真刃は次の日。学校をサボった。
いや、とある立食パーティーがあるので、そもそも欠席すると学校に伝えている。
伝えているが……では本当に行く必要があるのかと言われると微妙な部分ではあるので、実質的にサボっていると言って間違いはない。
「この体は、マジで本当に……匂いに忠実だよなぁ。昔、そうなるようにしたんだけどねぇ」
学校の制服を着て、街中を歩く。
明らかに授業中の時間帯であり、普通なら変な目で見られることだろう。
しかし、真刃が着用しているのは陽東高校の制服だ。
芸能科があり、平日昼間に仕事が入る生徒も多く、授業日程である程度融通が利く。
そんな学校の制服を着ていて、しかも容姿が整っていれば、『何か仕事が入ってるんだろうな』と察してもらえる。
長時間ゲーセンに入り浸っていなければ別に問題はない。
ロリ系の美少女の顔をした白い長髪という特徴を持つ真刃も、初見では『あー、芸能科の子か』ではなく、『なんで男の制服?』と思われるが、いずれにせよ、街中を歩いていたとしても、真刃は『納得されている』のだ。
「普通、夜にあんなことになった次の日は、まともに動けない。でも……今もそうだけど、普通に歩いてるし、気分は最悪だけど体調は問題ない」
顔色も悪くない。
歩くスピードもいつも通り。
髪の艶や肌の張りも特に変化はない。
しかし、気分は最悪。
「……はぁ、ん?」
スンスン、と匂いを嗅いで、知り合いが近くにいるとわかった。
「……アクア君と有馬先輩」
真刃が歩いていた道の、近くの公園に、アクアと有馬がいた。
「……若い男女が学校サボってキャッチボールか。これも時代かなぁ」
呟く真刃。
……もっとも、それを有馬が聞いていたら、『アクアが変なだけ』と言われることは間違いない。
「私みたいな下手っぴじゃなくてもっと上手な人誘えばよかったんじゃない……? ルビーとか……」
「妹に学校サボらせる兄が居るか」
「シスコンきも……」
真刃には何がどうなっているのかよくわかっていないが、とりあえずこのキャッチボールはアクアが言い出したようだ。
「じゃあ『今ガチ』の人とか……仲良いんでしょ?」
「まあ悪くはないけど、一応仕事っていうか、そういう気安い関係でもないし」
「そうなんだ」
「嘘ついたり打算で動くことばっかで、何の打算もなく無駄な会話できる人間ってのは、俺の周りにはあまり居ない」
「ふーん」
「身近で言えば真刃は話せるけど、用事があったみたいで誘えなかった。その点、有馬相手なら気を使わなくて良いし」
「使えやコラ。ていうか暇人扱いすな」
有馬は苺プロダクションに所属するれっきとしたアイドルであり、ルビーと組んで『B小町』の復活を着々と進めている。
ただ……。
(有馬先輩の最近の活動で一番伸びてるのって、『ぴえヨンブートダンス』だよなぁ)
苺プロ所属の中で一番の稼ぎ頭である『ぴえヨン』とのコラボで撮影した動画だが、かなり伸びていた。
それはそれでいい。
ただ……『へえ、アイドルなんだ。最近どんな活動したの? 一番伸びた企画は?』と聞かれて『ぴえヨンブートダンス』と言えるだろうか。
というかそう答えた後の会話の流れは基本的に地獄のような気がする。
(そろそろ、何か仕事を入れた方が良いぞ。有馬先輩)
なんとなく、そんなことを思った真刃である。
「んーでもま。そういう相手に選んでくれるってのは、悪い気はしないかな。『今ガチ』そろそろ収録大詰め?」
「ああ」
「一番人気はゆき? でも最近は黒川あかねも調子良いみたいだし」
以前はゆきが一番だったが、今はもう、あかねの『一強』だ。
「実際のところあんたは誰狙いなの?」
「あくまで仕事だからそういうのはない」
「でもタイプとかはあるでしょ? 年下が好きとか……年上が好きとか!」
「難しいことを聞くな……」
そもそも、自分の好みを言語化することはかなり難しい。
今まで、好みと言えるものを目にして、そこで一瞬冷静になって心の中に記録できれば、それが『好み』だと、人に対して言える。
だが、一々、好みの対象に記録意識を持つことなどできないし、やっても冷めるだけだ。
「……最近つくづく思う」
「?」
「……どんどんと、『僕』と『星野アクア』の境目がなくなっていく……」
セリフだけ聞いていると『何言ってんだコイツ』となる。
しかし……。
(……何か、匂う。誰だ? なんか医者っぽいような……)
星野アクアから、何か別の匂いを感じる。
それをアクア自身も認識していて、境目がなくなっていると考えるなら……『筋』は通る。
(アクア君。君も……)
いろいろ考えていたが……。
「……前から思ってたけど。怖くて聞けなかった」
「?」
「あんたもしかしてさ……中二病? そういうの速く卒業しなさいよ……」
イタイから……と付け加える有馬。
そんな彼女のグローブに、レーザービームが突き刺さる。
ボールが『パァンッ!』と入ってきて、有馬は『きゃあ!』と悲鳴を漏らした。
(……アクア君が中二病。まあそれ以前の問題として……有馬先輩忘れてないか? それとも知らないのか? そいつの本名『
キラキラネームと中二病は全く別の話ではあるが、何だかこうして並べてみると凄くニヤニヤできるのは事実である。
「まぁ要は俺も高校生って話だ。俺も自分と近い年齢の子を恋愛対象として認識する」
アクアの精神はともかく、間違いないのは、彼は16歳の高校生だ。
「まぁある程度上の方が良いのは間違いないけどな。年下は無理」
「年上好きってこと?」
アクアは高1。有馬は高2である。
「へーー? ふーーん? へーー?」
「早く投げろ」
顔を赤くして何か考えている有馬。
まあ、わかりやすい。
「はっ!」
そして気が付いた。
そう、いるじゃないか。高2がまだ。
「へー……、ふーん……、へー……」
「なんだよ」
「なんでもない!」
バシイイイ……ン! と有馬が投げたボールがアクアのグローブに収まる。
「お、良い球じゃん」
「そう? えへへ」
「本当に初心者か?」
「そうよ。アクアとするのが初めて。一番最初」
良い顔で、有馬はそう言った。
『もしかして始球式アイドル狙えちゃう?』と微笑んでいるのを見て……。
(……そっか。アクア君が有馬先輩を誘ったのは……うん。感情の整理がついたって顔してるね)
黒川あかねは、やっぱりどこまでいっても、黒川あかねだ。
彼女がどんな役をして、それを周囲が何を思ったとしても……。
(幻影を追いかけているだけ……か)
本物そっくりであっても、同一ではない。
十年も前の、幼少期の記憶を呼び起こすほどの衝撃があろうと、そこの線引きは必要だ。
(多分アクア君が、あかねさんに余計な執着をする理由はなくなったかな。黒川あかねは黒川あかね。アイはアイ。それだけだし)
真刃は、左手で持っている紙袋を見る。
そこにはグローブが入っている。
いろんな業界に金を出しまくっている真刃だが、その相手はプロ野球も含まれる。
上の連中が開催したパーティーに呼ばれて行った。
で、いろいろあって、グローブを貰ったわけで。
(……キャッチボール。混ざることはできるけど、折角のデートを邪魔するのは野暮だよね)
この後も、国内の家電メーカーが新しいパソコンを作って、ちょっとした式をやるから来てくれ。とか、そういうやつがある。
真刃も、自分がメディア受けが良い外見をしているのは自覚しているし、その価値に対して謙遜もない。
それを受けるかどうかは匂い次第ではあるが。
たまに、思いがけない仕事を受けることもある。
そんな真刃だが……アクアと有馬のキャッチボールには混ざらない。
彼らの背を向けて、真刃は歩き出す。
「……感情の整理か……どうすればいいのやら」
見た目は普段と変わらない。
だが、その内面は、精神状態は最悪だ。
銀行強盗のドキュメンタリーを見て、前世の業まで引きずらなくてはならないという自覚を得たことは、彼の行動はともかく、その内面をボロボロにしている。
十年前から、良い匂い……もっと厳密に言えば『綺麗な匂い』がする金をかぎ分けて選んできた。
それが、一番、不幸になる人間が少ない選択だから。
しかし、前世の業まで引き継ぐとなれば。
それに対する贖罪を果たすならば。
大金ではあっても、汚い選択をしなければならないこともある。
前世で、18歳の時に力を自覚し、ある程度育っていた体と心は、その力とうまく折り合いをつけて、『汚い金』すらも追い求めて、経済界を引っ掻き回した。
一度でも汚い金に手を出したなら、一度でも理不尽な破産を強いたならば。
どれほどの償いも、本質的には何の意味もない。
だから、前世では、汚い金を追いかけて、走り続けた。
それができる体と心を持っていたから。
「……俺は、無理だよ」
真刃が『綺麗な匂い』のする方に突っ走ると決めたのは、5歳。
体も心も、あまりにも未熟。
前世で持っていた強さを、何一つ引き継ぐことができなかったゆえに、彼は『綺麗な金』のために突っ走った。
それ以外を選ぶのは、それを本能に刻み付けるのは、5歳の心では耐えられなかった。
その時に刻んだものは、今も彼を縛り続ける。
そこから外れる行為。『汚い金すらも掴め。そうしなければ償えない罪がある』ということを、『月影真刃』の心は耐えきれない。
何一つ成長などしていない。
5歳のころの、あの日の心のまま、彼は歩いている。
自分の選択の結果であると理解している。
本当に強引に言えば、良い匂いを避けて誰かが不幸になるとして、それを無視するという選択肢も、あったはずだ。
それでも。
気持ちの整理は、まだ、つけられない。
これから先、汚い金を選ばなければ償えない罪を目の前にしても、彼はきっと『綺麗な金』を辿り……『何いまさら綺麗ぶってるんだ』と、『自責の念』に囚われることだろう。