帝国遭遇狂騒曲 異説・ダゴン星域会戦成らず   作:narrowalley

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16.とある仮帝の幕間と終劇

 火の手を上げる摂政宮殿を、押し込められた離宮から恍惚とした表情で見遣る老マクシミリアン・ヨーゼフ。

「お甘い」

 仕掛けは御覧じろ。

 切っ掛けを与えたに過ぎない。こちらの持つ情報を選別・加工し、狙った経路とタイミングで対象の者たちに送るだけ。

 歴代皇帝たちの保身欲の精髄でもある秘密通路を教え、同時多発的に新無憂宮を襲わせた。複数目標に異なる集団が仕掛けた襲撃は圧倒的有利な防衛側を混乱させているようなので、塞翁が馬と言えよう。追い詰められているが上に視野狭窄に陥りつつも、全体として主敵(摂政)から、という判断は出来ているようだった。

「我が甥はどう捌くであろうか…」

 摂政殿下にはまだ理解し難いのかもしれない。殿下自身が生きる為に死地(オーディン)に飛び込んだように、他者もまた生きる為に殿下を殺さんとする事を。

 そして、生きる為に敢えて見ない振りをし、足を引っ張る者達が居る事を。

 勝者(あるじ)が確定するまで様子見する習性が本能レベルで刷り込まれた帝国軍もこれでまた固まるであろう。

 そこに、道理や利益が有ろうと無かろうとさして重要ではないのだ。保身感情(生きたい)とはそういうものだ。

「帝冠は望む者達の血を求めるものだが。さて、望まぬ者に対してなにを求めるものなのやら…」

 これは新しい展開になるのやもしれぬ。老人はほくそ笑む。

 

 老人は今見えるものを観ていない。その視野は過去の光景に遡る。

 

 それは最高の劇だった。

 

 皇族としては傍系も傍系。生まれた瞬間から主人公に成れない端役。主役たち(メインキャスト)を囲む名もなき脇役(モブ)が宿命付けられた存在であった。ルドルフの末裔と、公式に認められる血の濃さを持たない程度の貴族であれば、より選択肢もあったかもしれない。自身に流れる中途半端な量の尊き血が、籠の中の生活を運命づけていた。

 高貴なる飼い殺しの退屈潰しに老マクシミリアン・ヨーゼフは劇を選んだ。理由は本人も思い出せない。忘れて困らない程度なのだから選んだ理由も些末である。

 音楽劇や古典劇が推奨されたが、現代劇も含んだ。退屈しのぎに過ぎないのに、自ら選択肢を狭めるなんて愚かな事だ。若き日の、老マクシミリアン・ヨーゼフはそんな後ろ向きな理由で劇を梯子するように見て回った。劇熱狂者と周囲からは見做されていたが、本人にそんな熱気はなかった。心から楽しんでいるかと神に問われたら否と答えるしかない。死がこの無駄な生を終わらせるまでの時間潰しである。青年期を越え中年に差し掛かるまでの老マクシミリアン・ヨーゼフの生はそういうものだった。あの時が来るまでは。

 

 異母弟(フリードリヒ)帝位への(大それた)野心を抱えていた事に気が付いたのだ。

 フリードリヒにも(帝位継承の)権利はあった。ただし、その優先権は低いものであった。立ちはだかる者達は、老マクシミリアン・ヨーゼフなら挑む気すら失せる程に多く、強力だった。

 それでも、(フリードリヒ)は走り出したのだ。一方の老マクシミリアン・ヨーゼフは無害であり無力であったから存在を無視された。居ないものとされたからこそ、近くで見る事ができた。だからこそ気付いたとも言える。

 

 思った以上に彼フリードリヒは名優であった。

 笑えるくらい東奔西走する様は笑劇。

 次から次へと降り掛かる苦難と敢闘は、よく知る者であるが故に劇では知り得なかったリアリティーがあったし、興奮と感動で体中の血管がはち切れそうだった。時にそんな姿は英雄譚の英雄に重なったものだ。

 不条理に叩かれ膝を折る彼に悲劇を見た。

 有り得ない運命に飛躍し、振り回される様は喜劇そのもの。

 

 そして、遂に辿り着いた頂き。煌びやかな盛装の内はボロボロの肉体と精神。

 それでも。

 (きざはし)を登り切り、至高の冠を戴き、至尊の座に腰を降ろす。文武の百官・諸侯が(フリードリヒ三世)に首を垂れるシーンで幕が下りる。

 

 傍観者として最高の観劇だった。

 

 これほど心から楽しんだ時間はなかった。

 老マクシミリアン・ヨーゼフは一つの究極を見たと結論した。

 悲劇・喜劇・不条理劇あらゆる要素が満載された、これこそが総合芸術である、と。

 再演は無い。唯の一度限りの公演。役者も一度切りの出演。なんという贅沢なのか。

 帝位にまつわる騒動、玉座争いほど心を震わせる舞台は無いと。

 老マクシミリアン・ヨーゼフにとって、帝位に興味などなかったし、異母弟(フリードリヒ三世)の猜疑心がひたすらに面倒だったので、求められるままに臣籍降下した。後は余生であり、あの感動を胸に秘め、ひっそりと思い出すばかりが楽しみになるのだと、自身を慰めていた。

 

 だからこそ、異母弟がやらかした事に歓喜した。大神に感謝すらしたほどだ。

 かつて最高の演技をしてみせた主役が再び舞台の幕を開けようとしてくれたのだ。

 せっせと役者を産み育て、(後継問題という)舞台を用意してくれているのだ。

 そうとなれば、特等席で見たくなるのは劇熱狂者の性である。

 何、ずっと見続けていた人物だ。(フリードリヒ三世の)熱狂的ファンと称しても良い。何を喜ぶかなど、思いのまま。あっという間に懐に潜り込んで、腹心に成り遂せる。特等席は確保した。その席を維持するのに権力は必要ではない。むしろ邪魔になる。だからこそ、権力は徹底的に避けたし拒んでもみせた。これは異母弟の猜疑心の為せる試験をクリアする事にもなった。老マクシミリアン・ヨーゼフとしては、模範解答付きのテストに答えるだけの作業であり、定型作業に恐怖や喜びという感情も沸く事はなかった。

 後は待つだけ。観劇の為に健康に今以上に気を使ったくらいだ。万全の体調で臨まなくてはならない大見世物なのだから当然だ。

 

 だが、少し迷った。今度も観客に徹すべきか。今度は出演者として、()()()()()べきか。

 どちらもそそる。自分が二人居ない事が本当に悔やまれる、と益体の無い妄想に心を妬いた。

 今度の出し物が自分が観られる最後の演目となろう。

 ここで、ちょっとした欲を掻いた。せめて長く観たい、と。それくらいの我儘は挟んでも劇を壊すほどではあるまい。長く飽いた人生を我慢してまで待ったのだ。これくらいは許してもらおう。

 

 

 グルーベンハーゲン侯マクシミリアン・ヨーゼフが本当にこの劇の幕が降りたのを観られたのか。

 舞台に立つという事を。演者となる事を本当に理解していたかは疑わしい。彼は確かに劇熱狂者であったので、観客としては熟達の域にあった。だが演者としては素人も素人だった。

 

 もっとも。

 人は誰もが”自分”を演じる素人であるのだが。

 

 とにもかくにも。

 演者として舞台に立った以上、他の演者に見られ、介入されるのだ。

 その事を失念していたのか、理解して敢えて立ったのか。

 

 

「…おや。なんだ、摂政殿下も判っておいでだったのではないか」

 帝冠への野心など一欠けらも無いように振舞っておきながら、いざ事が成れば即断即決。

「いやはや、殿下もお人が悪い。…いや、野心(それ)を誰にも、儂にすら暴かれずにここまで来たのであるならば。…ふむ。これは存外、帝冠に望まれる程の御仁という事なのかな?」

 予想外の解釈に顔を綻ばせる老マクシミリアン・ヨーゼフの視界に、人工視覚素子の紅い光を爛々と放ちながらこちらに一目散に駆けて来る、肩部を青で飾る装甲擲弾兵という死が写っていた。

 

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