帝国遭遇狂騒曲 異説・ダゴン星域会戦成らず 作:narrowalley
早すぎる。
マクシミリアン・ヨーゼフ・フォン・ゴールデンバウムは呆れてすらいた。いくらなんでも堪え性が無さ過ぎるだろう。父の死があったとはいえ、任地に赴いて一年経たずに放棄、少数の取り巻きだけを引き連れて帝都への帰還。悪意ある見方をすれば脱走ではないか。(現に執政府に残された者達の圧倒的多くはそう見ていた)
延焼を防がねばならぬ。
ステファン・フォン・バルトバッフェルは覚悟した。一度放たれた矢を矢筒に戻す事は叶わぬ。後は双方の矢玉が尽きるかどちらかが白旗を上げるまで続く。事は帝位争いであり、敗北は死と同義。妥協できるなら、そもそもこんな拙速にはならない。
「これはひどい」
ヘルベルトの正妻と嫡子。側室の子供たち。マクシミリアン・ヨーゼフは弟の家族達との会見を経てぼやきとも呆れともとれる一言を漏らしてしまう。
執政府に逃げ込めば良いものを何を間違えたのか、わざわざ総督府に駆け込んで来た。ヘルベルトの帰還から宮殿での暗殺までが目まぐるしく、当事者たちも混乱の渦中にあったというのだけは、今も混乱から脱しきれない彼らの纏まりなき話から推測が付いた。
ヘルベルト大公の家族の一部が
「わざとか?」
腹心の一部は、これをリヒャルト一派の罠と邪推する者もいた。
「
逃げ込んだ、ヘルベルトの家族たちの話を纏めると、手引きしたのが仮帝を名乗り、玉座に居座るマクシミリアン・ヨーゼフ(グルーベンハーゲン侯爵)であると言う。
「古狸め…」
ステファンは憎々し気に天井を見上げ、脳裏に映る年老いた異母兄を睨む。
ヘルベルトの軽挙に盤面が狂いだしたので、慌てて辺境に引っ込んでいる予備のカード(マクシミリアン・ヨーゼフ大公)を掴もうとしている。多分そんな所だろう。
「仮帝などと、一瞬でも玉座に座りたかったのかもしれません。だが、それも甥たちの性急さに御破算となり、自身の身も危ぶまれるので殿下を巻き込もうと、(ヘルベルトの家族を)送り出した。その当たりか、と」
「そんなに座りたいものですか?あの椅子。
疑わし気にも同志を見る視線で甥から見つめられたステファンは荒く鼻息を吐いて突っぱねる。
「先帝陛下の凶行を見るだけで充分でございます」
雰囲気を一転し言い淀む侯爵。総督を見つめ、腹心たちを見渡すと、豪胆な叔父らしくもなく、迷うような口ぶりで自身の考えを喋りだした。
「…キングメーカーになりたかったのかもしれません」
「キングメーカーですか?」
「選帝侯。選帝会議に列席する貴顕を指します。次代の皇帝を選出する会議です」
選帝会議。法的に定義されない、その時々の有力者達の合議による皇帝選出であり、過去にもあった。文字通りその時々の都合により、選出方法も参加者(選帝侯)も異なる。
選定会議を必要とするのは、皇帝の後継指名に何らかの問題や瑕疵が生じた場合。
皇帝の後継者を選定するのは、神聖なる皇帝大権の一つであり、義務なのだ。原則として皇帝以外の何者もこの判断に介入してはならない。次代の皇帝を指名するのは皇帝唯一人。
建前である。歴代の皇帝とて自分の意思のみで選んで来たわけではない。皇妃やその外戚、時の有力者達の無形の意思に振り回されてきた。おそらく、先帝たるフリードリヒ三世もそうして帝冠を掴み、そして振り回されたと思われる。
「次代を決めるべき先帝陛下は既に亡く。遺言もありません」
「それはおかしい。グスタフ兄上。皇太子が健在なのです。これ以上ない遺志でしょう!?」
痛々しい思いを抑え込みながらステファンは、叫んだマクシミリアン・ヨーゼフに説いた。
「ヘルベルト大公の執政就任。先帝陛下自体がその意志をひっくり返したのです」
少なくとも皇太子を後継者とする意思を翻した、と見做せる決断をしてしまったのだ。当人にその真意を質す事が出来なくなった以上、どうとでも取れる。
「法的正当性は勿論、皇太子殿下が一位です。ですが、第二位者として先帝陛下が執政を定めたのです。第二者が出来たのなら第三者が現れた、として構いますまい。そういう論法で彼らは争っているのです。
肝心の皇太子殿下に弟達を掣肘する実力が無いのも問題です」
「強いて次に、法的正当性を保証してくれる生存者として挙げうるならば。
皇太后陛下となりましょう。彼女が皇太子の補佐を任じるという形で次代を定める事は帝室法からしても、今の状況で最も正統性があります」
「…ですが。皇太后陛下は、皇太子殿下の生母でございます」
皇太子の地位を揺るがす、否定するような勢力に与するはずもない。
皇太子自身の健康不安・脆弱さはライバルからするともはや利点でしかない。(皇太子の死を)待ってても良かったが、皇太子の身柄を確保し、その権威を手中に納める事ができれば最上である。
だからこそ、仮帝マクシミリアン・ヨーゼフは二人の大公に皇太子の存在を仄めかしつつ、帝国軍と政府の及び腰を知っているからこそ、彼らが不介入を決め込む事が出来るように玉座を預かって沈黙を決め込んだ。
後はヘルベルトとリヒャルトの勢力が宮殿で膠着状態に落ち着く事が叶えば。いよいよ、第三者勢力として仮帝マクシミリアン・ヨーゼフが登場する算段だったのではないだろうか。
仮帝と言えど、その言葉を無視出来ない拮抗状態。老マクシミリアン・ヨーゼフが天秤を支配する者となる。帝位を相争う者達が均衡を保つ時。どちらかに重しを乗せる事で帝冠が得られる時、確かに天秤の持ち手は皇帝を選ぶ者と言えるかもしれない。
皇帝を選ぶのに、天秤の持ち手、
それはもう皇帝そのものではないか。
現実は、ヘルベルトの暴走と頓死。皮算用で終わりかねないアクシデントに、新たなる一手を打ったのではないか。
ステファンの推測はそれを聞いていた者達の心にコールタールを流し込まれたような、重苦しい気分を味わせる。一様に黙る者達。
「なんですかそれは」
状況を膠着させる為にだけ私を担ぎ出そうと言うのか。
漂白した顔色と無機質染みた表情で凍り付いた、マクシミリアン・ヨーゼフは呟いた。
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その後、何を誰と会話したのかよく覚えていないままに、住まいに引っ込んだマクシミリアン・ヨーゼフは図書室で、独り酒と珈琲を弄び、ただただ時間を費やしていた。
空けたウィスキーグラスにこびりついた酒精の残滓が渇き切るほどの時間がたった頃、いい加減に酔いが遠ざかったマクシミリアン・ヨーゼフは人の気配に気が付いた。
「あなた」
マクシミリアン・ヨーゼフを呼ぶ最も素敵な声音の持ち主が近づいた事を察する。
彼女の匂いを求めて鼻を膨らませるが、成果は期待したほどではなかった。
「ジークリンデ」
マクシミリアン・ヨーゼフの愛する女は酒による醜態に対して特に意見も述べず、夫を見続ける。
妻の無言の注視に羞恥心が目覚め始め、酒精とは異なる理由で顔が紅潮するのを自覚するマクシミリアン・ヨーゼフ。
ジークリンデはテーブルに置かれたウィスキーグラスを手に取ると、卓に置かれたウィスキーを手に取り、栓を開け中身を少量注ぐ。
すぐに口を付けず、グラスを回し、顔に近づける。匂いを楽しむようにグラスを鼻にかざし揺らす。
「自棄酒に煽るには贅沢すぎるわね。叔父様に怒られるんじゃない?」
新たに注がれたウィスキーグラスをマクシミリアン・ヨーゼフの手に届かない位置に置くと、代わりに水差しを手に取る。
マクシミリアン・ヨーゼフが空いたグラスを手に取ると、彼女が近づき、水差しから水を注ぐ。
黙って水を含むと、ぐ、と飲み込む。
黙って彼を見つめる彼女。
傍らで立ち尽くし、見下ろすままの彼女に酒の力で抑え付けていた、申し訳なさとか照れとか様々な思いが酔いが覚めると同時にぶり返してきた。それを抑え付けるために、彼は目の前、手の届く位置にあるものに頼る事にした。
「落ち着いた?」
抱き寄せて、彼女の胸に顔を押し付ける事暫し。
夫の頭を抱き留め、ひたすら髪を梳いて好きにさせていたジークリンデは夫が落ち着いたのを見計らって声を掛ける。
「…うん。あれかな。叔父上に頼まれたのかな」
「自宅にまで叔父様は追って来ないわよ、ここは私の城なんだし。寝室に戻って来ないんだもの。どこかで不貞腐れてるのか
ジークリンデの身も蓋もない自身の行動様式の予想に照れを多分に含んだ苦笑を浮かべ、名残惜し気に胸から顔を遠ざける。机から離れ、彼女の手を引いて、窓際に設置されたソファーに移動する。先にソファーに座ると、妻を自分の太腿の上に誘う。しっかりと抱き留めた、妻の温もりを感じながら、マクシミリアン・ヨーゼフは話始めた。
「どうにも新無憂宮が私を離そうとしない。それも私の事情や意思を構う事無く勝手に進める。…いや、勝手に向うから追いかけてくる」
「君と結婚して、こんな地獄のような宮殿から飛び出さなければならない。いつ何時、君と引き離されるかも分からないような牢獄に囚われ続ける訳にはいかない。
そう決意して、父上に辺境に出すように嘆願した。父上も結果次第ではあったが、私が上手く立ち回っている事に満足していた、と思っている」
それをなぞらせるように、ヘルベルトに執政をあてがって後継者としての箔を付けさせようとしたのだが、結果としてそれが爆弾と化してしまった。
話を転じる。
「父の子は四人だけだったと思うかい?」
即位後の壮年期、フリードリヒ三世は荒淫と廷臣達を嘆かせるほどに女に溺れた。帝位に上る前にも認知した私生児は居たのだが、いずれも皇位継承権を放棄させるに留まらず帝都からも遠ざけているか、成人前に亡くなっている。
即位前後の疑惑と混乱により出だしから傷ついた自身の権威の補填に、帝室の血を色濃く引く皇后と結婚し
皇后に対し、この件でフリードリヒ三世が辛く当たったという話は聞いた事がない。妻たる皇后への配慮だとは思うが、そうであれば、その後の不摂生も慎むべきであったろう。
皇后と結婚する事で控えていた、漁色が復活した。
生まれたばかりの長男と皇后に顔を出さず、後宮に下級貴族の娘を入れたり、宮女を寝室に連れ込んでは一夜の供をさせるのを好んだ。面倒な外戚が存在しない女性ばかりに手を付けていたのは、皇后や宮廷の有力者たちへの配慮だったのかもしれないが、妻たる皇后(と皇子)に対する配慮と言い張るには、自分勝手で無責任と陰口を叩かれてもやむを得まい。
この頃に、マクシミリアン・ヨーゼフは生まれた。
箔着けと所作礼儀見習いも兼ねて、余裕の無い下級貴族の娘がコネを使って宮廷に出仕する、というのはよくある話であった。
皇帝に見初められて寝屋を共にし、側室に立てられ、皇子を産み、やがて成長した皇子が帝位に上り、国母に成り上がる。巷間で戯作の題材に使われる、手垢に塗れたシンデレラストーリーの一つだ。
現実にそんな事を夢見て宮廷に出仕する下級貴族など、少なくともこの時代には皆無であった。
ある日突然、宮廷に送った娘が(皇帝に見初められ)
余程に地頭が良く、見栄えも相当の器量良しであれば有力貴族の養女として「売り渡す」事で切り抜ける手もあり得るが、後宮への伝手を早急に求める有力貴族が居合わせなければならず、運も味方にする必要がある。まさに
マクシミリアン・ヨーゼフの実母は、シンデレラに成り上がるほどの運には恵まれなかった。実家からは実質的な絶縁を宣言され、後宮で孤立した。器量においても有力貴族が食指を動かすほどではなく、下級貴族ゆえの子女教育にも恵まれず(だからこそ宮廷に出仕したのだ)、年もあって今から教育を施す投資効果を疑問視されて後ろ盾を得る事も叶わなかった。ただ、地頭は悪くなかった。それが彼女と
敵となり得ない無勢だからこそ、誤らないように周囲をよく観察した。
フリードリヒ三世が御渡りになる度、後宮に留まらず、宮廷の空気を調べた。
懐妊し、無事出産した後は目障りにならないようにマクシミリアン・ヨーゼフを躾けつつ、フリードリヒ三世に息子の存在を忘れさせないように仕向け、最低限の皇族教育を受けさせた。
マクシミリアン・ヨーゼフが生まれてほどなくして、有力者達の危機感と後宮の無法化が目に余ったのだろう。
大貴族のひも付きである、三男、四男の母親となる令嬢達が側室として後宮に上がった(フリードリヒ三世の意思かは分かりかねるが)。ただ確かな事は、彼女たちが後宮入りした事で、後宮の治安と風紀は宮廷が我慢できるレベルに持ち直した。
義務感もあってか、ほどなくヘルベルト、リヒャルトと待望の男子が続けて生まれた。それ以外にも御手付きの女が居ない訳がなかった。だからこそ荒淫と呼ばれるのだ。
「でもね。ジークリンデ。不思議とリヒャルト以降、成人した子は居なかった」
流産、早世。フリードリヒ三世が飽いたのか、リヒャルト以降はひも付きの女(大貴族出身の側室たち)に食指を動かそうとせず、女官を中心に寝室に連れ込み一夜の供をさせる事が続いた。
「そういった貴族の後ろ盾を持たず、父上の庇護もなかった女たちが産んだ子たちはことごとく成人前に亡くなった」
腹に子を抱えたまま、原因不明の死を遂げる者も居た。
「…そうさ、これ以上の競争者(帝位継承権者)を求めていなかったのさ。貴族達も、父も、そして義母上(皇后)も」
「私はたまたまヘルベルトやリヒャルトより早く生まれていたから。父上の気まぐれで生き延びたに過ぎない」
「実母に事あるごとに言い聞かされた。貴方は今も生きている事が奇蹟なのだ。皇太子に尽くしなさい。弟達、その母親の後ろにいる大貴族たちに疎まれないよう、立ち回りなさい」
ああ。マクシミリアン・ヨーゼフは嘆息する。実母ですら父上を見ていなかったのか。自分の人生を捻じ曲げ、性欲のはけ口として一夜の戯れで自分の寿命すら削った男を。恨むでもなく無視する。なるほど。これほど相手を傷つける態度もあるまい。マクシミリアン・ヨーゼフはようやく納得した。
「それがあなたの原風景なのね…」
「父上は君から聞いた、下級貴族を含む市井の親たちが持つべき当たり前の愛を、それどころか私と実母にすら興味を払わない。死ねばそれまでと受け入れる程度の存在だった」
義母(皇后)は自分が腹を痛めて産んだのに脆弱な長男に取って代わる存在を憎んでいた。憎む事に関しては平等な人だった。そういう意識しかない。
弟達の母親など、今も見分けがつかない。見分けるほどの違いがなかったから。自分や長男は障害物としか見做していなかったのがあからさまであったので。
「だが、そんなくそったれ(一度言ってみたかった)のような家族の中でも兄上、グスタフ兄上だけは違ったんだ。あの御方こそが奇蹟だった」
ジークリンデの胸に顔を埋めて、体に走る震えを抑えようとする。
皇族縁の母を持ち、健康上の重篤なハンデを生まれ持って背負っているのに、血を分けた家族なのだから、と自分にも分け隔てなく肉親の情を与えてくれた。
だからだろう、兄上にだけは弟達も敵意を向ける事はなかった。皇太子であり、長男であるグスタフ兄上の無垢なる肉親の情が為せる業なのだろうか。ギリギリの所でフリードリヒ三世の家族と言う枠組みを維持し続けて来たのはグスタフ兄上の存在が必須であるとマクシミリアン・ヨーゼフは見ている。
「そういうものかと思っていたし、納得もしていた」
自分や実母に興味を払わないのはまぁ当然としても、長兄たる皇太子の存在すら諦める父親だ。部下というべき廷臣達に酷薄な処遇を繰り返し、それでも(だからこそか)父上の期待通りの働きをしないというだけで猜疑心を募らせる。それがさらなる粛清を齎すという悪循環だ。子供心に、父上を疑ったものだ。父上は自身を誅させるためにやっているのか?と。
「母もまた心労で私を残して逝った。あぁ、そう思うようにしている。誰かの手で亡くなったなどと知らされたら私が惨めになるから」
「父の
感情が振わないようだ。父帝の最後について語るマクシミリアン・ヨーゼフの顔を眺めながら、ジークリンデは思った。
「ただ、その後の事(父の死後)が私にとっては大事だったから」
いつ臣籍降下が決定され。
どこにジークリンデと赴くのか。
辺境のスローライフ。これをより確実にし、新無憂宮からの介入を断つ事ができるのか。これだけを考えて来たのだ。
それこそ、何度も何度も。繰り返し脳内でシミュレートしてきたのだ。もう厭きれるほどに繰り返したし情愛も擦り切れ、父帝の死に揺らぐ心すら喪った。
「覚悟はしていたよ。兄弟が相争う、帝位を巡る争いは中途半端に終わらない。敗者は死を賜る事になると」
だが私は関係ない。辺境に引っ込む身だ。継承権も捨てるのだ。望む者達で宜しくやってくれ。
「でも、実際に
いやいや、そんな、嫌味じゃないよ?もし、あそこで見なかった事にして引き渡していたら、私はきっと君の横に居る事に自分自身が赦せなくなって、自死してしまっているかもしれない…」
「あんな父の跡を襲う為だけに弟達に兄弟殺しを強いる
黙って聞いていた、ジークリンデは胸に抱えた夫の頭に近づき囁くように問いかけた。
「…ねぇ、あなた。
あなたは、”あんなところ”で何をしたかったの?」
「?」
胸から顔を離し妻の美しい顔を見つめつつ、理解が及ばないと疑問を浮かべるマクシミリアン・ヨーゼフ。
「何某かの後悔を感じているのでしょう?ずっと考え続けていた、あなたにとって(ここに籠る事が)一番冴えた決断のはずなのに、ここで悩んでいるんでしょ。もし本当に嫌で切り捨てているなら、逃げればいいのよ」
ポカーンとするマクシミリアン・ヨーゼフ。
「何処へ逃げると言うの?」
「もっと辺境へ。辺境の先、未開の地なんて一杯あるじゃない」
珍獣を見るかのような笑いを浮かべてジークリンデは続ける。
「いやだ。あなた。皇帝の支配が全銀河に及ぶなんて、戯言を真剣に信じてたわけ?天の川銀河の半分も人類は進出していないのよ」
そこまで逃げればいいのよ。そこまで追いかけるだけの気概のある奴が居るとも思えなかったし、とジークリンデは呑気に構える。
「…ははは。それはそうだ。私たちを捕まえるべく、辺境を追い掛け回す間に誰かに玉座を奪われるなんて間抜けはしたくはないだろうね!」
銀河帝国内を飛び回る、貴種の落とし種と噂されるお尋ね者の一組の男女。人類宇宙の果て、人跡未踏の星界へ足を踏み入れる冒険家カップル。
「まるで、大昔の宇宙放浪者のようなお話だ…」
帝国に追われる元皇子の冒険活劇。貴種流離譚そのものだ。
「ジャン・ピエールだっけ?彼は結構お盛んだったらしいけど、あなたそこまで真似る気かしら?」
「御冗談を。カップルが主人公のお話じゃ、追う側がハニートラップを仕掛けて、捕まえようとしたり、旅先の有力者が娘を使って誘惑して引き留めようとするのが定番…いたたっ、本気で抓らないで!」
「冗談は一端置いておいて。あなたが
「それを知ってどうするんだい。ジークリンデ?」
「それは、もう。バッサリ片を付けてしまう為よ」
人差し指を立てた右手で自分の首を掻き切る仕草をしてみせる。
「自分を着け狙う奴、狙う恐れのある奴を皆殺しにして、後顧の憂いを根切にして、辺境のスローライフに旅立つも良し」
続けて中指を立て、二本指を揺らして見せる。
「面倒くさい皇族、貴族を粛清しまくって、あなたが唯一無二の支配者として皇帝に截ち、私を皇后に柵立して人界のあらゆる贅沢を許してくれるというのも、面白いかもしれないわね?」
折り畳んだ指を開いて、夫の顔に添え、悪戯気を含みつつも優しい眼差しと口調で囁いた。
「もしくは…あなたにとって大事な家族の葬式をちゃんと挙げてあげる為に戻って、少しは静かに眠れるように多少は掃除をしてあげる、という未来はどうかしら?」
目を瞬かせて妻を見つめる、マクシミリアン・ヨーゼフ。
「面倒くさいけど、掃除した後を綺麗に維持するように、残る者達を躾けるのも仕事になるでしょうね」
画竜点睛を欠くのは、御伽噺としては頂けないじゃない。妻は楽しそうに告げる。
「…そうか。私は悼みたかったのか…」
実母。弔う余裕すらなかった。隙を見せる訳にはいかなかったから。一瞬たりとも隙を見せてはならない。そう言い聞かせられて育った。疑われない程度に隙を晒すように振舞いなさい。致命傷を負わない程度に転んでみせなさい。危険なほどに有能であるとか、不相応な欲を持っていると思われないようにしなさい。そんな遺言しか残してくれなかった。いや、残せる中で最も息子に必要なものだったのだろう。こんなものしか残せずに逝く母親の気持ちは如何ばかりだったのか。
異母弟。ヘルベルトとは悪い関係ではなかった。こちらが無力であり、敵意を持ち合わせていない事を確信していたのもあるだろうが、だからこそ純粋な肉親の情を表わしても面倒事にならなかった。そういう意味でほぼ無条件で甘えられる、希少な家族だったのだろう。決意(帝位への挑戦)と結果(頓死)は致し方ないかもしれない。だが、弟に殺される結末を哀れむのを咎められるほど大それた事をしでかしたのだろうか。
先に逝った兄弟姉妹とその母たち。自分が辿るかもしれなかった可能性であった。血を分けた(押し付けられた、と言うべきだろう)親の都合で生きる事が叶わなかった。
「生きてる間に出来ることがもっとあったとは思うけどね。死んだ相手には出来る事は多くないでしょ。皇帝といえど」
呆然とする、夫の瞳から流れた一筋の涙を、ジークリンデは指で拭いながらぼやく。本当に面倒くさい家族よねぇ。帝室って。
「私に出来るだろうか」
「あなたがやらないと、誰もやらないんじゃない?あなたの家族は、良い様に(その死を)利用され流血帝の再来とか、世紀の悪女とか、簒奪に失敗し惨めな死を遂げた愚物とか、それはもう酷い言われ方をするんじゃないかしらね」
なにせ、帝都を焼いてるんだから。それはもう盛大に悪評を立てて視線を逸らさないと、後が大変だろうし。
その血族を前に随分と酷い、言いざまではあった。
「出来るかどうかすら、やらねば分からないか」
「あなた一人でやる必要もないのよ。足りなければ、助けて貰えばいい。貴方の偉大な
私は数に入ってないの?無言で軽く睨んで見せるジークリンデ。
「銀河を股に掛ける宇宙放浪者は後でも出来るからね。先に片付けるものをやっちゃいましょ」
ジークリンデの話を聞いていると、これからやる事(帝都を鎮める)は前座の前座でしかなく、大それたことには思えなくなってくる。実際彼女にとっては、大した事では無いのだろう(最優先でもないはずだ)。そして、そんな彼女にとっての第一は私ことマクシミリアン・ヨーゼフなのだから!
「そうだ。銀河を巡る旅も良いし、辺境のスローライフもしたい。だったら、この程度の危機を乗り切らなくては話が始まらないではないか…」
「そうよ。だから、シャキッとなさい、私のマックス。
これから先は貴方は率いる者、正統な血を引く皇族とかではなく、帝国を背負うという意味での皇族にならんとするのだから。そんな呆けた、情けない表情は私だけにしか見せられなくなるのだから」
夫の顔を両手で挟み擦りながら、囁くようにジークリンデは告げる。
「そうだね…」
「でも、死にそうになったら逃げるわよ。あなたとの生活に帝国は必須じゃないからね」
ジークリンデの思考は最高だ。逃げる前にやるだけやってみよう。逃げるのは後でもできる。自分の為に、引いては彼女との至高のスローライフのために。もはや前向きどころか、前しか見えない。
こうして、ゴールデンバウム朝の歴代支配者達の中でも名臣録において、上位に入る為政者は
GWまでには終わる予定だったけど、終わる気がしない…
気長に細く長くお楽しみいただければ幸いです(白目