帝国遭遇狂騒曲 異説・ダゴン星域会戦成らず 作:narrowalley
異説により、朽ちるはずだった枝先に芽吹いた一葉の可能性であり、
1.或る宇宙放浪者の旅立ち
「ヘイ、ジャン・ピエール、ヘイ、ジャン・ピエール……」
指定された桟橋に向かう人影が、歌を口ずさんでいる。
向かう先は軍用港の一角でありながら、意図的に疎外された場所にあり、明らかに人の視線を遮るような所にあった。当然のように人気も無い。
「ヘイ、ジャン・ピエール、地獄がお前に媚を売ってる
ヘイ、ジャン・ピエール、白い翼や黄金の輪はお前にゃ似合わない…」
口ずさまれる歌に伴奏するように続けて、低音の声が参加した。
「
枯れた、低音の持ち主が歌い手に声をかける。
「ええ、実は少し憧れていましてね。
…もっとも、途中で諦めた口でして。お陰様で今では、歌詞も忘れるありさまですよ」
「送迎を申し付かった本艦の艦長です」
壮年の男性は自己紹介と同時に手を差し出す。
「あぁ、これは失礼、艦長。お手数をおかけします。短い間ではありますがよろしくお願いします」
差し出された手を慌てて握り返す。
「ふふ。
古めかしい言い方をする艦長は、自身を軍人と見做すより、宇宙を旅する船乗りと任じる方を望んでいるようである。
「それに、ご存じですかな?実はこの歌の歌詞はレパートリーと言いますか、派生が多く生まれていましてね。それこそ星ごとにオリジナルフレーズがあると言われているのですよ」
「へぇ…」
「なので、歌詞なんてあって無いようなもの、なのです。
何せ、歌われている当の
「ふふ。それらの星に行けるかもしれない、と考えたら、諦めたはずの想いが燃え上がって手が付けられないままに、気が付いたらここに居るというわけです」
「…」
自分の艦が彼を何処に送るのか、それだけを知っている艦長は黙り込んでしまう。
今の自由惑星同盟には絶対に必要である事は、自分のような、ただの船乗りでも分かる。だが、このような作戦は、現代の軍隊が、いや現代の国家がやって良いものでは、無いのではないのか?せめて、自分より遥かに賢いはずの軍上層部や、政府の
自分は軍人で、軍基本法と同盟憲章に反しない限り、命令には従う義務がある。そして『彼』は志願して此処に居る。この任務に就く度、何度も何度も、繰り返し訓示されている。
黙っていても任務は進まない。気を取り直した艦長は口を開いた。
「さて、短いとは言え、同じ船に乗る仲間なのです。呼び名が無いのは、やりづらいものです。せめてあだ名でも決めませんか」
任務の規定により、艦長は彼の名前を聞いてはいけないし、彼もまた名乗ってはいけない事になっている。
「ミスターエックスでも良いのでは?」
「あからさま過ぎるでしょう」
艦長は苦笑する。
「だからと言って、ジョン・ドゥ-身元不明死体-は止めてくださいよ。不吉過ぎる」
験担ぎも船乗りの大事な特性です、と冗談めかして艦長は客人に釘を刺す。
この、名も無き任務に何度か参加している艦長は、眼前の客人と同じ、何人かの
「ジョン・スミス-偽名-で終わってもいいとは思っているのです」
「…」
「せめて、知りたいと思って学ぶだけに飽き足らず、周りにも迷惑を掛けて、研究する立場にもなってみたのですが…」
「知ることが出来るなら、いえ、見る機会が1%でもあるなら。死んでも構わない。そういう気持ちが無いと、この任務に参加などできません。
…もっとも、ここまで我儘でもって迷惑を掛けた周囲の人たちや、真剣に祖国-自由惑星同盟-を案じている方々の期待を振り切るような罪悪感も無いではないのですが…」
「…」
重苦しい沈黙を書き換えようと、わざと明るい声を上げる。
「そうだ、決めましたよ」
「何を決めたのですか?」
「艦長がお望みのあだ名ですよ。いや、むしろあちらに行ったら、それを私の名にしようかと」
「ほう…私が最初に名乗りを受ける栄誉に
せっかくの客人の好意なのだから。艦長も仰々しく、でも冗談めかして応える。
「…ジャン。
ジャン・ピエール。
古代地球ゲルマン語風に直せば、ヨハン・ペーターかな」
「………ふふ。
…はははっ。あっはっははは!
いや、失礼しました。貴方はとても前向きだ。まさにスペース・ジョッキーたる御方だと確信しましたよ」
呆気に取られた艦長は数秒の硬直から、自然と漏れ出る笑いによって解放された。澱んでいた心の
「…確かに、確かに。別に、ジャン・ピエールは複数居たって構わないですな。いえ、貴方こそが現代のジャン・ピエールたらんとして、誰が文句を言いましょう。
いやはや、
「そんな、変に持ち上げないでください。思わず下手な敬礼をしてしまいそうで…」
「とんでもありません。むしろ、銀河に轟く、偉大な
ヨハンと名乗った、自身より若くも、頼りなさげな真新しい宇宙放浪者に向けて、叩き上げの船乗りであり、軍人でもある艦長は心からの敬意を籠めて、力強くも美しい敬礼を送る。
苦笑いしながら、下手くそな答礼を返す客人に対して、艦長は満面の笑顔で、提督にするよりも恭しく、自身の艦に案内する。
その船は、とても特殊であった。
政権上層部、軍上層部の一握りしか知らない艦艇であり。
現在設計が大詰めを迎えていると言われる、後に指揮統制艦と呼ばれる次世代型戦艦-カンチェンジュンガ級-よりも金食い虫であり、そのくせ、製造数は片手指で足りるほど。
自由惑星同盟の建艦能力の持てる限りの隠蔽性能、航続距離、索敵能力、高速性、大気圏突入・離脱能力、それらを限界まで省力化の上、小型化した艦体に詰め込んだ"芸術品"であった。
艦番号(ハルナンバー)も持たず、帳簿上も自由惑星同盟軍の艦艇-軍艦-ですらなかった。
或る任務に特化されて設計・建造されたその艦は、自由惑星同盟軍の艦艇としては忌み子のような外見と機能であった。
或る任務の為に用意された、その艦を操るスタッフは、自由惑星同盟軍から厳選されていた。能力は勿論、人間性、特に秘密保持が徹底出来る事が能力と同等に最重要視された。
艦長は最初にこの「船」を見た時に反感を覚えたものだった。
要求された機能を詰め込むために、本来、船として必要とされる、居住性、整備性、操作性など、必要不可欠な要素を極限まで削り込んだ代物だったからだ。”これ”を船と認めるなら、一番不要な要素は人間だろう、と反発したものだ。
この船が向かう先はオリオン腕。
後世イゼルローン回廊と呼ばれる宙域を哨戒中の帝国軍に気付かれないように侵入し、工作員を最寄りの有人惑星に送り込む。付随して、
ここ十年来無かった規模の大規模動員を掛けて行う艦隊対抗演習の準備の慌ただしさに隠れるように、その船はイゼルローン回廊を目指して、旅立った。