩場として使うというのだ。もし、狩りの対象となる猛獣(帝国軍)が狩場から外れて吾々の住む星まで迫ったら?
当然の発想であり、かつて、その危険を抱えながら生きていた避難星域の住民たちもそれを知るが上に、彼らに同調するので、これまた無視するには大きすぎる勢力となっていた。
この議論には与さないが、異なる論理を持つ層が巻き込まれた事で奇妙な状況になったのである。
相手に届くようになると手を出したくなるのではないか?
防衛議論から発展する積極的防衛論を危惧する層であった。
後世から見ると杞憂にも思えるし、古き良き時代の自衛で充分とする、牧歌的な考えにも取れる。
また、疎開作戦より継続されていた、避難星域への大規模な財政出動に対し、中枢星域を中心に不満がゆっくりと蓄積されていったのも背景にある。政府主導で始まった(避難星域への)大規模な民需投資による景気刺激策は当初の思惑通り図に当たり、同盟全体の経済規模は国土の縮小と反比例するように更なる加速を見せつつ拡大していた。疎開がひと段落した事による、混乱期に大きく落ち込んだ出生率も疎開先の急激な成長に引きずられるように回復から更なる上昇すら見せていた。未来は大変ながらも、悪いものではないように思われていた。
第八次宇宙艦隊改編計画は、距離の防壁戦略の更なる強化が主題となるのであり、前線の押し上げ、疎開作戦により放棄された星域の安全確保が目的ではない、としていた。
ただし選択肢として、(前線の押し上げを)排除はしない。能力の確保は軍も望むところである、というスタンスであった。
玉虫色の回答ではあるが、避難させられた者達にとって、自身の希望-疎開解除-を諦めさせない配慮であったし、避難させた者達にとっても、自由惑星同盟の国防がより強固になるのであれば、多少の文句は飲み込めるはずであった。誰もが我慢できる落としどころであると衆目が一致するプランであった。
ここで中枢星域を中心に積り続けていた潜在的不満を掘り起こし、局所的に噴火させる事で過剰反応を目論見、政局を揺るがせようとした者達がいた。反対に投じた者たちは大同団結したわけではなかったし、彼らに唆されたつもりでもなかった。それぞれがそれぞれの思惑で投じた結果、その結果が、皆が想像していたより巨大なうねりとなって、押し流してしまった、ただそれだけだった。
「お帰りなさい、国防委員長。急なお里帰りにハイネセンのエリートを引き連れて、挨拶回りも抜きに長老連中を呼びつけるとは、一大事かね?」
若干の嫌味を含ませつつも、たまの帰郷に歓迎の意を表すタナトス星域の与党幹事長はボリス氏を抱擁する。
儀礼的な抱擁から離れようとする幹事長を抱き留めて、耳元でボリスは囁いた。
「重大な国政変更が発生します」
「…歓迎会だのの酒は抜きにした方が良さそうだな…」
「自棄酒になるかもしれません」
ボリスから引きはがすように、自分の身を遠ざけた幹事長は彼を一瞬だけ睨みつけた。
「場は用意するし、出来る限り聞く耳は持たせるように努力するが、ハイネセンから引率してきた連中にも頑張ってもらうぞ?」
無言でボリスは頷き、足早に宇宙港を後にした。
「寝返ったか?と言うのは、委員長、あんたに関してはあり得ない、というのは分かる。
しかし、だ。いきなり戻って来たら吾々の「連帯」の錦の御旗(疎開解除)を下げろ、理由は今は説明できない、だが連帯を維持しろというのは虫が良いどころの話ではないぞ?」
地上の宇宙港近くに建設された、広大過ぎるコンベンション・エリア(元々造成だけして、用途が発生するまで放置予定の土地を余らせるのは勿体ないとして、後付けで作った)は当初の不安を他所に、タナトス星系の空前の好景気に大きく後押しされて、そこそこの盛況と言ってよかった。その一角に、軍服と警察の制服の密度と警備レベルがやたらに高い箇所があり、その一角を借り切り、ボリスは自身の支援者の中でも有力者たちと会談を行っていた。
「機密故に詳細は言えません。ですが、年末、遅くとも来年には同盟市民が知る所になります。
そしてその時には、今の中枢星域と避難星域という対決軸は主軸から、いくつかある、同盟の副対立軸に落ちる事になります」
無茶を言っている。これで説得出来るなら苦労しない、と自嘲しそうになる表情を力づくで押し止め、ボリスは訴え続ける。
「その意志を持ち続ける事は構いません。ですが、拘り続けて依怙地になる事は分裂主義者のレッテルを張られ、吾々のイメージ戦略が崩れるのです」
「…なんだ、疎開作戦のような団結やら我慢を要求される何かが起きてる、ということか?」
長老の一人が、国防委員長の脇に座る老人を睨みつけながら推測を述べる。
「あんた、憶えてるぞ。疎開作戦の時に走り回ってたペーペーの将校さんだったろ?随分前に軍トップで退役したのはニュースで見た記憶がある。そんな軍の元大物がそこに座って、現職(の統合作戦本部長)を持って来ないのは、何かやましい状況になってるんじゃないのか?」
思わず、老人が吹き出した。
「あぁ、すいません。疎開作戦当時の私を覚えている方がいらっしゃるとは思いませんで。はは、やはり駆けずり回るのが印象に残るのですか…」
「うちの国防委員長の目付役で付いて来たんじゃなかろう?そんなのは後ろの現役の下っ端がやればいい話だ。あんたがサポートの為に来たんだろう」
スーツを着込んだオルトリッチ退役大将は穏やかな微笑のまま質問に対する答えとして、重要な情報を開示した。
「そうですね。第八次宇宙艦隊改編計画は復活する前提で同盟軍は再度動き出すはずです。一応軍機になるかと思いますので、ここだけの内密でお願いします。漏れた場合、少なくともマーロヴィア星系の軍需投資に関して何かしらの影響が出る可能性は否定できません」
「!……」
さらりと開示された同盟軍の重要情報に黙り込む長老衆。彼らは混乱した。第八次宇宙艦隊改編計画の復活は少なくとも同盟が従来の路線に回帰しようとする姿勢に見える。ボリスプランよりかは後退するが、現状からしたら旧に復す、とも言うべき前進である。だがそれなのに、ボリス委員長の話では疎開解除は明快に否定するという。従来の論理を塗りつぶす「何」かが起きている。勘の良い者にはそこまでは見えた。
「…それと、先に委員長が言った無茶苦茶なお願いと関連がある、というのか」
長老衆の探るような視線に対し、オルトリッチは微笑みを崩さず、じっと見つめ返すのみである。
「中央がどう言おうが、従うかどうかはこちらの判断だろう?
大体、うちらは新前線星域である彼らとも連携しているんだぞ。結果としてうちは良しとしても彼らが割を食うような政策かも知れんもんに、質問は無し、黙って従えなんて言われて頷ける訳がないだろう」
仮面のような笑みの表情を崩し、視線を床に向け、一つ溜息を吐くとオルトリッチは再び視線を長老衆に向け、ぴしゃりと言い放った。
「彼らだけが影響を受ける話にはなりません。そこは心配しなくても宜しい」
「言い切るじゃないか」
「ええ。国防委員長も先に仰っていましたよね。いずれ同盟全市民が知るところになる、と。
全員が当事者になるのだから、誰が割を食うとか言う話ではなく、全員が割を食う、いや、割を食うで済めば良いが…ま、そういう話であるのです」
机を挟んでボリス委員長側に座すオルトリッチ退役大将を睨みつけながら、居並ぶ長老衆は聞き取れないほどの小声で脇の者達と相談する。
「とにかく、連帯を維持しつつ静観しとけ、というのが委員長の今、出来る限りの「お願い」と言うわけで良いのかね?
その為だけにとんぼ返りし、吾々を呼びつけたのだ。相当に重要である、という認識でいいのだな?」
ボリスは頷き、言を重ねる。
「その時が来たら、同盟市民として判断して動くようにお願いします。勿論私へのチャンネルは常に開けておきます。必要を感じたら何時なりとも連絡してください」
「恐らく、あの麗しき吾らが議長どのは、
オルトリッチの中々に酷い人物評に、議長の変わり身を知る者たちは嘲笑未満の失笑を漏らすことで答えた。
国防委員長を始めとした現職の者たち-軍人含めて-は皆、表情を消して無反応を決め込んだ事とコントラストを成して益々可笑しい情景となった。
「さて、委員長閣下。私は、別セクションのパネルに参加してきます」
長老衆との秘密会議が済んで早々にオルトリッチがボリスに別行動を告げる。
「移動しますか?もし足が必要なら手配するようお願いしますが」
「いえいえ、このコンベンション・エリアの一角です。歩いて…には距離があるようですが、エリアシャトルで行けるでしょう。このパネルセッションは先方の強い要請もありましてね。主催は軍なのですが、政府も特段の配慮を示す必要がありまして、関係各所で…」
そう言いながら、オルトリッチが差し出したパンフレットの表紙を見て、ボリスは理解した。
エルゴン、ランテマリオ両星域に接続する、いわゆる「新前線星域」と呼ばれる星系政府を対象とした政府主催のパネルデスカッションであったからだ。
軍人と官僚に追い立てられるように、オルトリッチは慌ただしくセッション会場へ向かっていった。
疎開作戦後、予算不足(避難星域への民需投資に奪われた)に喘ぐ同盟軍の当座の防衛構想として、エルゴン星域、ランテマリオ星域を軍事拠点とし、もしも帝国軍の侵入があれば、駐留部隊で迎撃に当たり、その間に中枢星域から出撃した機動部隊が後背から襲うなり、援軍に向かうなりするという、大雑把に書くと、このようなプランが採用された。
両星域より後方は有人星域が続くため、ここを抜かれる事は市民に被害が直接及ぶ恐れがあるため、全くの無防備というのは政治的に無理があった。
人員に限りがある同盟軍としてのなけなしの戦略である。
限りある人員でも(艦艇)数を揃えない事には話にならず、必然、艦艇一隻当たりの乗り組み員の少数(精鋭)化は至上命題となる。
この頃より、同盟軍の省力化への執念は見て取れる。
だが少ない兵力の効果的な運用は機動力を生かした兵力の集中である、というのが自由惑星同盟軍の基本的なドクトリンであり、拠点に兵力を張り付けるというのは、自身のドクトリンには馴染まないものがあった。
機動力でもって焦土(広大な無人領域)で帝国軍を振り回して持久し、相手に疲弊を強要し撤退させる戦略でもあるので、持久戦自体を否定しているわけではない。機動兵力の使い方(決戦か保全か)の差でしかなかった。
極少数派であるが、
とは言え、政治の要請(要求)に否とは言えないのが同盟軍であり、妥協点を探った結果が、「グリーンウォーターネイビー(近海海軍もしくは迎撃海軍)」の整備となった。
これは、エルゴン、ランテマリオ両星域に専用の艦艇を整備・配属させ防衛専門部隊を編成することであった。
航続距離をある程度犠牲にする事で推進機関の小型化、燃料の抑制、さらに余った出力リソースを防御に振るか攻撃に振る事を可能にした。軍事拠点化した星域内限定の活動であれば、拠点からの支援が見込めるため、通信・索敵などの他機能の分散化(特化する)が望めるので、艦体の小型化(=人員抑制)、調達費低減、維持費低減のいずれか、もしくは複数が望めた。
機動部隊と防衛部隊の二種類の部隊を用意することによる、生産性の悪化や教育コストの増大など、同盟軍としても不満は多いが、数を揃えるという、人手不足の同盟軍にとって、至上命題を解決できるのであれば、飲み干すべき苦渋であった。
勿論、護衛艦クラス以下の軽量艦艇退役後に低武装化の上、
経済性から見ればハイ・ローミックス(中枢星域駐留の
ここで、軍が期待もし、準備もしていた、第八次宇宙艦隊改編計画が流産し、当座のつもりのハイ・ローミックス戦略が俄かに長期化の傾向を見せ始めた事に、騒ぎ出したのが、エルゴン、ランテマリオ両星域に接続するすぐ背後にある有人星系の住民達だった。
不完全な防衛プランについても、疎開が落ち着くまでの期間限定であるという事で我慢していたのが、政治の失策で反故にされたとしたら、怒らないはずがないのだ。
今回の件で、自分たち(避難星域)も中枢星域も他人事と思わず一蓮托生という意識を共有できれば、さて、どうにかなるのだろうか。ボリスは自分でも信じきれない未来に溜息を吐くのであった。
オルトリッチを見送ったボリスもまた、別の会議がすぐ控えており、秘書官に急かされるように移動を始めた。
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マスジッドから二日足らずで、
マスジッドでの短くも濃密なスケジュールで支援者たちとの慌ただしい打合せをこなし、ハイネセンに帰ろうとしたところで、関係者から強く求められ何故かオルトリッチからも奨められ、予定にない帰省となったが、故郷に向かう宇宙船に乗り換えたボリス。
船内から故郷に残していた家族に、急な帰郷の知らせを送り、秘書から渡された急ぎの宿題に手を付けるか、悩んでいたボリスに遠慮がちに声をかける者がいた。
「…委員長閣下。ご存知であればご教授頂きたいのですが…」
「どうしました?オルトリッチ大将」
船内で同席していたオルトリッチ退役大将は携帯端末に故郷である惑星パラースの観光局公式サイトを表示させ指さした。
「閣下の避難前のご出身はパラスであるとお聞きしましたが、疎開先であるパラースと綴りが同じではありませんでしたか?」
ええ、その通りです、と苦笑いを浮かべながらボリスは説明する。パラスの元住民が昔を知る人達に何度か尋ねられ、繰り返し話す内容であったからだ。
惑星パラースは行政区画上、タナトス星域に属する。タナトス星系の隣接星系にあたり、疎開時に開拓・入植された複数ある新植民星の一つで、主に惑星パラスの避難民が中心に入植した。
よほど、疎開作戦に思うところがあったのだろう。疎開先の星に同名を付けようとして揉めに揉めた。
落としどころとして、パラスの男性名詞であるパラースを正式な惑星名称とする事にしたのだ。(表記はパラスと同じ)
「そのような過去が…」
オルトリッチは何とも言えない表情をする。疎開に深く関わった人間の生き残りであるからこそ、その経緯を知ると思う所があるのだ。
「とは言うものの、私は
ボリスは苦笑いのまま告白する。
惑星パラスから避難した時、ボリス坊やは、就学年齢にもまだ遠く届かず、微かな記憶の中で祖父母や父母が暗い顔したり、怒ったりする中で慌ただしく引っ越したと言う風景がバラバラにあるだけであった。
その後思春期までの生活は疎開地での苦労が多くを占めていたが、ボリス少年にとってそれは周囲の者たちが同情するような悪いものばかりではなかった。
政府肝いりの集中投資により、日に日に変わり行く街並みや、地平線を塗り絵のように覆い繁っていく緑化と、遥か彼方まで浸食し、水平線を形作っていく人造湖-将来的には海と呼べるほどの水量を湛える予定らしい-が少年の生活を飽きさせなかったし、手に職がなく、勉強中心のジュニアハイスクールの子供でも小遣い稼ぎには困らないだけの仕事も幾らでもあった。何より、
疎開先の新興街と同時に育ったわけで、ゼロリセットされた環境にあった少年は周囲の同世代の友人たちとの共通体験を持つ利点も存分に受けていた。
親やある程度年上の兄姉たち-当時の疎開作戦を憶えている-には決して言わなかったが、同世代の友人たちとだけこっそり言いあったものだ。
「むしろこっち(避難先)に越した事で良くなったんじゃないか」
兵役が終わり、地元のテラフォーミング事業に関わる会社に就職し、惑星上ではあったが、文字通り東奔西走していた。その間に子供も授かり、観光地と呼べるような場所がチラホラ立ち上がり始め、余裕も出来て、ちょっと近場の星系へ家族旅行も洒落込める所まできたのだ。このまま、パラースで家族に囲まれて終わるのも悪いものではない、と自然と諦めにも似た感情を受け入れられたのに…
故郷の空気に触れ、今も日進月歩と言うべき速度で変化し続ける風景に胸が詰まるような想いにボリスは囚われた。
「パパ…」
浮つく心持のまま、パラース宇宙港を構成する地上施設の到着ロビーを抜けて、すぐに自分を呼ぶ、懐かしくも愛おしい幼い声にボリスは意識を取り戻した。
「エルシー…お出迎えかい?ただいま。おじいちゃんかおばあちゃんの付き添いで来たのかい?」
遠慮がちに近づいてきた末の方の娘を抱きしめると、ボリスは地元に預けていた小さい子供たちの面倒を見てくれている自身の父母を探した。
父と地元で兵役中の次男が少し離れた所で自分を見つめていた。
何故かパラースまで付いて来たオルトリッチが同行した政府メンバーに引っ立てられるように別れた後は、国防委員長のボリスではなく、ただのボリス氏としての時間であった。
故郷に預けておいた下の子たちは急な父親の帰宅に大はしゃぎで、実家の大人たちの手を大いに焼かせた。
興奮して疲れた子供たちが早々に寝落ちしていき、居間で大人たちが一息ついたのは夜もそれなりに遅くなってからだった。
「お祖母さん(ボリスの母)は、出張だよ。急な話だったから、帰ってくるのは難しい、て連絡があったよ」
次男がボリスに不在の家族の行方を伝える。
「そうか。それでお前がエルシーと親父を連れてきたのか。ありがとう」
感謝を伝えると同時に、ようやく、今日初めて次男とまともに会話できたことに、ボリスは気付いた。
掴みどころのない、良く言えば子供たちの中ではおっとりした性格の次男は、最後にあった時よりも幾らかの余裕のようなものを身に着けたように、ボリスには思えた。
そんな次男は苦笑いを浮かべた。
「いいよ。むしろ、父さんの急な帰郷の連絡が来たもんだから、連隊司令部も慌てちゃって。
親孝行してこいって追い出されるように特別休暇貰って帰宅して、妹と爺さん乗せて、そのまま宇宙港へ、さ」
「むぅ。特別扱いはいかん、と伝えておこう」
親の(仕事柄もあるが)世間体を気にする一言に次男は笑みを深くする。
「うーん。多分あんまり効果ないんじゃないかなぁ。
地元の軍人(星系政府軍=地上軍)なんて、(部下である)兵役者の親どころか、下手すりゃ祖父母以来の付き合いがある所もいるから。部下のお見合いと冠婚葬祭を疎かにする上官は苦情殺到で自身の昇進に影響でるってぼやいてるし。
緊急時でもなければ、誰もこんな感じだよ」
「相変わらずか…」
自身の兵役時代を思い出して呆れるやら苦笑するやら。
祖父母の強い願いで、星系政府軍(地元の地上軍)に入営して兵役を終えたが、本心を言えば、同盟軍(宇宙軍)に志願しあわよくば、中枢星域に配属されたい、という、後から振り返れば、随分身勝手で甘い思惑を抱いていたものだ、と赤面する。決して口外はしなかったが。
大体、地元で兵役をこなさなければ妻とも出会えていなかった(出会いが軍主催のお見合いパーティー)ので、むしろ感謝すべきなのであろう。
複雑な気持ちになるボリスは久し振りの自宅で、父親のみでいられる自分を楽しんでいた。
「ボリス。嫁御寮は元気にしているのか?」
ボリスの父は、居間で家族だけの時間を楽しむ息子に近づくと、ハイネセンに残る、息子のパートナーを気にしてみせた。
「親父。勿論だよ。
ボリスの父は、
自分たちや上の世代-ボリスの祖父母-の怒りは間違いではない、と今も確信しているが、だからと言ってその怒りの為に、子やそのパートナーの人生を捻じ曲げたり、巻き込む事は望んでなど居なかった。特に孫-ボリスの子供たち-にまで、影響を及ぼしつつあると来ては、肉親としては二律背反に身が引き裂かれそうな辛さばかりである。
居間で家族だけの時間を楽しむ息子に、僅かばかりの躊躇をしたのち、意を決したように口を開いた。
「急にお前が帰ってくると聞いてな、何かあったんじゃないかと心配してな」
「うん…」
「俺がお前に言う事ではないのかもしれん。嫁御どのにも大変悪いことをしてしまった。…ここまでよくやってくれた。本当にお前は自慢の子供の一人だ」
「うん…」
「だからな。無理をしてでも、俺たちの願いを叶えようとなんてするな。故郷に帰るために、子や子のパートナーを犠牲にして、孫たちまでも巻き込むのは違う。お前たち家族と一緒に帰らないと意味が無いんだ…」
「うん、うん…」
「俺たちは家族だ。離れていようと、故郷を失おうと、家族が居てこそ、だからな。それだけは間違えんでくれ…」
「…うん…」
第八次宇宙艦隊改編計画の流産に憤激し、死にきれないと激昂する祖父母や、落胆した、老いた父母を見た事で、それまでノンポリでミーハー気質を自任してすらいた、ボリス・ワーウィック氏の中に素朴な疑問と反発が沸き起こった。
「自分は、ここ
「果たせない約束かもしれない。それでも諦めろと、しかも避難させた側が言うのはおかしいではないか」
30代半ばで当時のタナトス星域の一般的な家庭-つまり育てるべき扶養家族を一杯抱える(子だくさん)-というべきボリス氏は課業後や休日の家族の団欒の隙間時間を利用した政治的活動-主に勉強会から-を始めた。
彼の参謀を務める、下院議会経験者のサマンサ女史(政策・選挙対策秘書)曰く、
「実に絶妙なバランスを保つ、今、目を掛ければ、食べ頃の時には(最高評議会)評議員(委員長職)。天祐あらば、吾らが議長の食材」
彼女の強力な推しにより、草の根運動に参加中のボリス氏は避難星域の政治的連帯の旗頭候補の一人に選ばれた事によりシンデレラボーイとなった。
惑星パラース議会に当選すると、星間巡視隊理事に始まり、隣接星系間の巡視隊連携協定を取り纏めてみせた。次回改選時には、タナトス星域星間巡視隊主幹代行として、国防関係者だけでなく中央からも注目される存在となった。
そして、中央政界、下院議会へと乗り換え、当選一回めにして、避難星域の強力な推薦により一期めの下院議員としては異例の国防委員に就任した。
ついには、動揺著しい中央政局で、避難星域の帰還を旗印に辺境星域をまとめ上げ、最高評議会議長選挙に臨み、敗北はしたものの、当選1回目の下院議員が投票数二位(元々、候補者が乱立し支持者が分散していた事もあるが)に着けるという大戦果を挙げたのだった。
少数与党の連立政権が前提となっていた新議長は、厄介な背景を持つこの政敵に国防委員長の席を提示し、これを受けて今に至った。
サマンサ女史の予言は最低ラインは達したと言える。
また、ボリス氏の経歴や年齢、国防委員長の就任経緯が、今や曰く付きの伝説となりつつある「パトリシオ政権」の逸話-ヤングブラッド国防委員長の就任経緯とその後の活躍-を彷彿とさせるとあって、注目度の高い人物であった。
もっとも、当のボリスにとって、下院議員も国防委員も自身の政策実現の為のステップであり、地位に拘りは無かった。議長選挙ですら、当選が目的ではなく、自身の政策と避難星域の連帯をアピールする場であり、その後の連立政権への参加に際し、有利な条件を呑ませるための見せ金でしかなかった。
まかり間違って最高評議会議長に当選しようものなら、自由惑星同盟の先行きに不安を感じざるを得ないと自嘲していたことだろう。
国防委員長職を提示された事には若干の驚きがあったが、政治的話題を欲しがっていた新議長の演出であろうという事と、その後のボリスの政策がやり易くなるのは間違い無いという事で受け入れた。
欲が少ない故に、絶好機を掴み損ねるのではないか、というサマンサ女史の不安をよそに、国防委員長に就任したボリスは益々活発に活動を開始した。
ここまで来た。その矢先に。
誰かは知らぬが、20年も音信不通だった放蕩者が突然の帰宅をしたと言う。
それも、同盟があずかり知らぬ裏口を使って、だ。
翌朝。
父親の短すぎる帰宅に、眠気もあってぐずる、下の子供たちを送迎の時間ギリギリまで宥めすかしていたせいで、慌てて玄関まで出たボリスを予想外の挨拶が出迎えた。
「おはようございます。国防委員長閣下」
迎えに来た車にオルトリッチが同乗していた事に軽い驚きをボリスは覚えた。
「…おはようございます。オルトリッチ大将。わざわざご自身が出迎える必要が?」
「出発前にお国元でいくらか点数稼ぎしていただかなくては。ヤングブラッド元議長からもお願いされておりますのでね」
人懐っこいウィンクをしてみせるオルトリッチ。
ボリスの後ろで次男がオルトリッチの正体を悟り、慌てて敬礼してみせる。
もう軍人ではないので、気にせず、などと笑いながら、次男よりよほど綺麗な答礼を返すオルトリッチが予定を伝える。
「折角ですので、これから、ご次男どのが詰めておられる基地へ赴き、激励とミーティングを行いましょう。後、宇宙港のホテルでマスコミも招いたタウンホールミーティングを用意してあります。
今回の国防委員長の帰郷がどのような目的があろうとも、吾々は一体であり、誰も見捨てない事を如何なる時も出来る限りアピールしなければいけません」
第八次宇宙艦隊改編計画が流産した時、避難星域の住民たちの圧倒的多数は激昂した。
「自由惑星同盟の為に、と故郷を捨てさせた吾々への裏切りである」
いつかは、戻れる、と信じ。またいずれの政権であっても、どのような議会であろうとも、
また、俄かに軍の防衛戦略が宙ぶらりんとなることになった、新前線星域の住民たちも反発した。どのような方針であれ、吾々の安全は保障されるべきであるのに、それを反故にするのか。
「吾々は彼らの恐怖を知っている。故に彼らを見捨てはしない」
これを合言葉に、空中分解していたヤングブラッド派閥の一部-避難星域を中心とした-が再度連携し始めたのだ。
エルゴン、ランテマリオ両星域に接続する新前線星域と呼ばれる辺境星域との連携をも模索し始めた。
草の根運動から始まり、避難星域の星系政府が保有・指揮する星間巡視隊の重武装化・増強の上、新前線星域と言われる、有人星系に派遣駐留するとすら叫び始めたのだ。
「中央は当てにならないのだから自衛するしかない」
流石にこの動きは許容できない、と後継政権も焦り出した。
皮肉にも、避難星域の連帯を強化・加速する方向(中枢星域に並ぶ、大規模な経済圏の構築すら睨んだ経済連携も含む)に進み、また中央政府も足元の過剰反応による同盟内訌の危機に対する宥和措置として、陰に日向に避難星域への優遇措置を強めざるを得なかった。(宙ぶらりんとなっている国防予算から流用され、軍はますます、喘ぐ事になる)
これがまた、造反した中枢星域の原理的な、もしくは過激な一派から見ると怒りを呼んだ。
「連中がまた税金を貪っている。裏切りとか大袈裟過ぎる。そして政府は弱腰過ぎる!」
当然、この反応は更なる反発を呼ぶのだが、肝心の中央政府と中央議会は同盟全体の動揺を抑える事を最優先とし、造反者達に関しては冷淡な対応を取らざるを得なかった。最終的には絶対少数派に転落した中央の造反者たちを、同盟存続を希望する辺境星域も含む各勢力が団結して、
自分の父母より年上のはずのオルトリッチ退役大将の八面六臂ぶりにボリスは呆れ返っていた。
ハイネセンへ向かう宇宙船の搭乗待ち時間すら使って、地上の宇宙港ホテルでタウンホールミーティングすら準備して強行してみせるハードワークぶりであった。
「しかし、年を取るとやはり、体の無理がきかなくなってきますな。この程度で疲れが出るとは…」
ようやく、宇宙港と地上を行き来する往還シャトルに搭乗して座席に座り、わざとらしく腰を叩いてみせるオルトリッチ。
聞けば、ボリスと別れた後に星間巡視隊への表敬訪問に始まり、理事たちとの懇談会、2個ほどの星系政府軍基地を表敬訪問した後、宿泊予定のホテルで星系政府の防衛関連実務者たちとの会食に、酒有りの有力者だけの懇親会までこなして来たそうだ。オルトリッチに同行した、自分より若い官僚や軍人達の方がよほど顔色が悪いのには笑いが引き攣るしかなかった。
「私の直接支援もこれで終わりです。後はグエン本部長と二人三脚で頑張って頂かなくては」
「そうですね。帰郷にまで付き合わせてしまい、申し訳ありませんでした」
「とんでもありません。私にとっても良い旅でした。疎開先の今が、あのように栄えているのをこの目で見る事が出来きたのは良い思い出となりました。
…少しだけ罪悪感が晴れるというものです。どう言い繕うとも、政府の命令とは言え、あなた方を故郷から追い出す手助けをしたのは間違いありませんからな」
寂しげな笑顔に変わり、ボリスを見つめるオルトリッチ。
思わぬ告白に、ボリスは言葉が詰まり沈黙してしまう。
「委員長閣下。どうか同盟を守ってください。ヤングブラッド元議長もまた、パトリシオ元議長から引き継いで、今、閣下がそのバトンを持っておられるのです。
…まぁ、ヤングブラッド元議長も望まぬバトンをパトリシオ議長から押し付けられて、えらい苦労したとぼやいておりましたので。
そのバトン。実は復讐か怨恨の連鎖の証のようなものかも知れませんなぁ…あっはっは…」
オルトリッチ退役大将の暴露話に、何とも表情を作るのに困るボリスであった。
だが、少しだけ肩が軽くなった気がした。
あの大政治家と思っていたヤングブラッドですら、自分と似たような挫折を経験し、不貞腐れたり愚痴ったりもする同じ人間なんだ、と知れたからかもしれない。
往還シャトルが飛び上がり、衛星軌道上の宇宙港に向けて惑星パラースの地上から離れていく。ボリスの視界には、映像越しの
自身が掲げるプランを実行せんがために、立ち上がり、政治家と成り、国防委員長の席を掴み、同志を作り、ここまで進んできたのだ。その夢-ボリスプラン-は地平線の彼方に消えて行った。
だが、自身の職責-国防委員長-に思考停止は許されない。自分が望もうと望まざるとに関わらず、最適の政策を自由惑星同盟のために整備するのが使命なのだから。